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Infodiment -情報の身体性-

我々が生み出す,我々の道具あるテクノロジー,特に加速的に成長を続けるインターネットを基盤とするSNSなどのコミュニケーションメディアと,それらを支える高速通信網の拡充,そして高度化するAI技術の後押しの下,日本はSociety 5.0実現に向けて突き進んでいる.サイバー空間が人と人とのコミュニケーションネットワーク形成・情報発信・情報共有を容易にし,次々に生み出されるアプリケーションが,その成長速度を良くも悪くも加速的に増長させたことが,様々かつ膨大な情報を生み出す原動力となり,日常生活やビジネスにおける高い効率化の実現に大きく寄与したことは言うまでもない.

一方,不寛容社会と表されるように,炎上,デマ,フェイク,フィルターバブル,エコーチェンバー,いじめ,過度な誹謗中傷,特定個人への攻撃等々,人々がサイバー空間を介したインタラクションをすることで,様々な深刻な社会問題を発生させるに至っている.解決に向けた取り組みにおいては,総じて個別の事例の些細の分析にとどまっているのが現状であり,無論,それらの分析がまずは重要であるものの,具体的・抜本的な原理の解明や,諸問題への具体的対策は現時点では手つかずの状態である(これはチャンスでもある!).また,この社会問題はサイバー空間に閉じたひとごとのような事態ではなく,米国大統領選挙において生じてしまった国民の分断はもはや一国の問題ではなく国際的にも大きな影響を及ぼす状況に至っている.

デマ情報といっても,すべてのデマが最初から誤った情報を意図的に流布することを目的としたものばかりでなく,善意から結果的に誤った情報を流布してしまうケースもある.3.11(東日本大震災)においても多くのデマ情報が拡散してしまったし,大きな災害が発生すると高い頻度でデマ情報が拡散してしまう.筆者は内閣官房・コロナAIシミュレーションプロジェクトのメンバーとして感染状況の予測や,緊急事態宣言といった各種政策の運用の効果や理想的運用の予測などを行っているが,

コロナ禍におけるワクチンに関する根拠なきデマや風評の接種率の影響は些細なものであるから心配無用,というわけにはいかない.数%の差が結果として大きな変化に至るのである(バタフライ効果).

なぜに,我々は情報にここまで翻弄されるのであろうか? 人は他の動物とことなり,言葉を使い,論理的に考えることができるはずである.根源的な原因は「情報に対する人の知覚能力の未熟さ」にある.

身体性(Embodiment)とは?

人も他の生物と同様,地球環境に適応するための知覚能力を進化させてきた.モノには形や質感がある.これらが我々に行動を促す.アフォーダンスの考え方では,椅子は人に座ることをアフォードし,人はそのアフォーダンスを知覚することで,座るという行動を起こす.大人用の椅子には小さい子供は高すぎて座ることができない.この場合,椅子は大人にも子供にも等しく座ることをアフォードしているが,子供がそのアフォーダンスを知覚できないのである.身体性とはモノが持つ性質を表す言葉である.

リンゴがあるとする.リンゴはもちろん,食べるということをアフォードするが,それだけではない.色が青ければまだ甘くなく酸っぱいということもアフォードしている.このアフォーダンスを知覚できる人は,このリンゴを食べようとはしないであろう.また,茶色く変色している部分があれが,その部分が腐っていることをアフォードする.このアフォーダンスを知覚できる人もこのリンゴを食べようとはしないであろう.しかし,これらのアフォーダンスを知覚できない人は,食べてしまい,その時点で酸っぱさや苦みを感じ,その時点でこれらへの知覚能力を身につけることになる.つまりは身体性とは,我々に多様な反応を起こさせる機能という言い方もできる.

モノには形や色や質感があり,それが我々に対して様々なアフォーダンスを発信し,我々はそれを知覚することでモノとのインタラクションを発動する.つまりモノからのアフォーダンスをより多く知覚できる人の方がうまくモノとのやりとりができる,ということになる.

人は道具を発明することで繁栄してきた.道具とは特別なアフォーダンスを発揮するモノであり,その道具が発信するアフォーダンスを的確に知覚できる人は道具を使いこなすことができる.つまりはどんなに優れた道具であっても,そのアフォーダンスを的確に知覚出来ない人は,うまく道具を使いこなせない.

我々はホモサピエンスという種であり,地球上に登場して8万年くらい経過しているが,生物的な構造での進化はない.つまり我々の体の構造は8万年変わっていないということである(骨格において変化があるらしい).繁栄するために生み出した道具も身体性のある物理的なモノであったし,身体性のあるモノであるからこそアフォーダンスを発信し,それを知覚することができた.

情報には身体性がない? あるべき?

しかし,人類は記号を発明した.記号を使うことで,実際にモノがなくても,そのモノのことを他人と情報として共有することができる.イルカなども言語のようなものを使いこなすとあるが,人類ほど複雑に言語を使いこなしてはいないであろう.しかし,記号,すなわち情報を発明したことが,とでもない効率化を生み出し人類の繁栄を加速させたと同時に,現在の社会的混乱を生み出す状況も招いてしまったとも言える.

つまりは,情報には物理的な身体性(サイズ,質感,鮮度,機能など)がない.情報自体がアフォーダンスそのものである,という意味では身体性は不要という見方もできるが,個々の単語レベルでは的確なアフォーダンス知覚は難しい,なので文章があり文脈を作り出すことで的確にアフォードしないといけない.政治家や芸能人の発言の部分を切り取っての拡散が本来と異なるアフォードを起こしてしまうのは当然ということになる.切り取ることで,切り取られた短い文章を構成する単語の表層的なレベルでのアフォードのみを我々は知覚するしかなくなる.

情報のやりとりにおいては,発信する方は的確に受け取って欲しいアフォーダンスを埋め込むような文章とする必要があるし,受け取る方も,しっかり読み,理解することがそもそも大前提なのである.

情報の身体性とは,情報の中身に加え,情報発信源の社会的立場(個人,大手メディア,インフルエンサー等)や,発信される媒体の大きさ(SNS, TV等),そして,拡散される度合い(拡散速度や拡散ルート),情報の鮮度,情報同士の連結・分割などにより規定される「情報の中身に付随する属性」と考えるとよさそうである.情報の中身は同一であっても,身体性の大きな情報ほど固定観念化しやすく,強い強制力や行動・感情変容力といった機能を発揮しやすいなど,いろいろ考えることができる.ちなみに,表題のInfodiment(情報の身体性)はInformationとEmbodimentからの筆者の造語である.

そもそも,身体性のある実空間で進化してきた我々にて,実際,我々は日頃から「情報に押しつぶされる」とか「この情報は軽い・重い」「情報の波が押し寄せる」といった,情報をモノのように捉える.それは,暗に情報をモノとして捉えた方が扱い易いのだと思うのだが,そのような情報をモノのように扱うのも,明らかに情報過多の現象が見られ始める情報通信社会が到来してからだと思われる.

しかし,実際に情報の身体性を知覚できているわけはなく,そもそも情報の身体性知覚能力など人は最初から持ってはいないものの,情報をモノのように知覚する感覚を持つことはできるのであろうか? 仮に芽生えたとしても,現在のSNSを中心とするコミュニケーションメディアが見事に潰してくれているのである(ーー;).

インターネットの功罪

無論,インターネットが登場する以前にも膨大な情報に溢れていたものの,人が情報に接するチャネルはそう多くはなく,量的にも変化する速度的にも,文脈を理解し,何かしらの身体性を知覚しての情報に対する反応ができていた.

しかし現在,人は巨大なサイバー空間と常に接し,認知能力をはるかに超える情報とのやりとりを強要され,そのことが,情報に対する不完全な知覚能力を原因とする上記諸問題を生み出していると統一的に解釈することができる.

我々もいちいち情報の背景などを確認することなど,本当は確認したいという気持ちもあるところ,面倒にてやらない,やる余裕すらなくなってきている,というのが実情であろう.また情報を生み出す側も,そのような不完全知覚にて理解した情報をさらに,しっかりした文脈とした情報をしないままに発信することで,まさに負のバケツリレーが拡散することになる.これが現状なのであろう.

ヒトの知能と人の知能

カタカナと漢字の違いじゃないか!ではなく,生物としての我々を表する時は,通常カタカナのヒトを使い,しっかり考える知的生き物としての我々を表する時は漢字の人を使う.我々は他の動物とは異なるとはいえ,ほとんど他の動物と同じヒトで,ほんの少しだけ人の要素が追加されているような存在である.前者を動物脳とかSystem1型,後者を熟考型知能とかSystem2型とか呼ぶが,安易に2階層化するのは危険であろうとも思う(分かりやすいので使ってしまうが).

脳のモデルとして,自由エネルギー原理があり,筆者もこのモデルが知能の本命に限りなく近いと思っているが,とんでもなく乱暴にまとめるなら,脳内に世界モデルと呼ぶような自分なりの世界をモデル化したシミュレーターがあり,そのシミュレーターは常に先を予測して行動を起こす.その予測通りに実環境が変われば,それはそれだけ環境に適応できていることを示すわけで,生存確率が上がる.つまりはよりよいシミュレーターを獲得できることが望ましいということになる.

本来はモノからの身体性を五感を使って近くすることで脳内シミュレーターが動作するわけだが,不完全な情報が入力されれば,当然不完全な予測となる.しかし,不完全な予測でも実世界の動きと合っているのであれば心地よいということになってしまう.同じ意見同士が集まるエコーチェンバーが発生するのは自明ということになるが,メタな視点で見れば多様性がない不安定なものであるが,人の認知能力ではメタな視点から見ての行動は難しい.

かといって,System2にてしっかり文脈を捉えればよい,つまりは情報の真偽を確かめて判断せよ,という話もよく聞くが,それが出来るのであれば皆やっている.System1での脊髄反射のような反応でもうまくいくのであれば,System2の出番はなくなるだけのことである.

あと,我々が脳で感じるモノの質感ってクオリアと呼びますが,不完全な情報に対して誤ったクオリアを感じる,ということ.クオリアは,脳神経ネットワークの局所的(かどうかは??)なダイナミクスそのものという考え方は同意するところで,不完全な情報や身体性が欠如した情報が励起するネットワーク的な反応も大きく変化すると考えるとすっきりする.

どうすればよい?

有用な情報をフィルタリングして人に提供する,いわゆる情報推薦技術があればよいのか? という簡単な話でもないであろう.まるでシステムが人を飼い慣らすようなものであってはいけないであろう.やるべきは人が情報の身体性を知覚する能力を身につけることである.

といってもいったいどうすれば?ということになるが,我々が切り取られた文や,不完全な情報を見て,その身体性を知覚するのは,我々が実世界に生きている間は不可能であるものの,AIのような同じ情報空間側にいるシステムであれば,その不完全な情報の生い立ちや背景を計算することは不可能ではない.そのようなAIに身体性を付与されたものを我々が知覚することでの身体性知覚は可能かもしれない.そして,その方が人が情報とうまく接する実感を得ることができるという感覚を持つことができるのであれば,そのような身体性を知るためのインセンティブが生まれることが期待される.無論,我々の脳とネットを接続するようなイーロンマスクの試みが本当に成功すれが,脳にて情報の身体性を知覚が可能になるかもしれない.

メタバースでの身体性 
〜人のカタチ,情報のカタチって?〜

実空間で生きる我々は現時点で実空間での身体性を持っているわけで,まだ時期尚早だとは思うがメタバースに埋没するようになった時でも,実空間での身体性がそのまま適用されるものの,人の高い適応力からして,徐々に身体性知覚も変化していくはず.

映画MATRIXの世界ではあり得ないジャンプや飛行も可能なものの,実空間ではもちろん出来ない.メタバースでの身体性に適応していくにつれ,実空間の制約に悩むといった現象も起きるもかもしれない.

また,メタバースでは,人と情報システムとの距離が近くなり,より情報身体性を知覚できるようになることで,制約の多い実空間よりうまくやりとりできるようになるのかもしれないとう見方が出来る一方,自分の身体という境界自体も実空間と異なったものとなり,もはやホモサピエンスとは異なる新たな種にアップグレードすることになるのだと思う.

いったいその時,人はどのようなカタチしているのか・・・・・
そして,情報はどのようなカタチしているのか? 少なくとも情報は動的に変化することから静的なカタチではなく,生き物のように動く身体性を持っているはず.
(武田先生@NIIとの議論から追加)

情報の真実とは? Truthとは?

観測される物理現象での事実=Truth
でさえ,人類はいまだ理解できていないのかもしれない?とすると,
情報のTruthとなると,現状カオスな状況となっている.(昨今の政治劇場見ても明らかかと)

Infodimentの見方では,そもそも現在の情報は,多様性の低い(量も少ない)アフォーダンスしか発信できていない,という解釈.さらに言えば,情報が生み出された場と明らかに異なるというか乖離の大きなアフォードが埋め込まれてしまっている.

そして,Truthは1つなんてことはなく,見方次第だ! なんてことの方が現実的解釈だとすると,多様なTruthを知覚させるアフォーダンスを埋め込み,人が適宜知覚できるようにする,ということが必要であり,もしも,人がInforiment知覚能力に芽生えるとしたら,異なるTruthを知覚できる(異なる立ち位置からの見方ができる)ということになるのかもしれない.これは不寛容社会に突き進む現在社会にとっては必須なことのはず.
(笹原先生@東工大との議論から追加)

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