小説『生物失格』 1章、英雄不在の吸血鬼。(Episode 1)
他人の立場に立って考えなさい――と、ある人は言った。
自分を大切にしなさい――と、別の人は言った。
どうでもいい――と、自分は2人を黙殺した。
***
Episode 1:幼き同棲。
――体が重い、ということの原因には幾つかある。
具合が悪いとか、嫌なことがこの先待ち受けているとか、金縛りとか。
今自分の体が重いのは、別に体調が優れないからではない。万全快調だ。嫌なことが待ち受けているから、という訳でもない。所詮この世の中は嫌なことばかりだ。思い通りにならず、思い出にもならない程の最悪に満ちている。そんなことに頭を悩ませている暇は、生憎自分には無い。
金縛りでもない。そんな非科学を信じるような性質ではない。それを信じるなんて余程の暇人か、阿呆くらいなものだ。
大体において、演繹的にも帰納的にも非科学など存在しないだろう。この世は全て、科学と論理と状況証拠で成り立っている。その成立要件のいずれかを思い浮かべられないから、ソイツは非科学だ何だと叫ぶのだ。
まあ、ただ1つだけ。状況証拠的に信じるしかないものを自分は知っているのだが。
……さて。
多分5月上旬、午前6時。
自分は今、ベッドの上で体の重さを感じさせられているわけだ。ただ重いと感じるだけで圧迫感はない。
どうせ、こんなもの苦しくもなんともない。
大体この体の重さの原因を知っている。だから今までの思考は戯言だ。
下らない起き抜けの思考は終いにして、そろそろ声をかけよう。
自分にのしかかるように眠っている、恋人に。
「……どいてくれ、カナ」
「……んぅ」
恋人のカナは、自分に抱き着いたまま全く離れようとしない。仕方なく優しく体を揺らしてやる。
「ちょっとでいいから起きろ。おーきーろー。どいてくれないと朝飯の準備が出来ない」
「……やー、あと3時間……」
「5分じゃないのかよ。あと、それ学校に遅刻する気満々だろ」
遅刻するのは如何でもいいが、あの教師に長々と説教されるのは嫌いだ。あんな雑音如き右耳から左耳へと通り抜けさせていればいい話だが、カナと過ごす時間が減るのだけは避けたい。
教師は生徒を縛り付け不自由にするのが仕事だ。社会のための必要善を行使しているのだから仕方ない。が、自分にとってそんなものは害悪以外の何物でもない。必要悪ですらない。
……閑話休題。
さてさて、兎にも角にも一旦起きてもらわないことには始まらない。
説得を試みる。ゴングが鳴った。
「美味しい朝ご飯食べたくないのか?」
「……えーたといる方が幸せだもん……」
玉砕した。再びゴングが鳴った。1秒でKOである。
畜生、可愛いこと言っているぞ。実際可愛いけど。
愛らしい手で自分にかかる布団をぎゅっと掴みながら自分に覆いかぶさるように寝ているのは、微笑ましい限りだ。
世界がこの光景だけになれば良いのに。
他のものなんて全て滅びたって、自分は文句を言わない。他のもの全てはカナに付属する雑多な品なのだから。
……また話題がずれた。閑話休題。
しかしこのままではどいてくれそうにない。
ならば、と1つの作戦を試みる。
100%完遂できる、たった1つの冴えの要らぬやり方を。
――押して駄目なら引いてみろ、と言うが。
ここでの最適解は、さらに押すことだ。
上に乗っかるカナを、ぎゅっと抱きしめる。カナの体温が布団越しに伝わる。カナの心音が速くなっているのも。
目の前にいるカナの顔は、段々と赤く染まってきた。
もう一押し――カナの耳元でそっと囁く。
「……おはよう」
「ひゃいっ! おはようございますっ!」
よし、起きた。
あとは目的を伝えて終いだ。
「取り敢えず、朝ご飯用意するからどいてくれるか?」
「わっかりましたっ!」
ぴょん、と自分の上から飛び退くカナ。頬を両手で押さえながらぷしゅうと顔から湯気を噴いていた。
今日も自分の彼女が可愛い。
世界は、それだけでこんなにも明るい。
――自分は今、カナの前でしか見せないであろう笑顔をしているに違いない。そう思いながら、朝飯を作りに階下へ歩いていく。
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