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あの夏の映画制作を振り返る・・・短編映画「石になる」の制作秘話

2020年10月17日に伊那市創造館自主制作映画祭に上映された短編映画「石になる」の制作について、制作者3人が振り返りました。
実際には聞き手はいませんが、読みやすさを考えて、仕込んでみました。

制作者紹介:KO3トリオ
尊KO:大住尊光:23役、唄担当
KO平:篠田鉱平:教授役、音楽担当
KO太郎:酒井高太郎:百姓役、編集担当

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映画紹介:
石造物をテーマにしたハートフルコメディ。人間がなれるはずもない素敵な「石」。でも、なりたい!と思って励み、なれる!と信じた時、何かが起こります。ご覧いただいたみなさんに、石になってみよう!と思っていただける作品を目指しました。石仏で名高い地元高遠でオールロケを敢行。俳優陣の好演と石になりきっている石仏様の圧倒的な存在感にも注目です。


ーーー自称23歳の尊KOさんの石になる姿が見事にハマっていました。役作りで苦労したことはありますか?

(尊KO)23を演じる、ひいては石を演じるにあたり、身体や顔に丸みがあった方がらしくなるのではないか、と考えました。偶然にも私は元々肉付きが良い方でしたのでその点は問題ありませんでした。しかし、撮影日が数日に及びましたのでその間に下手にスッキリした見た目にならないよう、少しだけ配慮をしたりしました。

ーーー見た目を丸く維持するため、痩せすぎないよう逆ダイエットをしていた、ということですね。尊KOさんのルックスがあって、石をテーマにしたということでしょうか?

(KO太郎)尊KOさんの演技力に寄りかかった映画ではありますが、尊KOさんの出演が決まって、石仏をテーマにしたわけではなく、石ははじめから決まっていました。

ーーー音声は同録ではなく、アフレコですか。立体感がありました。

(KO平)音声については、前回に引き続き、撮影後にアフレコを行いました。なかなか口とあわない苦労はありましたが、現場が夏の暑い盛りでものすごい蝉の音だったので、セリフが聞き取りやすくなる効果もあり、またアフレコ独特の閉塞感みたいなのが作品ともマッチしたのではと思っています。

ーーー鼻歌のメロディが頭を離れません。

(KO平)テーマソングである「鼻歌」は、石仏の宗教感・歴史感を表現するのに、三宝御和讃のような古くて荘厳な印象が残るのにメロディーがさっぱり頭にはいってこない、という旋律を意識して作りました。

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(KO太郎)音楽についてはKO平さんに全面的にお願いをしてトラックを組んでもらいました。私が当初意図していたのはさりげなくミニマルな雰囲気でしたが、打ち合わせのなかで土俗的なテイストをミックスしていこうという話になりました。また、ミュージシャンでもある尊KOさんの「鼻歌」を使いたいという話も出ていました。KO平さんは、実際に参列したお葬式で耳にした曹洞宗の御和讃にインスピレーションを得て、オリジナルの曲に仕上げたそうです。そのメロディを軸にしてアレンジした曲も、KO平さんのアイデアで、前半の石仏モノマネのパートのBGMとしています。前半は教養番組風にしてみようという意図をBGMによって表現したものです。

ーーー制作にあたって、どのような準備から始めましたか?

(KO太郎)製作日誌的にいえば、まず、3月に私からKO平へ8案ほどを提示しました。5月にZOOM飲み会を兼ねてKO平さんと打ち合わせ、第8案に決定しました。第8案は8案の中で説明の文字数がいちばん少なくシンプルな案でした。

ーーーコロナ禍での制作でしたが。

(KO太郎)5月末に重い腰を上げ、映画の概要と合わせ出演などの協力者を募集しましたが、誰も反応してくれませんでした。KO平さんの紹介で、以前から「やってみたい」という話をいただいていた尊KOさんと(第一波の)コロナ明けの6月に3人で飲み会をして、ざっくりと打ち合わせました。3次会まで尊KOさんを接待し、映画に限らずいろんな話をしました。

ーーープロットやシナリオやはどのように練ったのですか?

(KO太郎)7月に酒井が用意したプロットを使い、コメダで2時間ほど企画会議を結構真面目にやりました。この段階では尊KOさんの実体験に基づいた三峰川オーパーツのエピソードや伊那街のバーのシーンなどの撮影も検討していました。23歳のエピソードは、尊KOさんとの飲み会の中で出た実体験を核にして、年齢を間違えられる話としてシナリオに脚色しています。脚本は尊KOさんやKO平さんにあて書きをしていますが、それを実体化した二人の演技力に私は敬服しています。

ーーーロケハンは?

(KO太郎)8月早々に、私が単独でロケハンをしました。この時点では、高遠以外でのロケも検討していました。

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ーーー撮影や録音にはどのくらいの時間をかけましたか?

(KO太郎)8月のお盆の前後に撮影日を2日間設け、両日とも半日ほどロケを行いました。そこで撮りきれなかったラストシーンを8月末の夕方に2時間ほどで撮り終えクランクアップしました。その後、編集作業をメンバーとチェックバックのやり取りをしながら進め、9月中旬にいなっせのスタジオでアフレコを行いました。

ーーー演出で心がけたことがあれば教えてください。

(KO太郎)企画段階から私が気にしていたのは、出演者の顔ぶれがどうなるかということと、監督臭をいかに消すかということでした。顔ぶれは尊KOさんに協力いただくことで、クリアし、飛躍的に作品の質を高めてもらいました。

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(KO太郎)監督臭については、企画段階からKO平さんや尊KOさんの意見やセンスを受け入れることで、臭みを消していきました。ロケ現場では製作側の段取りや撮影機器のオンオフぐらいに徹し、演出などは俳優の二人を放ったらかしにして、シナリオには沿ってもらったものの、ほとんど好きにやってもらいました。NGのテイクはほとんどありませんでしたが、OKも俳優陣に判断してもらいました。いわゆる「よーい、スタート」みたいな指示もせず、「カメラは回ってます」ぐらいの機器のOKだけを合図して、好きなタイミングやきっかけで演技をしてもらいました。カットのタイミングも何となく演技が止まったところで、長めに間を撮り、切り上げの合図を出しました。

ーーー石や石仏は硬いテーマのように感じますが。

(KO太郎)撮影段階では、「石仏を真似る」という行為を記録し公開することが、罰当たりにならないかという心配が私にはありました。石仏や石造物は地域の住民にとって信仰の対象でもあるので、それを小馬鹿にするようなアプローチは避けるようメンバーと確認しました。

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(KO太郎)その上でクレームがつきフィルムがお蔵入りになることを避けるためにできることを考え、特に管理者や所有者が特定されている石仏については、撮影の許可を取り付けました。スキマ時間などを使いながら5日ほど私が関係者に書面を持って撮影趣旨を説明してまわりました。

ーーー撮影許可は簡単にもらえるものでしょうか?

(KO太郎)「創造館の映画祭」へ出品すること、私が高遠に住む者であることを伝え、概ね好意的に撮影許可をいただきました。住職さんがいるお寺はそれほど問題はありませんでしたが、無住のお寺へは檀家総代がどなたになっているかを聞いて回り、境内の管理についての苦労話などもお聞きする場面もありました。

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ーーー宗教や良心の問題は考えませんでしたか? 例えば罰当たりなのでは?とか。

(KO太郎)近世の伝聞として残された「地蔵遊び」などが各地に記録されていることを確認し、石仏との「遊び」が必ずしも罰当たりな行為ではなく、むしろその「遊び」を咎め、注意する方が罰当たりになるという伝わり方をしていることに注目しました。これを予告編に入れてクレームへの予防線を張り、今後、つっこまれた時の対応の指針としました。

ーーー罰当たりがチラつくといい演技ができないのではないでしょうか?

(KO太郎)俳優陣が「そんな罰当たりなことはしたくない」という思いを抱えていては、この映画は成立しないと思ったので、俳優陣には無理な演技をしていないか、嫌な思いをしていないか、カメラの前に立つことの意思を確認しながら撮影を進めました。

ーーー俳優には無理強いしていないと?

(KO太郎)映画というものは、面白く見せるために、現場や俳優に無理なことをさせがちで、私はそれは大きな問題であると考えているので、コンプライアンスや倫理の面でも、いい映画にしたいという思いがありました。

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ーーー夏の物語に終始しています。

(KO太郎)企画段階で、私の頭の中では、この「石になる」物語は30人ぐらいの出演者がいて成立する企画でした。そのため、製作体制や出演者が集まれば、この短編をブーストして、夏以外にも四季を織り交ぜながら長編に作り変えることもできると考えています。

ーーー作品を通じて伝えたかったことがあれば教えてください。

(KO太郎)伝えたかったこととは少し違いますが、サイレント映画を当初から意識して、部分的にセリフなしで見せる方法を考えていました。小津、成瀬、溝口といった邦画の巨匠がサイレント期にどのような目論見で映画を作ろうとしていたかを現存フィルム(でYOUTUBEに上がっている素材)で確認しました。そういう勉強の中で、喜劇的なアクションとサイレントは相性がいいなという感想も持ちました。

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ーーーこの作品は全編を伊那で撮影をされていますが、伊那にはどのような想いがありますか。

(尊KO)伊那市は特に色々なものが混ざり合って出来上がったと思っています。その過程で廃れたものがたくさんあるはずですが、その断片が、よほど注意しなければ気がつかないほどの小さな隙間で未だ息をしているのではないかという気がしています。それを、探しにいけたら面白いだろうなと感じています。

(KO太郎)伊那や高遠の歴史として、偉人を輩出する一方で、近世から近代にかけ井月のような奇人や絵島のような貴人がこの地に流れ着いたことに興味を持っています。現代社会の価値基準では変とか不思議とか思われる人や物にスポットをあてて、再評価したいという思いがあります。「変人」や「不思議ちゃん」とレッテルを貼られがちな人たちが、自主映画のキャストやスタッフとして集まってこれるようなプラットフォームをつくりたいとも考えています。

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ーーーこの作品の反省を踏まえて、次の作品はどのような心構えで取り掛かるのでしょうか。

(KO太郎)どういう形で取り上げるかわかりませんが、尊KOさんがうら若き時分に三峰川の右岸で実際に発見したという不思議な物体をオーパーツとして物語化することもやってみたいと思っています。出演者やスタッフに全く関係のない話を作るのではなく、映画を手伝ってくれるみなさんの、過去の思い出や記憶、日常の生活実感や妄想、未来への希望や欲望を投影したいと考えています。

(KO太郎)伊那にはまだまだ知られざるスポットやディープなお店もあるので、ロケーションとしてさりげなくそういう場所も映していきたいと思います。観光や地域活性化に結びつけたいなどと大きなことは言えませんが、その時撮られた映画が、のちになって、関わってくれた人にとって、動く記念写真のようになってくれればと願っています。

(2020年11月05日に取りまとめたネタを12月17日に再編集)

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