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闇を駆ける閃光(シリーズ2作目前日談)

日が沈み、静寂に包まれた木造2階建ての建造物。
その細長い廊下を、1体の怪物が風を切る勢いで突き進む。

怪物に脚は無い。学生服を着た少女の上半身だけが宙を舞っている。
裾が少し破けたスカートの下からは黒い靄が噴き出し、通路に線を描いている。
ボサボサに伸び切った黒髪。その下からのぞく青白い素肌には血管が浮く。手には刃の錆びた鎌を持っており、落とさないよう力強く持ち手を掴んでいる。

短い間隔で“トットッ”という軽快な音が通路に響き渡る。音は怪物の後方から聞こえてくる。
前へ前へと進みつつ、少女が血走った目で後ろを見ると、青白く輝く人影が迫っていた。人影は残像を残し、勢いよく廊下を駆け抜ける。

ここで狩られるわけにはいかない。

人間に化け、油断して近づいた獲物を何人も襲ってきた。甲高い悲鳴に心躍らせ、泣き叫ぶ相手をいたぶる。気が済んだら、痛みに苦しむ声を背に暗闇へと帰っていく。
1人、また1人と獲物を狩るうちに、人間達が“少女の怪物”の噂を広げ、恐怖が膨らんでいった。しかもありがたいことに、彼等は噂に尾鰭をつけて彩りを与えてくれる。

「数年前に自殺した生徒の怨念だってさ」
「アイツ、花壇の近くで何かしてた。アイツの呪いに違いない」

様々な形を得て、恐怖は人間達を浸食する。
幸福? 楽しみ? くだらない。そんなもの、くれてやったところで腐り果てるだけだ。人間は小狡い生き物。幸せを独り占めする。

反対に、負の感情はすぐに広がる。
負の感情、中でも恐怖は、人間という肥料と相性が良い。怪物達の間では通説となっていた。
身を守るため、恐れを共有して仲間を作る。時には恐怖を利用して同族をまとめ上げ、意に沿わぬ者を排除するという芸当もやってのける。
大好きな狩りを続けるだけで、人間が勝手に“少女の怪物”という恐怖を育て上げ、やがては——。

しかし、この怪物の手法は少々ずさんだったようだ。
ある時、罠にかかった獲物でいつも通り遊んでいると、加減を誤って命を奪ってしまった。
人間が「怪物の仕業だ」と騒ぎ立てる分には良い。だが、噂が“意図せぬ者達”の耳に入ることは死活問題だ。彼等に目をつけられたら、これまでの努力が水の泡となる。
無様な悲鳴を間近で聞けなくなるのは寂しいが、後々のことを考えれば、今は目立たぬようにするのが無難だ。しばらくの間は狩りをやめ、暗闇の中で息を潜めていた。

そして今夜。我慢の日々も虚しく、怪物の不安は的中してしまった。
狩る者から、狩られる者へ。最も目をつけられたくない相手に見つかり、怪物は逃げ出した。

眩い人影は速度を緩めること無く対象に迫ってくる。逃げるのに必死で隠れる余裕が無い。
迷路のように入り組んだ通路を逃げ続け、怪物は古い建物の外に出た。冷たい風が吹き荒ぶ大きな広場だ。
建物の外壁に沿うように小さな花壇が設けられ、小さな花々が風に揺れる。広大な空間を囲うように木々が立ち、地面には白い線で波紋を思わせる大きな模様が描かれている。

少女の怪物は舌打ちした。焦っていたためか、隠れる場所の無いだだっ広い空間に出てしまった。
遠回りにはなるが、普段狩場にしている地点に向かう経路もある。慣れた場所まで逃げて、最悪の場合は“奴”を返り討ちに——。
息を荒げて考えを巡らせていると、

「随分と稀有な姿になったものだな」

背後から男性の声。聞き覚えのある忌々しい声だ。
髪を振り乱して怪物が振り返ると、そこには青白く輝くあの狩人が。光に包まれていてよく見えないが、胸元辺りまで上げた右手に、箱のような四角い物体を持っている。
「それに、なかなか可愛らしい名前まで貰ったらしい」
後ずさる怪物をじっと見据え、狩人は続ける。
「黙れ! “俺”はあんな名前気にいっちゃいない」
美しい少女の姿も、所詮は人を化かすためのもの。少女の口から発せられたのは中年男性の声だった。

「人間を襲い、あろうことか手にかけたそうだな」
「それが何だ?」
「貴様の行為は目に余る」
狩人がゆっくりと歩み寄る。怪物は武器を構え、相手を睨んだまま後退して距離を取る。
広場の中央まで来たところで2人は止まった。今宵は満月。月明かりが彼等を照らしている。

「待ってくれよ、旦那。これは俺達全体のためでも——」
「否」
怪物の言葉を遮り、狩人が左手を怪物の方へと向けた。
「貴様は愚かな行いによって均衡を乱した。見過ごす訳にはいかない」
「愚か? けっ、そうかい。アンタみたいな石頭には、俺の、俺達の考えが理解出来ねぇみたいだな!」

怪物は素早く相手の背後に回り、鎌で斬りかかった。しかし、体を裂いた感触は無い。代わりに金属がぶつかる音が鼓膜を震わせるだけだった。
2人の間に、突如として紫色に光る細長い結晶が現れたのだ。その形状は槍にも見える。結晶の槍は宙に浮かんだまま、鎌の刃をしっかりと受け止めている。

硬い槍を強引に砕こうとしているのか、怪物は両手で鎌の持ち手を握って力を込めた。その間に狩人は怪物の方へと振り向き、歯を剥いた顔を睨みつけた。
「貴様の考えを読むことなど、造作もない」
宙に浮いた槍を左手で掴んで素早く振るう。その勢いで怪物は吹き飛ばされそうになったが、空中で体勢を立て直し、再び敵に襲いかかった。

両者の武器が激しくぶつかり合う。鈍い金属音が鳴る度に、2人の手に振動が伝わってきた。こんな状況でも、狩人は右手の物体を仕舞おうともせず、左手だけで槍を操っている。
時折、四角い物体からは枯葉が地面を滑るような音が聞こえる。光に包まれていて実体は把握出来ないが、狩人は逐一その物体に目をやっているようだ。

「余所見してる場合か、旦那!」
怪物は不規則に動き回り、隙を突いて斬りかかるも、狩人は槍を器用に動かしてその攻撃を受け止めた。武器が擦れ、ギチギチと耳障りな音を立てている。

片手で掴んだ細い槍で、鎌の刃を受け止める相手。しかもチラチラと右手に持った物体を確認している。
軽く見られている。気に食わない。
苛立ちを覚えた怪物が、目一杯両手に力を入れると、結晶の槍が負荷に耐え切れず折れてしまった。光を失い、炭のように変色して地面に落下した。

槍が真っ二つに折れると同時に敵の鋭い刃が向かってくる。青白い人影は後ろへジャンプして刃をかわした。
「人間共のおかげで、俺も力を得た。年がら年中、本と睨めっこしてるアンタとは違うんだよ!」

本。
狩人が右手に持っている物体は、1冊の書物だった。槍を振り、怪物の攻撃を凌ぐ際に聞こえる乾いた音は、本のページが捲れる音だったのだ。
書面からは紫色の光が浮き上がり、不思議な模様を描いている。本に記された文字や記号が光っているらしい。

ここぞとばかり、少女の怪物が鎌を振り上げて飛びかかった。唸り声をあげ、髪を振り乱した相手が距離を詰める。しかし、そんな相手に臆する様子もなく、狩人は本のページをパラパラと捲り、左手を前に突き出した。

「——ふむ。これは面白い」

本を見ながら、左手を小さく動かす。
狩人が印を切ると、突如として地面から結晶の槍が十数本、怪物目掛けて飛び出した。真下から奇襲を受けた怪物の体は天高く突き上げられた。その手から滑り落ちた鎌は地面に突き刺さり、間もなく灰となって消え去った。

続けて印を切ると、怪物を襲った槍も上空に飛び上がり、円を描くように怪物を囲った。その内5本の槍は赤い光を帯びている。
狩人は夜空に描かれた円陣を見て、1本の赤い槍に狙いを定めると、地面を強く蹴って飛び上がった。

「人間を利用して得た力はその程度か」
赤い槍に到達すると、上空でその槍を蹴り、怪物に突撃する。相手の身に膝蹴りを食らわせつつ、対角線上にある別の赤い槍へと向かっていく。
「我が無限の叡智には遠く及ばない」
2本目の赤い槍に近づくと、それを蹴ってまた別の槍を目指す。赤い槍を伝って、怪物に素早く突進する。狩人の軌道に沿って赤い槍から線が伸び、怪物の体を中心に据えた五芒星を描いた。
「ち、畜生……」

「貴様に裁きを下す。深淵へと還るが良い」

狩人が最後の赤い槍を蹴って急降下すると、赤い五芒星が眩い光を放った。槍が描く円陣が回転を始め、徐々に速度を上げていく。怪物は円陣の中心から逃れられない。特殊な力がはたらいて、体が動かせないようだ。

狩人が地面に降り立つのと同時に、上空で激しく回転していた円陣が爆発を起こし、夜空に光の花を咲かせた。
爆発によって槍が消滅、光が消え去ると、狩人の後方に怪物の体が落下した。円陣の作用なのか、その肉体は石像と化している。上半身だけの奇怪な石像は、くぐもった音と共に地面に飲み込まれた。
青白く輝く人影が、石像が飲まれた地点に歩み寄った。地面には何の痕跡も残されていない。

「世話になった」

そう口にすると、狩人の体から青白い光が放たれ、何処かへ飛び去っていった。光を失った人影は、糸の切れた人形の如くその場に倒れた。
仰向けに倒れているのは、制服を着た中年の警備員。胸が上下している。気を失っているだけのようだ。服装に乱れは無く、傷ひとつついていない。
——怪物との戦闘時に見ていたあの書物も見当たらない。

冷たい風に撫でられ、警備員は目を覚ました。上体を起こして周囲を見渡し、ひと言漏らす。

「お、俺は、何でこんな所に……?」


木造の大きな本館。木々に囲まれた広いグラウンド。
彩音寺学園には奇怪な噂が多い。学生の怨念、生徒を襲う怪物。そして、夜の校舎を照らす眩い光。
この古びた校舎で起きている不思議な出来事の数々。その真相を知る者はいない。
きっと——

「……うーん。やっぱり、ちょっと違うような?」

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