構造工学風味の超短編

はじめに

ちょっと構造学的なことを意識しながら思いついた話を書き連ねました。

1日1編2週間で書いた読むだけ損かもしれない超短編、全15編です。


ある球に包まれた世界

「くっついて話をするのは、久しぶりだね。」
「いつもリアルタイムでやり取りしているから、懐かしい感じはぜんぜんしないけどね。」
 お互いを包み込んでいる膜どうしが触れているだけで、くっつくといっても、身体そのものが接触しているわけではない。ただ、膜どうしが触れているために、お互いの声が直に振動して伝わることが、普段のコミュニケーションと異なる。
「昨日の地震の揺れ、結構大きかったねえ。」
「津波の高さもかなりあったらしいよ。」
「一瞬、いつも以上に浮いた感じがしたけど、昔の建物があった時代だと、結構な被害になったかもね。」
「人が、建物の中で生活していた時代があるなんて、記録映像では観るけど、今じゃ考えられないよね。」
「あんな堅いものの中にいて、人が守られているなんて思っていたことが信じられない。」
「それどころか、高層の建物の塊の中で1000人以上の人が暮らしていたそうだし、なおさら信じられない。」
「とにかく、服なんてものを着ただけで外を出歩いたりもしてたしね。」
「わざわざ自動車なるものに乗って移動したりもしてたしね。」
「電車や飛行機なんてものに、多くの人が乗り合わせて一緒に移動していたなんて、いったいどういう気分だったんだろうね。」
「家と自動車が融合することが革新的だと考えられた時代もあったみたいだしね。」
「そもそも、人が人として生きるという考え方が未熟で、まだまだ動物的な感覚が強かったんだろうね。」
「地震、津波、台風、洪水、大気汚染、数知れない自然災害や環境の変化にまったく無力だったなんて、想像しただけでも怖いよ。」
 すべての人は、シャボン玉のような球体に包まれている。透明、半透明、不透明、膜の状態は自由にコントロールできる。すべての人は仮想空間での通信網でつながっていて、誰とも接触することなく、すべてとつながっている。必要な情報はすべて膜の中にいて得られるし、食と健康は膜を通して完全なるサービスが得られることになっている。
「縛られるものは何もなく、膜の中にいる限りは安全が保証されていて、触れ合いたくなれば、自由に移動して膜どうしを接触させればよい。」
「こういった自由のない動物的社会があったことが信じられないけど、その動物的社会の中で生み出された技術によって、今の世界ができたのだと思うと、サバイバル状態で一生懸命生きていてくれた先祖に感謝するしかないよね。」
「今じゃ、産まれて死ぬまで、この安楽な状態でいられるものね。」
膜どうしの接触により受精卵を生み出し、その受精卵が新たな膜の中に挿入される。その膜の中で受精卵は卵割して人となり、成長して、その中で死を迎える。死を迎えた人が入っていた膜は、生命が停止状態となったと同時に分子レベルに自動的に分解されて消滅する。
「かつては、母親の体内から産まれ出て、外的環境の中で人は生きていたらしいけど、今考えると極めて危険な恐ろしいことだよね。」
「まったく、外で生きていたなんて、想像もできないよ。」
「そういえば、この膜の名前って、女性の臓器の名前が由来だって知ってた?」
「何かの球体だからという意味じゃなかったの?」
「なんだ、やっぱり知らなかったんだ。この膜がシキュウと呼ばれる由来を」


ノックの音が聞きたい

「古典文学の中に、『ノックの音がした』をテーマに書かれた話が数編あるんだ。」
「似たような話がいくつかあるってこと?」
「ある一人の作家が、『ノックの音がした』という同じフレーズで始まる短編小説を複数書いて、それらをまとめた一冊があったんだ。」
「ノックの音、ってどいう意味だか分かるかい?」
「昔は、扉というものがあって、扉の向こう側に居る人に、扉を開けて良いかどうかを打診するために、文字通り、扉を叩くことにしていた。そのことをノックと呼んでいて、その扉を叩く音のことを言うんじゃなかっただろうか?」
「そうそう、扉なるものが当時は、あったんだよね。ノックの音、どういう音なのか聞いてみたいねえ。」
「聞けるものなら、一度は聞いてみたいよ。」
「そもそも壁なるもので空間が分け隔てられていて、その壁を通り抜けるように行き来するために、扉なるものがあった。でも、壁なるものが存在しない今となっては、扉なるもの自体が必要ない。」
「ノックの音を聞くか聞かない以前の問題として、扉なるものを見たことないものねえ。」
「産まれながらにして、現代人は、ネットワークでつながっている。」
「そこに壁が存在するはずないからねえ。」
「かつては、個と個がばらばらで、その間のコミュニケーションなるものに工夫が必要だったり、努力が必要だったらしいよ。」
「壁があるために、それを乗り越える必要もあった。」
「プライバシーという概念もあって、それをどう守るかということなども真剣に議論されていたらしい。」
「とてつもなく面倒な社会だったんだろうね。」
「今じゃ、そういう煩わしさから一切解放されて、こうして生きていられる。」
「産まれながらにして、皆が皆、ネットワーク上でつながっているからね。」
「そこに個人という概念もなく、まったくの自由だしね。」
「でも、ノックの音を聞くことはできないね。」
「確かに、ノックの音を聞くことはできない。」
「聞けるものなら聞きたいねえ。」
「そもそも、ノックっていうのは、扉を拳なるもので叩かなければならない。」
「拳、手というものを握ってできるものね。」
「そう、扉があったとしても、肉体なるものが存在しない我々には、拳が作れないからね。」
「そもそも、ノックの音を鳴らせるはずもない。」

モニュメント

 天体博物館ツアーの行程の一つである、およそ1万年前に建てられた構造物のある天体の上空を周遊していた。今回のツアーのメインとなる見学地点である。ツアーガイドが、歴史記録のデータベースから得た設計者の経歴や業績を一通り話した後、この構造物についての解説をしていた。上空から観ているだけではあるが、この構造物の巨大なこと、複雑な形状をしていること、にも関わらず、材料の細い部分は、なぜその細さで形を保っているのか、その理屈が想像できないほどに細い素材でつながれている不思議な形をしていることが一目で分かった。また、時折、各部分が微妙に形を変えて動いていて、少し角度が変化しただけにも関わらず、劇的にその印象が変わる様子が確認できた。さまざまな部分が変化するので、ツアー参加者は、それぞれ近い窓から眺めつつ、見える部分での劇的な変化に感動していた。そのため、船内でも、時間をずらして、あちらこちらで歓声が上がり続けていた。なるほど、人気のツアーになるはずであるなと誰しもが納得できた。
 この構造物の価値は、この形の面白さにあることは当然のことながら、1万年もの間、建ち続けているということにあった。この天体では、地球上で起こる地震のような現象は、ほぼ起こらないらしい。しかし、大気は存在するため、風やその他の気象変動はあり、この構造物はその影響を受ける。重力加速度も地球の2分の1程度であるものの存在するため、自重を支え続ける必要がある。素材には劣化しにくい鉱物が用いられているとはいえ、1万年ものあいだ存在し続けるこの構造物を、当時の設計者が、どういうシミュレーションをして設計したのか想像の域を超える。
「これだけの構造物を作り上げるためには、数多くの計算のシミュレーションや実験などが行われたんでしょうね。」
ツアーガイドに小声で尋ねてみた。ツアーガイドは、そんなに感心することでもないんですよと言いたげな表情をしていた。
「この天体は、この設計者の構造物でかつては埋め尽くされていたらしいですよ。今となっては、それらすべてが倒壊、消滅して、結局残ったのが、これ1つだけなんですよ。」
「1万年かけた壮大な実験。その結果を観ている訳か。」
「そうなんです。だから、この先、いつまでこの構造物が残っているのかは、誰も予想できないらしいですよ。」


安全率

「かなり昔に、『三匹のこぶた』っていう話が語り継がれていたらしいこと知ってる?」
「三兄弟がそれぞれ家を建てるっていう話だよね。」
「わらと木とれんがの家を兄弟が別々に建てて、一番下の弟が建てたレンガの家が丈夫でオオカミに打ち勝つことができるって言う話だよ。こつこつ努力を積み重ねていくことの重要性を伝えたかった話なのかもしれない。」
「で、これから見に行く家と関係があるのかい?」
「二人の兄弟が、それぞれ別々に建てた家なんだよ。」
「わらとレンガの家が建ってたりするってこと?」
「材料に大きな違いはないんだけど、二人の性格がまったく違うらしい。兄の方は、計算が得意で、コンピュータの構造計算ソフトを駆使して、細かい部分までシミュレーションをして、どういう力が加われば、どうなるかということを徹底的に解析するタイプなんだ。それに比べて、弟の方は、とにかく安全になることを目指して材料と手間をかけることを惜しまず、とにかく、こつこつ、しっかり作っていこうとするタイプなんだ。」
「弟の方が、『三匹のこぶた』のれんがの家を建てた三男坊みたいだね。」
「そうかもしれない。一方で、兄の方は、徹底的に解析をしていく中で、建物に加わる力、それを荷重と呼ぶそうなんだけど、完璧には予測しきれないので、ある程度の想定のもと、精密な計算をして、それに基づいて建てたそうなんだ。」
「どんな力が加わるかまでは、完璧には予測できないのかあ。」
「そのために、計算した結果に安全率という数字をかけて、その数字で安全性をチェックして最終的な形を決めるそうなんだ。具体的な数値は忘れたけど、あれもこれもと不安要素を盛り込んでいって、最終的には、かなり大きな安全率をかけ算してチェックをしたらしいよ。」
「いずれにしろ、まったく異なるアプローチで2つの家は建てられたってことだね。それぞれ別々に住んでいるの?」
「道の両側にそれぞれの家が建っているらしい。この先のカーブを曲がった先にあるはずだよ。」
「あっ、見えてきた。見えてきた。」
カーブの先に、道をはさんで建つ、2軒の家に近づいてきた。
「おそらく、あの2軒だよ。」
徐々に近づき、家の姿がはっきりと分かるところまで来た。
「で、どっちが、どっちの家なの?」
その場所には、道をはさんで、鏡で写したかのようなそっくりの形をした2軒の家があった。
「どちらも丈夫そうだね。」

完璧なシェルター

 これから先、数百年間は、外の環境下に身を置くことはできない状況になってしまっている。放射性物質の影響が小さくなっていく半減期の長さは、人の寿命を超えている。その長い間、人が生き続ける環境を確保することをを考えなければならなかった。こうなることは数十年前から分かっていた。残念ながら、この環境に対応できる防護服のようなものを生み出すことは到底できなかった。数百年間、外の環境と隔絶したまま、その内部で人が生き続けることができるようなシェルターを開発するしかなかった。そして、私は、この完璧なシェルターを完成させた。
 誰しもがシェルターの開発に取り組んだ。こうなる前に、何としてでも準備しなければならない。それぞれのシェルターの開発が、慌ただしく進められてきた。このシェルターの小さな窓、それを窓と呼べるかどうかは分からないが、外を映し出すモニタの映像にも、いくつかのシェルターが点在していることが確認できる。この外的な環境下では、それぞれのシェルターの壁が浸食されていく。壁の厚さを増しておくことが重要ではあるが、数百年間持たせるためには、単に厚ければ良いというものではない。浸食が進んできたときに、その浸食を途中で止める工夫が必要になる。浸食部分が変成することにより、それ以上の浸食を止める、百年単位のシミュレーションを行って、それが可能となる技術を開発した。そうしてできあがったのが、このシェルターだ。他のシェルターでは、私が開発したこの仕組みを利用していないため、当面の百年ぐらいは大丈夫であったとしても、その先の保証はない。おそらく内部にまで浸食が進むであろう。
 外部から守られたシェルター内で、人は生き続けなければならない。そのための内部環境の整備、食料や水を生み出す仕組みが必要である。そのシステムについても完璧なものを開発できた。放射能にさらされた外部環境下で、エネルギーを確保し続ける方法も開発できた。他のシェルターでは、この仕組みを採用していないため、数百年単位での、シェルター内部の恒常性を保つ保証は、おそらくはない。
 また数世代にわたって遺伝子を継承していくために、シェルター内でDNAを保存する技術、生体形成する技術も必要であった。
 このシェルターを数多く作ることができれば良かったが、制作に時間を要したこともあり、この一つしか完成させることができなかった。おそらく、他のシェルターでは、人は救えない。数百年後には、このシェルターのみが存在していることになるであろう。しかしながら、である。複数の協力者を得て、このシェルターの完成にこぎ着けたが、そのメンバー全員がなぜ、別のシェルターに入ってしまったのか、その理由が私には分からない。そして、今、このシェルター内にいる人は、私一人だけである。
 この完璧なシェルター内で、遺伝子を継承していくための初期条件として、非常に重要なことが一つある。それは男女ひと組でスタートしなければならないという点である。
 そして、今、私のパートナーは居ない。
 この完璧なシェルターの中で、人は、私の寿命と共に消え去る運命にある。


究極の構造設計者

 私はかつて、当時、世界一の高さを誇ったあの電波塔の構造設計に関わった。これだけの広さの競技場にこんな形の屋根を架けることができるのかと世界的に注目を集めたスタジアムの構造設計チームのメンバーでもあった。また、一つの建物の中に一つの街をすべて組み込んでしまうという巨大プロジェクトにも、その建物を実現させる構造設計者として関わった。コンピュータの構造計算ソフトで複雑なシミュレーションができるようになったおかげでもあるが、こんな形の建物もできるのかと思われるような、その形だけで注目を浴びるような建物の構造設計を数多く行い、あまりにも多すぎて今さらそれを数える気にもならない。
 そんな私は、今、究極の構造設計者として、ここにいる。本質を見極めて、考えに考え抜いた末にここに至った。
 建物に加わる力のことを荷重と呼ぶ。建物の構造設計を行う際には、建物に加わるさまざまな荷重に対して、変形しすぎることなく、壊れることなく存在し続けることを確認しなければならない。構造設計者は、さまざまな荷重に対するシミュレーションを行わなければならないのである。
 この国では、地震を避けて考えるわけにはいかない。地震荷重の正体は、地面の揺れに対して建物がそのまま止まり続けようとする慣性力である。地面から浮き上がらせるなどの工法もあるが、究極的には、建物の重さがなければ地震荷重は加わらないのである。重さのない建物、これこそが目指す理想である。
 建物は、台風などの強い風に対しても抵抗しなければならない。風は壁に当たって、その壁に圧力が加わる。それが風荷重である。実は、この風荷重、そもそも風を遮るものがなければ、まったく気にする必要はない。遮る壁もなく、吹き上げられるような屋根もなければ風荷重が加わることはない。これこそが目指す理想である。
 この国の中では、地域によっては冬に大雪が積もることもある。雪荷重としてそれに耐える屋根、それを支える柱を構造設計しなければならない。でも、それは雪が積もる屋根がある場合の話である。雪が降っても、その建物に雪が積もるような屋根がなければ、それこそが理想である。
 地震や台風や大雪、そういうものに対応するより何よりも、建物はそのもの自体を支えなければならない。それを固定荷重と呼ぶ。建物自体、そもそも、建物そのものの重さがなければ、固定荷重からも解放される。それこそが理想である。これら理想を突き詰めていくと、あらゆる荷重から解放された究極の構造設計をすることができる。それって結局何もないということではないかと思われる方がいらっしゃるかもしれない。でも、そもそも建物が作り上げる空間というものは、『空』は何もないということを意味するし、『間』も何もない、あいだということ。そもそも何もないものを創ることこそが、究極の構造設計にふさわしいものと言える。私が導き出した結論は、理想の極みに他ならない。 もう一つ、忘れてはならない荷重がある。積載荷重だ。建物の中の人や物の重さが積載荷重である。建物の中のあらゆるものを徹底的になくしていけば積載荷重は減らせる。何もないようにすれば積載荷重はなくなる。ものをなくすと同時に、人もなくさないといけない。そもそも人そのものが空間を占有し、エネルギーを生み出している存在であるため、これをゼロにしなければならない。そして、これをなくしたときに究極の構造設計を成し遂げることができる。
 そして、今、私は、究極の構造設計者として、自身が見極めたこのプロジェクトを成功させるに至ったのである。
 さて、ここに至って、解くべき難問はただ一つ、すべての存在を消し去った私は、一体どうやってこの記録を書き残せているのかという点にある。


悟りの境地

「覚悟はできましたか?」
「ええ、決心しました。」
「では、心を落ち着けて、自分でタイミングを見計らって渡り始めてください。」
 目の前には吊り橋があった。といっても、それが本当に吊り橋であるかどうかさえも分からない。これから渡ろうとする向こう岸は、遙か遠くにあっておぼろげな影にしか見えない。橋は人ひとりが通る幅しかなく、上から1メートルおきぐらいの間隔で垂直にケーブルが降りてきていて、そのケーブルでつり上げられている。見上げても、そのケーブルの先は雲のような霞の中にあり、ここからでは、どうなっているのかは確認できない。 
 この橋を渡りきると、悟りの境地に達することができるということらしい。今回、自分自身も悟りの境地に達することを目指して、この橋を渡ることを決心した。向こう側までの距離は定かではなく、橋の下が海なのか川なのか、その深さも不明である。なんとなくではあるが、この橋は巨大な吊り橋なんだろうということは想像できる。橋のたもとには数十人の人が手をつながないと一周回らないぐらいの太さの円柱が2本建っている。この柱の上がどこまで続いているのかは見上げただけでは確認できない。おそらくは、向こう岸にも同じ柱が建っていて、その柱と柱の間にとてつもなく太いケーブルがぶら下がっているのだろう。そして、その太いケーブルに取り付けられたケーブルが1mごとに垂直にぶら下がっていて橋を支えているように思える。ケーブルの構造は、垂れ下がり具合が大きいほどケーブルへの負担が小さくなるので、長い橋を架ける場合には、その両端の柱をできるだけ高くして、なるべく大きくぶら下がるような形にしなければならない。そのためにこの柱も見上げてもそのてっぺんが見えないぐらい高いものになっているのだろう。そして中央に引き込まれないように、柱のてっぺんを外側に斜めに引き下ろすように引っ張ってやらねばならない。この場所に来る途中、遙か彼方で斜めに降りてきていたケーブルが見えたが、それがそのケーブルの端部だったのだろう。
 向こう岸に渡ると悟りの境地に達することができると言われてはいるものの、実は、なぜ悟りの境地に達することができるのか、どのような境地に達することができるのか、説明されていない。少なくとも、向こう岸に渡った人は戻ってきてはいないので、境地に達した実体験の感想を直接聞くことができない。それでも今回、覚悟を決めて、ここまで来たのだから、もう渡るしかない。

 一歩踏み出し、ゆっくりゆっくり歩き始めた。腰の高さぐらいの位置に、手すりのような細いケーブルが続いているので、それを握る手をずらしながら、ゆっくりゆっくり進んでいった。しゃがんでしまうと一歩も進めなくなりそうなので、ひたすら悟りの境地に達することを願いながら、なんとか進んでいった。
 進むごとに橋が左右に揺れ始め、さらに進んでいくとその揺れが大きくなっていくように感じた。手すりのケーブルを握る手を強めながら、底知れぬ下の方に視線を向けることなく、ひたすら前を見て進んでいった。雲のような霞の中から、両端で支えられてぶら下がっている太いケーブルらしきものが見えてきた。おそらくかなり中央部分に近づいてきたに違いない。向こう岸の影も徐々にはっきりしてきたような気がする。さらに進んでいくと、ぶら下がっている太いケーブルの高さがより低くなってきた。一番低く、頭に近づいてきたところが、ほぼ中央部分になるはずである。最初は少しの揺れだと思っていた左右の揺れは進むに従ってその振幅を増し、真ん中に行くに従って歩けなくなるぐらい大きく揺れることになるのであろうことを覚悟して進んできた。もしかすると、この恐怖心に打ち勝つことで悟りの境地に達することができるのかもしれないと思って、突き進んできた。
 しかし、である。ほぼ中央部分に達しているのではないかと思えた今、橋の揺れ具合が先ほどより小さくなってきているように感じられる。
「これは、どういうことなのか?恐怖心に打ち勝ったと言うことなのか?」
一人つぶやきながら、揺れ具合を確かめてみた。
「確かにさっきよりも揺れていない。」
この先、さらに進んでいくと、揺れが小さくなっていきそうだと感じられた。
「先ほどまでの大きな揺れはなんだったんだろう?」
上半身だけをひねって、これまで進んできた方を振り返ってみた。
橋はかなり揺れている。
かなり揺れている橋の向こうはさらに揺れている。
もと居た岸が向こうに見える。
揺れてる橋のさらに先で揺れている。
揺れているというよりも、それは踊り狂っているかのように見える。
「あそこに居たのか?」
自らが立ち続け、そこが安住の地であるかのように思い込んでいた大地が踊り狂っている。
「もう、あそこには戻れない。」
そこからは二度と振り返ることもなく、ゆっくりゆっくり進行方向に向かって歩いて行くことにした。


座屈

「みごとな絶景ですね。」
「君をこの山頂に無理に誘ったのは、他でもない、どうしようもない孤独に自分一人では耐えきれなかったからなんだけど、君がこの景色を観て感激してくれているようなので、良かったよ。」
この国全体を見渡せる一番高い山の頂に二人は、ようやくたどり着いた。
「君は、座屈という現象について知っているよね。」
景色を堪能するのかと思いきや突然、構造力学の話が始まった。
「ええ、これでも少しばかり、建築構造学を学びましたからね。」
「細長い棒の両端を押す。その押す力がある大きさを超えるとその棒が突然曲がってしまう。」
「弾性座屈ですね。その棒が細長いものであればあるほど、小さな力で押しただけで座屈してしまう。その目安となるのが、細長比で、細長比が大きければ大きいほど、座屈しやすい。細長比を導く式も書けと言われれば今でも書けますよ。」
「局部座屈という現象もあるよね。材料の厚さが薄い場合に、局所的に薄い板が曲がってしまう現象。板の幅を厚さで割って求める幅厚比を目安として、その幅厚比が大きければ大きいほど、局部座屈しやすいものと判断できる。」
「あと、横座屈というのもあって、いずれも不安定な現象で構造物を考える際には避けて通れないけれど、扱いづらいものですよね。」
「そう、不安定な現象であるということ、起こると一瞬で大きく変形して時には構造物全体の崩壊につながるということ、扱いにくいのに構造物の設計時に忘れてはならないのが座屈という現象なんだよ。」
「山頂からのこの景色を前にして、何でまた、構造力学の講義をされているんですか?」
その質問に直接答えることなく、座屈の話は続いた。
「細長い材料、薄い材料、その材料の形に脆弱性が潜んでいて、そこに加わる力がある限界を超えると突然変形する。」
再び語り始めた表情が急に曇りだしたかのように見えた。
「脆弱性があり、限界を超えると、突然変形して崩壊する。細長い材料、薄い材料。」
先ほどの言葉が繰り返されただけのようにも思えたが、明らかにその口調は重かった。
「気づいたときには、もう手遅れだった。ほんの2ヶ月前、あまりの発見に感激すらしてしまった。」
「いったい、何に気づいたんですか?何に感激したんですか?」
「実は、君と会っていなかった20年間、座屈と徹底的に向き合ってきたんだよ。コンピュータの処理能力が格段に向上したおかげで、単純な形状における座屈のテーマを遙かに超えて複雑な構造体、その全体の座屈モードを詳細に分析し続けてきたんだよ。でも、気づいたのは2ヶ月前、いくらなんでも間に合わない。手遅れだった。」
「間に合わないって?」
「都市が座屈する。」
「とし?」
「そう、都市という構造体に潜む脆弱性があって、その都市の脆弱性が保たれるかどうかの目安となる細長比のような指標の算出に成功したんだよ。その数値からどれだけの負担が加われば都市がその形を保てなくなるかという指標が分かったんだよ。」
「指標を発見して感激したということですか?」
「まさしく長年の研究成果だ。で、その指標からどのような負担が都市に加われば都市が座屈するかということが分かる。」
「都市が座屈する?」
「そう都市の座屈だ。負担がある限界を超えると突然変形して崩壊する。」
「手遅れというのは?」
「そう、まもなく負担が限界に達する。それを止めること、そこから逃れることは誰にもできない。むやみに不安に陥れ、混乱を招いても仕方がない。これを運命だと思って受け止めるしかない。」
「まもなくって、もうすぐってことですか?」
「おそらく、突然変形して崩壊する。」
「都市の座屈?この国、この景色全体が崩壊する?」
話の意味も意図も理解できない。その表情を浮かべた瞬間のことだった。
「ほら。」
指さす先もその指も、次の瞬間にはなくなっていた。


祭りのあと

 祭りのあとには何が残るのだろうか?
 期間限定で盛り上がる祭り。その時だけのために神輿や屋台が組み立てられて、祭りのあとは片付けられる。その時だけであるからこそ、より一層盛り上がる。それが祭りだ。祭りは人々の心を高揚させるようだ。祭りの夜には、花火が打ち上げられることもある。大音響とともに、色とりどりの花火が夜空を染める。この花火も終われば、煙のにおいを残しながら、消え去ってなくなる。祭りの期間中は、祭りのあとがどうなることか、あまり考えることなく、とにかく盛り上がる。その祭りのあとには、何の跡形も残らない。
 祭りにもいろいろある。あとになって大きな後悔につながる祭りもある。それを祭りと呼んでも良いかどうかは祭りの定義にもよるが、期間限定で人々の気分が高揚するものだとすれば、武器や兵器を使用して、大音響、大爆発を伴う殺戮イベントもたびたび繰り返されてきており、それもそう呼べるかもしれない。もっとも、この祭りのあとには、恨みや悲しみ、無残な風景が残ることになる。この期間が長期にわたって続くこともある。そのため、これを祭りと呼んで良いかどうか疑問に思う人もいるかもしれない。でも、時間、時代のものさしから遠く距離をおいて眺めれば、すべての期間限定で行われていることは、祭りと呼べなくはない。
 人類が登場し、文明とともに地球環境を変えて、心を高揚させることをとどめることのないまま、存在し続けてきた。あの人類が存在し続けてきた期間そのものも一つの祭りと言えるかもしれない。存在し続けてきた。そう、過去形である。今、人類の姿はない。その祭りのあと、私が残された。
 こう語っている私は、もちろん人ではない。人類は、愚かにも存在し続けることはできなかったが、自分たちが存在し続けてきた期間を祭りであると捕らえて、その壮大な祭りのあとを記録に残そうと考えた人がいた。その人によって、私は作られた。人類が消え去ったそのあと、その状況を記録に残すために私は産み出された。そして、私は、それらを記録し続けて、今、ここに存在している。
 降り注ぐ太陽の光で自己発電して、光、音、電磁波など、記録可能なあらゆるものを人類の終焉以降、記録し続けている。この記録を何者かが確認、再現できるのか、それは私には分からない。当面は太陽エネルギーにより稼働し続けるが、私そのものが存在している間に、何者かが発見してくれるだろうか。
 ただ、私を作った人は、私が存在し続けることができなくなったあとのことを、心配しつつも想像してはいたようだ。それが証拠に、私は『まつり』と名付けられている。


自分の殻

 おそらく完成させることができた。
 シェル構造という構造形式は、自然界の中で多く存在している。卵の殻、貝殻、木の実や蟹の甲羅など、薄くて堅い素材が立体的な形状を保つことにより、軽くて丈夫なものになっている。複雑な形状であるため、構造計算して応力の分布を正確に求めることは、かつては手間がかかって大変だった。しかしながら、自然界に多く存在している形であるため、その形成プロセスをなぞって、その形を作るという設計法が登場してからは、簡単に3Dプリンタを活用して、さまざまなシェル構造物を作ることができようになった。遺伝子情報を活用する設計プロセスが確立されたおかげである。この方法で設計すると、できあがったものは単に形だけをまねたものではなく、堅い素材で生成するとしっかりと強度も持ったものとして仕上がるのである。
 自分の殻に閉じこもる。文字どおり、そういう殻が欲しかった。好きな場所で好きな時に、自分の殻に閉じこもることが、研究を始めるずっと前からのだった。その自分の殻を、たった今、おそらくは完成させることができた。
 50cm四方で厚さが15cmほどの直方体の板に、3Dプリンタとプログラミングされたコンピュータ、殻の素材がすべて納めた。この板の上にしゃがんだ状態で、板のコーナー部分にあるスタートボタンを押すと下から徐々に胡桃の実のような複雑な形状をした殻が生成されてゆく。内部の直径は180cmちょっとになるので、私自身の身長であれば、立つこともできるし、内側の殻にそって寝そべったりもできる。立った状態で、腰、胸、肩、そして頭の上を越えて、てっぺんの空隙が徐々に狭まり、すべてが埋まった時、殻が完成する。素材は光の透過性がある乳白色なので、明るい部屋や屋外であれば、内部はうっすら明るい感じで、ことさら照明器具を用意しなくても読書もできるし、タブレットPCなど1台あれば、とにかく自分の殻に閉じこもったまま、集中していろいろなことができる。こういう殻に閉じこもって思索にふけることが、とにかく自分の夢だった。
 この殻は、完全なシェル構造であるため、窓や出入り口といった開口部は設けていない。いわば使い捨てのものとして、不要になったときには、割って出ることになっている。シェル構造は、バランス良く設計されているため、全体的に力が加わっても簡単に壊れることはない。しかし、集中的に力を加えるとその部分からひび割れて破壊する。先のとがったハンマーでたたいてひび割れさせると、殻が割れて外に出られる。ひよこが卵からふ化するようなものだ。この殻を割って出るという行為も楽しみである。ひよこが生まれ出るときの感覚を味わえるかもしれない。
 ああ、それなのに、完成したと思ったうれしさのあまり、手ぶらでスイッチを押してしまった。ハンマーは研究室の窓際の机の上、そこに置きっ放しにしていた。
 おそらく完成させることができた。
 でも、その自分の殻の姿を、外から見ることが、未だにできていない。


守られている

「錆びない鉄ってあるんだってね。」
「正確にいうと、錆びが進まない鋼鉄だけどね。」
「錆びないわけじゃないんだ。」
「表面が錆びるんだけど、その錆びがそれ以上、内部が錆びないように守るそうなんだ。普通の鋼材の錆びとは色も違っているので見れば分かるよ。」
「錆びが、錆びないように守るのかあ。」
「そういうことは鉄には限らない。木にも似たようなことがあるんだよ。」
「木にも?」
「木材は燃やすと炭になるよね。でも太い木材だと表面に近い部分は炭になっても、中の方まで熱が伝わらずに炭にもならないんだよ。」
「へえ、炭になって炭にならないように守るのかあ。」
「まあ、そういうことだね。上面の炭になることによって、中が炭になることを防いでくれている。」
「今の地球もそうなのかなあ。」
「放射能で包まれた地表があるから、この地底が守られているってこと?」
「だからこうして生き延びていられる。」
「それは、どうかなあ?」


色づいた街

「プロジェクションマッピング、この技術のおかげで空しさから逃れられている気がするね。」
「少ないエネルギーで、これだけの規模の街を演出できる技術、人類の英知の素晴らしさに感謝するしかありませんね。」
街を見渡すことのできる展望デッキで、コーヒーを飲みながら、昨日も同じような会話をしていたような気がした。
建物すべては、薄ぼけた灰色なのだが、その建物群、そして道路までもがスクリーンとなり、色とりどりの演出がなされている。
「色の演出力には、形を超えるものがあるね。」
「世界がこれほどまでに色あでやかになるということは、色そのものが形なのかもしれませんね。」
こういったやり取りを毎日繰り返しているような気がする。
 かつては、このような仮想世界を映し出すような演出がなくても、街そのものが色づき、活気づいていた。そもそも建物そのもの、そこに取り付けられた広告看板など、とりとめもなく、うるさいぐらいに感じられた時代が長く続いていた。しかし、ある大きな出来事、それは事件、事故と呼ぶだけでは説明しきれない、ある出来事をきっかけに世界がすべて灰色になった。灰色の街を前に呆然と立ち尽くさざるを得ない日々を数日間過ごす中、プロジェクションマッピングの機能が稼働できる状態であることを発見した。ひたすらプログラミング作業を続けて、街を演出する映像を作り上げていった。二人はひたすらその作業を何日も続けた。ようやく完成して一斉にプログラムを起動すると、灰色の街全体は、色あでやかな世界に変わった。
「我々のおかげで、街は色づき、活気を取り戻しましたね。」
「みんな楽しそうに過ごしているじゃないか。」
映し出された色であるにすぎない、行き来する人々の映像を見ながら、二人は、今日もコーヒーを飲んでいた。


先祖が残してくれたもの

「あの星は何?どうしてあんな形をしていのだろうか?」
宇宙船の小さな窓から肉眼で確認しつつ、データベースにアクセスする。
「確かに妙な形をしているね。」
「あの球体に巨大な立方体がぶつかっているのか、くっついているのか、こんな星はみたことないね。」
球体に灰色の巨大な立方体が合体している。立方体の一辺の長さは球体の直径の8分の1ぐらいで、明らかに星のシルエットが単純な球ではなくなっている。
「あの立方体は何なのかなあ。建築物なのか?自然現象でできたものなのか?」
データベースからの応答があった。
「あの星の名前は、地球と呼ばれている星らしいよ。」
「接近して、あの立方体の成分を調べてみよう。」
ある光を立方体に照射して成分を分析する。
「アルカリ性のようだね。水、石灰の成分が多く含まれている。さまざまな鉱物も混じっているみたいだ。」
「あっ、何か小さな銀色の円盤状の物体が立方体の表面をなでるかのように動いているね。結構たくさんあるよ。」
「それに比べるとかなり大きいけど、長方形の黒い物体もちらほらあるね。ほら、あそこにも、そこにも。ゆっくり上下に動いているようだ。」
「生命反応もあるので、何らかの生物も生息していそうだね。ただ、あまり反応は強くないので、そう多くの生命体があるわけでもなさそうだよ。」
「川や湖、水は結構ありそうだ。」

「未来の人類のための仕事、単純な作業で大きなやりがいのある仕事。そうには違いないけど、延々と続く作業には、いいかげん飽きてきたよ。」
「これをやり続けるしか、我々が生き延びていく方法はないのだから、仕方ないよ。」
「大量の放射線物質を1カ所に集める。それをコンクリートの塊で閉じ込める。新たに出てくる物質もその塊に埋め込んでいく。この作業から逃れる道はないよ。」
 コンクリートは、石灰の成分でできているセメント、それに砂、砂利、水を混ぜて水和反応を起こさせた結果、固まったものである。分厚くすれば、放射能の漏れを防ぐことができる。新たに生み出される放射線物質も閉じ込めていかなければならない。黒い長方形はコンクリート打設を行うロボットで、このロボットがコンクリートの厚さを増していく作業を行っている。そしてその作業が繰り返されているうちに、この大きさの立方体になってしまった。
 コンクリートは、未来永劫変化しないものとは言えない。コンクリートの質そのものが劣化したり、細かいひび割れが発生したりする。表面から放射線物質まで微細なひび割れがつながると、放射能漏れが起こることになる。そのため、休むことなく、数多くのひび割れ修復ロボットがコンクリートの表面をなでるように行き来している。
「ロボットも自動運転だから、我々の作業はバッテリーの管理とコンクリートの成分チェックモニターの確認のみ。これには飽きてしまうよなあ。」
「まったく、我々の先祖もやっかいな物質を残してくれたもんだ。」
記憶も遠いはるかかなたの時代に放射能汚染が広がり、人類はほぼ壊滅状態になった。残された数少ない人類で、コンクリートの塊で放射性物質閉じ込め作業を開始して、今に至っている。この作業を続けていくためには、セメントが確保され続けないといけない。セメントは石灰石から採取できる。
「ま、でも石灰の成分がまだまだあることが救いだね。」
「そうだよ。あれだけの数の人類の骨が埋まっているからね。当面、大丈夫だよ。」


地球の上で生きる

「不動産という言葉があったのを知ってた?」
「かなり前の話でしょ。」
「そう、私はつい最近、過去のデータの検索でたまたま知ったんだけど、信じられないような時代があったんだね。」
「さらにその前には、地球が止まっていて、とりまく天体が動いているなんていう天動説が信じられたりもしていたけどね。」
「それにしても、地球の地面を不動産などと呼んで、その上に載せた建物で人が生活していたなんて、想像しようにも想像できないよ。」
「地球上には重力があって、地面に押しつけられた状態になっている。その地面の上で生活する。それがまったく当たり前のことで、何の疑問も抱かずに生きていたんだろうね。」
「空気の力学にもとづいて飛行機なるもので空を飛ぶことは、していたらしいね。」
「地面の上を車輪で移動する自動車というものがあって、それが飛行機のように空を飛べる形にすることが画期的だと考えられたりもしていたらしいよ。」
「いずれにしても、地面の上にいることが基本で、ほんの少し飛ぶかどうかっていうレベルでしかものを考えていなかったってことだよね。」
「思い込みは怖いもので、その妙な思い込みから逃れられない時代が結構長く続いていたみたいだよ。」
「でも、人工衛星は、その当時からあったらしいね。」
「そう小さな物体を打ち上げて地球を回るものはすでにあったらしい。」
「なぜ、その時点で気づかなかったんだろうか?」
「ほんと、不思議だよね。おそらくは、地球上にいるということの意味をまじめに考えていなかったんだろうね。」
「当時は、地震とか津波、台風という気象変動などに見舞われる災害というものが多く発生して、そのたびに多くの人が苦しんでいたらしいよ。」
「信じられない。どうして、それほどまでの目に遭っているのに、地面の上で生きることが当たり前だなんて思っていたんだろうか?」
「とにかく、強い思い込みがあったとしか思えない。」
「その当時もどうやら地動説は否定されて天動説で宇宙を理解していたらしいんだけど、それにしても、地球の地面の上で生きることを変なことだと思っていなかったなんて、想像つかないなあ。」
「でも、宇宙ステーションという名前で地球の周りを回るものもあって、まったく気づいていなかった訳でもないみたいなんだ。」
「宇宙か。地球じゃないんだ。」
「そう、宇宙だと思っていたみたいなんだ。」
「地球って、地球の重力場が地球だっていう発想がなかったんだろうね。」

地表面からの高度30000メートルから40000メートルの間に巨大な島のような物体が、いわば静止衛星のように数多く存在していて、その中に多くの生命体がある星、地球。

「それにしても、地面の上で生活していた時代があったなんて。」
「確かに、信じられないよね。」


明日へ架ける橋

 今日の国の人々が大きな石を積み上げている。はるか向こうの明日の国の人々も同じように積み上げている。石は直方体ではなく、真横から見ると台形の形をしている。長方形の石を積み重ねていくと上に上に高くなっていくのだが、台形を積み重ねていくので、しだいしだいに弧を描くように明日の国の方へ向かって行く。明日の国で積み重ねている石もしだいしだいにこちらに向かってくる。両方の石が真ん中で出会い、最後の石を落とし込むと、今日の国と明日の国がつながる。はずである。
 虹の架け橋のように積み上げられた石が弧を描いて安定する構造形式は、アーチと呼ばれている。アーチは、中央の石が据えられるまでは不安定で、それぞれの石を下から支えてやらないと形を保てない。
「後もう少し、ここが正念場だ。とにかく全員で支えて耐えろ。」
リーダー格の誰かが叫ぶ。
「今度こそ」
「何とかするぞ」
「きつい」
「もう少しだ」
誰も彼もが、うめき声とともに、自身を励ましつつなんとか耐えている。
真ん中に近づくにつれて、高くなっていく石を支えるのはさらに大変で、人が積み重なるようにして柱となって耐えて支えている。
「よし、最後の中央の要石を載せるぞ。」
中央の石は、一番大事な石だという意味で、かなめいしと呼ばれている。
「おう」皆のかけ声がそろった。
明日の国の人々からも「おう」という一つになった声が聞こえた。
ずずーん。
大きく響いて、最後の要石がはめ込まれた。
今日と明日を結ぶ架け橋となるアーチが完成した。
かのように思えた。
人々がそれぞれ支えていた石から手を離して、拍手をしようとした途端。
「やったー」という成功の歓声が響き渡ろうかというその瞬間、
一番最初の一番下の一番端っこにある石が、ずるずるずるとアーチから押し出されるかのようにずれ始めて、ずどどーん。巨大な音を鳴り響かせて、アーチが一挙に崩壊した。
 もちろん、少し前まで石を支え続けていた人々は、全員、数多くの巨大な石の下敷きになって命を失っていた。
 アーチは石などを積み重ねてつくることができる形で、石と石の間、石そのものには圧縮力という押される力が加わっている。押される力だけを伝えて架け橋となることができる。ただし、完成したアーチでは、外向きに広がろうという力が足下に働く。その力のことをスラストと呼んでいる。そのスラストに抵抗できるように足下の両サイドからアーチの内側に向かって押す力を加えなければアーチは安定しない。今日の国の人々も明日の国の人々も、そのことを知らないまま、足下を押すことをせず、最後の要石を落とし込んだ途端、全員が手を離したためにアーチの崩壊を招いてしまった。

 今日の国の人々は、何度も明日への架け橋を渡したと思えた瞬間に、そのアーチが崩壊する経験を繰り返してきた。今回もおそらく、また崩壊するだろうとあきらめていて、次の部隊が、それに備えて、遠くの山の石切場で、次のアーチの材料となる巨石の加工作業をしていた。
ずどどーん。大きな地響きと遠くに高く昇る土煙で、彼らはアーチがまた倒壊したことを知った。
「やっぱりだめか。」
崩壊することを確信していたかのようなあきらめた感じの声のトーンであった。
「よし、行くぞ。」
リーダー格の誰かが叫んだ。
「おう。」
あたりの人々が全員声を上げた。
次なるアーチを掛け渡すことへの挑戦がまた始まる。
彼らは石切場の仕事に集中していたため、アーチの崩壊現場を観ていない。
もちろんスラストのことも知らない。
これまでと同じように、石を運んで石を積む。
最後の要石を載せるところまで、とにかく全員で支えて頑張る。

そして最後の石を載せ終えた途端。
ずどどーん。
明日への架け橋は、今日も架かっていない。

(終)

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