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【短編小説】ダチが死んだ

【1】

ダチが死んだ。中学で出来た、最初で最後の親友が。
俺にも家族にも、誰にも何も言わずに、ダチは死んだ。

俺は今、マンションの屋上に立っている。アイツが死んだ場所に、1人で立っている。

◇◇◇

浩平はいじめを受けていた。
暴力は当たり前。筆箱を壊されたり、大事な書類をびりびりに破かれたり、家族の悪口まで言われたり。浩平は何も言い返せずにただ黙って奴等の言葉を聞いていた。
——いや、言い返せなかったんじゃない。敢えて言い返さなかったのかもしれない。アイツはストレスを溜め込む男だったから。

いじめっ子達は先生にも平気で罵声を浴びせる連中だ。浩平を庇おうものなら、自分も痛い目に遭いかねない。だから、クラスの誰もが見て見ぬ振りをしていた。
恥ずかしい話、最初は俺もその1人だった。

俺達が仲良くなったのはゴールデンウィーク明けの水曜日だった。
それまで全く気づかなかったのだが、俺と浩平は同じ地区に住んでいて、帰りに使う電車が同じだったのだ。
いつものように電車の扉に寄りかかり、本を読むフリをして突っ立っていると、向かいの席に浩平が座っているのが見えた。ちょっと俯いて、肩をすぼめて体を小さくしていた。

“へぇ、あいつもこの線使ってるんだ”

何を思ったのか、俺は浩平に近づいて声をかけた。今でも不思議だ。何でそんなことをしたのか。
友達になって、いじめの苦しみから助けてあげたい……いや、違うと思う。そんな気持ちがあるなら最初から助けてるっての。
ここで味方のフリをしておけば、とりあえず俺は“傍観者”ではなくなる。頭のどこかで悪知恵が働いたんだろう。
ズルいんだよ、俺は。
「俺のこと、知ってる? 同じクラスの桜井っていうんだけど」
浩平は、最初は戸惑っていたけど、頑張って笑顔を作って挨拶してくれた。緊張しているのが見えみえだった。
自分から話しかけたクセに言葉に詰まる。浩平も話しかけられるのに慣れていなくて黙っている。

あ〜、気まずい。

とりあえず、読んでいた文庫本の表紙を見せた。外国のホラー小説。連休中に見つけて買ったものだ。
「この本、知ってる?」
「あっ! キングの短編集じゃん!」
知っていたとは驚きだ。マンガ好きだと勝手に思っていたから。しかも浩平の知識は俺よりも豊富だった。あいつの話を聞いて、うんうん頷くので精一杯だったっけ。
使っている電車も同じで、好きなものも被ってて。初めて喋ってみたけど、結構楽しいじゃん。
気がつくと俺達は打ち解けていた。ちょっとしたキッカケで仲良くなれるものだ。
「他にも本は読むの?」
「うーん、好きなジャンルに偏りがあってさ。何か面白い本あったら教えてよ」
俺がそう言うと、浩平は鞄の中を探って1冊の本を取り出した。本はぼろぼろで、表紙も所々破けていた。カバーもついていなかった。
「ほい。貸してあげる」
浩平はぼろぼろの小説を俺に手渡した。見ると、まだページの真ん中にしおりが挟まっていた。
「あれ? まだ読んでるの?」
「何回も読みなおしてるんだ。面白いんだよ」
だからこんなに傷だらけだったのか。てっきりいじめっ子に踏まれたのかと思った。まぁアイツ等なら踏むだけじゃ済まないか。
「借りていいの?」
「うん。感想聞かせて」
「わかった。ありがとね」

その本は今も俺が持っている。
結局アイツに返せなかった。もう二度と返せないんだ。だってアイツは、河の向こう側にいるのだから。

【2】

それから俺達は学校でも話すようになった。
昼休みになると、俺達は別々のタイミングで教室の外に出て、屋上で落ち合った。クラスの中で話しても良かったのだが、それでは俺もイジメのターゲットにされてしまうと浩平が気遣ってくれたのだ。
地べたに座って弁当箱を開ける。俺達以外に屋上に来る奴はあまりいない。隠し持ってきたゲームに夢中なのだろう。
それにしても、気持ちのいい風だ。
「俺も最初っから、ここで飯食べれば良かったなぁ」
「え?」
「空の下で食べる飯も格別だ」
マンガのセリフを真似して口走ったが後悔した。浩平は好きで屋上に足を運んでいるワケじゃないのに。
「ははは、何カッコつけてんだよ!」
大声で笑ってツッコミを入れる浩平。でもその目はどこか寂しげだった。

慌てて話題を変える。最近の番組、本、ゲーム。どの話にも乗ってくれるし、冗談を言うと笑ってくれた。普段は暗い顔をしているから気づかなかったが、なかなかのイケメンだったのだ。
俳優みたいなさわやかな笑顔。それでも、あの寂しそうな目は変わらなくて、何だか浮いていた。

気まずい空気になったのはそれっきりで、俺達の談笑は続いていた。
6限まで授業がある日は屋上に行って色んな話をした。
最初は“友達”だったけど、この頃は……“ダチ”っていう方がニュアンスが近かった。実際に俺達もダチって呼び合ってた。
話すことといえば、どれもこれも内容の薄いものばかりだったが、しょうもない会話が本当に楽しかった。
くだらない話だけじゃなく、互いの夢を語り合うこともあった。
「俺は将来、絶対にギタリストになるんだ。バンドを結成して、海外ツアーもやるんだ」
読書以外の趣味がロックだった。
校則違反になるから大人しめの格好をしているけど、本当は俺流に制服をアレンジしたかった。いじめっ子だってクソみたいな着方をしているんだから、別に良いだろと思っていた。先生達も注意してないし。
ギタリストになりたいという俺の言葉を聞いて、浩平は目を丸めて「へぇ」と返した。
「浩平は?」
「俺?」
空を見て少し考えた後、浩平はこう答えた。
「先生、かな」
イジメの辛さを真に理解しているのは、実際にイジメを受けた人間だけ。テレビでは偉そうなオッサンがメシアのつもりで何か言っているが、それは口だけのもの。テレビ局が「子供達のことを真剣に考えています!」っていう空気を作ってるのが見え透いている。
教師になって、イジメに苦しんでいる子供達を元気づける。浩平はそう言っていた。
「良いじゃん」
「ははは、お前の影響だよ」
「は? 俺の? 何で?」
「え、いや……恥ずかしいな、聞くなよ」
浩平は顔を赤らめて笑っていた。
俺もそれに釣られてプッと吹き出した。

何でだろう。
屋上では素直に話せたのに、何で教室ではそれが出来なかったんだろう。
教室でもアイツに手を差し伸べられたら、アイツは今も学校に来ていたかもしれないのに。

【3】

浩平に対するいじめはまだまだ続いていた。それも、日増しにエスカレートしていった。周りの生徒達、そして俺も、いじめっ子達が怖くて浩平に目を向けることが出来なかった。
目をつけられたらどうしよう。いつまでもターゲットにされて、持ち物もめちゃくちゃにされて。親に何て言い訳すれば良いかわからなくて。それが怖くて何も出来なかった。

昼飯の時間になると、俺達はまた屋上に行く。それで「大丈夫だったか?」と味方面して聞くんだ。
俺も偽善者だ。安全な場所に入ると心配していたかのように声をかける。浩平のことが心配だったのは事実だが、俺はアイツのことよりも、自分のことを優先した。
そんな俺に対しても、浩平は笑顔で「大丈夫」と答えてくれた。ちょっと汚れた笑顔がさらに心を締め上げた。
「オーバーな話だけどさ、戦争だって結局終わったじゃん。だから、このイジメも待ってれば終わるって」
浩平は笑ってそう言った。
だが、それは違うと思った。
「何でだよ」
俺は立ち上がって浩平に怒鳴っていた。
「お前さ、いつも黙ってるじゃん。黙ってたら、アイツ等もっと調子に乗るだろ!? なぁ、何で黙ってるんだよ!?」
「やり返したって、アイツ等のいじめがヒドくなるだけだよ」
「わかんねぇだろ!」
俺は弁当箱を持って1人屋上から去った。
本当に馬鹿だ。
アレは多分、何も出来ない自分に対しての怒りだったんだ。それを、ダチを介して自分にぶつけた。ダチを利用したんだ。
教室に戻ってから、俺はしばらく1人で考えていた。仲直りの方法を。浩平もさすがに怒ってしまっただろう。それが何だか怖かった。大きな物を失ってしまうような気がした。
数分後、5限が始まる前に浩平が戻ってきたが、俺達は目を合わせることは無かった。それから、永遠に。

翌日から、浩平は学校に来なくなった。
胸騒ぎがして、何度も浩平の家に電話をかけようとしたが、出来なかった。

そうこうしているうちに、あの知らせが届いたのだ。

浩平が死んだ。
マンションの屋上から飛び降りた。いつもより低めの声で先生が言った。
下校途中、あいつの家に行くと、浩平のお母さんが俺に手紙をくれた。そこにはいじめっ子に対する恨みの言葉が並んでいた。1度、彼等に反撃したということも書かれていた。
実はアイツ等に立ち向かっていたのだ。たった1人で、誰にも知られずに。それなのに、俺はあんな言葉をぶつけてしまった。馬鹿だ。俺は大馬鹿だ。
しかし、手紙には俺に対する感謝の言葉も記されていた。助けなかったのに、最後にあんなことを言ってしまったのに。それでもアイツは、俺のことをダチとして認めてくれていたのだ。
手紙の最後に記された「ありがとう」の5文字を見て目から涙がこぼれ落ちた。申し訳なくなって、俺は手紙を浩平のお母さんに返して、その場から走り去った。

【4】

それで、今に至る。
俺は屋上に向かい、フェンスを越えて縁の上に立った。

浩平に対して申し訳なく思っている。こんな人間、生きている意味が無い。肝心なときに何も出来なかった自分が情けなかった。自分も、浩平の味わった痛みを受ける。馬鹿な俺にはそんな罪滅ぼししか浮かばなかった。

深呼吸をして、じりじりと足を動かす。徐々に下が見えてくる。
高い。高すぎる。あいつはこんな所から1人で……。
そのとき、ひと際強い風が俺の方に吹いてきた。すると、落ちることが急に怖くなって、俺はフェンスにもたれかかった。

怖い、怖い。
ずっとそう呟いていた。

浩平はこんな怖いことを誰にも告げずにやったのか。1人で飛び降りたのか。
あいつは決して弱くない。むしろ強かった。他の誰よりも。その強さとは肉体的なものではない。気持ちの強さだ。
いじめに耐えていたのもその強さがあったからだ。その強さを、最後の最後で俺が砕いてしまった。何も知らなかったクセに。
それでも、あいつには大きな力が残っていた。誰にも知られず、たった1人ここから飛び出すだけの大きな力を。
「ごめん、浩平」
フェンスに捕まって、子供みたいに泣き出した。
そこには誰もいなかったから、全然恥ずかしくはなかった。

◇◇◇

翌日。
教室ではあのいじめっ子達が浩平の話をしていた。自殺するとは思っていなかったらしく、取り巻き連中はおどおどしていた。
「何ビビってんだよ? 雑魚が死んだだけだろ」
リーダー格の生徒が偉そうに言う。
「弱かったんだよ。だから死んだんだよ。見てみ、何にも変わってないだろ? あのゴミがいなくなって誰が困るんだっての」
俺はスタスタとソイツに歩み寄ると、拳を強く握りしめて顔を殴った。怖さとか、そういう感情は全く抱いていなかった。
殴られたいじめっ子は、俺の首根っこを掴んで怒鳴ってきた。だから俺も、ソイツに負けないくらいの声で怒鳴った。
「飛び降りてみろよ!」
「ぁあ?」
「あいつは1人で飛び降りたんだよ。たった1人で、あんな怖いことをやってのけたんだよ! お前やれんのか? おい、どうなんだよ!」
「てめぇ!」
いじめっ子は俺を床に叩き付けて蹴り始めた。取り巻き連中はただそれを見ているだけだ。
少しすると先生が入ってきた。今のは現行犯だった。それを見て数人のクラスメイトが先生に口々に状況を説明した。浩平の件があった後だし、今なら何か出来ると思ったのだろう。
先生に怒鳴られ、機嫌を損ねたいじめっ子が出て行った後、俺はその場に泣き崩れた。そして大声で謝った。
俺もクラスメイトも、どいつもこいつも遅すぎた。
「ごめん! 浩平、ごめん!」
生徒も先生も、みんな俺に注目していた。
クソほどどうでも良かった。

◇◇◇

あれから10年ほど経っただろうか。
俺は今、ギタリスト……ではなく、小学校の教師として都内の学校に勤務している。浩平の夢だった教師になったのだ。
教師になって、いじめに苦しんでいる子供達を救う。
今度こそ、俺は彼等を助ける。次の犠牲者を出さないためにも。浩平もきっとそれを望んでいるはずだ。
でも、本当にそんなことが出来るのか未だに不安が残る。そもそも俺にそんな資格があるのかどうか、今でも考えている。

「浩平、俺でも良いのかなぁ。俺に出来るかなぁ?」

優しい風が、花の香りを運んできた。
これが浩平の答えだったらな。
頬を叩いて気持ちを切り替えた。

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