和 さやか
多分小さい自己肯定です
上智大学 野澤先生担当の論文作法で書いたものを読みたいというお声をありがたく受け取り拡大解釈をしてここにさらします。
私が、一般的な。というか自分でもいうのが憚れれるほどの大企業に就職することを公表すると、友人らは異口同音「働くの?普通の会社で?!あんたが?」という反応だった。失礼な、と返せればよかったのだが、あいにく「私もそう思ってる!!」と大きい声で答えることしかできなかった。完全に同意である。 どうしても怖いもの 小さい頃、生理がくることが死ぬことよりずっとずっと怖かった。いつか、私にも性徴が厄災のように降りかかり、股から毎月血を流さなければならないのが、「逃れられない」運
婚姻は、両性の合意にのみ基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。 すべて、国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的あまたは社会的関係において、差別されない。 ここで、自分のセクシャリティや性的な指
札幌にいる。割とソウルメイトに近いと思っている友人に居候させてもらっている。遡ること昨年のこの時期、彼女は私の実家に居候していた。彼女が居候していた間にピエピエ涙ぐんで通っていた車校。獲得した免許。いつの間にか、初心者マークが外せる頃になっていた。こっから社会に放り出されると考えると、怖い。人生においても、車にしても、まだ初心者マークを貼ったままでいたい。 都内ではもう桜の盛りがすぎていると聞く。花粉の盛りもきているのだろう。私は、まだそれらを知らないまま雪国にいる。そ
まだ、二十歳と少しだというのに、ハイキューなんてものを見ると、自分のスポーツマン人生を振り返ってしまう。ティーンのスポーツというものには、日々育ちまくる体と、心と、まだなんでもできそうな心持ちに、3年というこれまた絶妙な消費期限が与えられていて。青春とスポーツの積は、それはそれは過剰に増幅している。 体育館の賑やかさ。きっと私はボケてもそれを覚えていると思う。三つ子の魂百までという言葉があるように、受精卵の頃にはすでに体育館の天井いっぱいに広がるどよめきや歓声を浴びて私
2016年、10月。高校生の私は、ありえないほど人数が少なく、陰険な女ばかりが集まったミッションスクールの四角い教室の中で、毎日ため息をついて二酸化炭素を吐き散らす平々凡々な生活をしていた。が、その当時私には学友がいて、彼女は隣のクラスだった。よく教科書を忘れ、彼女から教科書を借りた。貸すより圧倒的に借りる方が多かった。その友人は今看護師で、きっと力強く働いているのだと思う。私は、合わせる顔やタイミングがないままこんなに大きくなってしまって、いつ彼女に笑顔で会えるだろうかと
私の家には、犬がいる。 ラブラドールレトリーバーの女の子。名前はモカ。私が欲しいと言って、私が名前をつけた。当時たった6歳だった私は、ペットショップのガラスに収まりきれなくなったこの不思議な色をした犬をかわいそうだと言って、ママの誕生日にこれを買おう、と暴論を捲し立てた。ペットショップで成犬になり、売れなかった犬の結末を知っていたからだ。心配で、彼女のそばを離れらなかった。充血した目で静かにこちらをみていた。柵からはみ出た柔らかくて茶色い毛並みがふわふわだった。いくわよ、
拗らせてるっていうか、乙女じゃない? はあ?と思った。乙女?これの、どこが。 でも私は、まあ確かにそう言われても仕方のないウジウジした、あっさーーーーい部分での葛藤を持っていて。ああそう、相手の綺麗な目元から視線を外して、恥ずかしさやら混乱やらなんだかよくわからない内心を冷たいアルコールで冷ますように、手元のジョッキを煽った。まあ、ジョッキなのである。可愛げのある酒でもなく、豪快なビールでもなく、いちごサワーとかいう微妙なお酒の入ったジョッキを傾けて、クソ!いつもこの人は客
あれから数日経つと、不思議とポジティブになった。「まぁ、初手を見た目で判断しなかった。私をみていたのかも。」とか思うようになって、ゆっくりと、過剰にパニックになっていたことを後悔するようになっていた。だが、開口一番身体にジャッジングな言葉を出したことや、脳内世界に深い考察の湖がなかったことが問題であることに変わりはない。けれど完璧もありえない。ここは白と黒を淡いトーンで繋いだコミックの世界では無いし、かといって全人類の人生がユゴーによって書かれている訳でも無いのだから、その著
うっかり、自分と向き合っていると、つらくてくるしくて、どうしようもなくなってしまう。なぜ自分がそんなことになっているかというと、とある人間との出会いがあったからだった。その人物をAとしてみる。 Aとは1月ごろに出会った。その人は、背が高く、眼鏡をかけていて、くせっけだった。同じような畑で夢を追っていて、なぜかエンカ時点で親しげで、私はなぜか嘘をつかずに同じくらい親しげにしゃべってみようと腹をくくって、話してみて、なぜかラインを交換して、そんな頻繁に話すこともなかったが、何
すずめの戸締まりを観に行きたかったが、公式ツイッターやその他タイムラインに流れる事前情報から、緊急地震速報の音が多用されているとの注意を受け、一人はいけないと思い、結果、インスタグラムで同行者を募集した。そこでいの一番に手をあげてくれたのは、これほどまで適した人選はないであろう120点の人物だった。そうして浮かれた私は2時間ほどで10000字以上卒論を進めたとある日の夜、その人物と満を持してすずめの戸締まりを観に行ったのだ。冬の始まりが、指先や頬に触れるようになった23時手
私は多分、左手で本を読んでいる。もっと正確に言えば、左手の親指の腹で物語を追いかけている。 もうすぐ、人生最後の夏休みが始まる。あろうことか、旅行の計画なんかを立ててしまったりしていて、浮かれた夏休みがとうとう始まろうとしている。でも、化粧を落として服を脱いで、何もかも変わってしまった自分が映る風呂場の汚い鏡からうっすら目を逸らしてシャワーに打たれながら思い返してみると、私たちの夏休みは、もっと無防備で無計画で、無垢だったはずだ。私はいつ夏休みを無くしたんだろう。この夏が、青
デビルマンクライベイビーを見た。ネタバレしかない。 大衝撃。そして、あまりにもリアル。生々しい。だからこその過激さ。パブリックな場所で見るのが憚られる内容。大好きだ。救いはどこにもない。全ての顛末が、神の手だけに委ねられている。地上波じゃありない邪智暴虐、七つの大罪のあらん限りがまぶさていてそれは美味であった。きっと、初めてチョコレートを口にした幼子と同じ顔をして、このアニメを見ていた。 私は、昔からハッピーエンドは全て御伽噺であると思っていた。人はこれを胸糞展開というの
とあるラジオに、映画に関する相談を持ちかけた。交友関係の入り口として見ていい映画が全くわからなかったから。パーソナリティの彼は、思慮深く、(控えめにいってその感性が大好物なまでに好みで)映画好き。映画のコーナーもある。だから、彼に聞けばいいのでは、と前回放送を聞いて単純なまでに思い至ったのだ。確か、この日はアルバイトから疲れた体を引きずって、六畳そこらのワンルームに帰り、払い忘れて止まりかけの水道に手を晒しているときに、ふと、そのとある人との予定が迫っているにもかかわらず、目
夜の香りを濃くした都内を歩くことにが、いつしか平凡なことに感じられるようになってしまった。上京した初めの年は、鼻先に訪れる数歩先の季節に心沸き立っていたというのに、今や1番目立たなくて格好の悪い服を引っ張って、目深に帽子を下げて歌舞伎町色した人混みの中を歩いていく。お馴染みの映画館、新宿のTOHOシネマのエスカレーターが私のことを上へと運ぶ。エスカレーターとはなんなんだろう、私がどんな心持ちでも関係なくその機械にひとたび乗せられれば誰と構わず持ち上げてくれるじゃないか。まるで
ありきたりすぎるほどあっさりと思春期に差し掛かって、これまでの優等生ムーブを一気に無くした私は、他のティーンのように例に漏れず病み、黒歴史を量産し、残念なヤツとして教室のぎこちない空気の醸成に大きく寄与していた。14歳。思えば、思春期特有の病み、とまとめるには少々余る程度に人生を踏み外しかけた私にとって、毎日カーテンが橙の波長を受けて染め上げられることは、それすなわち絶望の封切りだったのである。おかげさまで学校が大っ嫌いで、窓枠の外をひたすら眺めて何かを夢想するか、前髪と腕
大事な骨組みが、抜けてしまったようだった。失ってバランスを大崩しして初めて、それが自身の内心を構成する大事な一本であったと知覚した。止まらない嗚咽を自分自身で嫌悪するまもなく、喉は締まり、表情や体はちっとも動かないくせして涙が途切れることなくカサついたファンデーションの上をにょろりと這っていく。一気に温度を失った体にはその涙が暖かく感じられた。 厳しくもあるが、頼っていた先生がいた。少しだけきちんと向き合うことができた種を異にする立ち位置の人だった。話すたびに毎回どこ