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幻想ショートショート けむりのワルツ

(またここか...)

わたしの夜は決まってここから始まる。308号室 西池袋のラブホテル。

そして、またこの男である。近ごろ、わたしを吐き出すのは決まってこの男だ。いつもの通り、所在なさげな顔で女の背中を眺めている。蛇口をひねる音、化粧品のふたが開く音。

こういう時の男は、孤独を紛らわそうとしているのか、それとも、孤独になろうとしているのだろうか。いや、どちらも同じようなものか。

更にどうでもいいことだが、ふたりはおそらく付き合っていない。

以前、”正しい男”から吐き出されたけむりと出会ったことがある。まるでわたしと違う形をしていた。はっきりと、物理法則に従った形をしていた。わたしの焦点の合わない輪郭とは大違いだった。

まあ、アダムとイブがどうなろうとわたしには関係のないことだ。さっさと支度を整えて、排気ダクトから外に出た。

汚い。人間の、モラル以外の部分を集めて固めたような街だ。30分6500円のネオンの光は、わたしの色をめまぐるしく変えていく。わたしだけではない。人間であっても、ことさら淡い者は染まってしまう。そして、その光に吸い込まれていく。均等に飲まれていく。

わたしから見れば、人間は決まった動きしかしない。気が狂ったと言われる人間でさえ、決められた動きで踊っている。パズルの答えあわせのように。

わたしはそれが羨ましい。

今日はあとどれくらい漂えるだろうか。気まぐれな風に流されて、辿り着けないまま消える夜を何度も繰り返した。今ではもう、どこに行きたかったのかも忘れた。どうせこの街からは出られない。

この街の人間たちは、わたしの匂いに慣れている。わたしもこの街と人間に慣れている。慣れすぎている。それなのに、生まれ変わるたびになにかを思い出して、意味を考えてしまう。

もうそろそろだろう。わたしは今夜もいなくなる。ふと街を見下ろすと、さきほどわたしを桃色にしたネオンが小さな星になっていた。

そうだ。また生まれ変わったら、彼らのように踊ってみよう。同じリズムで、同じ動きで。

それでどこかに行けるなら。

「スキ」を押して頂いた方は僕が考えた適当おみくじを引けます。凶はでません。