小説『生物失格』 4章、学校人形惨劇。(Post-Preface 4-1)
Post-Preface 4-1:後日談と前触れ。
自分達は逃げた。逃げたついでに通報した。
鎌川鐡牢。そもそもヤツは警察なんかじゃない。それは既に、獄中の最強クラッカー、夢果が傍証してくれている。
だから、事態の収拾は外部の勢力に任せる。
そう、使えるモノは全て使う。
たとえそれが警察であっても。殺人サーカスでしたのと、何ら変わりはない。
そしてだからこそ。
自分たちは逃げた。そして逃げ続ける。より遠くへ、学校から離れるように。
10分ほど走って、足を止めた――いや、止めさせられた、の方が正しいか。どうにも足がぐらつく。
曇りとは言え夏の暑さが襲いかかってきているのと、背中に受けた先生による傷が癒えてないからだろうな。傷については痛みがないから問題ないが、こういう時には不便だよな、と思った。
(……クリーニング、どころじゃなくて、もうここまで来たら買い直しか)
剣呑な状態から脱したからか、呑気にそんなことを考える。まあ幸いにして金もあるし、大体夏休みが到来する訳なので時間もたっぷりある。その時までに何とかすれば良いだろう。
「……えーた」
――カナが、声を掛けてきた。
「何だ?」
「……怖かった」
きゅっ、と。
カナは自分に抱きついてきた。
その体は、小刻みに震えている。その震えを止めるように、自分は体を抱き留めた。
「……」
本当は色々声を掛けてやれるんだろう。クサいセリフも、青臭いセリフも、何だってカナには掛けてやれる。
でも、今の自分にそんな資格は無い。
このカナに恐怖を抱かせたのは――非日常に巻き込み恐慌に陥れたのは、他でもない自分だから。
そういう状況になるのは、覚悟の上ではあった。カナは自分を好いてくれるし、自分もカナ一個人を突っ撥ねる理由がない。
それでも、こういう状況が続くと、どうしても思ってしまう。
もしも。
もしも自分が『死城家』でなければ、糸弦操に狙われることもなかったし、学校が破壊されることもなかった。平凡な日常を過ごせて、今頃楽しい夏休みの到来を待ち侘びる筈だった。遊園地にだってプールにだって、どこか旅にだって出られたかもしれない。
そんな可能性は、自分といると潰れてしまう。
つまるところ、原因は自身にある。
だから、力を使ってカナを守ると豪語したのに、何だこのザマは。
そんな自分が、どうしてカナの恐怖心を慰めてやれる?
もっと力をつけなくては。
或いは――力を、使わなくては。
無論、カナをより安全な場所に追いやるのなら、手段は幾らでもある。
例えば――カナから離れるとか。カナは、自分と一緒にいるから危険な目に遭う。そういう事態にさせなければ良いのだ。
だけど当然、その選択肢を取りたくはない。
理由は1つだ。
カナが好きだから。
どうしようもなく好きだからだ。
だから、自分から縁を切ることはない。
大好きなカナのことを、必ず守ってやる。
けど、これはエゴでしかない。
だから、カナにある言葉をかけなくてはならない。
それを自覚した瞬間、自分はとんでもなく卑怯なやつだと思った。或いは卑劣かもしれない。
どちらにせよ、今更か。
「カナ」
「……なあに」
ぐずぐず、と鼻水を啜りながら、カナは応えてくれる。そして、言葉をかけた。
「……自分のこと、まだ好きか?」
正直、どんな返答が来ても――
「好き」
……。
恐ろしい程の即答だった。
自分でなければ聞き逃す程に。
「好き。好きだよ。えーたのことが好き。だから離れたくない。私は、離れたくない」
逆に、さ。
と、カナは尋ねる。
「えーたは、私のこと、好き?」
「勿論」
勿論だ。
嫌いになる訳がない。
たとえ刺されそうになったとしても、自分はカナのことが好きなんだ。
「好き。好きだ。カナのことが。だから、これからもついて来てくれるなら、その手を離さない」
「……よかったあ」
抱きしめる力が強くなったのを感じた。どれだけの強さかは分からないが、相当強いことが伺えた。
そうして自分たちは、暫く抱き合っていた。
『好き』を確認するように。
『嫌い』を押し潰すように。
***
『無事で何よりだよ。しかしどうしてそんなにトラブルに巻き込まれるんだい、君達は』
後日。
一時閉校の知らせ・事情聴取・『最低』先生からの小言などが嵐のように過ぎ去り、今自分は病院で電話をしていた。実はアレから数日間熱を出して酷い目に遭った。原因は感染症――ゾンビの死肉で背中を抉られた際に罹ったのだろう、と天荒医師の診察だった。彼の医療によって無事回復し、今日退院する手筈になっている。
さて、電話の相手は野間夢果――獄中のクラッカーをやっている、自分の友人だ。
「すまないな。心配させたか?」
『……そりゃあ、まあ。でもこうして電話が繋がって生きていると分かれば、もう何も言うことはないけど』
「ドライだなあ」
『……あんまり私をいじめないでくれよ』
「ごめん」
確かに意地悪が過ぎた。反省。
『で、君の話を聞いてから、1つ確認だ』
夢果は、いつも通りすぐに本題へ戻り、真剣な声色で尋ねてくる。
『その男――鎌川鐡牢には、治療行為以外には何もされなかったのか?』
「……ああ」
自覚できる限りでは、自分達には何もされていない。
もし治療行為中に何かされているかも、という可能性はあったが、そこは『最低』先生の診察によってシロ判定と相なった。
本当に奴は何もしていない。
むしろ助けてくれさえした。
『……なら、良いんだが』
夢果も用件を切り出した。このタイミングで鎌川鐡牢に関する質問だ。何となく用件は察せられる。
『私が電話をかけた用件は1つ――その鎌川鐡牢という男の正体についてだ』
流石、稀代のクラッカー。持つべきは優秀な友人だ――と改めて思う。
『時間が掛かってしまってすまなかったな』
「謝ることじゃないよ。自分には出来っこないことなんだから――で、何か分かったのか?」
『無論。そして、分かったからこそ、さっき私は心配したんだ』
「……ヤツに他に何かされなかったかどうか、か」
『ああ』
だが、もうある程度の予想は、あの学校で過ごす間についている。
それでも、聞くことにした。
『ヤツの本名は、塵屋敷芥。年齢は32歳。職業は殺し屋で、一部界隈では『破壊屋』と称される破壊のプロだ』
「……」
黙って話を聞く。ここから先は、傍で聞いているカナの耳に入れる訳にはいかない。
『と言っても、『破壊屋』と名付けられたのは『汚辱』の後――その前は、優秀ではあるものの通り名は無いレベルだったらしい』
「……」
『汚辱』の後。
つまりあの破壊スキルは、自分たちの呪いによるもの。
そんなヤツ、いたっけか――と思いながら、夢果の話を聞く。
『そしてヤツは、以前君に見せた、死城を殺す呼び掛けに応じている』
――その身に『死城』の呪いを受けし人間共。完膚なきまでの復讐の時だ。心当たる者の連絡を待つ。
あの、文章か。
まあ驚きはしない。ヤツ自身の口から、『死城』という言葉を聞いたから。
そして理解する――夢果が、『鐡牢から治療を受けた』事実に懸念を抱く理由を。
ヤツが何かを仕込んできていてもおかしくない。だけど、今の所は何も無い。
「……分かった。ありがとう」
『お役に立てたのなら幸いだよ』
「今度、何かお礼でもしに行くよ。いつなら空いてる?」
『基本いつでも。牢獄の中は仕事は忙しいけど、退屈で仕方がなくてね』
「分かった」
『カナも連れて来てよ』
「勿論」
後でカナと日程調整をしよう。
そう思いながら、自分は電話を切った。
それと同時、丁度いいタイミングでカナがやって来る。
「えーた! 誰と電話?」
「夢果だよ」
「えー! もう切っちゃったんでしょ?」
「ああ。でも、今度カナと一緒に行って会おうって約束をした」
「ユメカちゃんと! やった!」
跳ね上がりそうな勢いで喜ぶカナ。「元気にしてるかな〜」と言いつつも、夏休みの楽しみが1つ増えてご満悦そうだった。
「えーた。今日退院だよね?」
「ああ。ご覧の通り元気ピンピンだ」
「よーし! じゃあ早いところ手続きして遊びに行こっ! 早く早く!」
カナが手を出してくれる。自分はそれを握った。
自分の怪我を考慮してか、歩行スピードをゆっくりにしてくれた。その心遣いが、自分には嬉しかった。
……嬉しく思いながら、心配にも思った。
いつもよりカナの元気が良すぎる気がしたからだ。空回ってしまいそうな程の、空元気。
そうでなくては、意識してしまうからだろう。
クラスメイトが全員死んでしまったことを。
そして――帰るべき学校がなくなってしまったことを。
そう。
自分たちの中学――攻河中学校は全焼し、跡形も無くなってしまった。運良く夏休みに時期がかぶったので一時閉校ということになっているが、もしかすると転校を余儀なくされるかもしれない。
そして、その中学にあった死骸も全て焼かれ、図らずも荼毘にふされてしまったらしい。
関係のあるカナの友人も、これから関係があるかもしれなかった赤の他人も、カナは居場所ごと全て失った訳だ。
落ち込むに違いない。
いや、実際は落ち込んでいるのだろう。
本当に元気な人は、こんなにも目の下にクマができやしないし、目が真っ赤になったりもしない。
もっと、力が欲しい。
カナの笑顔を守れるだけの力が。
こんな空元気な笑顔じゃなくて。
心の底からの笑顔を守れる力が、切実に、身を切ってでも欲しい。
優しく手を掴まれながら、自分はそんなことを考えていた。
***
そう考えるのに集中し過ぎて、自分はこの時気づいていなかった。
カナに手を掴まれている際に、僅かながらの掴まれた圧迫感があることに。
もっと有体に言えば――ほんの僅かな痛みがあることに。
***
こうして、自分たちの中学最後の1学期は終了。夏休みに突入する。
人生史上最低な夏休みに。
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