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恋愛小説


 パソコンのデータを整理していたら、中学生のときにこっそり書いた恋愛小説が出てきた。冒頭の数文字を読んだだけで、大長編の物語が当時の思い出したくない記憶と共に急速に蘇ってくる。それをゴミ箱にドラッグするかほんの少し躊躇ったところを、隣でテレビを見ていた建一はすかさず気づいた。

「これ、ミズキが書いたの?」

 建一は興味津々で、私の太腿に乗せたノートパソコンに顔を近づける。私は全力で彼の体を押し返した。

「だめ。絶対読ませないから」
「どうして」
「大昔に書いたやつだから。恥ずかしいの」

 私はそう言うと、パソコンの画面を乱暴に閉じてしまう。こうすれば自動的にロックがかかるから、パスワードを入れない限り立ち上げることもできない。建一はつまらなさそうに唇をとがらせて、ソファに背中をもたれかける。

「他の小説は見せてくれるじゃん」
「それはいいの。ネットで読めるわけだし」

 最近書いたものはすべて、作家志望が集まるインターネットのサイトに投稿していた。本名ではない、別のペンネームを使っているけれど、建一にだけは教えてあった。

「じゃあ、どういう内容なの?」
「中学生のときに書いたから、もう忘れちゃったよ」
「ふうん」

 私が一歩も譲らないとわかると、建一はようやく諦めたのか、ひょいっと座り直してテレビのチャンネルを変えた。彼の好きなサラリーマンのドラマは先週終わってしまったから、今は特に見たいものがなくてつまらないのだろう。建一は不満があるときにいつもやるように、左手の親指を軽く噛んだ。

「次のドラマはなに見るの?」
「決めてない」

 私の振ったどうでもいい話題に、どうでもよさそうに返事する。

「面白いのあるといいね」
「そうだな」

 建一はリモコンをぽちぽち押すばかりで、なにを見るかが一向に決まらない。

 さっきゴミ箱に移し忘れた小説がどんな話だったか、本当はちゃんと覚えている。それは、私が初めて失恋したときの話だった。私が好きになったのは当時の親友と同じ男の子で、親友のほうが先に彼のことが好きだと明かした。そして、二人は付き合った。だから、私はだれにも言わないまま彼のことを諦めた。小説に書いたのは、ほんとうに万が一私と彼が付き合ったらどうなるかという妄想だった。親友から聞いた映画デートも、ご馳走してもらったポップコーンの味も、そのときばかりは彼の彼女は親友ではなく、紛れもない私だった。
 でも、結局、二人はものすごくつまらない理由で別れてしまったんだった。建一の顎の隅にある、少しだけ剃り残した髭を見ながら、私はそのことを思い出した。

 お風呂からあがると建一はソファにあぐらをかいて、なぜかノートパソコンを開いていた。そして、私がさっき必死に隠したあの小説が画面いっぱいに表示されていた。

「ちょっと、なんで読んでいるの!」
「だって」
「どうして?」
「パスワードがミズキの誕生日だったから」
「だからって。信じられない」

 私は大きな声をあげて、彼の手からパソコンを奪った。もちろんパスワードの設定も変えてしまった。建一は眉をハの字にさげて、怒られたことで今にも泣き出しそうになっていた。だからって、勝手に読むことは絶対におかしい。今日は絶対許さないんだから。私はパソコンを持って寝室に入って、もう口なんて聞いてやらないって誓った。

 しばらくすると、建一は寝室に入ってきてベッドに潜りこむ。

「ごめんって」

 建一は先に寝たふりをした私を後ろから抱きしめる。

「許さないからね」
「ごめん」
「読んで欲しくなかったのに」
「でも、知りたかったんだって」
「なにを?」
「ミズキがほんとはどんな恋愛がしたいのか」

 私はそれに返事をしなかった。

 いつの間にか本当に眠ってしまって、隣の部屋から物音がしたせいで目を覚ました。ベッドには建一がいなかった。ゆっくり手を伸ばして襖をあけると、そこに建一がいた。彼の膝の上には私のノートパソコンが広げられている。そして、ものすごく食い入るように画面を読んでいた。また怒って飛び出していこうかと思ったけど、ついにその気も失せてしまった。なぜなら、建一が泣いていたからだ。鼻水を垂らして、何度もティッシュでかみながら、ものすごく悲しそうに赤くなった目をこすっていた。とりあえず私は怒るのはなしにして、寝たふりをしてあげることにした。

 しばらくすると、建一は寝室のベッドに戻ってくる。それから、なにかぐずぐず言いながら、私を後ろから抱きしめた。一言か、二言か謝るようなことを言った気がしたけれど、今度はうまく聞き取れなくて、その代わりに彼がまわした左手にちょっとだけ触れた。そうして、この人と過ごしたなんでもない今日の一日のことを、いつか小説に書いてみたいと思った。


    


   

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