「産んだことを後悔する母親はいない」
そんなことを言う女性がいた。
そう言われれば、私の周りで母になった人も、母になったことを後悔してる人はいない。
いや、ただ言えてないだけなのかもしれない。
「産まなきゃよかった」なんて、そう言えないでしょうから。
タイトルのような素敵ちっくなことを言った女性はただ、子どもを産むことはそれくらい素晴らしい要素を孕むのだと、そういうことを言いたかったに違いない。
しかし一方で、「産んだことを、産んだ人間を死ぬほど恨んでる子ども」は沢山いるのだろうと思う。
私は社会的養護で働く中で沢山出会ってきた、親が養育を放棄した子ども達。その全てではないが、多くは親を恨む、もしくはそれを通り越して呆れ、なんの感情も湧かなくなっていたりする。
実の親が養育を放棄したとき、日本では国が代わりにその子の養育を行う。代表は児童相談所、そして雇われた私達は給与を(ほぼ税金から)貰いながら、他人の子を育てる。
中には親が亡くなって、遺族年金で暮らす子もいる。けれど最近の多くは親が健在であるにもかかわらずの育児放棄だ。
それでも死亡させずに国に命を委ねたのは幸運だったか?
その子がその後どのような人生をどのような感情を抱きながら歩むかを想像すれば、それは時々残酷な選択になったかもしれない。
それでも生きろ、生かす、ということは時々、殺すことよりも残酷。
私はただ、安直な思考と自分を突き動かすためだけに放ったタイトルの言葉がなかなかに腑に落ちないだけである。
彼らは知っているのだろうか
年間どれくらいの子どもが児童相談所のお世話になり、年間どれくらいの子どもが児童養護施設のお世話になっているのか。
日本中のどれくらいの子が、未成年にして「両親が居ない・会えない・わからない」という状況にあるのか。
少しでもいいから想像して欲しい、
それはきっと思っているよりもずっと多い。