小説『生物失格』 1章、英雄不在の吸血鬼。(Post-Preface 1)
目次↓
Post-Preface 1:ピエロ・イントゥ・アサイラム。
某所、精神病棟。
外側に鍵の付いた鉄格子に覆われたドアの穴から、無言で食器皿が滑り込む。今日の昼食であった。
治療の名の下に隔離されて監禁された男――ナイフが刺さっても平気の平左な見知らぬ少年に、廃屋の決戦で敗北した幽霊擬きの彼は、ベッドで溜息をついた。そして重い腰を上げて鈍い足取りで近づく。
完璧に栄養が調整されたペースト状の何かとコッペパン、何らかの肉と申し訳程度の萎びた野菜。
決して味が良いとは言えないその食料をまずはテーブルまで、そしてフォークで刺して口に運ぶ。不味い。すぐに喉を鳴らして胃の虚へと運んでしまった。
気分は正しく囚人だった。それでも食べるしかない――人間は、監禁されていても腹が減るのだ。悲しいことに。実際男は悲しくなった。
やはり、俺は人間ではないのだ――自らの肌を見つめながら思う。
太陽光に晒されるだけで焼け爛れる肌。そんなものを持つのは人間じゃない。怪物と呼ぶのだ。
……いや。
怪物にすら、なれなかった。
『だから自分が自分を救おうとして、自分が世界を壊そうとして、怪物にでもなろうとしたんだろ? いや実際は『幽霊』か。お前じゃ神にも、英雄にすらもなれねえからな。だが生憎、怪物になることすらお前には夢物語で、机上の空論で、絵に描いた餅だ』
あの狂人君子の言葉が頭の中で乱反射した。
「……俺は、何なんだろうな」
何者にもなれない。人間はおろか怪物にも。
何者でもないのなら、いてもいなくても同じだ。
死ぬか――脈絡なく、自らの手に掴むフォークを眺める。
……何回で死ねるかな。人間は憎たらしい程にしぶとくて、強かな程に頑丈だから。
男はさしたる動機もさしたる動悸もなく、淡々と喉元にフォークの矛先を合わせる。尖端が白色光で綺麗に輝いているが、それも赤黒くなって何をも反射しなくなるだろう。
そして男は躊躇いなく一気に――。
「お見舞いに来たわよ〜」
その時だった。
ドアが開かれた――部屋に放り込まれてから一度も開くことがなかったドアが。男は驚いてフォークを持つ手を止めた。そして、ドアが開いたこと以上に、やって来た人物に驚愕する。
買い物袋を持った1人の剽軽な格好の女性。髪は肩に届かない程短く切られており、右半分は黒、左半分は白のコントラスト。服は、良いプロポーションを隠すかのような全くサイズの合っていないだぼだぼのもので、色とりどりのストライプに首元にはフリルのついた変なスタイル。靴も、爪先が異様に反り返ったカラフルなものだった。
その容体を一言で表すのなら、ピエロだった。
まるで病院に似合わないその女性――しかもどこで手に入れたのか鉄格子の鍵も開けて、まるで自分の家に帰ってくるように入り込んで来た――を見て、男は叫んだ。
「ね、姉さん!? ……っ」
瞬間頭の傷――あの少年に負わされた傷が疼く。そんな彼を労わるように頭を摩る姉。
「安静にしなきゃ。無理しないの」
「ご、ごめん――って、いや、それよりだ!」
男は食ってかかるように姉に尋ねる。
「どうやってここまで来たんだよ!? 病院の職員もいるし、セキュリティだって万全だし、大体ここの鍵なんて何処で――」
「そこは、ほら」
姉は笑顔を見せる。毒気を抜かれる笑顔だった。
「皆、優しかったから。ちゃんと未来のいる所まで案内してくれたし、セキュリティも解除してくれたし、鍵だって笑顔で渡してくれたわ」
林檎食べる?
買い物袋から真っ赤な果実と銀色の刃物を取り出して、勝手に皮を剥き始めた。
「……林檎は食べるけどさ」男、京戸未来もまた毒気を抜かれてしまい、フォークをテーブルに置いて溜息をついた。もう何を言っても無駄だと悟った――姉が過度で過剰に過保護なのは過去から変わらない。
「何をしに来たのさ? いや、看病しに来てくれるのは嬉しいし、感謝してるけど……」
「用件なんか、1つしかないわ」
慣れた手つきで林檎の皮を剥ききり、ある程度等分した後で1欠片手渡した。未来はそれを受け取って歯を立て齧る。果汁が弾けて味蕾を打ち抜く。甘酸っぱかった。涙が出そうだったがどうにか抑えた。
「姉が傷ついた弟にしてやれることは、ただ1つしかないのよ」
対する姉は、にこり、と毒気を抜かれるような笑顔を続けながら。
少年――あの痛覚の死んだ少年に負わされた弟、未来の傷を撫でながら尋ねた。
「その傷を負わせた奴、どんな特徴かお姉ちゃんに話して」
ぞくり、と未来は震えた。
姉の、口だけの笑顔――その目には、確かな殺意の光が宿っていた。
Chapter 1 “How to kill the action” is the END.
“Beginning of the End” starts awfully.
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