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情熱を注ぐ事は恥ずかしい事じゃない

こんにちは!

先日、自分の小学校、中学校の卒業アルバムを眺めていてこんな事を思い出しました。

私が小中で書いた『将来の夢』それはプロ野球選手になる事でした。

でも、本当になりたかったのかと言われると実はそんな事は無くて

じゃあ何で書いたかとゆうと、「野球やってるんだからプロ野球選手でしょ」とゆう風に周りは考えている。と勝手に考えたからです。

これは鮮明に覚えています。

本当になりたかったのは、ポケモンマスターだったのかもしれません。笑

大人になったらゲームフリークで勤めたいとゆう気持ちになっていったかもしれませんね。

それぐらいゲーム、ポケモンに熱い情う熱を注いできた訳ですが、子供ながらに世間体を気にしたり、周囲に変な気遣い、優しさばかり出して自分の意見を言えない人間であった事は間違いないです。

本当は中学も野球をやるとゆうつもりはありませんでした。周りの大人たちに「お前は野球を続けろ」と言われて続けていたまで。私は自分が野球をするより、野球を観戦している方が好きでした。

自分が本当にやりたかった事は何か、自分が何を求めていたのか。大人になって振り返っても分かりません。

それは大人になった今も残っているのかもしれません。自分がやりたい事が良く分からなくて、でもある程度は何でもできちゃって、突き抜けた才能に出会う事はありません。

自分が大人になるにつれて、本当にやりたい事が見つからなくて周りに遅れている焦りは多々ありました。

お金持ちになりたいわけでもない。やりたい事がある訳でもない。

いつも、周りの意見に左右されて、自分の芽を出す事をしてこなかったので片思いとゆう感情を持った事もないし、ドキドキする感情を持ったこともない。

そんな人間だった私でも、何かに対して情熱を注ぐ事ができればと思っていた時に今まで隠していた自分の病気を曝け出そうと思いました。

ウソをつくことに馴れてしまっていた私は、自分を変える為には自分を晒す事から始めないといけないと思いました。

そこで気づいたのは、誰より率先して手を上げたり、誰よりも仕事に対して情熱を持つことって全く恥ずべき行動じゃないんだなって思いました。

「仕事をプライベートは別」とか「ON/OFFの切替」とかよく言いますけどそれでどのくらい損してきたんだって今振り返ると思います。

時間は有限。本当にその通りだと思います。情熱を注げない人とゆうのは絶対にいないんです。どっかで妥協したり、楽な方に進もうとしている結果、自分の自己肯定感を喪失していると私は思います。

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自己肯定感の強い人は、まず仕事とプライベートの区分がない。仕事が大好きで、仕事が趣味みたいになっている人の方が圧倒的に多いです。

そしてストレスが少ない。それだけ自分を知っていて、楽しんでいるとゆう事も分かります。

これからの時代は個性が生きる時代と言われていますが、個性は作るものではなく、自分本来の素材を磨きに磨き上げて作り上げる物だと思います。

影響力のある人や会社の代表とゆうのは、自分を知っている人が多いです。だから一見普通に生活をしている人がみれば、「変わってる人」が多いんだと思います。

でも、逆なんです。その様な人達からしてみれば普通に暮らしていると思っている人たちの方が「変な人」なんです。

仕事に情熱を注げない、何かに物凄く熱中できるわけでもない。

たった1度の人生で情熱を持てる物に出会う行動をしないとゆうのは物凄く勿体ない事であると思います。


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