小説『生物失格』 4章、学校人形惨劇。(Episode 8)
Episode 8:死体遊戯、結。
「……ああ。帰るぞ、って言ったけどな」
自らの言葉に注釈を付するため、鐡牢は自分を見ながら苦笑した。どうやら落胆か暗澹かが、自分の表情に出ていたらしい。
「帰るのはお前らだけだ。俺は援軍を呼んだら、すぐさま屋上の犯人をとっちめに行くぞ。こんな事件起こしてる奴を放置しておくなんてできないからな」
正義の警察官としてな。
拳を握り、制服の上からでも分かるほど筋肉を隆起させながら嘯いた。
白々しく嘘を吐きやがって。
だが、彼の膂力に関してだけはホラではない――あのゾンビ共との戦いぶりを見ていれば嫌でも分かる。その力でもって、糸弦操を逮捕し牢獄にぶち込んで欲しいものだ。
利用できる者は利用する。
例えそれが、正体不明な人間でも。
そう。自分は決して強くはないが、強かではあった。世渡りに必要なのは、他者を潰し又は跳ねっ返す単純な力だけではない。そういう他者の力をいなして躱し、或いは利用する力量も要る。
だから自分は他者を利用する。
先も言ったが、カナとの平穏な生活を手にするため、猫の手でも怪物の手でも借りる。
カナさえ無事なら、他には要らない。
「では、お願いします」
「ああ、任されたぞ少年――じゃ、まずは」
鐡牢は頷き、保健室の扉を開ける。
途端、保健室前で待機していた先生が、唸り声を上げて襲い掛かる。同時に、自分の後ろに隠れたカナが、自分の服を掴む。
奇襲だ――自分は呑気にそう思う。
そう、呑気に。
今は、この男が味方なのだから。
「ここの脱出だな!」
鐡牢は人差し指と中指を立て、ゾンビの両目に捩じ込んだ。
目潰し。
眼窩に突き刺した指を抜くと、夏の暑さで腐った血を鐡牢に撒き散らしながら、ゾンビは反射的に両目を手で覆った。痛みを少しは感じているのか、微かな呻き声を上げている。
鐡牢はそんなゾンビの頭を容赦なく掴み、壁に叩きつけた。
パン、と風船が弾けるような音が響く。頭蓋骨が勢いよく割れたらしく、その割れ目から漏れ出るように、チョロチョロ腐った液体が垂れている。頭蓋骨が勢いよく割れるとこんな音が鳴るのだ、と要らぬ知識を身につけた。
後頭部から伸びる糸を引き千切りながら、鐡牢は手招く。
「ついて来い!」
その頼りがいのある顔は、返り血のせいでスプラッタホラーの犯人宛らだった。だが、頼れることには違いなかった。
カナの手を取って保健室を出る。
見慣れた筈の廊下には、先生達がいた。一様に目から光を失い、よたよたと歩いている。だがその数は、先程鐡牢が70近くのゾンビを殲滅したからか、大分減っていた。
「絶対に俺のそばを離れるなよ!」
鐡牢が拳を握る。ほぼ同時に、先生が殺す気で駆けて来る。
だが、所詮は先生。死を恐れず一直線に向かっては来るが、逆に言えば、一直線にしか向かえない。細かな動きを要求される格闘術には不向きだ。
鐡牢は拳を突き出す。
その拳を、先生は横に飛んで避けた!
「ほう!」
鐡牢は声を漏らす。焦った感じは一切なく、明らかに感嘆のソレであった。
「成程、成程! つまらん攻撃ばかりだと思ってたが、戦いの中で強くなってやがるな!」
結構なことだ――鐡牢はそう言ってから。
「だが、叩き潰してやる!」
再び右拳で殴打。再び先生は回避する。だがほんの僅かな時間差で放たれた左拳が、先生の顔面を捉えた。めきょり、と骨が砕ける音が聞こえる。
間髪入れず、右、左、右、左、右左右左――ラッシュを浴びせ、ありとあらゆる骨を粉々に砕き、ものの10秒程で戦闘不能に追い込んだ。
その間にも次の先生が襲い掛かる。
「おらよっ!」
今度は一撃で顔面に大当たり。だが、相手はゾンビ。怯むどころか悶えることも、攻撃の手を止めることもない。先生はカウンターに、人差し指と中指を立てて鐡牢の両目に殴り込む。
目潰し! 先程鐡牢も用いた技だ。
この短時間で新たな戦闘スタイルを学習していやがる。
先生の目潰しは、鐡牢の両目へ。あまりの奇襲と超至近距離攻撃により、避ける術はない。
だが。
「やるねェ!」
鐡牢は余裕そうに、そして愉快そうに笑った。
そして目潰しの攻撃を喰らう――但し当たったのは目ではなく、目の下にある筋肉だった。両頬を思い切り上げて筋肉を盛り上がらせ、両目を守った。
なんてヤツだ。
敵に回したくない。心底。
「けどよォ――そんな攻撃、俺が喰らうと思ってんのか!」
首を掴む。そのまま先生の首を握り潰した。途轍もない握力だ。
頸部を握力のみで潰し切り、体から離したその頭部を鐡牢はキャッチする。そして後頭部に付いた糸を千切ってから。
頭を両手に抱え。
思い切り振りかぶって。
「試合開始!」
投げた。
目の前の先生の体に死球。だがこの状況においては紛うことなく正球だった。豪速球で先生の内臓どころか背骨をへし折ったのだろう、先生は、腰より高い腹の位置でくの字に曲がって倒れ伏す。
この1分足らずで3人。しかもたった1人で制圧している。
漫画のキャラの様な、現実離れした強さ。その鐡牢という1人の大人の強さに、自分達という2人のか弱き子供達は助けられている。
鐡牢が道行くゾンビ達をも薙ぎ倒してくれたお蔭で、遂に自分達は玄関口まで辿り着けた。ここを出れば外。後は強固に閉まっている校門をクリアすれば脱出成功である。
――そう。
玄関口から外に出られればの話。
「……やってくれんじゃねえか!」
目の前にあるのは、文字通りの肉壁だった。首や腕や脚が欠損した体達――恐らく先程鐡牢が破壊した先生達の残骸――が積み上げられ、壁となって出口を完全に塞いでいる。乱雑に積み上げられているのに全く崩れないのは、糸か何かで固定・補強されているからだろう。
だが、こんなことをしても何の意味もない。別の出入口など学校には幾らでもある。それを探した方が良いに違いない。
「あの、鐡牢さん――」
自分はそれを伝えようとするが、鐡牢は自分に向かって手で制す。
「言いたいことは分かるぜ。でもな、一刻も早くお前らを出させるのが先だ」
だから、と言いながら。
鐡牢は玄関口の靴箱を掴む。
――まさか。
「肉壁を崩す!」
靴箱を――思い切り、持ち上げた。
しかも、片手で!
凄まじい力だ。とても人間業とは思えない。それこそ、何かの細工をしなければ有り得ない。
例えば、薬を使うとか。
例えば――呪いに、かかっているとか。
「おら、よっと!!」
鐡牢は、靴箱を肉壁に向けて投げた。
投擲された靴箱はとんでもない勢いで肉壁に激突。トラックでも突っ込んだかの様な途方もないパワーによって、破裂音と共に肉が吹き飛び、崩れ去った。
「簡単だったな」
またしてもつまらなさそうにそう呟くと、鐡牢はまた自分達を手引きする。
「どうやって持ち上げたんだ、って顔してるな」
鐡牢が、自分の表情を見たのか、そう言う。正直言えば気になるし、怪しいヤツの情報は多いに越したことがない。
だけど。
「3食きちんと食べて毎日鍛錬を欠かさなきゃ、このくらい、いつかできるようになるかもな」
悪戯っぽく微笑みながら、煙に巻かれてしまった。
肉壁の残骸を飛び越え、遂に校舎の外へ。屋内よりは気温が低いせいか、涼しさを錯覚した肌が心地良さを訴えかけてくる。
「あー、ようやく外に出られたぜ!」
血塗れのまま伸びをする鐡牢。その血塗れの姿がやはり恐ろしいのか、カナは後ろに隠れる。
「あとは、校門ですね」
糸で固く結ばれた校門。
コイツを開けない限りは外に出ることは叶わない。
「糸で固く結ばれてるんだよな」
鐡牢は言うと、下を――アスファルトの地面を見る。
一体何を――と思っていると、鐡牢は腰を落とし、ふぅーッと息を吐く。そして。
「――ハッ!!」
拳で、アスファルトを叩き割った。黒い瓦礫が幾つか宙を舞い、落下する。中には、手頃な大きさの瓦礫もある。
「コイツだな」
幾つか手に取って捨ててから、手のひら大の瓦礫を掴む。それを、再び大きく振りかぶって。
投擲。
凄まじい破壊音と共に、校門がひしゃげ、瓦礫が砕け散る。続けざまに幾つか瓦礫を投げつけ、4度ぶつけた所で校門は完全に破壊された。これだけ道が開ければ電撃に脱出を阻まれることはない。
「さ」
鐡牢は自分とカナの背中を押す。
「逃げな」
背後から、窓ガラスが破砕される音が聞こえる。振り向くと、白い歯を見せて笑う鐡牢と――窓ガラスをぶち破って飛び出す首なしの子供達が見える。
咄嗟に、自分に倣って振り返ろうとするカナを引き留める。こんな光景見せれば、トラウマでは済まない。
確かに一刻も早く、この場所を去るべきだ。
「……良いんですね」
自分は、正体不明の男に背中を預けることにした。それに対して鐡牢は「おう」と即答する。
「任せておけ。少年――いや、死城の末裔」
……。
今更驚かなかった。
こんな異常事態にわざわざ身を投げる、文字通りの自殺行為をする輩だ。自分の正体を知っていたって、おかしくない。
それでも、使える駒は使う。
たとえそれが反則でも違反でも、ゲームに勝てるのなら何でも良い。
「カナ、逃げるぞ」
カナの手を握る。強く、握り返される感覚。
それを合図に、自分とカナは手を繋いだまま校舎から逃亡する。
遠ざかってゆく、その背後。
鐡牢の声が聞こえた。とてもとても、愉快そうだった。
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