泣き虫ジョッシュと惨劇の館/1

【"CRYBABY JOSH" in the slaughter house】
【CHAPTER/01: NIGHT TRIP】

《主人公・モノローグ》
父さんがアフガニスタンで戦死したのは、もう14年も前の話だ。
一族はドイツ移民のユダヤ人で、筋金入りの軍人一家。
曾祖父さんは太平洋戦争の英雄、3年前に死んだ祖父さんはベトナム帰り。
兄さんは父さんと同じ海兵隊員になって、今はアフガンで戦っている。
戦争って何だ? 軍隊って何だ? なぜ外国で死ななきゃいけないんだ?
「”泣き虫ジョッシュ”。お前はどうして、軍人にならなかったんだ」
退役軍人で、父さんの部下だったメイソンさんが、僕にいつも言うことだ。
軍人一家だから何だ? 赤の他人には関係無いさ、放っといてくれよ。
僕は地元のホテルに就職して、安月給だけど平和な人生……満足してるよ。
意気地なしと言われても構わない……人殺しも軍隊も、真っ平ゴメンだ。
僕は”ジョッシュ”。ジョシュア・ゴールドマン。27歳、童貞。

20XX年6月、アメリカ合衆国/イリノイ州スプリングフィールド。
エイブラハム・リンカーンの眠る土地は、余所者の観光客が絶えない。
そこはまたジョッシュの祖父・ジョナサンが眠る土地でもあった。
オークリッジ墓地を尻目に、クリーム色のセダンが走り出す。
型遅れのビュイック・センチュリーは、父親の形見の一つだった。

ジョッシュは車の窓を少し開くと、スモーキンジョーの紙巻きを咥えた。
「――ようジョッシュ。車が汚れてるじゃねえか、洗車はまめにやっとけ」
実家から出がけに、隣人で酔っ払いのメイソンが告げた言葉が蘇る。
「はぁ……確かに汚れてるよな、帰ったら洗車しなきゃ」
――カキンッ、シュボッ。
ベトナムの地図が刻まれた、錆びた鋼鉄のジッポーが火を噴く。

スプリングフィールドからシカゴまでは、車で片道3時間30分の長旅だ。
戻りつくのは夜になるだろう。どこかで夕食を済ませて帰らなければ。
夜のシカゴ……ジョッシュは銃を手にしたギャングを想像し、身震いした。
「民主党が銃を規制してるってのに、どうして犯罪はなくならないんだ?」
ジョッシュは呟き、グローブボックスに入れっ放しの密造酒を思い出す。
移動販売のナットクラッカー……何気なしに買ったのは3日前の話だ。


ナットクラッカー……フルーツジュースとアルコールを混ぜた飲料。
レシピは密造業者の企業秘密で、得体の知れない闇酒=禁制品。


「買った時はカチンコチンに凍ってたけど……もう溶けちゃってるなあ」
ジョッシュは紫煙を吐いて、どうでも良さそうに呟いた。
錠剤のボトルに詰められた酒が、1本10ドル。2本買ったので20ドルだ。
赤色と緑色を買った。何の味かは……説明された筈だが、覚えていない。
密造酒の売人も、ギャングみたいに銃を持ち歩いているのだろうか。
「そうだ。銃と言えば、そろそろ父さんの銃を整備しなきゃ……」
大切な遺品を錆びさせると、兄のジェームズが帰った時に煩いのだ。

夜のハイウェイ。ジョッシュは無言で、淡々と車を流し続ける。
「やば……もうそろそろ給油しなくちゃ。古い車はこれだから」
道端のガソリンスタンドに車を乗り入れ、車の給油口を開く。
ジョッシュは運転席から車外を見渡し、緊張した面持ちで車を降りる。
イリノイ州……特にシカゴは、全米で指折りの治安の悪さだ。
『CCW』という許可を取れば、一般人でも銃を携帯して身を守れる。
それでもジョッシュは、自分の意思で銃を携帯していなかった。

給油。スタンドの店内で支払い。毎度お馴染みのルーチン。
今夜も危なげなく作業を終えたジョッシュは、運転席に座って溜め息。
人気の少ない夜には、昼間だと何でもない出来事に恐怖が付きまとう。
「早いとこ戻ろう。明日も仕事だ」
ジョッシュはブラックベリーの充電を確認すると、車を走り出させた。
彼が脈絡も無く、路上で女と遭遇したのは、それから15分後の話だ。


ブラックベリー……キーボード付属の携帯電話で、スマートフォンの一種。
ジョッシュはやや旧式の、ブラックベリー・パスポートを使用している。


暗闇に伸びる舗装道路。両脇に点々と建つ、高圧電線の鉄塔。
ジョッシュは欠伸をこぼし、スニッカーズの袋を開けるかどうか迷った。
前方を照射するハイビーム灯に、左脇から人影のような姿が過ぎった。
「なんだ? 今人が居たような……」
ジョッシュはまどろみつつも訝り、殆ど無意識でアクセルを戻した。
片手でスモーキンジョーの箱を取り出し、紙巻きを1本取り出す。

そしてハイビーム灯に急速に浮かび上がる、黒い影!
人影だ! 何も無いハイウェイの、それも道路のど真ん中!
「ウワーッ!? 何だ何だ何だ!?」
BEEEEEEEEEEEEEEP!!!!! 鳴り響くクラクション!
ジョッシュ、狼狽して急ブレーキ! ABSが作動し、車体が振動する!
急接近した人影の、1フィート目前でギリギリ停車!
ジョッシュは人影に怒鳴ろうとしたが、追い剥ぎの可能性が頭を過ぎる。

人影は猫背であらぬ方向を見据えたまま、ぼんやりと立ち尽くしていた。
女だ、それも若い。術後服めいた、際どい膝丈のワンピース姿。
銃を持っているようには見えないが、油断はできない。
掌にポケットナイフくらい隠し持っていても、おかしくはない。
ジョッシュは1分ほど車内で女と対峙すると、やがて観念して車を降りた。


「あのー……あのー、ねぇ君……大丈夫? 聞いてるのかい?」
反応が無い。若い女はゾンビめいた佇まいで、その場に立ち止まっていた。
ジョッシュは臆病な小動物のように、警戒しながら女の正面に回り込む。
女はジョッシュの存在に気付いて頭を振り、ハイビームに目を細めた。
「……眩しい……」
「こんな所で何してるの……じゃなくて、急に飛び出したら危ないだろ!」
ジョッシュの言葉に、女は不思議そうな視線を返した。

「……ここ、どこ……? ……あんた、誰……?」
落ち着いた低い声。夢遊病者めいて、現実感の乖離した語り口。
「その言葉、そっくりそのまま君に返すよ。まさか幽霊じゃないよね?」
「……幽霊……? ……プッ、ププッ……クスクスッ……」
ボブカットの黒髪を揺らし、女が笑った。
ジョッシュは女の艶やかさに心を奪われながら、背筋を凍りつかせた。
美人だ。こんな夜中に、こんな姿で、こんな出会い方などしなければ。

「お家はどこ? 帰り道、わかる? とにかく、そこ退いてくれよ」
女は立ち止まったまま、ジョッシュの全身を無遠慮に観察した。
「……車、あんたの……?」
「見ればわかるでしょ。僕もさ、早いとこ家に帰りたいんだけど」
「……じゃあ、乗せてって……」
「君、ヤク中とかじゃないだろうね? まさか武器は持ってない?」
ジョッシュの問いかけには応じず、女は車の助手席に無言で乗り込む。


ジョッシュは今や、完全な覚醒状態にあった。
この美しくも奇妙で、殆ど都市伝説の幽霊めいたヒッチハイカーの所為だ。
「……ハァ……喉、渇いたな……何か、飲み物……」
名も知らぬ女は、おもむろにグローブボックスに手を伸ばす。
「おいちょっと、勝手に開けないで! アッまずい、そこは――」
ジョッシュは仕舞い込んだ密造酒を思い出し、青褪めた顔で喚いた。
彼の静止も空しく、女は赤色のナットクラッカーを握って、栓を開いた。

甘ったるい酒の香りに、女は喉を鳴らし、密造酒のボトルを傾ける。
グッ――グッグッ――グッグッグッ――息継ぎ無しで、ボトル半分。
横目に見たジョッシュも呆れる、大した飲みっぷりだった。
「……ぷへー……ヒ、ヒヒッ……フフ、変わった味……」
「いやそれ、お酒……知らないぞ、君が勝手に飲んだんだからな?」
女はもう一口で密造酒を飲み干すと、足元にボトルを転がした。

女はジョッシュに一瞥もくれず、もう一本のボトルに手を伸ばす。
「あーもう! ちょっと、何やってんのさ! それ1本10ドル!」
緑のナットクラッカーが、あっという間に女の腸に収納される。
「……グビッ、グビッ、グビッ……ぷへー……はー、飲んだ飲んだ……」
カラカラッ、カランコロン。
投げ棄てられたボトルが、女の足元でかち合って音を立てた。


ジョッシュはスモーキンジョーの紙巻きを咥え、火を点す。
窓ガラスを開くと、ゾクリとするような生温い空気が、車内に忍び込む。
前方の視界に靄が立ち込め、急速に白く翳りはじめた。
「……何だ? 天気予報では一日中、晴れの筈だったんだけど……」
フロントガラスの向こうは、1ヤード先も見通せない白の世界。
ジョッシュは車を減速させながら、強烈な違和感に怖気を走らせる。

助手席の女は満足げな顔で、ネコ科動物めいた伸びを一つ。
「……ンンーッ……」
おもむろにワンピースの裾に手を伸ばし、己が股間をまさぐった。
「なッ!? なになになにッ!? 今度は何ッ!? 急にどうしたの!」
狼狽するジョッシュ! 金属音と共に、女の手が何かを引きずり出す!
銀色に輝く二連銃……レミントンのダブル・デリンジャーだ!

ウワ―――――ッ!? 銃! 銃! 一体どこに隠し持ってたんだ!?
ジョッシュ絶叫! 女は微笑み、ジョッシュの首筋に両腕を回す!
ハンドルを握るのが精一杯で、女を振りほどくどころではない!
女は大口を開いて、ジョッシュの首筋に被りつく! 流れ出る血潮!
ギャ――ッ!? 悪魔、吸血鬼、ゾンビ! 誰か助けて――ッ!?
車は激しく蛇行運転! ジョッシュは半ベソでフリークアウト!

激しく暴れるジョッシュに抱きつき、女はデリンジャーの撃鉄を起こす!
「……ええそう、連れてくわ……フフフ、あんたも……姉様の、家族に……」
ギギィ――ッ!? ウィーンガガガッ、ギギィ――ッ!?
車はコントロール不能! 視界の一切は純白の靄でホワイトアウト!
ヒィギャアアアアア―――――ッ!!!!!
ギギィ――ッ!!!!! ガッシャ―――――ンッ!!!!!


それから、どれくらいの時間が経過しただろうか。
ハイウェイ上を飛び出し、荒野にドロップアウトしたセンチュリー。
……ビビィ―――――ッ!!!!!
「――ハッ!?」
クラクションの大音響に驚き、ジョッシュは唐突に我に返った。
吹き荒ぶ風に靄が晴れ、白の世界が暴かれ、夜の暗闇が暴き出される。

ジョッシュは顔を平手で覆って、涙を拭い、恐怖に身体を震わせた。
自分を強いて頭を振り、車のエンジンキーに手を伸ばした。
ウィーン、ガッガッガッ。ウィーン、ガッガッガッ、ウィーン……。
「何てこった、衝撃で壊れちまったのかッ!? 頼むよ、動いてくれ!」
ウィーンガガガガガガッ! ドスドロロロロロシュボッ、クゥーン……。
沈黙。ジョッシュは震える手で、スモーキンジョーを一本取り出した。

鋼鉄のジッポーで火を点し、青褪めた顔で紫煙を吸い込み、激しく噎せる。
「……あの女……本当に、幽霊だったのか……ハハハ、まさか、まさかね……」
視界の先で一筋の道を切り開く、車のヘッドランプのハイビーム灯。
闇を裂き、荒野の向こうに佇む廃屋の輪郭を、浮き上がらせる。
女の唇の感触。首筋を這った舌の、湿った生温かさ。肢体の肉感。
ジョッシュは血の滴る首筋に触れ、鈍い痛みの疼きに生を実感した。

運転席の窓ガラスに血文字。外側から、器用に鏡文字で記されている。
『COME WITH ME』
ジョッシュは車内を見渡すが、既に女の姿は無い。
助手席に遺された、撃鉄の起きたダブル・デリンジャーを掴み取る。
「参ったな……行くしかないってのか……明日も仕事だってのに……」
ジョッシュは渋い面持ちで廃屋を見据え、震える手で拳銃を包み込んだ。
彼の長い一夜は、かくして唐突に幕を開けた。


"CRYBABY JOSH" in the slaughter house
CHAPTER/01: NIGHT TRIP
TO BE CONTINUED…

※おことわり※
この物語はフィクションであり、実在する地名、人名、商品名及び出来事、その他の一切は、実際のものとは関係がありません。

From: slaughtercult
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