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【読切短編】カミキリ -神族鏖殺剣客譚-

 一滴。

 二滴。

 三滴と。

 遥か彼方の雲より落ちる雨垂れが、大きく穴の開いた天上を通って、項垂れる男の髪の毛や頬にこびり付く血を流す。赤黒い液体が溶け落ちて、床の染みとなってゆく。
 男は、横を眺める。
 腹から肩にかけて袈裟斬りにされ息絶えた、少女を――彼の、妹を。
「……畜生」
 絶叫で焼き切れた喉から、掠れた声。床を叩く雨音に負けて掻き消える――分かっていても、心で煮えたぎる感情が吹き溢れる。
「畜生、畜生……っ!」
 憤怒、憎悪、殺意。
 凡そ三つを煮詰めた言葉が、沸騰した泡の様に。
 口角泡を飛ばし、男は怒鳴る。目の前にいる、複雑な表情をした、別の少女に。
「どうして、ができるのなら、止められなかったんだよ――!」
 矛先を向けられる少女は、容姿不相応な悲壮を顔に刻んで応える。
 男の妹を横目にして、重責を腹の中に落としながら。
「……殺せ」
 解答になっていない回答を、口にする。
「憎いだろう。お主の妹を殺すのを止められたかもしれぬのに、制さなかったわたしが。臆病さ故に、逆らえなかったわたしが。そんなわたしが憎かろう。

 善い、殺せ。

 わたしに、お主を殺す膂力りょりょくは無いからの。殺して気が済むのなら、そうすると善い。その手でわたしの首の骨を折れ」
 男は。
 その言葉を聞いて。
 両目を飛び出さんばかりに血走らせ。
 覚悟を決めた少女の細い首を――命を、握った。

 その結末は、強まる雨に薄らいで、知る者は居ない。





「カカカッ! 良いからもっと持って来いよォ!」
 ――マルノ村。
 一歩足を踏み入れれば青々とした田畑に挟まれた道が出迎えてくれる農村。道最中には、旅人の疲れを癒す甘い餡にくるまれた団子を売る店が構えている。
 その団子屋に今、神が来店していた。
 体躯は四尺二メートルを超え、天に向けて逆立つ短い黒髪、冗談みたいな大きさの黄玉を誂えた首飾り、金糸が織り込まれた豪奢な服。
 傍には体を震わせ顔を青くした少女が地面を向きながら必死に涙を堪えていた。
 見るからに横暴な神の要求に、店主は唯々諾々と従い、白い団子三つ一揃いを次々串に刺して、一方は餡を塗り、他方は醤油に潜らせ海苔を巻く。皿に計廿本並べると、急いで神の元へ献上する。
 ここ一時間、ずっとこの調子であった。店主も、人質となった娘も、緊張の糸を切れずにいる。
「お、お待たせ致しました。ダイジキ様」
「カカカッ、待ちくたびれたぞ――良いか、次はもっと早く持って来い。でないと、この娘で遊ばせてもらうからなァ」
 右手で団子の串を五本一斉に掴んで、十五個の団子を歯の向こう側へ入れて口を閉じる。そのまま串を引っ張って団子を外し、咀嚼する。
 一方の左手は少女の頭を優しく撫でる。髪を梳く度体の震えが増す。
 だが、抵抗など無意味。さすれば最後、この村は焦土となり歴史から姿を消すだろう。
 神の力は、絶大だ。人智を超えた者こそが、神なのだから。
 いつ満足してくれるのか、という切望を抱きつつ、絶望と隣り合わせで今日も一日、一銭にもならぬ営業をせねばならない――。

「おお! ケンジ、団子屋じゃぞ、団子屋!」

 突然、外から声が聞こえる。
 年端もいかぬ少女の声だった。目を爛々とさせる彼女の横で男が苦笑している。
 少女も男も菅笠に手甲、股引に脚絆を身につけていた。武器は携帯していない。一見親子と想像される奇妙な二人の旅人は、目の前の危険な状況はさて置き会話を続ける。
「ダメだよ、スミレ。資源に限りがある様に、僕達の手持ちにも――」
「その分稼げば良かろう! 兎に角、わたしは食いたいのじゃ!」
「スミレ。働かざる者食うべからず。知ってるかい?」
「知っておるわ! じゃがそれは――」
「オイ、人間共」
 神、ダイジキが苛ついた声を上げる。神である自分を無視して団子を食う食わないの会話寸劇を繰り広げていることに青筋を立てたのである。
 神の論理曰く、『不敬』という訳だ。
「この俺様が見えねえのか?」
 旅人の青年ケンジは笑顔を崩さずに返す。
「人間から恐喝して暴食に耽る悪神ならば」
 追い討ちをかけるように横の少女のスミレも続く。
「そうじゃな。じゃが、左様な事をする輩は大抵弱いと相場が決まっておるから、『弱々な』を付け加えた方が良いのではないか?」
 聴いていた店の主人も、横にいる娘も、顔面蒼白である。間違いなく殺される――それどころか、怒りで我を失った神が何をしでかすかなど、正しく神のみぞ知る所であり、気が気でなかった。
 そして店主と娘が心配した通り、ダイジキは大口を開けて赫怒した。
「貴様らァァァァァァッ!! そんなに殺されたければ近くまで寄ると良いわ!!」
 首飾りの宝玉が、雷を纏い始め、轟きを鳴らし始める。その隣にいる人質の少女は泡を吹いて気絶しそうになっていたし、店主は既に昏倒していた。
 だが、ケンジとスミレは口を揃える。

「……いいのか?」
「……良いのか?」

 ダイジキは思わず呆然とした。二人の返答は、『では大人しく殺されます』と同義だからだ。
 だが、易々と殺される筈が無い。一体何を――そう思った瞬間だった。
 ケンジとスミレは手を繋いだ。
「……ふ、ふざけておるのか……!」
 虚仮こけにされたと思い声を詰まらせ震わせるが、ケンジは答える。
「大真面目だぜ――近づいてやるよ」
 淡々と返してから、二人は手を繋いで歩きながら。

「――微かなる葦原の魂、天を希みて指を伸ばし」
「――遥かなる高天原の魂、地に応えて手を差出す」

 一聴して意図の解らぬ言葉を口にする。
 当惑する娘の側で、ダイジキは一瞬で察する。
「……貴様ら、件のか!」
 だが、ダイジキが手を出すより早く、詠唱が終わりを迎える。

「――黄泉にて交り、異質は溶け合い」
「――而るに本質は喪わず!」

 スミレが最後の一句を叫ぶと、体がほどけた。比喩表現ではなく、丸太に巻き付けた紐が解かれるが如く、体が細長い光に分たれてゆく。幻想的な光の帯は、再び集まり形を為す。
 忽ち、それは刀となった。光が鎮まると白金の如き刀身を妖しく輝かせ、長物武器が姿を表す。
 刀を両手に、ケンジは構えをとりつつ距離を詰める。じりじりと、にじり寄る。
「――悪魂あっき滅殺」
「やれるものなら――」
 ダイジキは娘を横に弾き飛ばし、雷の力を全開にした。鞭の如くしなって畝り、通った跡の地面が抉られる。
「やってみよ!!」
 ダイジキが片手をケンジに向けると、雷が複数射出される。物理武器である刀では、流石に雷を弾き飛ばすことは叶わない。
 最早これまでか、と惨状に備えて目を瞑ったその時――。

 ぽん、と肩に手が置かれる。
「ひっ!?」
 体を跳ねさせる。それから、恐る恐る目を開け、その手の方向に向くと。


 姿

「団子を十本頂こうかな――二本は僕で、八本はスミレが食べるのだけれど」
 ……何かの冗談だと、団子屋の娘は思った。
 今彼らは正に戦っている最中であり、雷に打たれる寸前である。呑気に団子など注文する場面などでは無い筈だ。
 一体何が――状況の追いつけない頭で考える折、ふと、ダイジキの方を向くと。
「……ひゃあっ!?」
 娘は腰を抜かした。ケンジが背中に手を添えて支える。
 それはそうだろう。先程まで悪虐の限りを尽くしていたあの神が。

 首を刎ねられたまま、仁王立ちして絶命していたのだから。

「……ま、そんな訳で一件落着な訳さ。団子屋のお嬢ちゃん」
 にこり、と柔和な笑みを見せる。心を安らげる為の、悪意も敵意も無い純粋な笑顔。この笑顔が、娘には恐ろしくて堪らない。
「団子十本、頼めるかな? じゃないとスミレが不機嫌になっちまう」
 だが、敵意を本心から感じなかったからか、そして何より眼前の非現実的な出来事から目を逸らしたかったのか、「た、ただいま!」と娘は慌てて店の奥へと消えていった。

***

「美味! 実に美味であるぞ小娘! 大義である! んぐんぐ」
「ん、確かにコイツは美味えや。スミレの審美眼は只者じゃねえなあ」
「当然じゃ! しかし、一仕事終えた後の甘味というのは、斯くも格別なものか!」
「どんどんその味を覚えてくれよ、スミレ」
「味は占めてやらんがな! 働くのはケンジだけで良い!」
 娘が店主を叩き起こして裏手で休ませ、急いで団子を用意して戻ると、ダイジキは影も形も、シミすら遺さず消え去っていた。
 刀になった筈のスミレも、いつの間にやら元の少女の形に戻っていた。菅笠を横に置き、木蘭色の短髪を揺らしている。今や目を輝かせながら、諧謔を弄する口で団子を頬張っている。
「あ、あの、助けて頂きありがとうございました……!」
 団子屋の娘は深々と礼をする。
 刀に変化するとは言え、又神を一撃で斬り伏せたとは言え、命の恩人であることには変わりないからだ。
 否。恩『人』、なのだろうか――娘は思う。
 口の周りに付いた餡を舐めとりながら、ケンジが応える。
「構わないよ、お嬢ちゃん。僕達の旅の目的もついでに達成できたからね」
「そうじゃぞ。困っている人間を屑の神共から助け出すのは当然のことなのじゃ」
 にしても団子はええのう!と言いながらスミレはまた団子を食べ始めた。既に六本空の串が置かれており、今七本目を摘んだところである。
 ――のほほんと団子を味わう二人を見ながら娘は逡巡する。それを感じ取ったのか、ケンジの方が水を向けた。
「……僕達が神ではないか、と気になっているのかな?」
「っ!」
 団子屋の娘は図星を突かれて目を丸くするが、やがて観念したように首肯した。僅かに口角を上げながらケンジは言った。
「まあ、言ってしまえば、僕は人間だよ。神様は、そこのスミレだけ」
 掌でスミレを指すと、人差し指と中指を立てて「いえーい! 神じゃぞ! 崇めよっ!」と可愛くアピールする。スミレが神であることに疑いは無い――刀に変形する時点で人を超越している。
 だが、ケンジが人間であることは中々信用できなかった。何故なら――。
「『人間に、あんな瞬間移動のような芸当が出来るのですか』。そう思ってるじゃろ、小娘」
 また目を丸くする団子屋の娘。頭の中の思考そのままをズバリ言い当てられたのだから当然だ。
 的は射ていたと判断したスミレが続ける。

「ケンジはじゃよ。武術や剣術が巧みの域にまで達しているに過ぎん。わたしは唯、刀に変化できるのが精々じゃ」

 人間。歴とした、人間。
「特殊な歩き方をして分身が出来ているかのように見せかける『幽歩』、一瞬で距離を詰める『縮地』、そして尋常ならざる筋肉と精神の為せる『高速抜刀』。全部纏めて一瞬で出せば、文字通りの神業が出来るというものじゃ」
「……それって、人間が身につけられるんですか」
「可能じゃ」スミレは即答した。「尤も、修行したとて辿り着くのはほんの一握り――いや一摘みだけじゃがな」
「何だか、目の前で褒められると恥ずかしくなるねえ」
 言いながら、ケンジはからりと笑った。
「カカカッ、わたしが褒めることはそうないのじゃから、有難く受け取るが良いぞ!」
「そうさせてもらうよ」
 ケンジが軽く会釈して受け取ると同時、スミレが最後の串を空にした。
「ふー! 美味しかったのじゃ!」
「だね」
「ってことで、小娘! もう十本――」
「食い過ぎだ」
「あいて」
 呆れた様にスミレの頭に軽く手刀を決める。
「よ、良いではないか! 悔いなく満喫したいのじゃわたしは!」
「お金を無駄遣いする訳にはいかないからね。スミレも、野宿は嫌だろう?」
「むむ、神を前に脅しとは良い度胸じゃ」
 そこまで言ってからくすくす笑って「冗談じゃ」と口にする。
「小娘、大変美味であったぞ。この調子で数多の旅人の腹を満たすと良い」
 満面の笑みで団子屋の娘に告げる傍ら、ケンジは腰巾着を取り、口を緩める。団子代に十分な程の銭貨を掌に乗せ、娘に渡した。
「ご馳走様でした。これはお代だよ」
 娘はひどく驚いてしまい、慌てふためいて銭貨の輝く彼の掌を押し戻す。
「い、いえ! 受け取れません! 命まで助けて頂いて、その上お金を頂くなど……!」
「小娘。お主からの恩返しなら既に済んでおるぞ? 美味い団子を鱈腹たらふく食わせてくれたではないか」
 のう、ケンジ?
 目で質すスミレに、ケンジは当然とばかり頷いた。
「僕達としても、目的を達成できたから良いんだ――不謹慎な物言いなのは承知の上で言うけど、達成の機会を作ってくれた。その上で団子まで作ってくれたんだ。対価を支払わない方が傲慢で不躾だと、僕達は思っている」
 だから受け取って欲しい。
 一向に退く気配の無い申し出を、結局娘は拒めずに受け取った。
 同時に思う。

 一体、この二人は何故旅をしているのか?
 人間が、何より、神を殺す理由とは?

 変梃な二人組のことが、俄然気になり始めていた。
「あ、あの――」
 自然と疑問文が口からついて出ようとしていた。それだけ、二人のことが気になっており、信頼しているということでもあった。
 勢い任せの娘の呼掛けに、菅笠を被った二人が立ち止まる。もうヤケクソとばかりに舌を回し始めた。
「お二人は、どうして――」

 瞬間。
 娘の声が突如途切れた――否。
 姿自体消失してしまった。

「なっ!?」
 スミレが短い足で駆けて辺りを探し回るが、影も容も欠片も無い。
「消された? ……神の襲撃か」
「下衆神がっ!」
 思わず足で地面を蹴りつける。が、所詮は幼女の脚力。神と謂えど地面が抉れることは無く、ビクともしていない。
 彼女が無意味に怒りをぶつけた通り、突如人間が消失するという人間離れの荒業をやってのけるのは、神しか居ない。文字通りのだ。
「ケンジ!」
「言われなくても分かってるさ」
 相変わらず冷静な彼は、菅笠を目深に被ったまま、屈み込んで地面に手を置く。砂塵のざらつきが掌を刺激する。
「もう、人間を殺させはしない――僕の家族、何より鞘禾さやかの様に」
 目を閉じる。その間、僅か数秒。
 感覚を極限まで研ぎ澄ますべく、集中する。疾風吹く鋭い音のみが、風景の中を通り過ぎる。
 そして。

「――

 すっくと立ちあがると、示し合わせたようにケンジとスミレは走り出す。あからさまに体格も歩幅も違うが、並走していた。
「何処に居るのじゃ!」
「方角は南西、距離は凡そ十八町二キロメートル! 反響音と水滴の弾ける音が聴こえるから洞窟の中だ!」
「流石じゃ! 『定位』もこなれたものじゃな!」
「スミレの修行のお蔭だ!」
 右足で地面を蹴り、左足で土を弾いてひた走る。
「今度間に合うぞ、ケンジ!」
「嗚呼!」

 この世に現界した神を、八百八十体、全員斬るために。

***

 遡ること数年前。
 神々が突如、天界から降り地上に顕現した。その数実に八百八十八体。
 彼らが降った理由は、単純かつなものであった。

 即ち、食糧を求めに来たのである。

 此処で一つ断りを入れるならば、神というのは人の信仰により創造された概念的かつ物語的な存在では無い。
 生まれては衣服を纏い、学び、飲食をし、婚姻をして病に罹って、老いて死ぬ種である。只、雲海の上を漂い、人より長命かつ超常的な力を持つだけで、他は何も変わらない。
 そして下界した神は。
 人間が畜産を屠殺し、或いは畜産を飼い慣らす様に。
 人間を喰らい、或いは奴隷として飼い慣らし始めた。
 火や道具等により生態系の頂点に立っていた人類種は、その地位をあっという間に奪われた。今日も何処かで、人間は平伏叩頭して媚び諂い、又は体液を漏らして懇願し、最期には静かに息を引き取るか断末魔を上げて命を散らす。
 そんな日々は彼方此方の村で行われている――過去を語っているこの今も。
剣慈ケンジ兄ちゃん!」
 それでも人間達は、普段通りの生活をしていた。常に虐殺され或いは人権を剥奪されるが如くの扱いを受けるのでは、という恐怖を抱いて生活するのは、精神が耐えられないからだ。
 神降臨前の日常を只管ひたすら、懸命に再現する。
 神が襲撃した時の備えをしながら。
 そうした多くの村の一つ、一年程前のホロバ村で少女の声が響く。作業用と思しき簡素な服装を身に纏う、小麦色の肌、鴉の濡れ羽色の髪を馬の尾の様に後ろで束ねた、活動的な印象の少女だった。
 その声の向く先には、草原で寝ころぶ、草臥れた服を着た十代の青年。
「ん、嗚呼、鞘禾さやかか」
「鞘禾か、じゃあないっ! 休憩は終わりだよ! ととかかのお仕事手伝ってよ!」
「了解、っと」
 彼は頭の方に体重を乗せ、それから足の方へ向けて再度重心を移動させる。その勢いで上半身を起こし、華麗に両足で着地した。
 常人より離れた身体能力だ。
「……相変わらず凄いよね、兄ちゃん。それ、どうやったらできるの?」
「嫌味じゃないが、やったら出来た」
「嫌味じゃなきゃ何なのよそれ」
「率直な感想と思ってくれ」
「……ま、本当に凄いんだけどさ」
 にかっと太陽のような笑顔を向ける鞘禾。それを見た剣慈は思わずくしゃっと頭を撫でた。
「わわっ、兄ちゃん!?」
「ふふ、この。愛い奴め」
「も、もうっ! やめてーっ!!」
 わしゃわしゃ、わしゃわしゃ。
 赤面しながら手をわたわた振って、しかし満更でもない鞘禾の可愛さを堪能してから、剣慈は声をかけた。
「んじゃ、午後も仕事頑張るか」
「そ、そうだね!」
 何時終わるか分からない日常。
 だからこそ、剣慈と鞘禾は――それだけでなく村の皆は、貴重な一刻一刻を噛み締めながら生きていた。

 その、何時終わるか分からない日常は、暗雲が青空を覆い隠したその日に、突如やって来た。

「貴様ら人間に告ぐ! 降伏せよ! すれば苦しまずに一撃で殺してくれる!」
 数は合計三体。
 棘の有る金棒を持つ者、斧を持つ者、そして鞘の無い刀を持つ者。
 村にいる全員が、終幕を悟った。
 しかし、絶望するばかりでは無い――この時の為、村人達は英知を結集して武器を集め、改造と改良を重ね、一式揃えていた。
 これでも勝てぬかもしれない。だが、何も無く抵抗されて死ぬことは、人間としての矜持が許さなかったのだ。
 犬死にする訳には、いかなかった。
「……ほう、少しは気骨がありそうでは無いか」
 斧を持つ神が筋骨を隆々とさせて興奮した声で言った。
 刀を持つ神も、既に戦闘態勢に入っていた。
――でなければ、お前をこの場で折り殺す」
 誰に向けた言葉かは分からなかったが、どの道関係など無かった。

 殺さなければ殺される。
 此処にあるのはそんな簡単な自然の摂理だけだ。
 村人も神も、それを分かって武具を握る。

「――ならば、惨たらしく死ね!」
 神が動く。村人達も動く。
 ここから。

 十分に亘る死闘が始まり。
 そして全員死んでいった。
 家屋の中に隠れる剣慈と鞘禾の兄妹を除いて。

「……に、兄ちゃん」
「大丈夫だ、静かに、息を潜めて……」
 ぎゅっと、剣慈は鞘禾を片腕で抱く。もう片方の腕には、改造武器。
 既に断末魔は止んだ。神の話し声が聞こえるばかりである。
 不安を圧し潰すように身をより強く寄せ合う二人。
 このまま何も起きずに終われ、と願いながら。
 だが、終わりは無情にやって来る。
 刀を持つ神が戸を蹴破って侵入する。刀を振り回して手当たり次第に家具や壁、天井を切断し、破損させていった。
「何処だぁ? 何処にいやがる!」
 隠れん坊を愉しむ童の如き口調で、次々斬り捨て、そして。
 隠れ戸棚の木戸を斬伐する――その中に、抱擁する兄妹がいた。
「見ぃつけた」
 神が悪辣な笑みを浮かべ、刀を大上段に振りかぶる。
 その瞬間。
「っ、あああああああっ!!」
 剣慈が、咄嗟に鞘禾を後ろにさがらせ、改造農具――長鉈を神の腹へ突き刺そうとする。
 だが。

 ぱきん、と。
 金属製の刃が、粉々に砕け散った。

「……は?」
「……は、は」
 茫然とする剣慈。対して笑う神は、振り上げた刀を縦に一閃。
 神の身体能力は、人間のそれと比較にならない――走れば韋駄天、殴れば阿修羅、跳べば巨人だいだらぼっちの背丈まで。
 その基礎から繰り出される斬撃は、人間の動体視力を超越する。
 が。
「っ、がぁっ!」
 持ち前の身体能力と火事場の馬鹿力が合さり、奇跡的な回避を見せる。刀は、床を斬るどころか砕き割った。
 避けられた神は。
「……ほう!」
 実に楽しそうな笑みを浮かべた――遊び甲斐のある玩具を見つけたかの如く。
「是は!」
 神は直ぐに刀を抜き取り、片足を上げる。足首から先だけが、不可能に一回転した。そのまま再び地面に足を着け、発条ぜんまいの要領で、体ごと逆向き一回転。人間業では有り得ない回転斬りを繰り出す。
 が、またしても剣慈は即座に屈んで事なきを得た。
「ほほう!」
 興奮する神は、次は手加減の無い蹴り――上から下へと踏みつける。それすら剣慈は、後ろにさがって即座に距離を取る。掠りはしたが致命傷では無い。
 脚で家の床を踏み砕きながら、戦闘態勢を整える。
「三手でも沈まぬか! 善いぞ小僧!」
 実に豪快に笑う神。人間の虐殺を詰将棋の如く愉しむその様は、悪そのものだった。
「……何手まで保つか、試してみようではないか」
 四手目。距離を取った神が縮地にて一瞬で距離を詰め、横に一閃。飛び退き辛うじて服が切れるだけで済むが、背が壁にぶつかる。
 五手目。剣慈の顔面に手が迫る。壁と挟んで頭蓋骨ごと潰す気だ。再び屈んで避け、隙間を駆けて抜け出そうとする。
 六手目。
 神の蹴り上げが――体勢低く駆け抜けんとした剣慈の腹に、命中した。
「が、あっ!?」
 空高く舞い上がる剣慈。神は放物線を描くソレを眺める。
 眺めて、何もしなかった。
 重力に従って、床に叩きつけられる。肺が痺れて息が真面に吸えない。
「ぐ、あ……っ!」
「……ふん、人間にしてはよくやれた方か」
 神は、続けて剣慈の右腕を折った。
 軽く踏んで、力を申し訳程度に込める。それだけだった。
 絶叫する。あまりの痛みに戦意が削がれていくのを、剣慈は感じていた。
 惨い行為をする刀の神の背後には、いつの間にか他の二神も帰って来ていた。傷一つ無く、返り血がべっとり染みついている。
「我らはもう終わったぞ。其方もか?」
「嗚呼。此奴は六手まで耐えおったわ」
「六手とな。お前も腕が落ちたか?」
「遊んでいただけのことよ――まあ、今から殺すのだが」
 刀の神は、しかし。
「まあ、此処まで楽しませて貰ったのだ。貴様を殺すのは、後にしてやろう」
 そう言って、蹲る剣慈を通り過ぎ、神は戸棚の前に立つ。
 そこには、震えて涙を流す妹の鞘禾が。
「さ、やか」
 神は、こけしを摘むように鞘禾を摘まみ上げる。あまりの恐怖に鞘禾は、体が強張って真面に動かせていない。
「や、めろ。やめて、くれ」
「何を言うか」
 刀の神は、にやりと笑う。

「愛しの妹の死に目に遭わせてやるのだ。有難く思え」

 そして。
 持っていた刀で。
 鞘禾の腹を、貫いた。
「ぐ、え」
 奇声が鞘禾の喉から絞り出される。可愛らしい少女の声ではなく、獣の断末魔そのものだった。
 神は刺し込んだ刀を、上へと――肩まで一気に切り裂き抜いた。
 尋常でない血液が、辺り一面噴き荒れて、剣慈の髪や顔にも付着する。
 切断された臓物が、ずるりと裂け目から零れだす。
 そうしてから、神は鞘禾を、蹲る剣慈へと投げ捨てた。
 目から光を喪い、遺言を発す機会すら奪われた可愛い妹の死骸が、目の前にごとりと置かれた。
「っ、あ」
 剣慈は。
「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああっ!!!」
 発狂した。
 妹の死に目に遭うという寛大な措置により、完全に心を壊してしまった。
 神は、それを見ると満足気に吐き捨てた。
「おうおう、感動に咽び泣いているのか。善い善い、存分に泣き叫べ」
「お、あっ、がああああああああっ、ぐ、う……!!!」
 身を引き裂かれんばかりの悲しみに打ちひしがれる剣慈に。
「――では、逝くが善い」
 慈悲の介錯が、為される。

 ――筈だった。

「……あ?」
 刀の神は戸惑った。
 後ろにいる神二人も同様だった。
 剣慈を切り裂く筈の刀が、寸での所でからだ。
「……何のつもりだ」
 刀の神は苛立ちを口にする。
「何のつもりだ、めがっ!!」
 発された怒りに。

《――嫌じゃ》

 少女の声が答えた。
 刀から、発せられているらしかった。
《――わたしは、もう、殺しとうない》
「何を今更!」
 そう言うと、神は刀を床に投げ捨てた。二度床を跳ねて、蹲る剣慈の手元に滑り込む。
「ならば善い! 初めに人間! 次に貴様だ、宿礼スミレ! 親を殺して友を犯してお主を嬲って尚分からぬのなら、苦悶と屈辱を味わわせ嬲り殺しだ!!」
 そう言うと、刀を投げ捨てた神は、拳を握り、剣慈の頭目掛けて振り下ろす。頭蓋を砕くために。
 そして。

 神の腹が、横一文字に切り裂かれた。

「……が、ぁっ!?」
 神は思わず攻撃を止めてしまう。その隙を。
 神の腹を裂き破った、は逃さない。
「――殺す」
 剣慈の目は、光を喪っていた。
 復讐の闇に、呑まれていた。
 ぞくり、と神が。
 人間を超越する神が、僅かに怯えて固まった。
 それにまずさを覚えても時既に遅し――剣慈は、神の首を切り落とした。
「なっ!」
「て、めえ!!」
 他の二神も、続けざまに攻め入るが。
「――殺す」
 剣慈はそれだけを言って、攻撃を上手く躱し、それぞれに致命的な一撃を与えて膝をつかせる。その後、作業的に機械的に、首を切り落とした。
 ……あまりにも。
 あまりにも、呆気ない終幕だった。
 だが、剣慈にとっては如何でも良かった。
「さや、か……」
 刀を投げ捨て、一頻り叫んで枯れた喉から妹の名を呼ぶ。茫然自失のまま、残る左腕で妹の亡骸を抱き締めた。服にじわりと妹の血が滲むが、関係ない。
「何で、何で……」
 その時だった。
 神三体を斬り伏せた謎の刀が、光を放ったのは。
 それは光の帯になって解けていき、徐々に人の形――背の低い女子の容になっていく。
 光が晴れた時、そこには見窄らしい服を着た、木蘭色の髪の少女が立っていた。
「っ!」
 剣慈は、一瞬でその少女の正体を悟った。
 神。
 刀に変化する人型の生物など、所詮人間ではない。
 神でしか、あり得ない。
 大事な妹を殺した生物の仲間でしか、ない。
「て、めえ」
 丁重に妹の亡骸を横たえ、それから少女神の頬を殴る。柔らかい感触と、その奥の歯の硬さを少し感じた。
 少女神は抵抗せず、小さな体を飛ばした。
 飛んだ体を追いかけ、剣慈は追撃の殴打を喰らわせる。矢張り、抵抗しなかった。
「てめえも、神か」
「……そうじゃ」
 少女神は立ち上がりながら、あっさりと認める――悲痛な声で。
 悲痛になりたいのは此方だ、と剣慈は三度、少女神を殴った。
「てめえが、てめえがっ!!」
 怒りを、顔に露わにする。
 妹の命を簡単に奪った神を前に、冷静でいられる筈などない。

 同時に、思う。
 倒れ伏して死んでいる三体の神を見て、思う。

 最初から、攻撃を止めてくれれば良かったのに。
 如何して、鞘禾を助けてくれなかったんだ。
 止める気が無いなら、最後までやり切ってくれれば良かったのに。
 如何して、自分を殺して助けてくれなかったんだ。

「……畜生」

 一滴。
 二滴。
 三滴と。
 遥か彼方の雲より落ちる雨垂れが、大きく穴の開いた天上を通って、項垂れる剣慈の髪の毛や頬にこびり付く血を流す。赤黒い液体が溶け落ちて、床の染みとなってゆく。
 剣慈は、横を眺める。
 腹から肩にかけて袈裟斬りにされ息絶えた、鞘禾を。
「……畜生」
 絶叫で焼き切れた喉から、掠れた声。床を叩く雨音に負けて掻き消える――分かっていても、心で煮えたぎる感情が吹き溢れる。
「畜生、畜生……っ!」
 憤怒、憎悪、殺意。
 凡そ三つを煮詰めた言葉が、沸騰した泡の様に。
 口角泡を飛ばし、剣慈は怒鳴る。目の前にいる、複雑な表情をした、少女神に。
「どうして、ができるのなら、止められなかったんだよ――!」
 矛先を向けられる少女神は、容姿不相応な悲壮を顔に刻んで応える。
 鞘禾を横目にして、重責を腹の中に落としながら。
「……殺せ」
 解答になっていない、回答を、口にする。
「憎いだろう。お主の妹を殺すのを止められたかもしれぬのに、制さなかったわたしが。臆病さ故に、逆らえなかったわたしが。そんなわたしが憎かろう。

 

 わたしに、お主を殺す膂力りょりょくは無いからの。殺して気が済むのなら、そうすると善い。その手でわたしの首の骨を折れ」
 剣慈は。
 その言葉を聞いて。
 両目を飛び出さんばかりに血走らせ。
 覚悟を決めた少女神の細い首を――命を、握った。

 そして、力を入れた。
 自らで命を摘み取る感触。
 あと十秒すれば、剣慈は少女神の命を奪うことができる。
 苦しそうな少女神の痙攣が、喉元から手に伝わって来る。
 ここで、此奴を殺す。
 此奴を殺して――そして。
 剣慈は思う。

 
 村人が全員死に絶え、家族も全員喪い、何もかもが掌から零れ落ちて。
 妹を殺した神に、復讐も果たした後で。
 自分がこれから先、生きて逝くことを、想像出来なかった。

 たったそれだけのことが、少女神の殺害の手を止めるには十分で。
 たったそれだけのことが、無気力を感じるには十分で。
 たったそれだけのことだからこそ。

「……殺して、くれ」

 死を望むには、十分だった。

「もう、殺してくれ」
 剣慈は、土下座の恰好で泣き震える。氷雨が惨めさを更に強める。
 だが、残酷にも。
「……無理じゃ」
 一頻り咳込んで落ち着いた少女神には、青年を殺す力も、意志さえも無かった。
わたしには、無理じゃ」
 剣慈は呻き声を強める。
「なら――刀になってくれよ。腹を切りたい」
「……それは、わたしが望まぬ」
「何でだよ!!」
 少女神の胸倉を掴む。
「あれだけ人を殺しておいて! 俺の妹さえも奪って! 家族も村人も奪って! 今更俺の命は奪えないって言うのかよ!! あ!? もう殺せよ! こんな悲しみ抱えて俺は生きたくねえんだよっ!!」
「……それでも」
 剣慈の圧に負けず、少女神は自分勝手に神らしく答える。
わたしは、もう人を殺したくない――人を、斬って欲しくないのじゃ」
 少女神は、続ける。
「勝手と怒るなら怒れ。遅いと罵るなら罵れ。それでも、わたしは、もう人を斬ることに耐えられぬ」
 毅然とした表情に、どうしようも無い誠実さを感じてしまう。
「……なら、どうしろってんだよ」
 剣慈は、茫然自失とした。
 かと思うと、地面に何度か頭を打ち付ける。だが、それだけではどうしても死ねなかった。惨めにも痣しか出来ぬ。
「俺に、どうしろってんだよ」
 少女神は、その問いに対する答えを持ち合わせていない。
 自分に恨みを持ちながら殺すことが出来ず、喪失感に耐えかねて自殺したくとも出来ず、八方塞がりとなっている人間に、直ぐ答えを出すことなど出来る筈もない。
 だが、答えを出さなくてはならない。
 満点でなくとも、一時的であっても、この青年の心を救う様な答えを。
 だから、この言葉が少女神の口を突いて出て来たのだろう。

「――?」

 神が、神を殺すという、無茶苦茶な提案が。
わたしが、お主を手伝う。刀となり、神殺しに助力しよう。戦闘の術も教えよう。終わったらわたしのことは殺してくれて善い。無論、嫌なら断ってくれても構わぬ。この場で矢張り殺しても構わぬ。それは、お主の自由――」
 その一か八かの提案に。
 縋るものを失くした剣慈は。
「――乗った」
 乗るしか、なかった。
 乗らなければ、廃人になって野垂れ死ぬだけだと思ったから。
 全てを奪った神に、無抵抗で殺されるくらいならば。
「神を殺す。その後でお前も殺す。妹を奪っておいて、今更逃れようなんて思うなよ――」
「分かっておる」
 少女神は真面目な顔で、応えた。
 剣慈の覚悟を、自分の運命を――受け入れた。

 こうして。
 村人全員を――妹さえも丁寧に埋葬した後、剣慈と少女神スミレは村と決別する。
 楽しかった日々と、大切な人と別れを告げ、旅立つ。
 妹を殺した憎き神と、神殺しの路へと。

 一年近くの修行と行脚を経て。
 残りの神は、八百一体。

***

「……ん、ぅ」
 団子屋の娘は瞼をゆっくりと開ける。
 眼前にいる、髑髏の眼窩と目が合った。
「い、ひゃあああっ!?」
 娘は飛び上がって後退しようとする――が、そもそも起き上がることすら出来なかった。体が、思うように動かない。
 よくよく状況を確かめれば、足首と両手の親指をそれぞれ麻縄で縛られていた。
 異常事態を悟った彼女は、芋虫のように這いつくばって逃げようとするが。
「……ひっ」
 喉を引き攣らせた声を発する。
 よく見れば、この洞窟――水が天井から滴る洞穴には、大量の人骨が散乱していた。頭蓋骨から大腿骨、胸骨から骨盤まで。その数は数百に及ぶだろうか。
「――目が覚めたか」
 突如、野太い声が聞こえる。暗闇から現れたのは、大柄な神であった。下半身にはゆったりとした幅の袴を着用し、上半身は裸で、でっぷり膨れた腹が主張する。犬歯の部分が牙のように尖り伸びており、耳元近くまで口が裂けている。
 神。
 団子屋の娘をかどわかした主犯。
「カカカッ、怯えておけ怯えておけ。畢竟、貴様は死ぬのだ――この儂、テンソに骨までしゃぶられてなァ」
 つまり、彼方此方に転がる人骨は、既にしゃぶられた人間ということであり――行く末を嫌という程感じ取った娘は、体を震わせる。
 嗜虐心たっぷりに彼女の様を目にし、心を読みとった神テンソは、興奮して涎を口端から垂らす。
「いいぞ、実にいい。人間が恐怖に心を蹂躙される様は、いつ見ても心地よいモノだなァ! さァ、さァ! 俺に大人しく喰われて、嬌声を上げるが良いぞ……心地よい声を聞きながらする食事は、実に善い。胸がすくからなァ!」
 テンソは、娘の髪の毛を掴んで体を持ち上げる。頭皮が剥がれそうになる激痛を感じるが、それ以上に捕食される恐怖が勝っていた。
 食われる。激痛が走る。死ぬ。
 殆ど確定した未来が、娘の心を蝕む。体内が急激に冷え、意識が遠のく感覚がする。
 だが、娘は諦めていなかった。
 無論、彼女には神に抵抗する力も手段も存在しない。俎板まないたの上の鯛にできることは、只一つ。
 助けがやって来るのを――ケンジとスミレがやって来るのを待つだけだ。
「カカカッ」
 その希望的観測を神独自の異能で読み解いたのか、テンソは笑い飛ばす。
「貴様、あの人間と神が助けに来ると思っておるのか?」
「……え、ええ」
 目一杯の反抗を震える声に混ぜ込んで、娘は答える。
 テンソは、嘲笑った。

「無駄だ。あの八百八十八番目出来損ないの神には、居場所を探り当てることは疎か、儂に勝つことなど出来まいて」

 何故か分かるか、と顔面蒼白の娘を面白がって覗き込みつつ、テンソは言った。
「数年前、八百八十八体の神が降り立った中で――あの餓鬼、宿礼スミレは刀になる異能しか無い屑神だからだ。儂の空間転移の様に、自らで他者に働きかけることが敵わぬ、唯一のなのだ」
 人間の手を借りた所で、何も達せられはせぬ――余裕すら見せびらかし、言い放った。
あまつさえ、現界して暫く、奴は『人を殺したくない』と言ったのだ。それだけの甘えならばまだ良いが、反発という凶行に及んだのだ――人を助けるという、蛮行に」
「……」
「搾取対象を庇うなど、神という種族が廃る――だから余す事なく蹂躙して無間地獄を味わわせ、それでも分からぬから親族や親友人間を滅殺した――と、儂は聞いた。神の中では周知の事実であるな」
「……」
 酷い、と娘が反射的に思うと、その心を読み取ってテンソが続ける。
「酷いだと? 牛や鶏などを散々殺し、家族も絆も引き裂き、食い物にしている貴様ら人間が言えた口か? 具合の悪い事は噤み、旨みのある事は喰らう、都合の良い貴様らが? 人間にとって牛や鶏などがそうであるように、儂ら神にとって人間がそうなのだ」
「……っ」
「そして同族であっても、和を乱す者は迫害する。これも貴様らと何も変わらん――醜く数千年も人間同士で戮殺を繰り広げる貴様らとな」
 娘には、もう反駁する術が無かった――只、旅人の為に美味い団子を振る舞うだけの少女には、身の丈に合わない規模の話であったからだ。
 さァて、とテンソは頬まで裂けた口を広げる。
「無駄話が過ぎたな。貴様を頂くとするか、小娘」
 薬草で手入れされているのかツンと鼻につく刺激臭がするが、何の慰めにさえならない。
 今から、食われる。肉を削がれて骨までしゃぶられ、散らかる人骨達の仲間入りを果たす。
「……て」
 娘は。
 不可避な結末を拒む様に、洞窟中に向けて叫んだ。

「助けてえええええええええっ!!」

 ――その時であった。

「――微かなる葦原の魂、天を希みて指を伸ばし」
「――遥かなる高天原の魂、地に応えて手を差出す」

 洞窟の入口方面から、聴こえる。
 力強く、芯の通った詠唱が。

「――黄泉にて交り、異質は溶け合い」
「――而るに本質は喪わず!」

 遠くに、数条の光が瞬くのが見える。
 足音と共に徐々に暗闇から。
 危難を払う英雄然として、片手に刀を握るケンジが姿を現した。

「――悪魂あっき滅殺に来たぜ」

 団子屋の娘は安堵と切望で胸がいっぱいになり。
 対するテンソは舌打ちをしてから、げらげらとぶち切れた笑いを上げる。
「よく来たなァ、巷間に聞く『神斬り』――弱者人間最弱八百八十八番目の有り合わせで、この儂に勝てるとでも思っておるのか?」
「よく吼えるなあ」
 ケンジは腰を落として重心低く、切先を神に向けて構える。
「やってみなけりゃ、分からんでしょ」
「……面白い」
 テンソの抱えていた娘が、。次の瞬間に、その後方でがしゃり、と音がした。
 一瞬でテンソの背後に移動させられ、骸骨の海に落とされたのだ。
《――ケンジ、あの神は厄介じゃぞ》
「厄介じゃない神なんて居ないよ」
 息を短く吐き、脚を発条ばねの如く弾ませ、一気に距離を詰める。
 縮地。人間離れした速度で距離を詰める絶技。それは、骸骨の散乱する足場の悪い戦場でも遺憾なく発揮される。
 そのまま、先程の神ダイジキと同じく首を斬って終いだ。首筋を目掛けて横一文字に刀を振り抜く。
 だが。
「カカカッ」
 瞬間、テンソは姿を消す。
 気配を察知したケンジは、再度縮地で前進、逆に距離をとる。
 刹那、ケンジの元居た場所に拳が振り下ろされ、轟音が鳴る。頭蓋を割って脳漿を撒き散らすのに十分すぎる膂力の殴打。
 テンソはいつの間に、ケンジの背後を取っていたのである。
「やるではないかァ!」
「……思った以上に面倒だな」
 呟き乍ら、縮地の勢いで宙を舞い、向かいの壁に足を着ける。その壁を蹴って縮地を発動、高速でテンソの懐へと飛び込む!
「芸が無い!」
 叫びながら、テンソは砕いた地面から生成された岩を掴み、ケンジに投げつける。
 中空を推進する彼に、回避する手立ては皆無だ。
「――はッ!」
 だから、ケンジは刀を振り。
 岩を――真っ二つに切り裂いた。
 スミレが成る刀は、当然通常の刀とは大いに異なる。岩どころか鉄さえ切り裂く刃を持つ。
 岩の切断で勢いを殺されたケンジは素直に地面に着地する。が、テンソは目の前から消えていた。
「……瞬間移動か。自他共に移動させることができると来た」
 ケンジは口にして、背後に刀を振り抜く。
 テンソが殴打のために振りかぶった人間の大腿骨を、綺麗に切断する。
「その通りよォ!」
 着地したケンジは、再び振り返る。
 テンソが瞬間移動によってケンジの眼前一尺三十センチメートル先に立っていた。斬撃の射程圏内だ。ケンジが刀を構え乍ら、挑発じみた口調で尋ねる。
「死にに来たのかい?」
真逆まさか!」
 笑うように言うテンソと、刀を構えるケンジの間で。

 何かの物体が、爆発して弾けた。

「っ!?」
 一瞬だけ怯むケンジ。無論、それは命取りとなる。
 テンソの殴打が横一文字に迫る。辛うじて縮地で後退するが、避けきれずに鼻先の皮膚が拳圧で破れ、出血する。
《か、間一髪じゃった!》
「だな」
 ケンジは指で鼻先から流れる血を払う。心の中には微塵の恐怖も存在しない。再び刀を構えてテンソに向き合う。
「ほほう、癇癪玉を用いた罠でも引っ掛かり切らぬか」
 テンソは感心する。
 先程の爆発は、癇癪玉。衣嚢に仕舞われたそれらを瞬間移動させ、刺激を与えて暴発させたのである。通常であれば怯んで固まり、殴打を受けて死亡する。
 が、ケンジは神を殺したことのある人間。一筋縄ではいかぬ。
「――ならば」
 そんな人間がいることに、脅威を覚えた神テンソは。
 容赦をすることを、止める。
「是は、どうだ!!」
 テンソは、瞬間移動させた。

 地面いっぱいに転がる人骨全てを、上空に。

 人骨の硬度は五――鉄や硝子より硬いそれが、重力に従い大量に落下すると如何なるか。
 ケンジとスミレは、剣技で対処ができるだろう。
 だが。
 只の人間であり、拘束され身動きの取れぬ団子屋の娘は、骨の殴打を受け乍ら、生き埋めにされる。
「――お嬢さん!!」
 ケンジは縮地で怯える娘の元に辿り着き、骨の雨を切る。弾く。弾いて切って、娘に迫った骨を全て御すことができた。
 ――刹那、殴打がケンジの体を直撃する。
 疲労が少しばかり溜まっている彼は、即座の対応を取り切れず、人間離れの膂力をその身に受けてしまう。
「ぐっ……!?」
《ケンジ!!》
「ケンジさんっ!!」
 スミレと団子屋の娘が叫ぶ。地面に二度、三度叩きつけられ、骨の海に叩き落とされる。だが、その程度で倒れる程やわではない。直ぐに二本足で立ち上がる。
「甘い。甘いぞ、人間」
 テンソはげらげらと嗤う。
「戦時において甘さは命取りよ。それが分からぬのか?」
 笑いながら、拳を握って近づく。止めを刺す頭を潰すために。
「っ、くそ……!」
 刀化したスミレを杖に、震える脚で立ち上がる。異常な精神統一で意識と気力を保っているものの、相対できるだけ奇跡と言えるレベルであった。
《ケンジ! しっかり――》
「のう。宿礼スミレ
 テンソが、突如スミレに呼び掛ける。
「貴様にも分かるだろう。嫌でも教え込んだ筈であろう」
 びくり、と。
 スミレの体が震えた気がした。
「人間を庇えば如何なるか。甘さを捨てねば如何なるか。貴様を犯して、貴様の親族と親友人間を殺して教え込んだ筈であろう――儂ら神々が」

 ――母親の絶叫が聞こえる。口から蛇を数百匹突っ込まれ、臓器を侵食されて毒で暴れ狂いながら。
 ――父親の絶叫が聞こえる。四肢を切られて達磨にされ、目を刳り貫かれて、もう見る影もない。
 ――親友となった人間も、まるで人形の綿を引き抜かれるように、はらわたを引き摺り出され絶命する。
「やめ……やめるの、じゃ……」
 スミレは、泣きながら訴える。体を地面に押さえつけられ、まざまざと惨状を見せつけられる。
 数体の神々が、手を叩いて笑う。
「なら、儂らを殺してみせよ! そら、そりゃ、出来るか? 刀になるしか能が無い小童が」
 或る神が屈んで、下衆な表情で告げた。
人間なんぞ守る儂らに逆らうから、こうなるのじゃ」

「だから共に人間を殺し続けて来たというのに」
《……れ》
「情が沸き返したか? 散々、人間を斬り殺した分際でか? 笑止千万、失笑噴飯――貴様には、儂らに脅され萎縮し、淡々と人を殺し続ける刃となった方が幸せであった筈だ」
《……ま、れ》
「貴様は腐っても神だからな。神通力で其の人間を操り腹を切り刻ませれば、儂は赦そう――」

 鞘禾への斬撃がフラッシュバックする。
 その時、自らの親族が殺される場面と重なった。
 だからスミレは拒絶した。人間を殺す事を、拒んだ。
 嫌悪感と罪悪感に、苛まれながら。
 ずっと懼れた神に逆らうとしても。


 ――

《黙れ――っ!!》


「――落ち着いて、スミレ」

 激昂するスミレを小突くように。
 ケンジが冷静に宥める。
「落ち着け、兎に角、落ち着くんだ。冷静さを失うな、と教えてくれたのはスミレだろう?」
《……嗚呼》
 スミレは、落ち着き払った声で返す。
 ケンジが使っているのと同じ、異常なる精神統一を用いた結果である。
「それに」
 ケンジは、刀の柄をぎりっと握る。
「大丈夫――僕も、同じ気持ちだ」
 鋭い眼光を放ちながら、刀を構える。
 練り上げた殺意を、白銀の刃に乗せて。

「次で、殺そう」
《――合点じゃ》

「殺す? 言うに事を欠いて殺すと来たか!」
 大笑いするテンソ。対するケンジも笑う。
真逆まさか、自分が殺されないとでも思っているのか?」
「当然だろう! 人間如きに敗北する要素が何処にあるというのだ?」
 近づく。傲岸なる神は、一歩一歩大仰に距離を詰めていく。
 一尺三十センチメートルずつ。肥った腹を揺らしながら。
「――なら」
 そんな神を見下すように、ケンジは薄ら笑いを浮かべて。
敗北する死ぬ幻覚でも、一度目にしてみるか?」
 刹那。
 突如、テンソの歩みが止まった。
「……っ!?」
 脂肪の詰まった皮膚に、脂汗がと垂れる。
 彼は、自らの意志で進むのを止めたのではない。
 のだ。
「な、にをした……っ!?」
 テンソは詰る声で絞り出す。
 対峙するケンジは、これ迄に見たことのない――団子屋の娘が萎縮するほどの鬼の如き形相で言った。
「さてね」
 ――人間と神に、一体何が起きているのか。遠くから見ていた団子屋の娘からは何も分からない。
 それもその筈。ケンジが行なっているのは、練り上げた殺意を神に飛ばしているだけに過ぎないからだ。
 今テンソには、尋常ならざる殺意が刃のように四方八方から向けられている様に感じられていることだろう。
 修行の果て、ケンジが身に着けたそのは、『死相シアイ』という。文字通り殺意を飛ばして、死を間近に感じさせる、ただそれだけの精神攻撃。

 大切な者達を散々奪われた剣慈の、積りに積もった殺意を放出するからこそ為せる業であり。
 殊に、自らは殺されない筈だと高を括り死を遠ざける者には、抜群の効力を発揮する。

「――来ないのか?」
 今度はケンジの方が、一歩、また一歩と近づく。
 テンソは、身動きが取れない。取った時点で殺されかねない様な、途轍もない圧が全身に降りかかっているからだ。
「神も、存外大したことないな」
 挑発した。
 ここまで小馬鹿にされ、テンソも黙ってなどいなかった。
「――っ、黙れ、人間如きがああああああああっ!!」
 瞬間転送。離れたところにある岩を手元に手繰り寄せる。
 思い切り掴み、神速でケンジの頭蓋目掛けて岩をぶつけにかかる。
「へえ、やるじゃねえか。死相シアイの中を動けるなんて、御見逸れしたぜ」
 皮肉めいた笑みを浮かべる。構わずテンソはその表情ごと頭を砕き割ろうとする。

 だが。
 テンソの岩は、

「な、にっ!?」
 驚愕し、思わず固まる。
 その隙が命取りだ。
「――悪魂滅殺」
 厳かに呟く声が、背後から。
 いつの間に、ケンジはテンソの背後二尺一メートルに立っていた。
 ――幽歩。分身を生み出しているかの如く歩く特殊歩行法。
 テンソが打擲したのは、所謂残像である。
「統神流奥義――」
 刀を腰辺りに構え、身を低くする。
 その場で――

「――延斬ノベギリ

 今度は幻覚ではない。
 刀身が数メートルにもなって、テンソの首を襲いかかる。
 ケンジによる恐るべき速度の抜刀術に、スミレの異能による刀身の延伸化。
 二つが合わさり、余にも斬撃範囲の広い一撃を喰らわせる。
 死相シアイにより上手く動けずにいたテンソに、避ける術は無い。瞬間移動を使えば良いのに、それを許さぬ程の殺意の山に圧し潰され頭が回らなかったのだ。
「く、そが」
 テンソは、漸く絞り出したその声を最期に。
 刎首された。
 首の太い血管から、温かい血が噴水となって間抜けに噴かれる。
 丸々と太った体は、支えを失って地面に倒れ込んだ。
「――私利私慾に塗れ、腹を肥え太らせるものが、血を吐きつつ身を削る僕らに勝てる道理など、無いだろう」
 呪詛の如き言葉を吐き捨てる剣慈。
 斬り落とされたテンソの体は、徐々に灰となって消えていく。
 その光景に、剣慈はふう、と上へ向けて息を吐く。
 また一つ終わった――と。

 天国へ逝った妹に告げるように。

***

「いや~! 良いのか!? こんなに団子を貰ってしもうて!」
「良いんです。ケンジさんとスミレさんは、命の恩人ですから」
 団子屋に戻って、娘は笑いながら、笹の葉袋で包んだ団子を手渡した。貰ったスミレは兎の様に跳ねて喜んでいる。
「本当に、ありがとうございました……!」
 団子屋の主人も頭を深々と頭を下げていたが、ケンジがそれを制する。
「畏まらないで下さいな。するべきことをした迄なのでね」
「それでも、お礼が団子なんかで良いのでしょうか……?」
 主人が言うと、娘も同意したのか首肯する。
 その言葉に、「聞き捨てならないのう」とスミレが口を挟んだ。
「団子『なんか』じゃと? 此処の団子は国一美味いぞ! 神であるわたしが保証してやる! ケンジも連名でのう!」
「そうだね。スミレと連名なのは複雑な心境だけど」
「何じゃと!」
「……冗談だ」
「む、神を前に冗談とは良い度胸じゃ」
 カカカッ、と笑うスミレ。
 寸劇を終えた後で、菅笠を被り、ケンジとスミレは団子屋の親子と正対する。
「では、今後もお気を付けて」
「まったのー! 団子、有難うなのじゃー!」
 その言葉に、親子も返す。
「ありがとうございましたー! お気を付けてー!」
「また食べにいらして下さいー!」
 手を振る二人を背に、ケンジとスミレは再び旅路を征く。
「さて、ケンジ」
「何だい」
「この団子の袋はケンジが持つと良い!」
「……スミレが沢山食べるんだから、スミレが持つべきなんじゃないかな」
「か弱い女子に荷物を持たせるというのかの……?」
「神にか弱いなんてことがあるのか?」
「……」
「……」
「……」
「……あー、もう、分かったよ。上目遣いで僕を見詰めないでくれ、鳥肌が立つ」
「何でじゃ!!」
 ぎゃーぎゃー騒ぎながらも、ケンジはスミレから団子入りの袋を受け取る。
 そして、袋を開けてぱくぱくと食べ始めた。
「あ! あー!! 団子! 勝手に食べるなあっ!」
「食べたければ奪えばいいじゃないか。ほーれほーれ」
「このっ、このっ!!」
 スミレが団子袋を奪い取ろうと何度か飛び掛かるが、ケンジはそれらを器用に避けて袋を死守する。
「……ぅ、う~っ!!」
 何度かやって取れないと諦めたのか、スミレが唸り声を上げる。
 今にも泣きそうな表情に、ケンジは溜息をついて団子を一つ摘んだ。
「……ったく、しょうがない。ほら、あーん」
「……あーん」
 団子が、スミレの口の中に放り込まれる。もちもちした、しかし歯にくっ付き過ぎない程好いねばねば感。ふわりと甘さが口の中に広がり、噛み締める度に甘さが際立つ。
「ん~! うみゃー!」
「……ほら、まだ沢山あるからな」
「やったのじゃ! ケンジは優しいのう!」
 まるで子犬に餌をやってるみたいだ。
 ケンジは団子を一つずつ、尻尾振り振り喜ぶが如きスミレの口の中に放り込んでやった。
 そんなことをしながら、二人の旅は続いていく。

 残り七百九十九体の神を斬り殺し。
 最後に一体の神スミレの命を、この手で奪うまで。


 ……果たして、が出来るのだろうか。
 人間に親愛の情を寄せ、共に神を殺すこの少女に、妹の仇として手を掛けることが。


 ……何が、正しいのだろうか。


 逡巡しながらケンジは、頬を緩ます可愛らしい少女神の口に、また一つ団子を与えるのであった。



終幕

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