看護師現場を退職・線維筋痛症
看護師実務歴21年の私が退職を決断。
退職の理由は病気が1番の原因でした。私の病気は線維筋痛症です。全身が強張ります。少し無理をすれば体にズキンズキンとした強い痛みが襲います。痛み出すとジッとしていてもたまらなく痛いのです。まさに生き地獄・・・。
この痛みから、職場では患者さん手足や腰をちょっと支えてあげることすら困難になります。私のせいで患者さんを危険な目に会わせてしまう可能性も強く感じていました。
痛みは数日休めば治るというものではありません。ジッとしていても痛いという症状が治まるまでは、家でジッと痛みに耐えること数ヶ月。そしてやっと和らいでいきます。
結局、こんな状況ではその職場は退職ですよね。数ヶ月も休みを取ることはできません。通院していた整形外科でハッキリしない症状に診断書は書いてもらえませんでした。こんなに痛いのに・・・。
もちろんどの職場にも、仲間や上司に相談していました。看護師業務の軽減、時短、転職して環境改善も試しましたが結局無理でした。
看護師の業務は簡単ではありません。誰かが業務を変わってくれるなんて初めだけ。看護業界はどこも個々の業務でいっぱいいっぱいですから。
どんどん症状は悪化していきます。強張りや痛みだけではありません。指先から腕に、そして顔まで知覚が麻痺してくるのです。下半身は強張りそして痛みに移行します。
頭部CT、レントゲン、採血など検査しても異常はなし。線維筋痛症は認知している医師の数が少ないのが大きな問題です。
脳神経外科では『そんな病気は聞いたことない。訳のわからない症状を言って、誰かが訳のわからない病名を作るんだよ。』と帰されました。
整形外科では『手術しかないかな?僕にはわからないから別の病院行ってみる?』手術?私がかかるべき医者ではないと思いました・・・。
今は世界的歌手レディー・ガガさんやフリーアナウンサー八木亜希子さんなどが線維筋痛症であることが発表されているのにも関わらず認知されていない。
調べてみると看護学の母であるフローレンス・ナイチンゲールさんも線維筋痛症を患ったとされています。
職場仲間からも、『人の痛みはわかってあげられない』『私たちに痛いからと言われても困る』と言われました・・・。
こうなったら私の力ではどうにもなりません。八方塞がりとはこのことだと感じました。
私がその時できることは一般の整形外科を受診して、鎮痛剤を両腕に注射してリハビリを受けること。孤独と痛みとの戦い。
でも痛みと精神的なつらさで、結局どの職場も退職して看護師の仕事自体を諦める道しかその時は見つけられませんでした。
私はネットでとにかく同じ症状の人はいないのか、わかる医師はいないのかとずっと調べていました。
ずっと不安でした。働けなくなったらどうしよう、働けなかったら生きているだけで足手まといだ・・・。私が生きる意味はない・・・。頭の中でグルグルとそんなことばかり考えていました。
そしてやっとネット上で線維筋痛症という病名にたどり着きました。そして専門医がいることがわかりました。すがる思いでした。
さほど遠くないところに専門医として登録されている医師がいることがわかったので、私は紹介状を持ち受診しました。
そこで『線維筋痛症と考えていいでしょう。大丈夫ですよ、治りますよ』と一言医師が言いました。
この診断を受けるまで1年かかりました。
あの時はこの診断がどんなに私の心を救ったか、その一瞬ホッとして心の解放感でいっぱいでした。
でも現実は私が退職するしかない、看護師を諦めるしかないということでした。
ハッキリとした原因はわからず、効果的な治療方法はありません。痛むような動作は避ける、とにかく体を休ませる、適度にリハビリする、痛みの強い時は鎮痛剤のリリカ(プレガバリン)を服用してみるしかありません。
これが看護師を辞める決断をさせた病気です。
もう戦えませんでした。悔しくてもどうにも出来ない痛みと強ばりのある状況に心身ともに限界でした。
でも必ずこの今には意味があると信じています。
これから私が進む一歩が私の生きる意味を教えてくれると信じているのです。こんな私に何をこれからさせようとしているのか全くわかりませんが、私はこの先も生きるのです。
私を前向きな思いにさせたのは家族の度重なる死だったと思います。
このお話はまた次回。
みなさんのお役に立てるよう、人間力向上のため使わせていただきます!