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 花が嫌いだ。
 あれを見ているだけで腹が立つ。

 子供の頃から、私は性別が女の子だって理由で、花柄のワンピースを着せられてきた。それだけじゃなくてスカートやシャツも、靴下も、ハンカチや水筒だって、とにかく目につくありとあらゆるところに可愛らしい花の模様がプリントされていた。もちろん本物の花も、公園や学校の校庭、隣の家のバルコニー、道路の端に至るまで、見渡す限り咲き乱れていた。花を見ているだけで、蕁麻疹が出そうなほど腹が立つから、花壇の花を手当たり次第にむしってみるけれど、何度だって生えてくる。こんなにも嫌っているのは、第一にあいつらが人間みたいに顔を持っていること、第二に、そのくせみんなに気に入られたがる八方美人で、とてつもなく意地が悪そうに見えることが主な原因だった。
 たった一度だけ、花を見てきれいだと思ったのはおばあちゃんのお葬儀のときで、それが大好きなおばあちゃんを取り囲んで、白雪姫に見えたからだった。(結局、だれも彼女にキスしてくれないから死んじゃったけどさ)とは言え、校内の美化ポスターにも、メールの絵文字も、プリクラのフレームも、とにかく花と無縁になる日は一日もなくて、私はそれを見るたびに眉をぎゅっとひそめると決めていたから、一瞬たりとも気が抜けなかった。

「ねえ、見てちょうだい」
 ママはブーケに包まれたバラの花束をお気に入りの花瓶に移すと、顔を近づけて匂いを嗅いだ。土曜日の朝のリビングは明るくて、とても静かで、私はトーストにジャムを塗りたくりながらバラたちを睨みつける。
「これね、パパが昨日の結婚記念日に買ってきてくれたのよ」
「そんなに嬉しいもの?」
「当たり前よ。だって、パパがそれだけ、ママを愛しているってことなんだから」
 ママは花瓶を玄関に飾ると、家事の合間や出かける前に花を見ては、満面の笑みを浮かべてみせた。バラのほうも、ご機嫌にママを見つめ返しているのがわかる。こういうとき、私はママがなにも知らない同じ歳の女の子みたいに見えて辛くなる。クラスにもこんな感じの女の子が何人かいるけれど、あの子たちの洋服にはいつも決まってフラワープリントがどこかに入っていて、私とは絶対に気が合わない。だけど、たまにそれと同じ匂いを、嫌いじゃないのにママにさえ感じてしまう。
 ママが言うには、毎年結婚記念日に花を贈られることは自分が愛されていることを確認できる絶好の機会らしい。とは言っても、あいつらがあんなインチキな顔をして人間を騙していることに、ママはちっとも気づいていない。花屋で行儀良くしているのは選んでもらうために決まっているし、花壇でやけに目立とうとしているのも、水と肥料をおねだりしているだけだ。(パンジーなんて、嘘つきの校長先生の口ひげとそっくりじゃないか)だから、バラは表面的には愛想良くしているけれど、私が見ていない隙に絶対、ママのことを影でせせら笑っているに違いない。
 だって、私は知っているもの。
 パパには他にも花を贈る相手がいるってこと。

 先日の深夜、私がトイレに行きたくなって偶然目を覚ましたことがあった。両親を起こさないように足音を忍ばせて階段を下りると、だれかの話し声が聞こえてくる。パパの声だ。廊下の壁に背中をつけて、パパはだれかに電話をかけているらしい。その中でパパは、週末、レストラン、約束のキーワードに加えて、プレゼントの花束の話を出していた。しかも、パパがそのとき買うって言ったのはバラではなく、マーガレットのことだった。パパのひそひそ声は、普段ママと話すときより何十倍も楽しそうで、いつも私を軽々と抱えて、飛行機みたいにアップダウンをさせて遊んでくれるパパと比べても、まるきりの別人だった。だから、今日は何時まで待っていようとも、パパはきっと帰ってこない。

「やっぱりそれ捨てちゃいなよ」
 私が唐突そう言い出すと、なにひとつ事情を知らないママは可愛らしく首をかしげてみせる。
「どうして?」
「だって、なんだか嘘くさいじゃない」
「そんなことないわ。パパからもらったんだもの」
 そう言い切られて、私は少し腹が立った。
「ママはマーガレットも好きなの?」
「いいえ。バラが好きだから、毎年贈ってくれるんじゃないの」
 ママの答えを聞いてトーストを一かじりしたところで、私はうっかりジャムをのせすぎたことに気づいた。ママはなによりも大事なことのように花瓶の水を取り替え、花びらを撫でつけ、バラは相変わらずお得意の愛想笑いを浮かべていた。

 大人になった今も、私は花を見ると腹が立つ。
 だれど、たった一度だけ嬉しかったこともあった。
 それは一昨年付き合っていた恋人に、誕生日プレゼントのネックレスと一緒に小さな花束をもらったときだった。プレゼントはなんでも構わないから花だけはやめてほしいって散々言ったのに「つまり、それって欲しいってことなんでしょう」ってからかわれて、駅前の花屋で売っている一番安い花束をもらった。赤とピンクと白、いかにも女が好きそうな色合いの花は、呑気に微笑みながら私の誕生日を祝福していた。それは正真正銘、生まれ初めて、私のために買われた花束だった。
 いざ手に持つと、それはなんとも美しかった。
 花びらは柔らかいし、とにかくいい匂いがする。思わず顔を近づけて嗅いでしまう。これは他のだれでもなく、私のために買われたものだと思うと、あのときのママの気持ちが少しだけわかった。
 この後の人生でも、私はきっと花に囲まれて生きるだろうし、お葬式では花に囲まれて死んでいくのだ。(キスされて生き返るかどうかは別問題として)だから、ほんとうはもっと、あいつらとうまくやらなきゃいけない。それからは、もう子供じゃないわけだし、フラワープリントのスカートだって履くし、ブラウスの首周りについた花に似た飾りも気にしないことにした。


 花束をくれた恋人とは、先月末にお別れした。
 あの人もいつか、私とは違う女の人に花をあげるだろう。今頃はもう花屋でマーガレットかなにかを買っているかもしれない。そう考えたら、花が目に入るだけで腹は立つし、やっぱりこの年になっても花壇に入って、引きちぎってやりたいくらいだった。でも、今度だれかにあれを貰っても、私はやっぱり怒ることはできないだろうし、もう少し歳を重ねたらあのときのママみたいになって、花たちが私を馬鹿にしようとしまいと、なによりも大事なことみたいに、花瓶の水をせっせと替えているのかもしれない。


  

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