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箱庭商事の幽霊ちゃん! #5「新しい朝が来たっ!」

「そういやさ」と横を幽海ちゃんが尋ねてきた。
 そう、歩いている。幽霊なのに足までしっかり具現化していて、床をしっかり踏みしめてる。ひたひたという音さえ聞こえない。なんか変な感じだ。
「りっ君って普段は、何をしているの?」
「大学生だよ」
 そう、しがない大学生。煙草シガーも吸わない善良なる大学生市民だ。まあ、お世辞にも「幸せです」なんて言えないけど。幸せだったら、癒しを求めるなんて理由でこんな警備員バイトには申し込まない。ちなみにお金もそんなにない。だから単発バイトに縋っているわけであって。
 を、しているわけであって。
 ……。
 嫌なことを思い出した。何もかも上手くいかない現実を。
 今はやめろ、そういう時ではない――。
「大学生!」
 キラキラ目を輝かせる幽海ちゃんの言葉で我に返る。
 そうだ。今は謳歌するべきだ。なんだかんだ今、結構幸福感に満ちているじゃないか。可愛い幽霊と話しながらするバイトなんて世界どこを探してもないのだから、この瞬間を楽しむべきだ。
「なんか響きが良いなっ! ねえ、大学生って結構自由だったりするのかな?」
「うーん、勉強とかが結構あるから完全に自由ってわけではないけどな」
「うへえ、勉強はやだねえ……」
 露骨に嫌そうな顔をする幽海ちゃん。勉強というのはどうにも人間に嫌悪感を催すらしい。一部、勉強に好意を抱く好き者もいるらしいが。
「そんなこと言っても勉強するのが大学生の本分なんだから仕方ないさ。でも、辛いことばかりじゃないぜ」
 何せ時間があるからなと付け加えると、幽海ちゃんは興味津々に尋ねてくる。
「りっ君はさ、時間あると何しているの?」
「そうさねえ。まあ……漫画読んだり、お菓子作ったりとかだな」
「お菓子!」
 目を輝かせる幽海ちゃん。『桜見だいふく』食べていたし、チョコフォンデュを超楽しんでたし、間違いなく菓子類が大好きだよな。
「すっごいなあ! お菓子作れるの!」
「作っても誰も食べる人がいないから、完全に趣味なんだけどな――」
「私がいるじゃないっ!」
 胸に手を当て腰に手を当て、えへんと言う幽海ちゃん。威張ることじゃないぞ? 可愛い奴め。
 ……でも、チョコフォンデュという即席のおやつであんなに喜んでくれたのだ。お菓子なんて持ってきたらさぞ喜ぶことだろう。
 段々と、幽海ちゃんを純粋に癒してあげたくなってきていた。癒された彼女はとても可愛いのだ。そういう姿に、俺は癒される。
 ……あれ? これ、俺が幽海ちゃんを癒せばよいだけの話になるのでは?
 そうと分かれば俄然やる気が湧いてきた。そうでなくともやる気はあるが。
「ほほう、それならば何が食べたい?」
 で、聞いてみることにした。
 「えーと」と幽海ちゃんは頭を悩ませる。
 ぽく、ぽく、ぽく、と3分経過。
 ちーん、と想像上のりんが鳴る。幽海ちゃんが声というか、音を上げた。
「わ、分かんない……」
 だよなあ、と思う。
 ずっと、ずっとずっと、会社の中で忙しい人の手伝いをしていたのだ。そんなことに気を回す余裕もなかったんだろう。
 だからここは、俺がリードしてやらないと。
「幽海ちゃん、お悩みの様ですね」
「……お悩みです」
「そんな幽海ちゃんに助け舟。お菓子にもざっくりと選択肢があってだね」
「はい」
「今からお菓子診断をしてあげよう! ぴったりなお菓子を作ってくるぜ!」
「ほ、ほんとっ!?」
 渡りに船、という感じで助け舟に乗っかって来た幽海ちゃんに、幾つか質問をしてみることにした。
「まず、しょっぱいものか甘いものか、だったらどっち?」
「甘いもの!」
 まあそうだろうなあ。次だ。
「思い切り甘いのと、ほんのり甘いのと、どっちが良い?」
「ほんのり甘い方かなあ。思いっきり甘いのでも食べられると思うけど……あ、今日のチョコレートくらいなら大丈夫かなあ」
 なるほどなるほど。
「食感は、ふわふわを感じたい? サクサクを感じたい?」
「さくさく! あ、でもふわふわも良いなあ……」
「あ、大丈夫。どっちかに決めなくてもね」
 ……大体作る物は固まってきたぞ。
「じゃあ、お菓子は明後日にでも持っていくからな。流石に明日は難しいから、別のもの持っていくことにするよ」
「やった! 楽しみにしているねっ!」
 にかっと白い歯を見せる幽海ちゃん。
 守りたいこの笑顔――裏切るわけにはいかないな。
「あ、でも」
 すると神妙な顔で幽海ちゃんが近寄ってくる。
「無理しちゃだめだからね?」
「……と、仰いますと?」
「勉強もしないといけないんだし、ちゃんと寝ないと駄目だよ!」
「ぐうの音も出ません」
 痛いところを絶妙に突いてくるなあ。
「にしても」
 俺は話題をずらすように見回りを続ける。
「本当に誰もいないな……こんなところに、誰か怪しい人が来るもんなのか?」
「来たことがあるよー。ここのビル、昔は警備がしっかりしていなくて、あわや企業秘密をすっぱ抜かれそうになったんだって」
 こう、すっぱーん!って、とオーバーアクションをしながら幽海ちゃんが教えてくれた。すっぱ抜くってそういうことじゃないけど、可愛いから何でもいいや。
 しかし、警備員1人で大丈夫なものなのだろうか?
「大丈夫! 何だかんだで警備員さんが強いし、ある程度『せきゅりてぃ』? はあるみたいだし、何よりこの私がいるからねっ!」
「……え、幽海ちゃん、強いの?」
「私を誰だと心得る!」
 片腕で力こぶを作るようなポーズをとりながら、威厳を出そうとしている。
「ここの箱庭商事に住み着いて1年くらい! 様々な人の苦労を吸い上げて力をつけた遊崎幽海であるぞー! ひれ伏すが良い!」
「おみそれしました、ユミ様」
「そ、その呼び方は蒸し返すなーっ!!」
 いやいや、幽海ちゃんが発端だからね。
 ちょっとおかしくて笑ってしまうと、「もう」と幽海ちゃんもつられて笑った。
 今日のアルバイトは、こんな調子で終わっていく。
 幽海ちゃんのこと、ちゃんと癒せているといいな――そんなことを思いながらも、楽しく会話を続けることにした。

~~(m-_-)m~~(m-_-)m~~(m-_-)m

「ふーっ!」
 幽海ちゃんが伸びをした。
 現在時刻、午前5時45分。もうじきアルバイト初日も終わりだ。意外にも疲れているようで、体におもりがぶら下がっているような感じがする。
「いやー、楽しかったあ!」
「だな」
 リフレッシュできたようなら何よりだ――笑いかけてみると突然、幽海ちゃんがぱしりと俺の頬を両手で包み込む。
「……」
「……あの、幽海ちゃん?」
 ひんやりと冷たい。
 人の――生物特有の、あの温かさが微塵もない。
 ああ、やっぱり幽霊なんだ――そう思っていると幽海ちゃんがこう言ってくれた。
「すっごい眠いんでしょ?」
「……あー」
「誤魔化してもだめ! 目の下、すっごく黒いよ!」
 大丈夫なんて気休めの言葉は、きっと言っちゃ駄目なんだろうな。素直になってみることにした。
「……実を言うと、すっごく眠い」
「よく言えました!」
 柔らかく微笑む幽海ちゃん。
「帰ったらちゃんと寝ること! 大学もあるんでしょ?」
「まあ、夕方からの授業だけどね」
「なら尚更じゃない! 無理しちゃ『めっ』だからね?」
 額をつんと指でつつかれた。
 めっ、なんて十数年振りに言われたな、なんて思っ――。
「だから、お菓子もさ、無理してまで作って来なくても大丈夫だからね?」
 ……。
「……幽海ちゃん」
「私は怒らないから! こんなに沢山、楽しいことしてもらっているんだし! それに、ね」
 少しだけ、寂しそうな顔をする。
「りっ君が来ないことの方が、私、嫌だよ?」
「……」
 本当に、どこまでも優しい子だ。だから尽くそうとしてしまう。或いは、自分の優先順位を簡単に下げてしまう。『それでは身が持たないだろう』なんてこと、俺が言っても易々と受け入れられないだろう。
 そもそも幽海ちゃんに癒されようとやって来た俺が、そんなことを言ったところで。
 ……でも俺は。
「分かった。無理はしないよ。お菓子は多分明後日には持って来る感じになるけど、持ってくることは約束する」
 その優しさに応えた上で、優しさに報いたい。いつの間にかそんな気持ちになっていた。
「寝るのは絶対、ぜーったい約束だからね! ふらふらでやって来たら、私、その方にこそ怒っちゃうから」
「だな。ぶっ倒れそうになったら、幽海ちゃんとキャッキャウフフできないものな」
「な、なんかその表現はちょっと誤解を招くかも!」
 顔を少し赤らめる。本当、コロコロ表情変わるなあこの子。
「まあその表現は冗談としても……明日もさ、こうやって笑い合っていようじゃないか」
「……そうだね!」
 この子には、こんな風にずっと笑っていて欲しいな。そう思っていると、窓から朝日が差し込んでくる。
「あーたーらしーいー、あーさがきたっ!」
 某体操の歌を口遊みながら、幽海ちゃんの体は薄くなっていく。
 少し驚いたが、日中は姿を現わせないことを雑談中に聞いていたので心構えはできていた。恐らく人間でいうところの、一時的に眠りにつくくらいのものだろう。
「じゃ、りっ君! また明日ね!」
「ああ、また明日」
 手を振る幽海ちゃんに、俺も手を振り返す。
 そして、幽海ちゃんの姿はキラキラとした陽光の中に溶け込んで、見えなくなってしまった。

 ――こうして、摩訶不思議なアルバイトの1日目が終了した。

~~(m-_-)m~~(m-_-)m~~(m-_*。:*・'

つづく

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