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花と浴衣とDJ

こんにちわわ
スカイチアーズDj Hantaiです。
自由ってなんなんでしょう

どれだけ時間とお金があっても、叶わない自由もあればどんなに拘束されていてもそこに美しい海や星があるだけで心は自由を感じます。

身分の差で会話すらできない時代には
恋人たちにとって和歌の世界だけが自由でした。

本日は、浴衣イベントでDJをしてきました。

浴衣を着て、DJをすると、いろんな発見がありました。
歩幅はいつもの、2分の1
機材を運ぶのも2倍時間がかかりました。
ターンテーブルを触るのも、いつもの感覚とは違います。

それは、私だけではありません。
ブースから眺める会場の景色。
浴衣のお客様は、ドリンクを飲むのも、料理を運ぶのもいつもよりゆっくり。スタッフも心なしかゆっくり話ししてます。
! よくみると、受付も、ドリンクコーナーも行列で渋滞になっています。

いつもなら、慌てふためく現場も、今日は不思議と穏やかで
自由な空気が流れています。

この時間を包むように私は、準備していた曲のセットを急遽かえて
ピッチを落としたゆっくたりとした選曲にかえました。

DJは、短歌や俳句にも似ている気がします。
5.7.5 5.7.5.7.7 決まった定型の中に並べられる単語。

もし単語に距離という概念があるとしたら、短歌での単語と単語の距離は、まるで飛び石で川を渡るように、遠すぎては、繋がらず理解できない文章になり行き止まりになります。また、近すぎては、物足りない道になってしまいます。奇抜で突拍子もない単語の配置も、規則制が見えたとたんに平坦な並びに感じます。

読む人は、そのときの気分で、ゆっくりと、ときには、立ち止まり。単語の石を飛び移りこの距離を自由に楽しみます。

定型の決められたルールのなかに広がる自由。

いつもより、窮屈な浴衣でのDJをしながら、いつもより自由な会場の空気を肌で感じながら、自由とはなんなんだろう。そんなことを考えていました。

芥川龍之介は、自由は山巓の空気に似ている
どちらも弱い者には堪えることは出来ない。というコトバを残しています。

小さい時から隅っこ暮らしで、友達がいない私は、クラスの中心の人気者に憧れることはあっても、いつも好きになるのは、ひとりでも強くいれる人でした。

人見知りなくせに、人一倍寂しがりやの私は、ぼんやりと、孤独に耐えれる人がかっこいいと、感じていたんだだとおもいます。

DJやお花をはじめて、最近になってぼんやりとわかってきたことがあります。

Djもお花も短歌も束縛された決まりがあります。
そして、私が好きになるアーティストさんは、斬新なミクスチャー的な作品ではなく、ひとつの窮屈なルールや古典的なジャンルのなかで突き詰められたもの、その中で新しい一石を模索している作品が多いです。

そういった作品に出会うたびに、感動と勇気をもらいます。
それはきっと、今届けられる、音や単語の裏には、使われなかったであろう無数のそれがあり、ほんの小さな新しさの発見に広い自由を感じます。そこが窮屈な場所であればあるほど、同じ場所にいることを恐れない作者の圧倒的な努力を垣間見るからかもしれません。

芥川龍之介がいう、自由は山巓の空気に似ている
どちらも弱い者には堪えることは出来ない。
とは声の薄い世界。孤独な場所を我慢できない、耐えることができない者では、なくそこで努力できない者なのかもしれません。

今日の浴衣のイベントで私が感じている穏やかで自由な空気は、私の力ではありません。地元で地道に10年イベントを企画している主催者さん。そして、浴衣という文化を継承した沢山の人の努力の歴史がこの瞬間に穏やかで自由な空気を届けています。

日々の暮らしでは、私達は常に普通という見えない大勢に囲まれています。もし、自由を表現することが、普通ということを捨てること、そして、ただそこで、我慢するだとするなら、それは、きっと、芥川龍之介がいう山巓の空気ではないはずです。

山にもいろんな高さの山があります。「孤独」「ぼっち」という言葉に、多くの人はネガティブな印象を持っていると思いますが、短歌でいえば、決まりの5.7.5.7.7が、5.7.5.7.8 とひとつ飛び出ることにも似てるかもしれません。
きっと学生のころ宿題でだされたら、私は、絶対に決まりどおり5.7.5.7.7で提出します。飛び出ることで、先生に怒られるのが怖いからです。私のように、ほんの一文字、飛び出すことができない人は沢山いるとおもいます。

もし、思い描きたい自由があり、そこに向かって努力しているなら字あまりになることを、怖がることはないのかもしれません。私にはルールなんて関係ないわ。と簡単に飛びだす人に憧れる必要もありません。
努力しして、努力しして飛び出した一文字。そこには、山巓の空気と自由が待っている気がします。

私にはまだまだ遠い話ですが、いつか、そこ立つことができれば、学校の先生は怒るかもしれまが、定型を飛び出し、山巓のなかで自由を手にいれた、歴史上の素敵な歌人さん達はきっと、「こんにちわわ。小さな山をみつけたのね。私も最初は怒られたのよ。」と笑って喜んでくれる気がしています。


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