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小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 17)

目次
前話

Episode 17:前門の彼女達、後門の獣。

「あ、えーた。やっぱりここにいたんだね」
 手を後ろに組んで首を傾げつつ、にこりと笑うカナ。自分も努めて笑顔を作った。ただ、上手く出来てるのかどうか分からない。

 どんな顔をすれば良いというのだ。

 隣にはマジシャン奇季、カナにとっては見知らぬ男、そして檻から出た猛獣ビスタ。まずこれに対する疑問が出て然るべきではないのか? 『えーた!? これ、どうしたの!?』というような。
 そうではなかった。カナから出た言葉は、最早疑問文ですら無い――『』。それは、この場所が想定済みであるからこそ出る言葉。
 つまりカナは――否。カナの形をした『何か』は、ここで自分達を待ち伏せしていた。目の前のカナが普段のカナと違うことくらい、すぐに分かる。伊達に長く暮らしていない。
「……えーた?」
 『カナ』が近づいてくる。微笑んだまま近づいてくる。奇季の語っていたピエロの力を思い出す。『魅了された人間は完全に希望の僕、たとえ何をされたとしてもニコリと笑ったまま』。
 もうここまで来ると舌打ちせざるを得なかった。笑顔を取り繕ってられるものか。

 ……ピエロめ。ピエロめ!
 最悪な手札を切ってきやがった!
 奇季の言葉を思い出す――『何を思ってるかは分からないけど、この舞台裏ツアーの直前に、希望がはっきりと一言ね。――ってね』。
 カナを殺さなかったのは、こうして操る為か。
 一体、何をするつもりなのか。カナを操って何を。
 弟を半殺しにされた為に殺しても止むなしと考える狂人は、殺害対象の恋人に何をさせるつもりだ。
 ここに来て自分は、ピエロとカナを一緒にした事を悔いた。今更か。今更だよな。反省は後だ。今はこの状況を打開せねばならない。
「……えーた?」
 、『カナ』は更に近づく。後ろ手に組んだまま。ピエロに操られたまま。
「どうしたの? どうして、何も答えてくれないの?」
「……何でもない」
 辛うじてそう答えた自分は、しかし一歩も動かない。カナを連れて帰る事が第一目標である以上、『カナ』から離れる訳にも逃げる訳にもいかない。どの道立ち向かわねばならないのだ。
 だから、何が起きようとも――。

「そ、良かった――なら、

 ――思考が吹き飛んだ感覚がした。
 突如、カナは手を背から前面へ。両手には。
 両手には。
 ナイフが握られていた
 である筈のカナが、ナイフを!
 剰えこの自分に対して――「死んで」とも。この後は間違いなく刺しに来るだろう。
 それで、自分を刺し殺すことに成功すれば! カナは間違いなく罪悪感に苦しみ、そうでなくとも恐らくカナは用済みとして処分されるだろう。

 ふざけるな。
 ふざけるな、ピエロ。京戸希望!
 お前だけは、カナとの言い付けを破ってでも殺してやりたい気分だ。
 いいや、殺してやる。必ず殺してやる。今更死城の汚名を被ってでも。
 なあピエロ、お前は自分を殺せれば死んでも良いと思ってるんだろ?
 なら文句は無いはずだ。

 『カナ』がナイフを構えて突進してきていた。もう一歩踏み出せば、自分の腹に刺さるところまで。
「っ、あ」
 させるか。
 させるかよ。
 カナに、自分は殺させるものか!
「あああああああああああっ!!」
 カナの手首を寸での所で掴む。ナイフの動きは一旦止まった。
 ここまでは上出来だ。後はナイフを落とせば良いだけ。カナと自分では力に歴然とした差があるから、どうにか――。
「えーた……えーた、えーた」
 カナが自分の名前を呼ぶ。それと共に、何だか力が強まっている気がする――いや、実際に強まっている。
 ナイフの切先が、ゆっくりと自分の腹に近づいている!
「えーたえーたえーたえーた!」
「っ!」
 嘘だろ。
 押さえ、込めない!
 少しずつ、近づいて来る。少しずつ、少しずつ。
 まずい、このままでは……っ!

「えーた、君っ!」
 奇季が腕を掴んで加勢する。お蔭でググッとナイフが腹から遠ざかった。続け様に奇季は叫ぶ。
「鐡牢さんもっ!」
「任せな!」
 呼ばれた鐡牢は、呼ばれるまでもなく既にカナの背後におり、カナの後ろ首に手刀を浴びせた。完璧な力加減だったのかそのままカナはナイフを離して気絶、鐡牢の腕の中に倒れた。その体は上下に揺れている――息に乱れは存在しない。凄まじい技術だ。
「っと。ギリギリ大丈夫そうだな。少年。この子はどうする? 俺が運ぶか?」
「……情けない話ですが、頼めますか」
 意地だのプライドだの拘りだのにしがみついている場合では無かった。カナを無事に脱出させるのが第一。だからカナの身柄は鐡牢に任せることにした。鐡牢は頷いた。
 予定は狂ったものの、第一目的は達した。次はこのサーカス拠点からの脱出。
 ピエロに操られたサーカス団員100名以上の大軍勢を強行突破する。最早陽動作戦などしている場合では無い。俗に言うプランBに移行だ。
「急ぐよ、えーた君、鐡牢さん!」
「……っ、はい」
「おう!」
「ぐるる」
 全員が応答する。退路は一直線。そこを邪魔を粉砕しながら逃げられれば勝ちだ。交番は近くにある事を知っていたし、第一、もう夢果を通じてSOSを送っていた――電話発信による救援信号を。じきに警察も駆け付けてくる事だろう。
 しかし、勝てる試合だ。
 このまま行けば、カナとの日常を再び取り戻す事が出来る。
 奇季が声を上げる。

「さあ、行」

 しかし、奇季は二の句を継がなかった。
 いや、継げなかった。
 ピッ、と何かが奇季の首を通り過ぎた気がした。その推定は確信に変わる。首を一周するように血が滲み、すぐにだらりと溢れかえる。刹那バランスを喪って、首が体から離れて血を噴出させながら地面で跳ねた。
 凄絶な顔をした奇季の生首が、自分の足元に転がってくる。地面に、血の跡が引かれていった。
「なっ――!」
 ピッピッピッピッ、と続け様に奇季の体から音が通過する。肩から胸を斜めに、また腰、太腿、脹脛ふくらはぎの辺りからじわりと血が滲む。血が流れる。そして。
 マジシャン奇季は、バラバラ死体と化した。ただの肉塊が、血の海に浮かぶ。
「っ、おいおい」
 鐡牢は苦笑いを浮かべた。流石は警察官なのか流石は鐡牢なのか、一切取り乱すことなく冷静に状況を押さえようとする。
 誰がやったのか。
 そんな疑問は自分の中にも。そして恐らくサーカスに潜入した鐡牢にも、答えは出ている筈だった。
 レーザーの様に体を切断。こんな芸当が出来そうな人間を、自分は知っている。

『有体に言えば、糸を使う子なのよ。人形を操れたり、林檎だって切れちゃうの☆』

 ピエロの言葉を思い出す。そしてその二つ名も。
 曲弦師。人形、林檎――人体。切断による極限死を与え得るあの少女。
 糸弦操。奴しかいない――。

「おいおい、キキちゃん。邪魔しちゃ駄目だろうがよォ〜」

 女性の声。
 だが、目の前にいるのは間違いなく糸による凶行を働いた女性。170cm以上はあるであろう長身に、腰あたりまで伸びた髪が特徴的な女性。月明かりに、血に濡れた糸がぬらりと光る。
 こいつは、一体誰だ? 糸弦操の関係者、例えば姉とか母とか師匠とか、そんなところだろうが――。
「ノゾミちゃんの邪魔は良くねェよなァ〜? 邪魔したらこのアタシが散り散りになる程切り刻んでやるって、散々言った筈だぜェ〜! ま、太陽が出てる内はアタシは姿だからどうにもならねェけどなァ〜!」
「……」
 ……子供の、姿?
 太陽が出てる内は?
 嘘みたいな可能性が、頭を過る。
 まさかコイツ――近親者などではなく、か?
「驚いたァ〜? 驚いたよなァ〜! そう! アタシがあのピエロの腕の中に収まっていたガキ、糸弦操、その真の姿だぜェ〜!!」
 ……どういう原理だ? 本人の言が正しければ、夜になると大人になる、或いは戻るということ。そんなファンタジーの様な設定が、この世にあって堪るか――。
 ……いや、か。
 考えられる可能性は、1つだけある。
「何つー顔してやがんだよォ〜? 『汚辱』の引き金、死城家の唯一の生き残りにして末裔、死城影汰クンよォ〜!」
 ……ビンゴ、か。
 この状況でその名前を自ら出すという事は、コイツも死城の呪いの被害者。呪いという存在するファンタジーなら、この状況を作り得る。
 ああ、もう。最悪な置き土産ばかりしていきやがって。クソ一族が。
「このアタシ糸弦操の体を、夜にしか元の状態になれねェ体にしやがってよォ〜! ふざけた呪いを掛けやがった復讐に、お前を今すぐにでも直々に殺してやりてェ〜!」
 ……確実に殺される。
 それだけの力量が、コイツにはある。
「だけどよォ〜」
 しかし、糸弦操は――曲弦師は否定した。指を何度か動かす。
「ノゾミちゃんに止められてるからよォ〜。なるべくお前は、苦しめて殺してやりてェってよォ〜」
 指を動かし続けている。
 自分の体には今の所異変はない。カナにも、それを抱えている鐡牢にも。
 一体コイツは、何を動かしている?
「だから、嬢ちゃんで失敗したら今度はを使って嬢ちゃんを殺してやろうって、そういう算段と判断らしいぜェ〜? なァ、ノゾミちゃん〜?」
「そうね☆」
 振り向く。いつの間に、ピエロが背後にいた。
 彼女はビスタに寄りかかり――体に、注射器を刺していた。
「流石に私の力じゃ、獣までは操れないみたいでね」
 既にシリンダーは下げられ切っている。中の薬剤は、ビスタの体に浸透している。
「君は、タダでは殺さない☆ ……私の弟をあそこまでボコボコにしておいて、楽に死ねると思うなよ」
 曲弦師は指を動かした。それと同時にビスタの脚が動く。爪の向き先は――カナの方。
 ビスタの目には光が無かった。薬剤の影響だろうか、明らかに正気を喪った目で。

 ぐる。
 ぐるるるるるぉぉぉああああああああっ!!

 ただの獣の咆哮を、ビスタは上げた。

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