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小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 11)

目次

Episode 11:乾いた信頼。

 何故今更になってライオンビスタの元に戻って来たのか。別に自分はライオン愛好者マニアな訳では無い。確かにカッコいいとは思うが、だからと言って好きだとは限らない。

 確かめに来たのだ、あの時に感じた協力者的な視線が本物であるかどうかを確かめる為に。

 素直に告白しよう。
 自分はとても心細い。第一目標は脱出、ほぼ同じくらいの重要度でピエロの打倒が並ぶ。その為には、仲間が一人でも多く欲しいのだ。自分だって死にたくはない。
 歴史も証明している――多対少の戦いは、余程のアドバンテージと奇策がない限りは完全なる負け戦であると。結局、戦況を左右するのは(意志の統一された)頭数だ。
 その数を揃えるに当たって差し当たり最も信用できそうなのが、このビスタという訳だ。

 信頼――裏切られても仕方ないと思えるという意味で。
 その意味では、此処の人間はとてもじゃないが信頼できない。腹の底に何を抱えていてもそれを仮面で覆い隠す術を身に付けている動物など、一体如何したら信頼できると言うのだろう。……自分のことを棚に上げてそんなことを思う。
 一般論としてだが、いずれ損することが確約されていて態々その契約書に署名する人間なんていない。今回については将来に利益があるならまだしも、待ち受けるのが死という永久負債だけなのだから、罷り間違ってもペンを執るばかりか取ることすらできない。

 だが、獣ならどうだろうか。
 生存即ち食事だけを目指すライオンであれば、信頼できそうだ。この腕一本くらいは明け渡す覚悟はある、礼金として。カナに怒られるから軽々にくれてやるつもりは毛頭ないけれど。
 だから、逆にここで信頼に足らなければ――即ち一も二もなく襲い掛かって食らって来る様な素振りさえあれば、それまでだ。
 相手は檻の中。よしんば助けを求めたとて何の違和感も無いという算段である。「ライオンに興味があったので入って触れ合おうとしたが、襲われそうになった」くらい言っておけば良い。愚か者のレッテルを貼られることは避けられないが、所詮今日限りの共だ、何のレッテルを貼られようも構わない。
 そもそも「殺害対象」というレッテルを貼られていて、何を今更。

 閑話休題。そろそろ本題だ。
 普通なら「ひっ」と声を上げて引っ込みそうな場面だが、自分はそうは行かない。例え口周りに血肉が付いている肉食獣であれど、今ここで向き合わないとならない。
「……」
 じっと、ビスタは自分の方を見つめている。見つめられながら、自分はじりじりと近づいて行く。

 ……しかし此処まで追い詰められるとは。分かっていた事ではあるが、実際に苦境に立ってみると本当に苦しい。想定していたから苦痛は半減されているけれど。
 それでも切り札は使えないのは歯痒いものだが。
 切り札――隠す意味も無いので明かしてしまえば、警察だ。今や警察は、いつどんな時であっても突入ができるようになっている。
 こればかりは自分の力ではない。監獄にお住いのクラッカー、夢果のお蔭だ。後で礼をしなくてはならなくなったが、親しき仲だからそれくらいはしよう。
 さて。何故切り札が使えないかと言えば、答えは単純――使いたくても使えないからだ。具体的に言い換えれば、警察というのは、事前予防ではなく事後処理としてしか機能しないからだ。
 法治国家の特性である。法律及びそれに紐づく防衛機能は自分達を守ってくれると思っている人がいるかもしれない。しかしそんなものは幻想で、実際には自分の身は自分で守らなくてはならない。殺人罪として処罰できるのは、自分が殺された後だけで殺人から自分を守ってはくれない。
 悪は露見しなければ悪にはならない。即ち潜在的悪は裁けない――残念ながら犯罪係数を測って即刻処刑するようなシステムは少なく見積もって向こう数百年は出来ないだろう。
 だからこの切り札は最終手段だ――露見するか、露見から使う。
 その前段階では、自分のできる最大限を尽くすしかない。
「……」
 思考に一区切りが付いても、少しずつ近づかれても尚、ビスタは大人しく座っていた。
 その目には敵意が宿っていない様に見える。見えるだけ主観だ。事実かどうか客観は分からない。それはこれから確かめる。
 手段は幾つかあるが、最も原始的で過激なモノを採る。

 つまり。
 柄にもなく自分は、手をビスタに差し出した。

 何度でも言えるが、信頼とは裏切られた時にそうと思わない程相手を信じることだ。ここで喰われる可能性的未来に怖気付いて差し伸べなければ、この先ビスタを信頼することなど出来はしない。
 言葉は重い。言葉は発する度自分の重石として乗っかかる――責任という名の重石が。勿論『嘘も方便』もあるが、それは嘘を吐いた事による不利益を被る事も了承した上で責任を負っているに過ぎない。だから人は発言に責任を持ちたくなければ言葉を濁すのだ。或いは記憶をヘタクソに改竄する。どちらも見っともないたらありゃしない。
 力量が不足していても言葉には責任を持つべきだ、というのはあまりに綺麗な人間観だろうか。
 自分は少なくともそうありたい。
 人間がカナ以外滅んでも良いという言葉も、生死すら問わないという言葉も、このライオンを信頼するという言葉さえも。

 だから、手を近づけた。
 喰わないで欲しいな、とも思いつつ。

 果たして。
 ビスタは自分の手に逆に顔を近づけて行く。しかし口は開かず、頬の辺りをぴたりと顔を付けた。
 そしてそれ以上動かなかった。
「……?」
 ……ええと、何だこれは。何の仕草なんだ。誰か教えてくれ。まあ、サーカスの誰かに語った瞬間に、計画総崩れになるから出来ないが。
 とは言え、食われなかったところを見るに、やはりあの協力的な目は間違いじゃなかったらしい。
「……お前のこと、信頼しても良いのか」
 尋ねてみた。
 それに対する返答は、ぐるるるという喉からの音だった。
 ……ん? 
「……待て、これってもしや」
 猫が喉を鳴らすのは、心地良いからと聞いた事がある。顔を擦り寄せてくるのも親愛の表れだと。
 まさかと思ったが、間違いない。
 自分に甘えてるのだ、ライオンが。14歳の少年に。
 何を言っているのか分からないと思うが、自分にも分からない。往年の少年漫画の台詞が頭に浮かぶ。
 ……協力者的な目、と思ってきた事は訂正しよう。これは只の遊び相手を見つけた時の熱視線だ。
 まあ、それだけでも収穫ではある。
 もしビスタがあのピエロの手に落ちていた自分を殺すよう洗脳されていたとすれば、もう自分の手は消えて失くなっている筈だからだ。更に踏み込めば、あのピエロの呪いは人間にこそ通用するが、獣には通用しないとも言える。
 ……そうだとすると、仲間はこのビスタまでしか増えないということでもあるのだが。サーカスには、獣はライオンビスタしかいない。
 仲間集めは此処で打ち止めか。自分はビスタ――仲間なのだから、ライオンという有象無象への対応種族や職制ではなく、せめてちゃんと識別記号名前で呼んであげるのが筋というもの――の鬣を撫でてやった。カナの言った通りゴワゴワしていた。ビスタは気持ちよさそうに目を細める。

 ……しかし、思ってしまう。
 初対面の人間に猛獣が、果たしてここまで懐くものだろうか? 普通は警戒するか、最悪食い殺しにかからないか? 或る芸能人がサファリツアーで猛獣と触れ合おうとして首を喰われた(間一髪で助かったらしいが)という話もある位なのだ。
 ……逆に怪しくなってきた。何故こんなに懐くのだろう。もっとこのビスタのことを追及すべきでないか?
 が、もう詮索しても詮無いこと。自分はこれでビスタを信頼すると決めた。少なくとも、このサーカスから脱出するまでの間は。
 結局のところ終わればまた無関係に戻るだけの、乾き切った信頼関係に過ぎないのだ――。



「――

 背後から声が響いた。
 女性の声――当然、カナの声ではない。親しい人は名前で呼ぶのだから、その言葉に責任を持つのならば『女性の声』なんて表現は使わない。
 おいおい、勘弁してくれよ――此処で騒ぎを起こすのは避けたいんだが。

「君さ――猫アレルギーって言ってなかったっけ?」

 ……マジシャン、奇季。
 スーツ姿の奇術師が、シルクハットの下で笑顔を浮かべていた。

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