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小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 6)

目次

Episode 6:死地への片道切符。

「……っ!」
「あ、えーた! やっと起きたーっ!」
 目が覚めると、カナが涙目で抱き着いてきた。
 ここは……病院か。
 見慣れたベッドと病室。攻河町病院だ。
「『失格』クン」呆れるような声がカナの背後から飛んでくる。『最低』先生こと良辞が立っていた。横には無表情が特徴的な例の看護師が並んでいる。
「そんなに病院が好きなのか?」
「そんな訳ないだろ、誰が好き好んでお前に会いに怪我するかよ」
 しかし、今回ばかりは反論の余地無しだ。気が動転して転倒するなんて、馬鹿以外の何者でもない。
「まあ、金は戴くが」
「そうしてくれ」
「ちなみに君の頭には問題ない――ああ、物理的な意味でだが」
「……皆まで言うなよ」
 物理的以外の頭――思考回路が可笑しいなんて周知の事実は。
 とは言え確かに、盛大に転げ落ちた割には運は良かったらしい。この可笑しな思考回路に破損は見られなかった。元々壊れているから破損しても気付かないのかもしれないが。
「何事も無ければ明日の昼には退院できるだろうよ。安静にしておけ」
「そうさせてもらうよ」
 応答すると良辞は欠伸をしながら病室を後にした。壁にかかる時計は23時過ぎを告げている。どうやら数時間気を失っていたようだ。
「……ふ、わあ」
 緊張感の欠片もない欠伸が、カナから出る。
 自分の目覚めるまで起きていたのだろう。申し訳ないことをした。
「……カナ、ごめんな。もう眠って良いぞ」
「ん、そーする……」
 そう言った途端、カナはいそいそと靴を脱いで布団の中に潜り込んで来た。モグラの様に中をもぞもぞ動き回り、枕の場所へひょこっと顔を出す。
「……えへへ、お泊まりだ」
 無邪気に笑う。可愛い。
「……病院だけどなここ」
 追い返すという考えは端から無い。言って聞く様な子じゃないし、何より夜道を1人で歩かせ帰宅させるのは危険だ。そう判断し、結局自分はそのままカナと眠ることにした。
 幸いにも明日は日曜でよかった。
 そう思いながら瞼を下ろす。

 サーカス集団『ノービハインド』。
 仇を取る為に、自分を狙って来たであろう集団。結局それは失敗に終わった訳だ。
 何事もなく、今回の物語は幕を下ろせる。
 夢果にも合わせる顔が少しはできることだろう――。



***

☆」
「……」
 朝。
 あのピエロ――京戸希望がドアを開ける音で目が覚めた。さも当然の様にベット横にパイプ椅子を広げて腰掛け、太陽のスポットライトに輝く笑顔を見せていた。
 ……そうだよな。
 弟を傷つけられたから相手を半殺しにする様な狂人は、簡単に逃してはくれない。
 現実というのは運の総量が決まっている。幸運が起きれば不運も起きる。だからこんな風に運良く逃げられたと思っても、その実運悪く逃げきれていなかった現実を知る羽目になるのだ。
「……何しに、来たんですか」
 自分は驚いたそう答えた。
 殺す側が殺意を持っていることを標的が知らないと思わせる状況は、実に利用価値が高い。その状況が齎すのは、殺す側にいつでも殺せると思わせられるということで、油断に繋げられるからだ。
 もっとも。
「いやあ、私のサーカスで転んじゃって大怪我したからさ、流石に心配になって来ちゃった訳だよ☆」
 それは、
 殺す側が殺意を持っていることを標的が知らないと思わせる状況は、実に利用価値が高い。その状況が齎すのは、殺される側に殺されないと思わせられるということで、油断に繋げられるからだ。
「……お気遣い、痛み入ります」
「いやいや、座長としては当然の勤めよ☆」
 真意を仮面の後ろに隠して、自分とピエロは相対する。
 だがこの勝負はあまりにも自分に分が悪い。二重の意味で苦渋を味わわされているからだ。
 1つ目には、職業柄本音を隠すのは間違いなくピエロの方が上だということ。
 2つ目には――コイツの笑顔を見ていると。敵意という装甲が、引き剥がされる感覚がする。
 人相学や心理学の問題ではない。ここまで来れば最早異能力か――と呼んだ方が良い。

 ……呪い。サーカスでも思ったが、間違いなく彼女はだろう。自分はすぐに自力で自我を取り戻せるのかもしれない。
 しかし、
 いた気もするが、もう思い出せない。

「仲良いんだね、彼女さんと!」
 ピエロが話題を振ってくる、笑顔のまま。
 毒気を抜かれる。ギリギリ歯を噛んでぎりぎり耐え忍びながら応答する。
「そうですね。もう長いので」
「長いんだろうね、普通はベッドで一晩過ごそうなんて思わないもの!」
 笑顔で言った。
 ……。
 ……おい、まずいぞ。このままだと本当に隙を突かれて殺される。人の命を救う病院で命を奪われるなんて冗談にもならない。
 装甲が剥がされてゆく。生憎自分は玉葱では無い――剥がせば直ぐにでも中心部に辿り着いてボロが出てしまう。
「そうそう、差し入れあるのよ! 定番の果物セット!」
 体を折り曲げてガサガサと袋を揺らす。行く途中の八百屋で買ったと思しき赤い林檎が姿を現した。
「まず病人には林檎、定番でしょ☆」
「……定番なのは、風邪引きの人に対してだと思いますけど」
 栄養にはなるが風邪に効果があるかと言うと怪しいところではあるが。効こうと効かまいと人間は気にしないだろうけど――「思い込み」という名の特効薬が人間にはあるからだ。
 その特効薬の効能は凄まじい。古来より人間はそれに魅了されたからこそ、宗教を作り上げ神に縋って奇跡を享受しようとした――。

「じゃあ、やるよ〜」

 ……思考の渦から這い出た。出ることが出来た。
 気付けば目の前のピエロは、片手にナイフを持っている。林檎の皮を剥く平和な目的とは言い難い――寧ろ、人間の皮を貫く野蛮な目的と言った方が得心がいく。
 いや、それよりも!
 一体いつ、コイツは袋からナイフを取り出した? 普通なら袋から出した瞬間に(どころか出す前から)身構える筈なのに、当のピエロは既に凶器を手にしていて、もういつでも自分の命を狙えるではないか!
 気付くのが遅い。あまりにも遅すぎる。幾ら思考する悪癖があれど、これだけ遅いことはない!
 ほとんど、自分はこのピエロの術中に嵌っているということか!
「……っ」
 間一髪で気付いたのが功を奏したのか、ピエロは一瞬可愛らし――やめろやめろふざけるな――微笑んで可愛く――あああああっ!
 ペースが乱される。上手く思考が纏まらない。
 このままじゃ、本当に殺される!
「どうしたの? 林檎の皮剥くだけよ?」
 無視したくとも出来ない。この自由の利かなさは、宛ら拘束具を使われてる気分だ。
 しかし、これ以上抵抗は不可能だろう。

 だけど。
 隣で穏やかな寝息を立てるカナを見る――ああ、そうだ。そうだよ。
 カナの為にも、敗北する訳にはいかない。

 だから。
 自分は抵抗する事を止め、カナを守る様に覆い被さって抱き締める。カナにからな。
 そう――と決心した。全ての話はそれからだ。
 其方が呪いを使うのならば、文字通り呪い返しをするまでだ。
 
 自分の呪いを使って犯した凶行を、そっくりそのまま返してやる。
「……へえ」
 ピエロのそんな声が聞こえて来た。に移すつもりだろう。しかし忸怩たる思いだ。これ以上危ない目に遭わない様にとカナと約束したばかりなのに、もう破ってしまいそうだから。
 今の内に謝っておこう。たとえその耳に言葉が届かなくとも――。

「……んぅ……? えーた……?」

 ……もぞもぞ、とカナが蠢いた。まずい、起こしてしまった。
 寝惚け眼を擦りながら至近距離に迫る自分の顔を見つめ、今の状況を理解したらしい。

「……………………ふええええっ!?」
 、という事実を。
 カナは茹蛸のように赤面する。

「え、えええ、えーた!? 幾らなんでも大胆過ぎるよぉ……。え、えええ、えーとですね、こ、こういうのはね、えと、あの、心の準備というものがですねっ!」
 激しく勘違いをするカナは、動揺から敬語になっていた。
 場違いだが思わせてくれ。やっぱり可愛い。自分の彼女は世界一だ。
「だから一旦離……れ……?」
 さて。
 今カナは仰向けの体勢だ。つまり、自分の更に先にまで視界が及ぶ訳で。
「……ふえっ?」
 自分の肩越しに見える、ピエロの姿が見える筈だ。
「ふえええええっ!? ど、どどどどうしてここにピエロさんが!?」
 カナ、本日2度目の驚愕である。朝から刺激が強すぎだ。
「うふふ、ビックリさせちゃった?☆」
 声色からして再び装甲を纏ったらしい。視線を向けると、ナイフは既に仕舞っているらしい。
 命拾いしてしまった、カナのお蔭で。
「いやあ、大怪我をさせちゃったからそのお詫びにお見舞いに来たの☆」
「さ、サービス良過ぎるよ……!」
 ……本当に。
 サービスが過ぎる。
「……ふふ」
 その瞬間、ピエロは更に口端を吊り上げる。傍目には可愛らしく映るだろうが、今の自分には悪巧みの笑みにしか見えない。
 何を、企んでやがる。
「それじゃ、もーっとビックリさせたげよう!」
 そう言うと、彼女は衣装のポケットから紙切れ2枚を取り出して寄越した。カナが受け取るとそこには、ピエロのサインが書かれている。
「え、っと、これって……?」
 恐る恐る確認をとるカナに、ピエロは満面の笑みで返した。

「お詫びと言っちゃなんだけど、2人をかな、って!」

「えっ」
「えっ」
 カナだけではない。自分も驚いた。
 舞台裏に、招待だと?
 その申し出は『戦場に引き摺り込む』の間違いだろう。
 本当に、サービスが過ぎるなんて話じゃない――場違い過ぎる。
 無論、断りたいのだが……。
「い、良いんですかっ!?」
 とカナが乗り気になってしまった。こうなればもう止められない。件の幽霊屋敷とは違い、目に見える危機が存在しないのだ――制止するための理由が、ない。
 自分に提示された選択肢は『死地行きの片道切符を受け取る』しかないのだ。
「良いよね! えーた!」
「……勿論。行こう」
 カナに返答し、地獄へのチケットをピエロから手にする。これが片道のままか往復になるか。それは自分の頑張り次第と言ったところだろう。
「それじゃあ、予定は……来週はどうかしら?」
「問題無いと思いますっ! えーた、そうだよねっ」
 来週か。
 は幸いにも辛うじて存在するようだ。
「……そうだな」
「オッケー☆ そうしたら来週待ってるわね!」
 ピエロは社交辞令宣戦布告と共に、ウインクをして病室から退出する。


 去り際にみた笑顔は、最悪な程に可愛らしかった。

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