見出し画像

東京を離れたくない

次の更新でここから出ていく。

完全リモートワークで、もう社屋に用が無いからだ。

コロナ禍という初めての経験の中で、仕事を無くさずお給料を頂けて、すごくすごくありがたい環境なのだと自覚してはいる。

だがわたしはもうこの東京に物理的に必要ではないことになった。

東京が大好きなんだ。好きな時にぶらつけて、おいしいものを飲み食いできる。仲間がいる。一人でいてももちろんいい。

推しのライブがあった。大声を出して応援するショーがあった。音楽仲間と一緒にやれる発表会があった。仕事の打ち上げや愚痴大会ができた。なじみの飲み屋があった。いっぱいしゃべって、歌って飲んで、いっぱい密になった。いっぱい出会いがあった。

それがなくなった。

全然普通にやってもいいんだよ。でもそれをやりたい人は、それぞれ環境が違うから、ほかの人にまで当たり前のように主張できなくなった。

自分は一人っ子で、ちょっとした田舎に捨てられない実家がある。

東京に通うことが普通とは言えない距離の、そこでのみ生活するような地域の、さらに静かな丘の住宅街だ。

非常に贅沢な話。

ただ、子供の時にあたかも普通のことと思っていたようには、大人になったくせに、田舎に持ち帰るものも都会に居続ける大義名分も得られなかった。そういう確固とした目標や意思、結局は能力が無かったのだなと理解している。

すごく軽々しく言えないことだが、自分だけの大事な仕事ができたり、そういう自分に見合った人と結婚して子供が出来たり、という意味で。(家族を大義や持ち帰ると表現すべきでないのは言わずもがな)

家を出たまま、自分一人の自由だけを全開にしたいとは、わたしの立場では、よほど何かないと言えないと思い込んでいる。

だから、最後のあがきで、家賃を払うつもりで、自分がメインで自由でいられる家を。。
実家のとなりに建てることにした。
大きすぎる買い物だ。ほんと一人で住むだけなのにね。

もちろん自分のローンでだ。どれだけ我儘なんだろうと自分が情けなくなる。

母がもっと歳をとって生活しづらくなった時に、全部1階で済ませられるようにしようという子の心もある。実家のほうを直したいときの仮の居場所にしてもいい。あまりに時代にも身の丈にもそぐわない、豪奢な話。

母は独立した仕事をしてきて、今はリタイアしているが、一人娘が大きくなったら何かする、もしくは自分でもう一軒建てると思って土地を買っておいたという。その母、その田舎から逃げ出したのに、その通りになっている。

こんなのはまったくやりたくなかった。むしろ最初に描いていた夢からすれば最悪。しかしこの状況では、このまま一人で東京にいる理由がない。もちろん縁もゆかりもない土地に行く理由も元気も無い。

この部屋の中で東京っぽい「何か」を享受していても、ただ消費し尽くされていくだけだ。

お付き合いで、まれにタワマンにお邪魔することがある。すべてが徒歩5分圏内にあって、アクセスやセキュリティに対して不快感が無い。ただ達成感も無く、そこで出したお金ですべてが決まる。あまりに生活感覚が違い過ぎてくらくらする。

好きだった町のいくつかが、ごちゃごちゃを全部捨てて綺麗にさせられた。そこそこのお値段のお店がなくなって、高級なお店が、古さをコンテンツにした新しいお店が、のっぺりとごちゃごちゃをデザインされて並ぶようになった。小さくて汚くて暗くて怪しくて、知ってる人しか知らないような店はあっちゃいけないのかい。

急に、全部が張りぼてになった気がした。

お金があるかどうか。東京が、そこに尽きる世界になりだした。そんなの前からだとも言えるかもしれないが、ここ数年の、昔から続いてきた事業がや建造物限界を迎えたり、店主が高齢で後継がいなかったりの勢いはすごかった。
そして多分オリンピックを見越した街の粛清はあまりにえげつなかった。そこでこれだ。

さまざまに新しいサービスを目にするが、人間の全部の時間、体力と言ったリソース、全部の知識情報が切り身で売り出しされていて、お金持ちとして消費する側か、消費される側かどうか、ということに分断された。
そしてお金にならないものやそのルールに乗れない人は、ゴミ扱いになったと感じている。

あ、わたし自身が、もう終わった。ついていけない。

ついていく力をここに使うことはできなさそうだ。

だから東京を出ていくのは、田舎がどうというより、自分の心が折れたことと、にもかかわらず一応今まで住んできたこの場所がわたしにとって生きやすすぎたということに対しての激しい未練にほかならない。

心機一転、おうちづくり楽しむぞ♪
と思う瞬間もあるが、それなりに昭和の心性はSNS映えしない。
まあそれはそれで日記にしていくことになろうが、今日の時点ではわからない。

リモート飲みはぜんぜん楽しくないです。

親が側にいて車が必要な場所は、自由にも密にもなれません。

田舎において独身女性は永遠に存在しないことになっています。

だからこれは大きくマイナスの、負けが見えかけている大博打。

経済的にも人間関係的にも、不安しかない。

二日に一回くらい精神衛生状況は死ぬ。

そのたびになるべく人がいる所でお酒を明るく流し込み、大丈夫、大丈夫と言い聞かせている。

逃げてきた地元は大嫌いだけど、東京はもう怖くてついていけない。

この気持ちをだれに伝えたらいいだろうか。

何か言葉にすると、仲間同士でもその人によって状況が違うので、傷つけあってしまうと思い声に出せない。

でも、当然職を失った人もいたり、わたしも大好きなお店が閉まるのを目の当たりにしているし、ほかの人ももっと本音を話してほしい。

今は我慢とかいつかとか前向きとかこれからとか変化とかじゃない。こんなの狂いそうだと声に出してほしい。

2020年が、この世界が苦しいのが私だけじゃないと教えてほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?