『生物失格』 2章、フォワード、ビハインド。(Episode 3)
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Episode 3:時間殺しの過去話。
暇を潰す、ということを英語では「時間を殺す」と言うらしいことを、前に授業で聴いた記憶がある。その表現は言い得て妙だと思う。生産をし続けて社会を富ませることを最高善とする資本主義においては、何もしていない時間は即ち、生産性のない時間と同値だからだ。手待は憎むべき悪であり、殺害すべき対象でしかない。
時間を殺す為に、人々は何かを生産しようとする。仕事の進捗であれ、人間関係であれ、スマホゲームの進捗であれ、その他凡ゆる趣味であれ。社会が富んだからこそ殺し方は無限に用意されていて、人々は何か1つ武器を手に取って悪を殺す。殺してゆく。
……かく言う自分にとっては、この戯れた思考しか武器が無い。生憎ゲームは趣味では無いし、テレビは先にも言った通り趣味に合わず、本を普段読むことはあるが今は持ち合わせがない。
まあ良いだろう。この戯言さえあれば十全だ。『最低』先生が言った通りに俺の思考は愉快な程に空回る。遮る物は何もなく延々と回り続ける。つまりは幾らでも時間を潰すことができる。弾数無制限のフルオートマシンガンの様なものだ。そこまで凶悪ではないかもしれないけど。
……意外にも、あの『最低』に言われた「空回り」という言葉に根を持っているらしい。上手く切り返せなかったからか、それとも明確に馬鹿にされたからか。
どちらにせよ自分はガキだと思った。
年齢的にはガキなんだけれども。
……思考のキリが良くなったのでふと時計を眺める。カナが来るであろう時間にはまだ程遠い。
時間は物量的に同値でも、感覚的には等価では有り得ない。楽しい時間は速く過ぎ去り、苦しい時間は遅く進んでいく感じがする。亀の如き歩みを一体どれだけ進めれば、カナとの楽しい会話ができるだろうか。
――思えば、カナと初めて出会ったのも病院だった。
とある事情――思い出すのも悍ましく吐き気のする事情で病院に運び込まれ、その同室にいたのがカナだった。初めに見た時は目に光がなく、井戸のどん底のような暗さと湿っぽさを漂わせていた記憶がある。
だけど。
何故か自分を一目見て、少しだけ光が戻った。太陽の光が差し込んだようなカナは、とても明るくよく喋る可愛い女の子だった。
それから紆余曲折あって――思い出しても良いが、思い出すと途轍もなく長くなるし、過去を掘り返し蒸し返す人間は今を生きられないと思っているからこの辺りにしよう。自分は今をカナと生きたいのだ――まあまあ色々あって、カナと同棲するになったのだった。
お互いに両親のいなかった自分たちは、仕方なく2人で生きるしかなかった。だが、自分の方には置き土産の様に莫大な資産が残され(相続税とかその辺りも引かれているらしい、門外漢にして知り得ない)、何より強力なバックアップが付いたお蔭で、無情で非情で平等で対等なこの社会で生きることが出来るようになった。
ここは強運としか言いようがないのかもしれない。
強運。これは自分が、ではなくカナが、ということだ。
自分こと『生物失格』が強運だというのなら腹を抱えて笑える話だ。運も実力の内とはよく言うが、失格で実力試験から締め出されている自分には、強運など無用の長物でしかない。
いつ死んでもおかしくなかった。
いつも死のうと思っていた。
それでも生きていられるのは、生きていようと思えるのは、紛れもなくカナのお蔭だ。
そんなことを思い出すと、芋蔓式に記憶が呼び起こされている。
そう。強力なバックアップ。
後ろ盾というか後見人というか、その役割を担った変わり者が、あの時の病室にはいた。別の理由で同室に入院していた、自分より幾許か年上の少女。彼女とはカナも交えてよく話をしていたものだった。だから自然と自分も会話に混じっていたし、いつの間にやら不思議と、彼女だけはカナ以外の人間で普通に接しようと思う人間になっていた。
世間の言葉で言えば、『親友』というやつだろうか。自分が口にするにはあまりに空虚かもしれないが、自分の語彙ではこれが限界だ。
何故そんな存在になったのか。自分の入院の期間が長く、彼女と会話する期間が長かったからだろうか。それとも今も、色んなところで助力をしてくれているからだろうか。
何だかんだと彼女だけは特別な――いや、異質な存在となっていた。勿論カナには敵わないし、カナと彼女のどちらかの死を選ぶとするならば、迷いなく彼女を選ぶのだけれど。
冷酷で残酷だ。そんな奴に『親友』なんて言葉を使う資格など無いが、生憎それ以外の適切な言葉を持ち合わせていない。
「……今も元気にしてるんだろうか。ま、アイツなら元気か」
特段、心配するようなことでもないだろう。
今日も元気に牢獄の中で、パソコンを弄りながら仕事をしている筈だ。
「……ふう」
今の時刻は14時20分。
カナが来るまではまだまだ時間がある。あとどれだけ自分は時間を殺し続ければ良いのだろうか――。
ぷるる。
振動音。
突如、旧式な呼び出し音が新式な通話機器から、バイブレーションが鳴り響く。病室で鳴らしているなんてバレたら没収されるかもしれないが、まあ、そこはそこ。
どうせこの部屋は1人用だし、鳴らしていても何も問題ないだろう――問題があっても他の人など知ったことではない。
「……誰からだろう」
取り敢えず取ろう。話はそれからだ。
スマートフォンの画面を見る。
そこに表示されていたのは、『通知』の一言。『非通知』ではない――『通知』だ。だが非通知宜しく、電話番号は表示されない。
それだけで、誰からの通知かは把握できた。
「……噂をすれば影、と言うが本当にあるとは」
しかしまあ、時間殺しにはなりそうだな。
迷わず通話ボタンをタップした。
「……もしもし」
自分の当たり障りのない挨拶に対して、懐かしい声が返ってくる。
そう。
あの時、あの病室で聴いていた、あの声だ。
『――久しぶり。開口一番失礼するけど、君さ、相変わらず頭可笑しいよね』
――野間夢果。
職業、クラッカー――より馴染み深い呼び方をするならハッカーだが、彼女はこの呼び方を嫌う。
そして。
自分とカナの生活を保証する代わりに、獄中での監視の下、どんなクラッキングも担い警察に協力する、自分の親友だ。
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