続々Road to 脱・昭和な女 - 私の自己変容プロセス③

玉ねぎ

最近、玉ねぎを切るのにハマっています。
特にサラダ用のレッドオニオンをスライスすることに。

なぜかというと、思いっきり涙が出るから。

特に泣きたいことがあるわけではないような、(実は泣きたいような)ちょっとわけがわからない感じなのですが、玉ねぎをスライスしながらボロボロ涙を流すと、不要な感情が洗い流されるようでスッキリします。

小さい頃泣き虫だった私は、昔はよくビービー泣いていましたが、大人になってからあまり泣かなくなりました。
自分が弱いときに、「大丈夫?」ってきかれると涙が出そうになりますが、それに気づかれないように
「大丈夫ですよー」と、笑ってごまかそうとする癖が身についています。

私は基本的に、ストレスや悲しみを抱え込まず、寝たら嫌なことは全部忘れて、新しい一日を始めることができます。

それがここ最近、私の中で自己変容の波がおきているのを書き留めておきたくて、全部忘れて寝るという事を我慢して、自分と向き合うことに時間を割くという、生まれて初めての経験をしました。

すると、睡眠でリセットすることでやり過ごそうとしていた、
これまで私が見て見ぬふりをしようとしていた感情が顔を出してきました。

自分への許可

私がこれまで、敢えて向き合おうとしていなかった感情、
それは「私はもっと自由になっていいはず」という気持ちでした。

結婚・出産を経て、私はよき妻・よき母であろうと努力すると同時に、どんどん不自由になってきました。
本来仕事をすることが大好きな私が、常に子供の送り迎えに影響のない時間帯だけ働き、週末に面白い仕事があっても、夫の意見に従って極力週末には仕事を入れないようにしてきました。そんな働き方だったので、経済的に自立できるわけがありません。

シンガポールにいる間はメイドさんがいたので、比較的週末にも仕事ができたり、夜にママ友達と出かけたりすることができたのですが、帰国してからは家事や子育て、PTA役員や部活の当番やボランティア、、、私の役割や制限はどんどん増えていきました。

それでも私は、嫌なことは寝て忘れようとして向き合おうせず、
自由であることから逃げ続けてきました。「私は今のままで十分幸せ。これ以上を望むのは欲張りだ」って思いこませようとしていました。

以前、ママ友達からバンコク女子旅に誘われたときも、夫に渋られたことが原因で、素直に諦めたことがありました。
その時は自分がどうしても行きたいと主張することができず、「みんなは旦那さんが子供の世話しとくから、楽しんでおいでって言ってくれてるらしいよ」と夫に話すと、「それみんな日本人じゃないだろ?みんなみんなって言うけど、日本人の友達はどうなの?」と言われました。

確かに、年に何度も女子旅を楽しんでいるママ友達はみんな外国人。(旦那さんは主にフランス人)彼らにとっては普通なことなのに、なぜ日本人には非常識なのでしょう?!

よく考えてみると、私はその女子旅には、夫の反対を押し切ってまで行きたいという熱意はありませんでした。ただ、私が行きたいと言ったら、夫はどんな反応を示すか知りたかったし、「行ってきていいよ」って言ってくれたらいいな、という淡い期待を持っていただけ。
そして何より、私自身が、幼い子供たちを置いて自分だけ楽しんでいいんだろうか?という疑問や罪悪感をもっていて、「母親である私だって、たまには家族から離れて楽しんでもいい」という許可を自分に出してあげられていなかったのです。

自分勝手でもいい

今回、夫に反対されてもどうしても諦めきれなかったリトリートに行ってもいいのか迷っていた時、上司の書いた「自分を愛するということ」という記事を読みました。そこに書いてあったこの一文に、私は目から鱗が落ちました:

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