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思春期に大きな影響を与えてくれた友

中学校1年生。入学式後の教室。

期待と緊張が混じるような空気が充満して、ざわざわと落ち着かないその場所で、屈託のない明るい声が唐突に私の後ろの席から飛んできた。

「ねえねえ、君さ。入る部活はもう決めた?」

わたしの名前を聞くより先にそう聞いた。

なぜそういう席の並びになったのか不思議に思うけれど、「い」から始まる名前の私の後ろに「や」で始まる名前の彼女は座っていた。中学校1年生にしては背が高かった彼女と私が、何となく後ろの方の席を選んだからなのかもしれない。今となってはわからないけれど。

けれどもそれが、私にとってとても運命的なものだったことだけは確かだ。彼女との出会いは、初めて外の世界に出た瞬間そのものだったから。

***


わたしの母は厳しい人で、食べるものや見るテレビ、聞く音楽など色々なことに制約があった。8時を過ぎたらもう布団に入らなくてはならない。だから、クラスの子が見ているテレビ番組の話題にもあまりついていけない。おもちゃの代わりにピアノを与えられ、ゲームは買ってもらえないが本ならいくらでも買ってもらえる、そんな家だった。おもちゃの類も滅多に買ってはもらえないので、妹と遊ぶときは身の回りのものを何でも使って、想像の中で遊んでいた。私の世界は、そんな半径数十センチの小さなものだった。


テレビをあまり見ないから、流行りのアイドルなども詳しくないし、当然好きな芸能人もいない。わたしは女の子同士のその手の話題が苦手だったけれど、クラスメイトの女子たちは皆一様に、透明の下敷きの中に好きなアイドルの切り抜きを挟んでいた。

ある日、ふと彼女の机の上を見ると、ノートの影から下敷きがチラリと見えた。やはり何かが挟んである。興味が湧いて、「見ていい?」と聞いてみる。「いいよ。」と嬉しそうに取り出して、わたしの目の前に掲げた下敷きには、派手で奇抜な服を着た金髪の男性の切り抜きが入っていた。

「デビット・ボウイ。知ってる?大好きなんだ。」大事な秘密を教えるみたいにそう言って、笑った。小学校ではもちろんのこと、中学一年生のこのクラスでも洋楽を聞く子はいない。それだけで、何だか彼女が大人びて見えた。

実際のところ、彼女は周りの女の子たちと色々なところが違っていた。いわゆる仲良しグループという概念がない。いつでもどこでも彼女が居たいところにいる。制服を着るようになるまでスカートを履いたことがないらしく、落ち着かないから、という理由でいつもスカートの下にこっそり私服のショートパンツを履いてきていた。聞く音楽は洋楽が中心で、日本のアイドルはほとんどわからないという。初めて話した時「ハーフかしら」と思ったくらい、彫りが深く目鼻立ちの整った顔も、彼女を大人っぽく見せていた。

彼女が好きなデビット・ボウイを、わたしは一目で好きになった。単に顔が好みだったという理由で。興味を示したわたしに、彼女は大量のレコードを貸し付けてきた。「ねえ、聞いてみて。声がいいんだよ、声がね。」

貸してくれたレコードの中から、好みの曲をピックアップしてカセットテープを作って彼女に見せた。「ああ、やっぱりこの曲入るよね。」そう言いながら、大きく何度も頷く。ショートカットでそこだけ長く伸ばしている前髪が、金色に透けてさらさらと揺れ、綺麗だなぁと思った。

「夜中になっちゃうんだけどね、洋楽の面白い番組やってるんだよ。PVも観れるから、今度見てみてよ。」ある時、そう教えてもらった。しかし、夜中に起きてテレビを見ているところを母に見つかったら、どれだけ叱られるんだろう。それでもどうしても、彼女が面白いというものを自分の目で見てみたかった。母が寝るのを待って、夜中にコソコソと起き出してTVをつけた。

日本の音楽シーンとは、全く違う雰囲気の世界がそこにはあった。まるで映画のようなプロモーションビデオ。この時初めてプロモーションビデオというものの存在を知り、みたこともない幻想的な世界に心を奪われた。そして、こんなものを知っている彼女をすごいと思った。

結局、起きているところを見つかって母にコッテリと叱られたけれど、それでも幸せだった。何だか少しだけ大人になったような、そんな気がした。

***

学校に出す書類を見せあっていた時、彼女が突然「あ!すごい!奇跡!」と叫んだ。何のことかと思いきや、自分達の誕生日のことだった。わたしの誕生日と彼女の誕生日は、同じ8月生まれで1日違い。「夏休みだとお誕生日会ってできないんだよね。だから一度も友達呼んでお誕生会したことないんだ。」と彼女は言った。そういえばわたしも家族としかやってないな、そう話したら「じゃあさ、今年は一緒にやろう。2人で。」と提案された。まだ誕生日には日があり過ぎたので、覚えていたらね、と言いながらも少し期待した。

そして誕生日の数日前。夏休みでグダグダと過ごしているわたしのところに、彼女から電話がかかってきた。

「覚えてる?誕生日会の約束。」

電話口で彼女が名乗ったときにはもうフワフワとした期待感があったのに、改めて聞かれると何となく恥ずかしくて「ああ、そういえばそんな約束したよね。」などと答えた。「君の誕生日の日、わたしも空いてるから、ウチで合同誕生日会しよう。」と提案され、「いいよ。ありがとう。」と言って電話を切った。

誕生日を迎えた日、昼ごろ彼女の家に行った。その日のことは、いまだによく覚えている。特別すごい誕生日だった訳ではないけれど、ちょっと感動した日。

部屋に通され、彼女はわたしに適当に座ってと指示すると、「ちょっと待っててね。」と悪戯っ子のように笑いながら言い置いて、何かを取りに階下へ降りて行った。

大きな箱を抱えて戻ってくると、「ジャジャーン!君が食べたいと言っていたケンタッキーフライドチキンです!」と言いながらテーブルの上にそれを置いた。

母はわたしにファストフードというものを許してくれなかったので、ハンバーガーとかフライドチキンをそれまで食べたことがなかった。いつぞやの会話の中に出てきて、「それ美味しそうだなぁ、食べてみたいな。」とわたしが言ったのを、彼女は覚えていてくれたのだ。ずいぶんと前のことであるのに。

目の前に置かれた箱は意外に大きくて、女の子2人で食べ切れる量をはるかに超えていた。「嬉しい!けど、こんなに・・・」戸惑うわたしに、「だって君、初めて食べるんでしょ?ずっと食べたかったんだから、とりあえず目の前に山盛りにしたいじゃない。」切長の綺麗な目がいたずらっぽく笑いかける。「大丈夫。余ったら隣の部屋の兄貴が全部片付けてくれるから。」そう言って、最初の一本を選んで手に取った。

初めて食べる、母が揚げたものとは国籍が違う、といった印象のチキンは衝撃の味だった。彼女と一緒にいると、知らなかったものにたくさん出会える。このチキンも洋楽もプロモーションビデオも。テクノポップもYMOも、テレビで観戦するプロレスの面白さも、全部彼女がわたしに与えてくれたものだ。

***

「ねえねえ、君さ。入る部活はもう決めた?」

入学式のあの日、最初に彼女は聞いてきた。

ううん、まだ決めてない。そう答えたら、「音楽は好き?」と問われた。

ずっとピアノは習っているよ、というと、「わお、ラッキー。それなら一緒に見学行かない?わたしは音楽クラブに入る予定なの。小学校からずっと吹奏楽をやっているから。」そう誘われて、音楽クラブを見に行った。

合奏には興味があったしやってみたい気持ちもあったけれど、毎日のピアノの練習でわたしの中では音楽が飽和していたから、スポーツの部活に入るつもりだった。

とても悩んで、結局わたしは音楽クラブには入らなかった。

中学2年生になり、彼女とは別々のクラスになった。10クラスもあるマンモス中学だったので、クラスが分かれると会う機会が極端に減る。あまり会えなくなっても、ずっと彼女はわたしにとって特別な友達であり続けた。

たまたま放課後の音楽室の前を通った時、楽器の音が聞こえてきたので窓から覗いてみた。すると彼女が気づいてわたしに手招きする。

音楽室には彼女の他に3人の女の子がいた。クラリネットとフルートとトロンボーン(これは彼女が吹いていた)で、ジャズのようなアンサンブルを聞かせてくれた。あまりの楽しげな雰囲気に、「わたしもやってみたいなぁ。」というと、彼女が自分のトロンボーンを差し出した。

「吹いてみて。」

彼女が簡単に音階の出し方を教えてくれる。初めて触る楽器は難しすぎて、ホへーと情けない音しか出せなかった。それでも見よう見まねで楽譜の触りを吹いてみると、クラリネットもフルートもそれに合わせてくれる。わたしのパートは、ちゃんとした曲になんか全然なっていなかったけれど、とても興奮した。興奮しすぎて、いつまでもそこにいたかった。ずっとそうやって、みんなと音楽を奏でていたかったけれど、無情な下校を即す放送が聞こえてきて、それは叶わなかった。

***

その日の体験が忘れられず、また別の日の放課後に音楽室をのぞきに行った。

ドアの向こうから、合奏の音が聞こえる。この前よりも、ずっと大きな音だった。きっと部員がみんな揃って練習しているんだなと分かったから、廊下でそれを聞きながら待つことにした。

曲が終わって、ガヤガヤした声と共にドアが開いた。しばらく待っていると彼女が中から出てきた。「あれ、来てたの?」と聞かれたので、「うん、この前とっても楽しかったから・・・」と答えた。

「今日はもう終わりなんだ。」と私に向かって言いながら、まだ音楽室の中にいる友達を呼んだ。出てきたのは、あの時に一緒に合奏したフルートとクラリネットの子だった。「今日みんな行くよね?この子も連れて行きたいんだけど、どう?」と彼女が2人に確認する。2人とも「いいねー。おいでよ。歓迎だよ。」と私に笑いかけてくれた。

「行くってどこに?」とたずねると、「私たち、市民楽団に入ってるの。今日はそこの練習会があるからね、これから行くんだけど。予定がなければおいでよ。」と言う。

その日は日舞のお稽古のある日だったけれど、サボることに決めた。そんなことをしたら、母のカミナリが落ちること確定だけど、それよりもワクワクする気持ちが勝ってしまっていた。「行くーー!!」と返事をしながら嬉しくて笑い、帰宅後に待っているだろう母の怖いお説教シーンが脳裏にチラつくのを吹き飛ばした。

***

わたしは、その市民楽団に入団させてもらうことになり、中学2年から高校卒業まで彼女たちと一緒に演奏し続けた。選んだ楽器はトロンボーン。あの日に彼女が貸してくれた楽器だ。

トロンボーンの音域は、人間の声の音域に近いと言われる。その優しい音色は、耳に優しく、心に響く。

高校生の時に、教会で開かれたトロンボーン奏者4人によるアンサンブルを聴きに行った。場所に合わせて選曲されたバロック音楽は、礼拝堂全体に荘厳に響き観衆を包み込んで、あまりの美しさに涙が出てしまうほどだった。

その演奏会があまりにも印象的で、「世界中のあらゆる人に音楽を届けて、幸せな気分を味わってもらいたい。」という生きる意義のような目標が芽生えた。

ちょうどその頃に知り合ったプロ奏者の方の勧めもあり、音楽大学へ進むことを選んだ。入学試験の小論文には、わたしに音楽で生きる道を示してくれた、あの教会でのコンサートのことを書いた。

今は音楽からは離れてしまっているけれど、あの頃の、中学校から大学での眩いような体験の数々は、わたしの宝物であり続けている。

あの日、中学校の入学式で彼女と出会っていなかったら、得ることがなかった日々だ。

もし、どこかで彼女に会えたら。
会えなくなってから、時々思い出しては考えていたことだ。
そのときわたしは、彼女になんと話しかけるんだろう。

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