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『生物失格』 2章、フォワード、ビハインド。(Epilogue)

目次↓

Epilogue:秘める決意。

***

 ――手足が動かない。
 指一本すら動かせない。
 金縛りではない――むしろその方がどれだけ良かったことか。
「……っ」
 殺風景な部屋。そこにぽつりと置かれた椅子に、頑丈に拘束されていた。指一本一本まで丁寧に固定されている。椅子のすぐ横には、様々な道具が置いてあった。

 ナイフ。ライター。鉤爪。針。紙やすり。ピーラー。電撃棒。ゴムハンマー。彫刻刀。
 全部、の器具。
 拷問。

 ……拷問!

「っ、う、ああああっ!!」
 力を込める。
 揺らす。
 藻掻く。
 焦る。
 ――でも、逃げられない。
 分かっていても、その事実は絶望を叩きつけてくる。
 そして、ぎい、と扉が開く。
 仮面を被った人。
 こっちに向かって来る。
 こっちに、こっちに。
「っ、あ」
 嫌だ。
 やめてくれ。
 もう、虐めないでくれ。
 もう、痛めつけないでくれ。
 ナイフで切られたくない。
 ライターで焼かれたくない。
 鉤爪で体をくすぐられたくない。
 針で爪を剥がされたくない。
 肌を擦り削がないでくれ、皮を剥かないでくれ、電気で焼かないでくれ、股間を殴らないでくれ、肉を抉らないでくれ。
 嫌だいやだいやだいやだ。
 あああああああああああああああああああああああああああああ。
「……た」
 ……仮面の向こうから声がした。
 その声は、男の声ではない。
 聞きなれた、
「……え……た」
 この世界で一番に愛し、絶対に守り抜こうと決めた存在。
 仮面に罅が入って、がらがらと崩れる。隠された素顔が、晒される。

「えーた!」

 カナだ。
 カナが、目の前にいる。動かない自分の手を握ってくれた。

***

 目が覚めると、視界がカナの顔で埋め尽くされていた。超至近距離で、自分の顔をまじまじと見つめていたのだ。
 最悪な悪夢だった――あの男がやって来たせいだ。やはり殺しておけばよかったかもしれない。でももう殺人は犯したくない。だからこれで良いのだ。良かったのだ。
 それに如何なる悪夢であれ、醒めた先で好きな人が待ってくれるなら良い。終わり良ければ全て良しだ。
「あ、起きた! えーた!」
「……おはよう」
「もう夕方の5時だよ!」
 くすくす、と笑うカナ。
 ああ、やっぱり可愛い。この笑顔を守る為なら、自分は何だってする。
 忌み嫌う呪いだって使うし、武器だって、自分の体さえも利用しよう。
 そして。
「ってか、滅茶苦茶ビックリしたんだからねっ! また警察の人が来ているし! なんか物々しかったし!」
「……寝ていたからよく分からねえや」
 嘘だってとぼけだって、使ってやる。
「……ねえ、えーた」
「何?」
「また何かしたの? なんか、あの幽霊屋敷とは別のこと話してたみたいだけど」
「……いや、何もしてないよ」
 そのままカナを抱き寄せてやる。ぎゅっと、包み込むように。
 早鳴る鼓動が聞こえる。カナの肌がコンロに置かれた薬缶のように熱くなるのも。
「ふ、ふにゃ」
 ぷしゅー、と煙が噴き出るように腑抜けた声が出てきた。愛おしい。
「カナ、毎日ありがとな」
「ひゃ、は、い」
 声になっていない返答をするカナ。うーん、眼福ならぬ耳福。
 ああ。もう、世界がこの空間だけになれば良いのに。
「……カナ」
「な、なに?」
「好きだ」
「……っ~!」
 カナも、抱きしめ返してきた。
「……ずるいよぉ、えーたぁ」
 涙目で言ってきた。
 ……そうだな、ずるいよ。
 こうやって、カナの心配事を有耶無耶うやむやにしてしまうのだから。
「……好き」
 カナも、返してきてくれた。
「好き。好き。大好きだよ、えーた。好きなの。だから、さ」
 それから、続ける。

「危険なことは、しないでよね」

「……ああ」
 危険なことはしない。
 自分が死ぬような危険なことは。それは約束する。
 でも、今回の件で決めたんだ。
 カナを守る為なら自分が死なない程度に、そして相手を殺さない程度に、危険なことをするって。
 そんな決意は語らない。語る必要が無いし、語る義務が無いし、語る意味が無い。

 今日も一日、無事に終わっていく。
 それだけで、良いじゃないか。
 それ以上なんて、望むべくもない。

 ――茹蛸のように顔を真っ赤にしたカナを抱きしめながら、ベッドの上で自分はそう思った。

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