スーパーボール
本記事は掌編になっています。御糸さちさんの短歌の一首評を書こうとしましたが、書けなかったので、小説を書きました。御糸さん、すてきな短歌をありがとうございました。
* * *
チョコレートケーキを蹴ってぶっ壊す、みたいなラブレターだったんだ
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友だちの居ない幼稚園生だった。
定位置はすべり台の下だ。すべり台の下の土はひんやりとして気持ちがいい。日陰でも生える植物がまばらに生えていて、ぼくはそれを千切っては泥団子に混ぜるのが好きだった。狭いスペースも探せば色々落ちているものだ。短くなったタバコを見つけたときはドキドキしたし、みつばちの死骸を団子に混ぜたときは手のひらが真っ赤に腫れた。
その日もぼくは泥団子の中身探しに余念がなかった。顔はもう覚えてない。チューリップ組だったと思う。その子はすべり台の陰からは逆光になる位置に立って、不思議そうに小首をかしげていた。
「なんだよあっちいけよ」
ぼくは概ねそんなことを言った。憐れみを向けられたと思ったのだ。そんな言葉知らなかったけど、とにかく女の子を追い払おうとした。女の子はめげなかった。数分の押し問答の末、ぼくと女の子とうさぎのぬいぐるみは同じ卓を囲うことになった。
「このたびはおまねきにあずかりまして」
「なにそれ」
「おかあさんがよくいってる」
「ふうん」
とにかく家にあげてしまったのだ。ぼくは精一杯のもてなしをしなければと思った。割れた花瓶のお皿に泥団子がふたつ。じょうろからは三種のブレンド茶が見えない湯気を立てていた。女の子は汚れることを厭わなかった。スカートのまま地面に座っていた。うさぎは泥で汚れていたが、おめかし顔で座に加わっていた。
「しゅふっていうんだって」
「なにが」
「おとこのひとがりょうりすること」
「…おいしくなかった?」
味も何もあるわけないのに。ぼくはなんだか引っ込みがつかなくなっていた。どうしてそうしたのか覚えてない。女の子を引き止めたくなったんだろうか。
ぼくはすべり台の支柱を掘った。ちょっと深く埋めすぎたから掘るのには時間がかかった。ひとりといっぴきに見られてるのを意識した。手は汗が混じってドロドロになった。
「あげるよ。どれかいっこだけ」
ぼくが取り出したのはクッキーの缶だ。とっておきを入れておく箱。中は仕切りで4つに区切られていて、巻き貝の貝殻と、蝉の抜け殻と、空っぽと、スーパーボールが入っている。
「おちかづきのしるし」
精一杯の語彙が通じたのかはわからない。女の子は最初にあったときみたいに小首をかしげた。迷っている時間はほとんどなかった。女の子は重さを感じさせない手付きでスーパーボールを捕まえた。顔の前に持っていく。
「きれい」
「いいだろそれ。きらきらがはいってんだ。レアなやつ」
「もらっていいの?」
「いっこだけだぞ」
女の子が気に入ったらしいことがぼくは嬉しかった。女の子はスーパーボールをつまんでひたいの上に持っていく。下から覗き込んでいる。それをひとりといっぴきが見ていた。時間が止まったみたいだった。ぼくはなんだか恥ずかしくなって、クッキー缶の蓋を探した。もとに戻さなきゃ。
だからその決定的な瞬間をぼくは見なかった。「あっ」という女の子の声に振り返ったとき、ぼくはすべてがおしまいになったのを悟った。
光。すべり台の外を喧騒が走り抜けていく。同級生たちの鬼ごっこだろうか。問題は足元だ。ぼくには一瞬でわかった。スーパーボールが砕けている。踏まれたのだろう。大きな破片がいくつかと、細かな破片がたくさん。中に入ってたはずのきらきらがみつからない。
「なんだよあっちいけよ」
ぼくは概ねそんなことを言った。憐れみは向けられていなかったけど、ぼくは女の子を追い払おうとした。女の子はめげなかった。でもぼくは女の子を追い出した。
すべり台の下は静かになった。クッキー缶には空っぽがふたつになった。ぼくはクッキー缶を元通りに埋め直すと、泥団子づくりを再開した。すべり台の下の土はひんやりとしていた。ぼくはそれをよく知っていた。
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