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フォーチュンクッキーを割る毎日のこと

私が、一般的な。というか自分でもいうのが憚れれるほどの大企業に就職することを公表すると、友人らは異口同音「働くの?普通の会社で?!あんたが?」という反応だった。失礼な、と返せればよかったのだが、あいにく「私もそう思ってる!!」と大きい声で答えることしかできなかった。完全に同意である。

 

どうしても怖いもの

 小さい頃、生理がくることが死ぬことよりずっとずっと怖かった。いつか、私にも性徴が厄災のように降りかかり、股から毎月血を流さなければならないのが、「逃れられない」運命としてやってきてしまう。そう自覚したのは、いつ頃だっただろう。年はわからないが、突然脱衣所で発狂しそうになって、細い叫びのようなため息が何度も肺から押し出されたことを何より覚えている。心臓の下、胃の上が底冷えし、血に絶望がのって全身に巡っている気分がした。最悪、というのはこういうことだし、きっとパニックというのもこういうものだろう。
 では、現在も毎月パニックに陥っているかと言われると、そうではない。慣れてしまっている。毎月、下腹部が痛み出して、前触れなく気分が落ち込む。「女」というシステムに「自分」が振り回されていて、嫌になるけど。私はそういう時どうしたらいいかもう知ってしまっているし、うまくいかなくても大丈夫だとわかっているし、生理痛がどれほど苦しくても死んだりしないとわかっている。薬は常に持ち歩いているし、ナプキンもタンポンもある。場合によってはピルを毎日飲んで生きる。それだけのことだ。あとは、白い服を「その辺の時期」に着ないように気をつけたり。それだけのこと。もう慣れてしまったのだ。絶望してる暇などなくて、私は早くナプキンを取り換え個室から出て、私のしょうもない、でも大事な人生の続きを歩かなければならない。血まみれのナプキンを眺めてため息をついていても、鎮痛剤の残りにヒヤヒヤして生きていても、何もいいことは起きない。子宮様の筋肉のうねりに怯んで泣き叫び、痛がるなど、そんなふうに感情を、動かしている暇はない。まあ、その隙間にいつも痛みと不快感が差し込まれているのだけど。

 生理に慣れてきた頃、同じく怖いものができた。机が並ぶオフィスで、事務作業をすることである。本質的でもなく、自分の好きなことでもない仕事に、40年勤怠良好に勤め上げなければならないという日本的な価値観があって、中学生の頃からそれが何よりも恐ろしく感じられた。それを回避するために何かをしようと思ったことはなかったが、うっすらと将来のビジョンを想像した時、恐ろしく解像度の低いその「仕事」の景色に勝手に、震え上がっていた。しかも、それから逃れられないと思っていた。
 私は授業中でもあたまが忙しくていろんなチャンネルを行ったりきたりしているような人なのに?私は、何か空想していないと気が済まないような人なのに?なのに、私は、四角い机の上で四角いパソコンを開いて、四角い紙を睨んでなければならないのか???グリーンゲイブルズのアンはりんごの木の下をあんなに幸せそうに歩いていたのに????私はこの先、終着点はそこ?
 社会人になって、自由に生きられなくなったら、それはおしまいだ。死だ。そんな極端な考えだった。とにかく、事務机に座る自分を想像すると、恐ろしくて、たまらなかった。

 恐怖へのアンサーを出す

 生理も、慣れてしまった。死ぬより怖いことだったのに。
では、オフィスでの労働はどうだろう。きっと克服できるはず。だって私はもうそれを始めてしまったから、もう、終わるまで走るしかないのである。

 結論言っておこう。過去の私へのアンサーである。私はうっかり脚本なんかをやろうとしてしまったせいで、どんな経験も「おいしい」と思うクソマゾバカやろうに育っている。そのため、「オフィスで仕事」というよりは「オフィスで仕事w 」って思っている。伝わるだろうか、いや、これを読んでいるあなたにはわかるはずだ。
 意外と大丈夫だった。もちろん、向いてないなーーーって思う瞬間の方が多い。その一方心のどこかで「社不がすげえ適応してる!」「万々歳では?!」と見積もりの低い自己評価はあっという間に満たされるから便利だ。

最近の毎日

 毎日、重たいページを引きずって開けるように、朝の5時に起きる。これは朝活とか訳のわからない意識高い系というわけではなく、通勤に2時間30分というバカみたいな時間がかかるから5時なのである。そこから、だらだら起きる。起き抜けはまず、ざっくり編みのカーディガンを羽織るところから。その時だって内心では「うわw5時に起きれてるw私がw」と2ちゃん顔負けのデュフり具合だ。
 寝坊するとしたらいつどうやってするんだろう。いつか起きたら、死にたくなるくらい仕事行きたくなくなってんのかな。いやだけど、毎朝何が起きるかわからなくてワクワクしている。弾むような気持ちではない。日課でフォーチュンクッキーを割るような。冴えない。どうでもいい、そんなワクワクだ。
 そこからファンデーションもマスカラもリップも全てスキップした適当なメイクをしている。低血圧で頭が回らないし、突然忙しなく動くと高確率で動悸がひどくなるので、こんな低コストなメイクでもだらだらと時間を使っている。

 そして、6時少しの電車に乗って出勤だ。心持ちとしてはあともう2時間の睡眠再開というところで、イヤホンをはめてマスクをつけたら、10秒後にはもう爆睡している。これを平日、続けている。

会社のこと

 うちの会社は、まあそうだ、大企業だろう。内定式で倍率を聞いた時は本当に驚いた、ちょっとテレビ局みたいな倍率をしていた。そこに自分が入れてしまったことが逆に恐ろしくて、そして、いる人間みんな顔立ちが整っていて、振る舞いも可愛らしく、そう、女子アナのような。(属性女子アナ、的なカテゴライズはは大嫌いなのに、でも納得した。ほんとに女子アナみたいな子しかいない)その中に私がいるのは、どう考えても多様性枠でしかないやろ!!と思った。内定式ではそのご立食パーティもあって、壁の花にもなれない私はハイボールをあおるだけ煽って、トイレに逃げ込んだ。正直、ここは苦手だ、居心地が悪い。そう思った。誰とどう目を合わせていいかも分からない。思想も見た目も全て場違いだ。どうしよう。やっていけない。そう思った。

 だが!!!!!なーんと結構なバリキャリ部署に吹き飛ばされた挙句、私は毎日仕事っぽいことをしている。ぶっちゃけトラブル対応などであまりにも忙しすぎるせいでOJTは何も進んでいないが、私でできそうな仕事は結構降ってくるもので。1日のうち暇にしている時間が減少している。
 業務の内容は本当に何も書き記せないのだが、というか、これに目を通す気になったあなたが私がどこで何をやっているのかを知っている保証もないので、書きようがないのだが、やっていることといえばメールチェックして、対応して電話とって・・・・とてもベーシックな社会人仕草。それに加えて自分のグループ内の業務。ぶっちゃけ分厚すぎるマニュアルを読んで、先輩から引き継ぎを受けてやっているが、知的好奇心が永遠に満たされ続けている。理解できない巨大なシステムの何かしらのための一部、みたいなぼんやりした作業もあるが、この会社に対する請求を意向事務部や経理にぶん回すために精算の手筈をこちらで整える、みたいなフラッグシップを切る作業もある。何も考えずに言葉を使うなら、楽しい。望んだ仕事でもなければ、好きな分野でもなく、そして、全く向いていない作業だが。それでも、「私はあとどれくらいで嫌気がさす?」「私はいつミスらしいミスをする?」「もしかしてそのうち怒られることもあるかな」「初めての残業はどんなことで残業するだろう」ポジティブではないが、毎瞬、小さな小さなフォーチュンクッキーを割り続けている。

本当のフォーチュン

 会社の内定式。「ここは苦手だ」なんて思っていた私だが、今だって苦手だ。正直、相手のことを信用することが少し難しいことに変わりはない。けど、割り切っている。仕事は同僚とするものではない。幸いバカでか部署に6人の配置だったこともあり、同じグループに配属された同僚はいない。私と仕事をするのは上司であって、私を評価するのも上司であって、同僚でないのだから。
 とはいえ、嫌われてもいいと思えるほどはっきりした人間でもないので、素直に自己開示しつつ、自分のペースは持ち続けている。毎朝みんなに挨拶することと、必要以上にニコニコしないこと。それをやっていれば人間関係での疲弊は少ないだろう。そして、何より望ましいのは、賢い奴は人を嫌うのも蹴落とすのもシームレスで静かだから、私はそれをされた時目撃せずに済むことだろう。下品な言い方だが、偏差値が60を下る大学の奴は1人もいない。並べれば名門大学と言われるような私大から来た人間ばかりで、おそらく面接というフィルターを通す以前より同質傾向にある人間の集まりだ。とてもありがたい。外れ値だけを考えておけば問題ないからだ。その中で私は、日経企業に自分から馴染もうとしないイタめな外れ値気味の人間ではあるが、当然、率先して机にチョコを持ち込むし、シルバニアのコアラの赤ちゃんをデスクにおく。怒られたらやめるし、それを怒る正当な理由は周囲にない。それをいいことに早速規範破りをしているし、PCだって持ち帰っていない。同期も、内心どう思っているかは知らないが、そんな私の奔放なスタイルを理由に何かネガティブな言動を見せたことはない。大変に幸運である。つまり、「働くの?!普通の会社で?!お前が?!」的なリアクションが飛び出すほど、自分らしさから対極にいても、私は私でいられているっぽいし、周りもそれを止めたりしない。幸運だ。私が、私っぽくいれること以上に大事なことはない。対極にも幸運があるのだ、こんなことを見つけられるなんて、テレビ局全部落ちた甲斐があったな。と思う。というか。友人ら見ていて思うが、あそこは「そういう」バイオリズムに染まれるか、適応せずとも生きられる外来種のような強さがあるか、極端に愚かであるかの三種類のうちどれかが必要だ。私にはどれもなかった、落ちて正解だったし、向こうの人事は正しかった。と心底腹落ちした。(私が愛する記者の友人は外来種タイプだ。いつだって美しい。そのままその生態系、全部壊してほしいと心底思っている。時に三つめの愚かを食ってほしい。その活躍を見ていられるのも、同じく幸運だ。)
私が憧れた世界というのは、そういう美しい人が、いるべき場所だ。一方、憧れの世界にいない、らしさから対極と思われた場所にいるは、そこが私のいるべき場所だとは一ミリも思わないが、私には別に人生のテーマがあるので、知的好奇心が満たされていれば基本満足に働いていられる。幸運というのは、こういうことかもしれない。自分がおめでたいバカマゾであることも、幸運のうちなのだ。

プロボクサーの同期

 ハイコンテキストな会話ができない人間に魅力を感じない。おそらくこれは私のピーキーな脳が求める入力刺激であって、人前で簡単にそれをやってはいけないと学習してきたので長らく封じてきた。が。
 研修中に同じグループになり知人となった同期がいる。初めて会った時はそばかすが綺麗だと思ったくらいで、特段何を話したか覚えていないが、「波長合うよね」という言葉が相手から出た時、意味がわからなくて混乱した。いやまあ、嬉しかったし、肯定的ではあるのだが、脳みそが?!で揺れた。たしかに会話のテンポや深さが似ているから遅滞なくコミュニケーションが取れている気はする。そこにエンタメ性も少しあって、その方向性も似ている。なるほど、それを波長があう、というのか。0.00002秒間の間になるほど、と納得した私は、笑って「そうかもね」なんて返した気がする。まあ、人の顔と名前が覚えられないから、そのあと、その同期の名前を2回くらい間違えて絶望した。
 これは私のアンフォーチュンだが、人の顔と名前が覚えられない。一致しない。エピソード記憶は強烈にいいので、その人に対するエピがわかればあまり間違えなくなるのだが、概して職場にいる人間とそんなプライベートな話をしないので・・・、結論はお分かりだろう。

 ちなみにその同期とはその研修で初めて知り合ったのだが、どうやら同じ大学出身らしい。通りで、後日別々のグループに分かれた私たちがコーヒーショップで再会した時、「それぞれのグループの中で1人サングラスかけた奴がいると思ったらお前だった」シチュエーションが相互に発生することになる訳だ。
 その同期とは飲みに行った。幸運はここから始まる。いや、そもそも、同期とサシで飲むなど、初めてだ。その幸運は私に降ってきた。初めての気分がした。柄にもなく緊張した。駅に着いた時、始まってしまう。と不安になった。どうしても、恐ろしかった。あの日、壊れた時、呪いがかかった時。特に異性を死ぬほど警戒するようになってから、随分と時間が経った。それでも、今から私が会う相手は同性ではない。その事実が、心臓を締め付ける。そのために自分のテンションを上げる服を着たのに!そのためにテンションが上がるようなメイクをしたのに!!結局、見た目はとりあえずどうでも良くて、相手を信じること、楽しむこと、その二つがこんなにも怖くなるなんて。また一つ新しい感情に脳をミキサーされて、とても恐ろしかったが同時に、楽しかった。こんな気分になるんだ。とやはりバカマゾ思考に助けられている。

同期は眩しくてサングラスをかけたいと思った

 かっこいいって、こういうことなんだろうな。とどっかで思った、アイドルや俗っぽく男性に抱くかっこいいという感想ではなく、「かっこいい人生」って感じだ。同期は、私みたいな人間とも話せて、他にも友達と遊ぶ予定があったりして。なんというか、波長は似ているが、全く同質ではない。まばゆい。私が背中を丸める局面で、胸を張る人だと思った。だからかっこいいのだ。まあ大概、私の友人たちもそうだ。眩しいほどかっこいいから、その人たちが好きで、とにかく「他人」ではない場所から、「友人」という椅子に座ってみんなの人生を見ていたいのだ。それに近いものを感じた。他の友人らと違って、少し眩しすぎるけど、だからこそ、ステラマッカートニーのランウェイを眺めるアナのように、その同期を眺めてみたい。ただ、そこに私の椅子があるかどうかはわからない。いつだってインヴィテーションが必要だ。
 その日、私が知ったことは、結構たくさんあった。まず、私は会社の同期とサシで飲むといった土曜日を楽しく過ごせるという発見だ。あと、下心ってどんなものか知らない、ってことにも気づいた。あと、歌舞伎hallがこんなに眩しくてクラクラする場所だとも知らなかった。あと、私はハイコンテキスト会話を誰かとしたいんだな、と思ったし、その点同期は私の上をいく存在で。好奇心が常に満たされていた。ボクサーってどうやってなるんだよ、とか。とにかく、テーブルの上の料理は飾りで、その上に溢れる話ばかりが美味しくて。私はこうも「気づいて」行くことが好きなんだとわかったし、他人を介して「気づく」というプロセスも結構好きらしい。新しく誰かと友達になるなど久方ぶりであったから、特にそれは「おいし」かった。

あと、ブスで卑屈なんて救いようがないので、せめて明るくいようと思ったが、恋愛的な価値観に対しては本当に卑屈で拗れていてしょうもないと思った。私のせいじゃないが、そこから抜け出すのは私の責任だ。そう思っている。けれど、何か恋愛の価値観に近いものを聞かれて答えようとすると、珍しく言葉が詰まる。あれ、私こんなにえーっと、とかんーーーー、ってなるタイプだったんだ。混乱の中、また小さくフォーチュンクッキーを割っている。滅多にしない経験にあぶられるように、私の矮小で卑屈な心の脆い部分に光が当たる。久しぶりにめにするそれに、「おお、5年くらい経つとこの病巣はこんなに変化するのか」と謎の視点で驚いてしまっていた。

 

私もかっこよくなりたい

 その飲み会の帰り道。私は、ご機嫌だった。あの日、私を壊したお前!私は今日、ほぼ初めましての人とご飯にいけたぞ!こんなにも安心して楽しめる人間が、世の中にはいるぞ。お前とは違う。お前らとは違う。そんな人間と私は過ごせたんだ。世の中には、お前らのような人ばかりじゃない。決して私を傷つけず、性別に関わらず、楽しく話せる人がいた。脳内にこびりつくお前らに、同期が一つ、傷をつけた。勝手に、出会った人間を使って、あの日の悪夢ステージでスマブラをしているような扱いで申し訳ないのだが、それでも。同期が参戦したステージは、最高だった。今日も小さく、勝ったぞ。そう思った。
一方で私は、誰かのそれにはなれていないと感じる。何かを努力して、あくせくと、そうなりたい訳ではないが、誰かにかっこいいと思ってもらえるように。誰かの人生の登場人物になってしまう以上は、よきヴィランであるように。そう祈りながら帰った。まずは、大好きな人間たちと、いつものように話す所から。ダサくても、しょうもなくてもいい。ただ、かっこよく存在したい。友人の内心に巣食う悪を祓えなくてもいい。私との時間が終わった時、私と飯を食ってよかったと思ってもらえるような、そんなくらいでいい。その人が、その人らしく、私の前で笑ってくれているだけでいい。それを友人という席から眺めていたい。

記者の友人は、私が酔って英語で愚痴を言い始めても、笑って聞いて、眠たげな声で「キショーーー、ホラーすぎるーーーー」と私を殴った。美大にいる友人は、締切に追われて発狂しそうになって、私に電話をかけて、それから私をディズニーに誘った。マチアプようの写真を撮りたいらしい。そして、くだんの同期は朝エレベーターホールで私に挨拶をした。私が同じ状況だったらきっと、もし目があったらおはようって言おう、という消極的な姿勢であるが、同期は私の肩を叩いた。すれ違う一瞬のことだった。そういう、強い人間たちに憧れて、私はまた月曜日から同じ部署の同期に、おはようっていって、また小さくフォーチュンクッキーを割るのだ。くだんの同期を見かけたら、肩をたたいて見るのかもしれない。そうやって、毎日フォーチュンクッキーを割る。周囲の人間に恵まれながら、いろんなことを試して、一喜一憂する。緊張したり安堵したりする。今日もこうして、日曜日を閉じていく。
サザエさん症候群がいつ来るのか、楽しみにしながら。


その100円で私が何買うかな、って想像するだけで入眠効率良くなると思うのでオススメです。