『生物失格』 2章、フォワード、ビハインド。(Episode 2)
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Episode 2:生物失格への事情聴取。
義務ほど人を束縛するものは無いが、義務ほど人を統制するものも無い。
この世に義務が無かったら、疾うに世界はエントロピーが増大して無秩序に拡散し、崩壊しているだろう。納税が無ければ国は運営できないし、教育が無ければ人は理知的に動けないし、勤労が無ければ生活は回らず社会は衰退する。
それらは確かに苦痛だが、しかしだ。義務というものは人の動かし方を分かっている――これらの苦痛を果たせば、倫理的に背かない限りのあらゆる権利が配られるからだ。モノやサービスを購入し、自らの生活を豊かにする権利を。そして人はその報酬を求めて否応なく従う。もし義務を果たさずに権利を得ようとする者がいれば、法律という名の武器で叩きのめす。
だから義務は、絶対的存在として君臨している。飴と鞭を使い熟した叛逆不能な君主として。その下で人間は奴隷のように義務を果たし、権利を得て喜ぶ。
――今、目の前で勤労義務遂行をしている刑事2名も、根は同じだろう。幾ら社会正義のためだ、自分の正義のためだと言っても、皮を剥がせば中身なんて誰も彼も同じ。権利を得たくて動いているのだ。
しかし、彼らはそれらを巧みに隠して騙し、表面化させない。それを出しては物事は円滑にならないことを(本能的にも社会的にも)知っているからだろう。
そうだとすれば、全くの同感だ。
先の悪人理論と同じ――人間、本性を隠せばそれとは分からないものだ。
だから自分も、表面化はさせない――ということで、粗方事件の全容を吐き出したところだった。カナにまで事情聴取が行かないように、事実を微細に何もかも。幽霊屋敷に行った経緯から、あの幽霊擬きに出会して襲われ、しかし反撃をしたところまでの一部始終を。
ただ、それだけではカナに事情聴取がいかないとは限らないだろうと思い、カナには事情聴取をしないという条件付きで応じることにもした。あんな辛い思い出を態々カナに思い出させたくないから。
その条件の下行われた自分の事情説明に対して、刑事は溜息をついた。確か名前は、刑部善造だったか。如何でも良いけど。名前なんて、カナ以外は識別番号程度の意味しかない。
「なあ、少年よ」
あからさまに呆れた表情で、刑部は自分に言う。
「怪我人に対して無礼を承知で言うが――自分の腹を自傷して相手の意表を突くなど、正気か?」
当たり前の想定通りの質問だ。だから、自分の中にある想定問答集から答えを反射的に返すだけだ。試験を解くのと何ら変わらない。
「正気ですよ――普通ではないとは、思っていますが」
客観的に見て普通ではない。意味も無く自分で自分を傷つけるのは、生物としては禁忌に等しいからだ。自己保存をしなければならない、種の保存をしなければならない――という本能のある生物が、自己も種も殺すような真似をするなど、思考として終わっている。
生物としても、終わっている――失格だ。
だが、それだけの話。
主観的に見れば、あれが最善手だ。結果として、あの擬似幽霊は行動を止めて隙を作ってしまったのだから。
それに、どうせ自分は生物失格だ。今更気の狂った行動の1つや2つなど。
……まあ、カナにはもう二度とするなと釘を刺されまくったので、もう最善だとしてもやらないけど。
と、こんなおかしな(あの『最低』医者の言葉を借りれば「空回った」)論理な訳なので、話が通じないと何となく悟ったらしい刑部は、煙草臭い溜息をまた1つ吐いた。分かりやすい刑事だ。
「……まあ、聴きたい情報は全部聞けたから良しとするか」
刑部刑事が立ち上がった。そのままどうぞ帰ってくれ――。
「良し、なものですか!」
うおっ、突然声をあげるなよ。
今まで黙っていた、刑部の隣にいる刑事が声をあげた――きっちりとスーツを着ている、20代くらいの男。名前は忘れた。片方の刑部の名前を憶えていれば刑事2人は峻別し識別できるし、良しとしよう。
とか思っていると、その若い刑事の方が自分のところへ身を乗り出してきた。
「あのままだと死ぬところだったんですよ! 幾ら何でも、あの選択は間違っている……!」
「やめておけ、巡次。この少年には効かん」
「それでも、ここで伝えておかないと何にもならないですよ!」
……おおう。
これは、別の意味で面倒臭いな。
こんなことで時間を使いたくはないんだが。
「大体ですね! 少年があんな危険な場所に行くこと自体、どうにかしています! 誰の発案かは知りませんが!」
……。
おい。
それ以上、口に出してみろ勘違い野郎。
「その発案者は、間違いなく――!」
「巡次!」
……いきなり、刑部が声を荒げた。
同時に、我に返る。
――危なかった。
もう少しで、この警察官を殺しにかかっているところだった。
いや、殺しは駄目だとカナと約束していたから、せめて半殺しにはしていたかもしれない。そういう意味では、刑部という刑事に助けられた形になる。その刑部は、何かを若い刑事に物凄い剣幕で伝えている。
何を伝えているかは分からないが、別に興味がない。何をしようとその人の勝手だし、自分に関わりがあろうと直接影響がなければ、気にするだけ時間の無駄だ。
「……わ、分かりました」
大層不服そうに何かを了解したらしい若い刑事は、それきり黙った。こっちの刑事も分かりやすい。所詮蛙の子は蛙か。親子じゃないんだろうけど。
すると刑部がこっちに向き直る。表情は真摯だった――申し訳なさそうな表情をしない辺りは、少し見直した。伊達に警察官をやっていないということだ。
「いや、すまんな。声を突然荒げて」
「いえ、別に」
どうとも思ってないからな――それを敢えて滲ませて返した。
それで話は以上のようで、刑部が若い刑事に声をかけて退室を促した。
「今日のところはここまでにしておくよ。長い時間悪かったな」
「そうですね。でも、何かの足しになれば」
そうだ――長い時間が無駄になったことは確かなのだ。しかし、あの状況を全部書面に残さないと彼らの仕事にならないらしい。大変な職業だと思った。思うだけで同情も憐憫も向けやしないが。
「じゃ、ここいらで失礼する。……体は大事にしろよ」
「ありがとうございます、そうします」
軽くそんな挨拶を返した後、刑事達は出て行った。
今は午後の2時くらい。再び1人になった病室で、寝転がる。
……また暇になった。何もすることが無い。
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