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宗教を料理に置き換えてみた

宗教の話ばかり続いていますが、多分これを書いたらしばらく書かないかもです。

宗教と信仰(信心)の違い

色んな人のnoteを見て、宗教と信仰(信心)についてこんなことを考えました。
信仰(信心)は、心があるということ。何かを感じたり考えたりするのは心だけど、心がどこにあるかは目には見えない。でも、ないと言える人はいない。
宗教は、心とは何か、心はどう扱えばいいのかを教えるものである。仏教でいうなら仏、キリスト教なら神様等。表現の方法は違うけど、みんな心のことを教えている。
だから、特定の宗教を持たない人はいるけど、信仰のない人はいない。

じゃあ、私は無宗教と言っているひとはどういう状態なのかなと考えたとき、料理に置き換えたらわかりやすいなと思いつきました。

宗教を料理に置き換えてみた

世の中には色んな料理があります。フランス料理、イタリア料理、中華料理等。なかにはゲテモノ料理など、ちょっと理解しづらいものもあります。全てに共通するのは、食べ物だということです。

料理を知らない人はこう言いました。
伝統料理?どうして料理なんか習わないといけないの?創作料理?そんなの信用できない。ゲテモノ料理?そんなの食べる人おかしい。変なもの食べさせないで。私はコンビニでお弁当を買うから大丈夫。

そして唐揚げや麻婆豆腐やオムレツの入ったお好み弁当を買っていきました。

食べ物は心
伝統料理は仏教やキリスト教
創作料理は新興宗教
ゲテモノ料理はカルトと呼ばれてる宗教
コンビニ弁当は占いや自己肯定感メソッド、心理学など
をイメージしています。
それぞれに対して否定的な気持ちはありません。

ここで言いたいのは、コンビニ弁当を食べている人が、私は料理しないから料理なんて知る必要ないと言ったり、知らない料理に対してあんなの食べる人はやばいよね等とイメージだけで言うのはどうなのかなということです。

創作料理を食べて食中毒を起こしたら、たしかに辛いけど、それは創作料理のせいじゃなくてつくる人の衛生管理等を見直せばいいだけで、創作料理が悪いわけじゃないということです。

家庭科の授業は大事

料理を知らないことは悪いことじゃありません。だって教えられてないんだから。中華料理屋さんの息子は生まれつき中華料理に囲まれてるから知ってるだけです。でも、ほんとはフランス料理の方が合うかもしれません。
だから、やっぱり学校でちゃんと宗教を教えたほうがいいと思いました。家庭科の授業で食べ物には色んな料理方法があるんだと教えるように、心には色んな表現方法があるんだと教えてほしい。
道徳の授業でちゃんと宗教に触れないのは、家庭科の授業でレシピを見ずに料理をさせるようなものじゃないかな

別に食べれたら何でもいいのかもしれないけれど。
あとコンビニ弁当は普通に美味しいです