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#43 喋りたくない期

7月から8月にかけて、喋れない期間がありました。何を発しても自分じゃないみたいで、嘘をついているような感覚になって、喋りたくない。どうしてこうなったのかとひたすら考え、先日、ようやくその答えが見えました。

喋りたくなくなっていたのは、子どもの部分が強く出ていたからだったのだろうと思います。

私は、子どものまま置き去りにされている面と、自分を律して生活をしている大人の面がはっきりと分かれています。そして子どもの自分の扱い方がよくわからない。

カウンセラーさんからは、言葉に長けているのだから、小さい頃と違って言葉を使って自分の思いを表現できるのではないか、と言われていました。でも実際には、言葉をうまく操れるのは大人の私だからであって、子どもの私では何も出てこなくなってしまう。

言葉を発する限り、「大人として」でしか話せなくなってしまう。

他人を納得させる「説明」になってしまうのです。自分本位の「感情」ではない。感情は恐怖で出せないのです。

何を喋っても、出たがっている子どもの面が出ることはなく、大人の私が他人事のように説明してしまうから、子どもの私が「本当はそんな冷静に喋れる状態じゃないのに!!!!」と泣き叫んでいたんだと思います。

だからもう話したくない。言葉を発したくない。

自分のなかにある子どもと大人のバランスが崩れて、どうすることもできなかったのでしょう。

これは、カウンセラーさんに「言葉を使って出してみて」と言われていたこと、伴走者である友人からも「なんでもいいから伝えてみて」と言われていたことも関係しているのだと思います。

それらはきっと、大人の私の部分を見ていた二人からの、大人の私へのアドバイス。

それらはきっと、子どもの私にとっては難し過ぎて、プレッシャーになり、逃げだしてしまうほどのものだった。

だから友人とも喋ろうとは思わず、カウンセリングにも行きたがらなかった。

この自分に起きていることの仮説が立てられたことですっきりしたのか、元の大人の私へとすっかり戻ってしまい、今は「喋りたくない」という感覚は消えています。

「戻ってしまった」と表現したのは、これが良い方向だとは感じていないからです。生活していくには大人の私でいるほうがずっと楽。だけれども結局また子どもの私を置き去りにしてしまい込んでしまった。治療としては、一進一退と言ったところなのかなと感じているのです。

それでも自覚できないままよりはずっといいでしょう。こういうことが起きていたのかも、子どもの私が暴れていたのかもと認識できるのは、少しでも子どもの私を認められたということであり、自分にやさしくできたということでもあるだろうし。

ここの配信もそんなわけで停滞していました。無理をしないと決めているので、配信したり立ち止まったり、ころころと状況は変わると思いますので、なんとなくで見守っていただければ幸いです。


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