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稼げなくてパートに出た頃の話

世の流れ

フリーライターとして仕事をしてきて
何年経った頃だろう
時代は確実に紙からwebへと
移っている最中だった。

最初の頃は
2〜3万円

少しすると6〜7万円ほど
ライターとしての仕事があった。

まだ当時は子どもも小さくて
取材に出る以外は在宅で仕事ができて
ある意味、先進的?だったと思う。

それが
冒頭の通りwebへと世の中が移行していくのに合わせて
仕事が激減した。
というかほぼ無くなった。

どうやって仕事をとるのか
営業するのか?
どこに?
どうやって?
その術も分からなかった。

このままでは生活できないと
パートに出る決心をしたのだった。

当時すでにTVにも出ていたw

ありがたいことに
フリーライターとしてライティングの仕事をする他に
簡単レシピ研究家として
当時すでに地元TVにも出させていただいていた。

周りから見たら
すごく稼いでいるように見えたと思う。

でも実際は、そんなこともなくて
シンクロナイズドスイミングの如く
水面下では脚をバタつかせていたわけです。

ライターとしての収入だけでは
生活が厳しく・・
パートに出る決心をした私。

選んだパート先はパン屋さん。

どうせ、外で働くなら将来役に立つことをしたかった。

だから・・・
別にパートもアルバイトも募集していないのに
とあるパン屋さんに飛び込んだ。

働かせてください!って(笑)

よくそんなことできたなあ。
若かったんだなあ。
と今になれば思う。

なんと、そんな飛び込みの私に
いいよとOKを出してくださって
パートとして働くことになった。

でも・・無理だった・・・

仕事内容自体は
大好きなパンに関われて楽しかったのだけれど
それまで自由に働いてきた自分にとって
時間から時間まで働く
というスタイルは本当にしんどかった。

そして
パートの先輩ママさん達は
良い人ばかりだったが
人間関係を構築していくのは
自分には結構しんどかった。

ライターの仕事も辞めたわけではなく
細々とやっていた。

一方で、講座の仕事も少し始めていた。

少しの稼ぎの割に
手がかかる・・・
そんな状態が続き・・・

そして、ストレスがかかりすぎて
体調を崩しかけた。

そこで悟った。
自分にはパートは無理だと。

ライター1本で食っていく。
そう腹を決めた。

背水の陣。
でもあったな。
今振り返ると。

定収入はフリーランスにとって
魅力的ではあるけれど
でも、二度とパートには出ないと
自分に誓った。
どっちも中途半端になる。

フリーランスを辞めてパートに出るならいい。
だけど
パートに出るというのは
当たり前だけど自分の時間を売るようなもの。

フリーランスは時間に縛られないし
ある意味、時給換算したら圧倒的に高い。
ただし、ある程度、仕事の数がないと
生活していけるような稼ぎにならない。

いろいろ葛藤もあったけれど
フリーランスだけで
パート以上の稼ぎをする必要があると
腹を括ったのがこの時だったわけだ。

やってあげることが愛ではない

基本的に家事は自分がやっていた
子どものこともそれなりに色々あった

世話をするとか
面倒を見るとか
家事を全部やるとか
なんか勝手に
「家族のために」みたいなところがあったけれど
やってあげることが愛ではないんだよね。
当時はまだそこにハッキリ気付いていなかったな。

しっかり働いて稼ぐ、
そして楽しく人生を過ごす背中を見せることの方が
よっぽど子どもにとって良いことだと
後になればわかる。

やるのが当たり前になっていて
やらないと家庭内が回らない
自分がやらなければ
そんな自己犠牲的なことしていたんだもの
そりゃ中途半端だったわ。

しんどい時代だったけれど・・
そして家族にもなんやかんや迷惑かけたけれど・・
あの頃があったから今がある
と思えるのだから良い経験だった。


そして
あれ以来、腹を括った通り
パートに出ることなく
フリーランスだけで食っています。

要は覚悟なのさ



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