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意識「他界」系 その95

長年染みついた習慣は、簡単には治らないものだ。

青龍刀を怪物の土手っ腹に突き刺した後、つい右手の人差し指を眉間に持っていってしまった。

メガネを直す癖。

もう、必要ないのに。

左手を修復された時、体質までもが変化したようだった。今や、かつて無いほどのクリアな視界。視力はもちろん、身体能力も別人のようだった。走っても息も乱れない。とんでもない高さまでジャンプも出来る。以前なら両手でやっと持てるかどうかの重い刀を、まるでハリボテのように片手で軽々扱える。オリンピックに出れば「最低でも金。いや、手抜きしても金」だろう。

移川民子は飛んできた巨大な昆虫を右手で掴むと、無造作に地面に叩きつけた。その頭部を踏み潰しながら思う。

肉体は変わっても、この面倒臭い性格は変わらないのね。

あの神様だか超越者だか、兎に角得体の知れない少年の言う通り、彼に任せてしまえば良かったのだ。一瞬でカタは付いただろう。

なのに、なぜ? 刑事としての責務? いや違う。単に昔から困っている人を見たら放って置けないのは確か。

でも、それだけじゃない。

「簡単だよ、ボクなら一瞬で焼き払えるよ」あの全裸の少年の、人を見下した態度がどうしても許せなかったのだ。頭では従った方が楽だと分かっていても、自分の感情にはいつも勝てない。自分の生理的好き嫌いを抑えられない。

「人間、舐めないで下さい」啖呵を切って走り出してしまった。こうなると自分の怒りを制御できない。

だから、いつも、シンドイ生き方になるのよね。

勘当するとまで言われたのに、親兄弟と同じ医者の道に進まなかったのも、偶然聞いてしまった両親の会話が原因だった。患者からの「袖の下」について話し合う、生臭い瞬間を垣間見た時、民子の中で「医者=金の亡者」となってしまった。もちろん、頭では尊い仕事だと分かっていた。だが、一度そう思ったら、同級生のより豪華な家も、高級な2台の外車も、美味しそうな食事もタンスの中の上品な洋服さえも、全てが「汚らわしいモノ」に変わってしまった。

今もこうして、わざわざ敵地に一人飛び込んで。

そんなに自分の感情が大事なわけ?

決して、無敵状態って訳でもないのに。

実際、灰色の化け物たちに引っ掛かれた傷は痛む。右肩、背中、左太もも。額から流れてくるのは汗ではなく血だ。頭部もそれなりの深さの裂傷がある。

民子は目に入ってくる血を右手で払いのけて空を見上げた。

巨大な黒い蛇が何匹も鎌首をもたげたシルエット。

その更に上空には、どす黒い渦巻きが発生していた。

あれが開けば、少年が言った「旧世界の怪物たち」が雪崩れ込んでくる。

「そうなったら全面戦争になるから、人間のことなんて構っていられなくなるよ。君たちだって殴り合いをしてる時、下に蟻の行列があっても気にも留めないだろ?」

タイムリミットまで、もうそれ程、時はない。


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