看護師を退職・亡き家族からの学び
線維筋痛症で私が退職したことは前回お話しました。でも、退職に「家族」というものも大きく関わっています。
今回は家族の最期が私を前向きにしてくれたと感じるのでお話します。
私は5人家族の末っ子。姉とは10歳、兄とは6歳離れていました。
私はすでに、兄、父親、姉の順で亡くしています。
残されたのは施設に入所する母親と私。
早すぎる家族の死。
私を襲った計り知れない悲しみ。(なぜ亡くなったかはまだ話せない心境ですので今はすみません)
家族なのにそれぞれが最期まで孤独だった現実。
この重みが私の看護師を退職したちょうどその頃にのしかかっていました。この重みが看護師の退職に無関係とは当然言えるはずはありません。
私が小学生の頃から家族は崩壊していました。それから家族はそれぞれの人生を歩みます。
家族でもお互いがどんな状況で生活しているのかよくわかず。何か問題が発生した時にしか声を聞くことはありません。
でも、家族なんですよね。最期には連絡が入るようになっているのです。
私は看護師です。多くの方の最期を看てきました。
その私が看護師を退職しようかと悩んだこのタイミングで、家族の最期に触れたということに看護師となった意味、生かされている意味が示されたように思います。
家族それぞれが抱えた孤独と悲しみ。ここなんです。この家族それぞれが残した孤独と悲しみの中で「生きた証」。
家族がそれぞれに「生きた証」を私は背負いそれを残すことに、これからの私がするべきこと。
そう感じました。
兄も父親も姉もそれぞれが最期まで生き抜いた証がある以上、私はそれを忘れてはいけない。バラバラの家族であったけれど愛がなかったわけではないのです。
私がこの愛を知ったからには、自分の命が尽きるまで生き抜かなければいけない。
だから私は少しずつ前に進みます。何が正しいのか、答えは分かりません。
でも、与えられた命は全うする。この命は自分のものだけではない。だから生かされていることに感謝して、自分を大切にしていく。私が関わる人を大切にする、誰かのためになることをする。
家族の死から学んだこと。感謝してこれから挑戦する!
初回投稿からここまで重いお話が続いてしまいましたね。次はもっと前向きなお話しをしていきますね!
私が看護師を退職して挑戦していることを次回お話します。
みなさんのお役に立てるよう、人間力向上のため使わせていただきます!