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ありのままに生活したい

結局のところこれに尽きる気がする。最近の私は考えすぎることに疲れているようだ。例えば…

シーン①バイト先の上司の機嫌が悪い


わたし『何かしたかな、わたしがシフトにあまり入っていないから迷惑かけているのかな。仕事覚えが悪いからなのかな。ああああ。』
と自分をとことん責めてしまう。しかし、考えることは自由だ。無料だ。自分が苦しい思いをするのなら都合よく解釈したっていいじゃないか。この上記の考え方を都合よく考え直してみる。
わたし『多分プライベートで何かあったのかもしれないし、担っている仕事が思ったよりも多いのかもしれない。体調悪くてイライラしているのかも。私だって体調悪いときとか生理前とかイライラするし。』
と考えるとちょっとは気が楽かも。

シーン②自動車学校の教官の言い方

教官『なんでそこでアクセル踏むの!!』
わたし『自動車学校初日よ。アクセルの位置もブレーキの位置も数分前に言われたばかりなのになんでそこでアクセル踏むのって言われても意味がよくわからない。』
これは本当に意味が分からない一言である。自動車学校に何度か通っている生徒に言うのだったらまだわかる。ただ、この一言はわたしが自動車学校に入校して数時間前に言われたから余計に意味が分からない。
よし。これも都合よく考え直してみよう。
わたし『教官は失礼ながら短気。実をいうと最初のうち皆に対してこんな対応だったのではないのか。運転技術を早く身に着けてほしいし、安全運転をしてほしい。教官の命もかかっていることだし。命がかかっているのならそんな口調になるよね。焦るよね。』と考えてみる。
幸いにもこの教官以外は優しくとてもいい人なため、無事に通うことができている。

シーン③友人と一緒にいるとき

友人といるときは話をして過ごしたい。しかし、私入れて4人もいるにもかかわらずみんなはスマホをいじっている。わたしは更新しきっているツイッター(現:X)を見るほかない。
そんな状況が疲れたのである。しかし、話す話題がみつからない。
そんなとき頭をよぎる。
わたし『もし、この場から私がいなくなれば話始めるのか。』
と思いリアルにトイレのも行きたかったこともありやってみることにした。
トイレから戻っていると、さっきと変わらずスマホをいじっている。
なるほど。そんな感じか。と思ったのである。
その後、普通にお話をして過ごした。
あの時はたぶん、誰も話したくなかったのだろう。

ありのままに生活したい

ありのままに生活したいってなに。
感情を表に出すこと?裸で生活すること?
感情を表に出すことによって、誰かと言い争いになるのも避けたい。
裸になるのも恥ずかしい。
これを書いて、思った。

ありのままに生活する=自分の気持ちに素直になる


ことではないかと。
わたしは、争いを避けたい派である。だからこそ、自分の気持ちをひた隠しにしていた。その結果、ありのままの感情を隠すのが当たり前となっていったのである。ありのままの感情を表に出している人がうらやましく思った。それが嫌悪感にも繋がっているのかと。
ありのまま感情を出している人が嫌いだとかではない。うらやましいのだ。だから遠ざけてしまう。
直接人に言えないからこそ、あとで引きずってしまう。
わたしは面倒くさいやつである。
後で引きずってしまうのが何とも言えないモヤモヤを生み出していることは確かである。
直接言えなくてもモヤモヤしない方法。
これに書くこと。
だから、他の人からはわからないことで怒っていたり悩んでいたりするのかもしれない。
この媒体をありのままの気持ちを吐き出すツールにしたい。だから批判も否定もいらない。時々書いていることが矛盾するかもしれない。だけど、しょうがなくない?思っていることは日々変化する。
ここでは他人の目を気にせずに過ごしたい。他でもなく自分の昇華のために書いている。


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