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青空文庫で読書タイム〜椿とさざんか編

北海道出身の私にとって、椿や山茶花(さざんか)は馴染みのない花だったが、仕事で上京して初めて冬に咲くこの花を見た。北海道の冬は白一色。冬に、赤や白の花に出会えるというのはなんだかとても贅沢なことのように感じたものだ。その時、知り合いから、椿と山茶花の見分け方を教わった。椿は散る時、花ごとぽとりと落ちて、山茶花は花びらが散るというもの。付け加えて、「首が落ちる」ことから、武士に忌み嫌われていたという話も聞いた。そんな話を聞いた後に、点々と落ちている椿の花を見て、武士の首が散乱している無残で切ないイメージを想像してしまったのも思い出す。

先日、芸人の有吉弘行さんが椿の写真をSNSにあげていた。

イギリスでは、椿や山茶花は見ることはできないが、この有吉さんの写真を見て、ふと、北海道から上京した時に感じた、椿を見た時の感動を思い出したので、青空文庫で、椿や山茶花をテーマにした作品を読んで見ることにした。

①高浜虚子「椿子物語」

今此処に腰を掛けて、赤い椿の花に埋もれて、じつとその花を見つめて居ると、いつか浮雲にでも乗つてゐるやうな心持になつて、自分は自由自在に心の欲する処に行く事が出来、足は軽やかに空中を踏んで歩き廻ることが出来るやうな幻覚を覚えるのであつた。

椿が咲き誇る時期に贈られた赤い着物の人形は「椿子」と名づけられる。虚子の椿への愛が感じられる文章だ。

ちなみに、椿を愛したことから、虚子の命日4月8日は虚子忌、椿寿忌(ちんじゅき)と言うそう。虚子の俳句にも、椿は多数登場する。

こゝに又 こゝた掃かざる 落椿

②岡本かの子「山茶花」

 ひとの世の男女の
 行ひを捨てて五年
 夫ならぬ夫と共ともに棲すみ
 今年また庭のさざんくわ
 夫ならぬ夫とならびて
 眺め居ゐる庭のさざんくわ

どんな関係の誰と見ても、見ている人の心が荒れていても、穏やかでも、いつも同じようにそこに凛と咲いていてくれる、山茶花(さざんか)の美しさが目に浮かぶような一編の詩

③豊島与志雄「椿の花の赤」

「大変です。早く起きて下さい。赤ん坊の死体がころがっています。」(中略)
そこには雑草が生え、椿の赤い花が落ち散ってるなかに、まっ白な小さな肌がなまなましく見えていた。曇り日の早朝の仄白い明るみが、その白い肌を不気味に露出さしていた。

私も、落椿に武士の生首を想像しただけあって、椿の赤は、死体や血へのイメージとつなげやすいのかもしれない。このストーリーで起こったことは、大事件でもなんでもないが、ミステリアスで不気味な印象だけを私に残していった。

④小川未明「つばきの下のすみれ」

すみれは、やはり、そのころ、紫色のかわいらしい花を咲さいたのです。しかし、この大きなみごとなつばきの木の下にあっては、人の目に入るにはあまりに小さかった。あわれなすみれは、それで、心なしに歩あるく人々から、頭をふまれたのです。

椿の美しさに隠れて目立たないすみれ。そんなすみれの美しさに気づいた竹子さんとの出会い。すみれに心があったら、こんなことを考えているかもしれないと思わせる童話。椿の美しさは圧倒だから、すみれの淡い紫色は見逃されてしまうかもしれないが、もちろんすみれにはすみれの美しさがある。

⑤佐左木俊郎「山茶花」

“彼等は、平三爺にしろ長作にしろ、もちろん、この山茶花を手放したくはなかった。併し、だからと言ってこれを拒絶して、手扱(てこき)を使い続ける気にもなれなかった。「俺は、もう、これきりの人間だ。山茶花など! それより、汝等にしらせえ、幸福(しあわせ)で……」 平三爺は、もう一度こう言って、涙に濡れた顔を、とくと枕に押しあてた。“

老いて子どもに頼るようになった時、自分はどんな気持ちだろうか。できない事が増えて、不甲斐ないだろうか。稲こき機械と引き換えに、大切にしていた思い出の山茶花を手放さざるを得なかったのは、きっと不甲斐ない気持ちでいっぱいだっただろう。山茶花を守ろうとする親子のやりとりの必死さに、たかが山茶花ではくくれない、家族の絆が見えた。



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