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「自分が在りたい世界」を描く

これが日本に住んでいるからなのか、はたまた東京に住んでいるからなのか…、明確な答えは分かりませんが、
生きていて息苦しさを感じることが、時々あります。


それは、"普通"じゃないことへの批判です。



私自身、海外の教育事情について明るくないので、決して大きな口をたたけるわけではないですが…、
日本の「マジョリティが正しい」と考える風潮があまり好きではありません。多分これは"多数決教育"を受けてきた弊害だと考えて良いのかなと思いますが…、「みんなもこう言っているから正しい」とか「みんなやっているから私もやる」という考えの人があまりに多いと思います。


確かに、多くの人間の賛同を得るものは「良い」ことであることが多くて、"みんな"も共感できる確率も高いと思います。
でも、それはそれ。

決して「マイノリティが正しくない」という理由にはならないと思います。


大学に行くと、「正解のないアウトプット」をする機会が増えるので、違和感はなかったんですが、特に小学校・中学校・高校ではこの「マイノリティが正しくない」といった風潮が強くて、何度も嫌な感情になった記憶があります。

自分がマジョリティ側である、と認識した時になんだかちょっと堂々と意見を言ってくる感じとかね。笑
(…もちろん私自身もそういう行いをしているうちの一人だったと思いますが…。)


ま、つまりは、
突飛なこと・ちょっと妄想的な要素を言うことに対して否定的な世の中の風潮に一石を投じたいわけです。

ビジネスではよく「ファーストペンギン」という言葉が使われますよね。

ビジネスにおけるファーストペンギンとは

「新しい業界や投資先にチャレンジをして、先行者利益を獲得すること」がビジネスでのファーストペンギンの意味です。
「獲得しようとする人」のことをファーストペンギンと呼ぶことも多いですね。

出典元(iroots style):https://iroots.jp/style/65

これも割と「マジョリティ」「マイノリティ」の考え方に近しいお話だと思っていて、
要は"みんながやっていないことをやる"ことで利益を獲得するわけですから、一見「これは無謀だよ」と思えることにチャレンジすることでハイリターンが得られるということですよね。


こういう新しいことにチャレンジしていく、"みんながやっていないことをやる"精神がないと、イノベーションて起きないと分かっていながらも、
新しいことにチャレンジしていかないことが「マジョリティ」となっていることが疑問なんです。


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…突然なんでこんな話を始めたかというと、
私の大学時代の先輩で「アートシンキング」を持ってビジネスにイノベーションを創造しよう、という動きをしている方がいらっしゃまして…、その方の考え方を受けてめちゃくちゃ脳が刺激されたからです。笑


書きたくなって書いた、そんな感じです。


「アートシンキング」について詳しく知りたい方はコチラ



いつもは左脳的な文書構造を心掛けますが、せっかくなので今日は右脳的な書き方で書こうかなと思います。


上記の「アートシンキング」で語られていることとして、
「オリジンベースド・アートシンキング」というものがあります。
正しくお伝えする自信があまりないので引用させていただきます。

「オリジンベースド・アートシンキング」とは?

固定概念や先入観など、日々の生活の中で知らず知らずの内に凝り固まってしまった一般的な価値観を脱することから始めます。
自分が体験したこと、考えたことから、物事を自分の価値観で再定義していくことで、イノベーションのタネが見つかります。
その再定義した内容を先進的な問いという形で投げかけて、行動に移し、形にしていきます。

出典元(株式会社bulldoze):https://bulldozer.site/

自分が普段生活しているうちに「当たり前」だと思っていることから逸脱して物事をとらえることで、イノベーションを創造することができるという考え方かなと思います。



ふと自分の身の回りを見渡してみても素朴な疑問って沢山あります。

「なんでコップって丸いんだろう」
「なんでスマートフォンは長方形なんだろう」
「なんでペットボトルはこの形なんだろう」
「なんでビールは缶かビンなんだろう、保存が効くようにペットボトルにすればいいのに…」
などなど…


もちろん、上記の質問に答えられないわけではありません。
例えば、「これは手にフィットするような形で設計されていて」とか「汚れが溜まらず、洗いやすいから」とかね。



ただ、絶対にその答えしかない、ということも言い切れないし、
逆にコップは丸い形をしていても、ペットボトルが真四角の形をしていても良いわけです。無意識的にコップやペットボトルの形を決めつけるのではなくて、そういった形やにおい、素材から考え直すことも視野に入れる必要があるということですよね。


原点に立ち返って問い続けることで、新たなイノベーションが起きる、なんとなく今までの経験からしても納得感がありますよね。


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この考え方を「私の人生の在り方」について置き換えて考えてみたいなと思います。

前にも「人生観」について記事を書いたことがあります。ここでもちょっぴり似たようなお話を書いておりますが、
人は自分が生きている中で、当たり前だと思っていることが「本当に当たり前であるか」を定期的に再定義する必要があると思っています。

ここで偉人のお言葉を借りますね。
「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」ージュール・ヴェルヌ


…私は恥ずかしながら鹿島のCMで初めてこの言葉を知りました。そして、「アートシンキング」を学ぶまで、正直なところこの言葉を信じていませんでした。

でも冷静に考えてみると、自分が思い描いていることや想像していることって、意外と実現させることができるんですよね



めちゃくちゃ小さなたとえ話で恐縮なんですが、
最近インスタライブをやっている芸能人の方が多くいらっしゃいますよね。そこで一般人の方と芸能人の方がお話するような場面を見たことある人、いらっしゃるのではないでしょうか?

40年前ではありえなかったこの光景を実現させたのは、インターネットという技術で、インスタやツイッターといったツールを使って、しかもそれを多くの人が持ち運んでいるというこのあり得ない状況が重なった上に、コロナというこれまたあり得ない病原菌が発生したことで、この光景が当たり前になってきているんですよね…。

40年前も「あのアイドルとお話できたらな」と想像した人は沢山いるはずです。
あの時はあり得なかっただろう光景が、こうして現実になるわけです。


つまり何が言いたいかというと、
「妄想なくして創造なし」ということです。
自分が思い描いた世界までしか自分の世界は広がらないということです。



話を少し大きくして、人生で例えてみると…、

20代で結婚して、子供を産んで、子供を大学に入れて80代になったら死ぬ。という人生を思い描けばその通りの人生になるように進めばいいし、

逆に、20代で海外へ行って、30代で起業して、40代で余暇を過ごすという人生を思い描けば、そういう人生もなくはないということになります。


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普通に人生を生きていると、「夢を語る」機会ってあまりないですよね。振り返って考えてみても、最後に自分の将来の夢を大衆の前に晒したのは小学6年生の卒業文集が最後かもしれません。笑

もうこの年になって大きな夢を語ったとしても、「ありえない」の一言で片づけてしまってそれで終わってしまうことが多いように思います。
けど、「自分の在りたい世界」を思い描かない限り、それ以上の世界は生まれない、ということをこの「アートシンキング」の考えから改めて思い知らされました。
そして、そのあなたが在りたい人生を完全に否定できる人はこの世にだれも存在しません。

一人ひとり、「良い」と感じることはこんなにも違うのに、なんで「マイノリティだから」という理由で否定されなければいけないんでしょう?
自分が幸せになる道を、自分以外の人は知らないと思います。
親にだって分かりません。


結局責任を取らなきゃいけないのは他の誰でもなく自分自身なのですから、自分が幸せだと思えるような人生を、一人でも多くの方が選択できたらいいなと思っています。


みなさんも是非この機会に自分の在りたい人生を再定義、してみてはいかがでしょうか?


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ここからは「当たり前」とか「無理」とか「できない」というフィルターを無しにして自分の在りたい姿を妄想しまくって自由に書こうと思います。
明日には言っていることが変わる部分もかもしれませんが、「明日は明日の風が吹く」ですね~。


【私の在りたい世界】

・海が目の前に見えるような場所で仕事をしたい
・一生旅行をし続けたい
・旅と写真とビールで生計を立てたい
・自分の「当たり前」を押し付けないず、受容する姿勢を持ち続ける
・いつでも周りにアンテナを立てて、自分赴くままに面白そうなところにいく
・猫と暮らしたい
・雨の少ない場所で暮らしたい
・不幸な時も病める時も、明るく前向きに生きていきたい


妄想万歳~~~~!笑


ではまた

「一眼レフで撮る、47都道府県」制覇を目指して奮闘中!平日は会社員として仕事をし、休日は月に一回以上ペースで旅行に行っています。お仕事はWEBディレクター。ウェブ解析士資格持ち。