小説『生物失格』 4章、学校人形惨劇。(Episode 7)
Episode 7:死体遊戯、幕間。
不気味な笑みを湛えている鎌川鐡牢は、人差し指をくい、と曲げた。
こっちに来い、と言っているかの様に。
「じゃ――一旦彼女サン頼んだぜ」
鐡牢はそう言った途端、カナを置き去りに駆け出す。自分も、それを認識して反射的に駆ける。
この死地で、カナを独りにさせてはならない。
自分は、校則を無視して廊下を走り。
鐡牢とすれ違い。
そして、カナの元へ辿り着く。
「カナ!」
「えーたぁっ!」
両手を広げるカナ。その胸に飛び込む様に自分は、カナを抱きしめた。いつもより強い力で、背中に手を回して抱き締めてくる。
が、何かを悟ってすぐに手を離した。それからカナは自らの手を見て悲鳴を上げる。
「え、えーた! 血! 背中に、血!」
「ああ、引っかかれちまったみたいでな」
「そんなこと言ってる場合じゃないよっ!」
ひとまず保健室、とカナは手を強引に引っ張る。その力もやはり、いつもより強い。さっき抱き締めてきた時とは別種の強さに感じる。
「え、えと、保健室は」
「1階だな」
しかも、自分が今し方逃げてきた方面――入れ替わりで鐡牢が向かった方面にある。
ということは、保健室へ行くためにはあの死の河を突破しなくてはならない訳だ。果たして鐡牢にはそれを御することができるのか――
「……っ」
そんなことを思ってると、カナの頬がひくついているのに気付いた。どころか顔がみるみる青褪めてゆく。
まさか、とカナの表情を契機に振り返る。
元先生達の、腕。脚。首や体なんてのも飛び交っている。その中心で、鐡牢は向かい来るゾンビ達を相手取り、文字通り千切っては投げ、千切っては投げていた。
ある先生の首を千切って、ドッジボールでもする様に別の先生の腹にぶち込み。
千切った腕をヌンチャクのように振り回して頭蓋を叩き割ったり。
既に動かなくなった体を盾に攻撃を防いだり。
猟奇趣味もビックリな戦闘スタイルでずっと戦っていたのだろう、さっきカナと会話している間に、動く先生の数は半分近く減っていた。
正しく、化け物じみた強さ。
返り血を思う存分浴びながら動く死体を蹴散らす様は、ただの警察官とは到底思えない。
そんな先生達を殺し続ける鐡牢の顔は、曇っていた。
一見すれば、人を殺す罪悪感から来る曇りに見え、ともすれば人間らしい様にも見えるが、自分には全くの真逆――怪物に見えた。
何せコイツは、つまらなさそうに見えた。
そう。つまらなさそうに、人間の体をぶちぶちと引き裂き、破壊していた。
そんな奴、およそ人間とは呼べない。
「……終わったぞ〜」
ものの数分。
それだけの時間で、70近くいた先生はピクリとも動かなくなった。
その血の海の上に、鐡牢は立っている。
安心させるようにか、笑顔で。
その笑顔は、側から見れば異様で恐ろしく見えるというのに。
「……ああ、すまないお嬢ちゃん。怖がらせるつもりはなかったんだ」
言って、鐡牢はポケットからハンカチを取り出す。そして汗でも拭くかの様な自然さで血を拭き取る。
そこにやはり、人を殺したという罪悪感は微塵も感じられない。
化け物。
警察官の皮を被った、ナニカ。
普通なら頼りそうもない存在だが、この状況でこの男ほど頼りになる人間はいない。
今は猫の手でも借りたいのだ。
たとえ怪物の手だとしても、借りてやる。
「……まず、保健室に向かいたいです」
「おう、少年。なら案内してくれ――道中の危険は俺が全部排除してやろう」
鐡牢の肯定に、自分は頷く。
「カナ、行くぞ」
「う、うん!」
カナの手を取る。
殿に鐡牢を従え、保健室へ。
***
「――しっかし、凄い傷だな。痛くないのか?」
「……生憎、痛みを感じない体質でして」
「へえ。便利そうだけど、難儀なモンだな」
ここは保健室。
自分は、心配そうな顔をしているカナを前に、鎌川鐡牢に治療を受けていた。
――この男と邂逅してから、コイツは並み居るゾンビを文字通り蹴散らし、この保健室へと逃げて来た。その戦闘で過半数の先生が死んだ(既に死んでるから、正確には動かせなくした)から、仮にこの件が終わっても学校を復活させることは困難を極めるだろう。
別に自分はどうでも良かった。カナ以外世界が滅んでも構わないと思ってるのだから。
どうでも良くないのは、カナのことだった。学校という居場所を喪ったことで生じる心の空隙は、計り知れない。
小学生や中学生という人間の『世界』は狭い。学校と家庭、あるとすれば部活動や習い事が精々だろう。カナは今回、その内2つ――学校と部活動という居場所を一気に喪失した。
目も心も死んでもおかしくないのに、加えて今の状況に(特に鐡牢に)恐怖しているだろうに、それでもカナは自分のことを心配してくれていた。今も保健室内のあちこちを駆け回って薬や包帯を持ってきてくれたり、慣れないながらも手当を手伝ったり、健気に対応してくれている。
まるで、自分に縋るように。
自分という居場所を失ったら、今度こそ立ち上がれない――そう思ってるように。
……思い上がり過ぎだろうか。
それでも思い上がりたかった。
「……カナを助けてくれて、ありがとうございます」
自分は一先ず、鐡牢に礼を言う。コイツが誰であれ、何より大切なカナを助けてくれたことには変わりないからだ。
――鎌川鐡牢。警察官の服を着た男。
本名不明、本職も不明。
殺人サーカスの場所に何故か侵入を果たし、今回、この先生の徘徊する校舎にも侵入してきた。
態々死地に出向くようなものだ――余程の物好きでないならば、何か共通の目的がある。ということは、前回のサーカスと今回の校舎の共通点を見出せば、コイツの目的が見えるかもしれない。
そして、その共通点は明白だ――どちらの場にも、自分、カナ、糸弦操という3人がいることだ。
普通に考えれば、この中の誰かに用があるということになるが――
「怖い顔すんなよ」
「っ!?」
……この野郎、耳元で囁いてきやがった! 思わず体を跳ねさせちまったじゃねえか。
その反応に大分ビックリしたのか、カナが「えーた、大丈夫っ!?」と大袈裟に声を投げかけてきた。自分は申し訳なさそうに「大丈夫」と答えた。
しかし。
怖い顔すんなよ、か。
カナに聞こえない様に小声で囁いてきたということは、用があるのは自分だろうな。
それも、『死城家』である自分。
ならば目的は自ずと決まる――復讐以外考えられない。
……もしかするとコイツも、あのダークウェブの短いリクルート文で集められた、『死城家』を壊す一味の一員なのかもしれない。その可能性は非常に高い。
(……だとすれば、だ)
カナを助けた理由が、全く分からない。
仮に自分を殺すのが目的ならば、カナのことは放っておいても良い筈だ。恐らく校舎の外で襲われたカナを助け、あまつさえ連れて来る意味が全くない。
理解できない。
何なんだコイツは。
もう、早く夢果から調査結果を教えて欲しかった。
だが今は、連絡手段を一切持っていない。その答えを聞くためには、まずこの場を生き残らなくては。
「ほい、コイツで終わりだ」
鐡牢――謎の男ではあるが、ややこしいので、偽名だろうと何だろうと『鐡牢』と便宜的に呼ぶことにする――の処置は終わったようだった。カナが隣にいるからだろうか、妙なことをした素振りはない。
……と、思う。
断定できないのがこんなに歯痒いとは。自分は思わず歯噛みしていた。だがそんな自分の気持ちなど歯牙にもかけず、白い歯を見せて笑みながら、鐡牢は続けた。
「ま、今したのは応急処置、ってヤツだ。もっとちゃんとした病院で見てもらうんだな」
病院――病院か。
あの『最低』先生の顔が浮かぶ。露骨に嫌だった。今度この怪我で通院したら、どんな小言を吐かれるか分かったもんじゃない。
……まあ、それでも行くのだろうけれど。
自分は『最低』先生――天荒良辞医師ほど腕の立つ医者を知らないからだ。
――全医師が匙を投げようとも、天荒という医師だけはその匙を拾い上げる。死という海に溺れそうになる患者を、これまで何人も救ってきた。
自分もその1人だし。
野間夢果も、そうだった。
そうしてカナの笑顔さえも守ってくれたのが、奴なのだ。
なのに、助けられた自分達は、外界から絶たれた死臭漂う学校にいる。だから天荒に嫌味を言われたとて、言い返す術は自分にはない。苦虫を噛み潰す様な気持ちを、甘んじて受け入れるしかない。
「じゃあ――」
そんなことを考えていると、鐡牢は立ち上がり、にこりと笑いかける。
先生が徘徊し、その犯人も居るこの学校。野放しにすれば、自分達に危害が及ぶことは必至。どうでも良いが、世間にも少なからぬ影響が及ぶだろう――それこそ、あの教室で全校生徒が雁首揃えて並べて晒された様に。或いは、先生たちが糸で操られている様に。
そう思える程、糸弦操の能力は明らかにあのサーカスの時より上がっていた。
……或いは、本当の実力を隠していたのかもしれない。そうだとすると尚のこと厄介だ。
『能ある鷹は爪を隠す』。最近授業で習ったこの諺が、現実味を帯びて襲いかかってくる。だったら、爪を隠させたままヤツの羽を毟り、地に追い落とし、2度と飛び立てぬ様にしなくてはならない。
そう、つまるところ、ヤツを倒すしかない。
別に自分でなくても良い。鐡牢でも構わないのだ。先生らをモノともせず蹴散らした力を持つコイツをけしかければ、自分がやるより容易いだろう。
自分は、鐡牢の言葉の続きを待った。
ややあって、鐡牢は、口を開く。
「……帰るか」
コイツは、今確かに。
敵前逃亡を、口にした。
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