小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 19)
Episode 19:プレイ・ザ・カード。
***
――サーカスに来てから今に至るまでの記憶が全て頭の中を流れていった。
気付けば今は、ナイフで抉った目から血を流すライオンが見える。
割と詳細な記憶の流れだった。人はこれを走馬灯と呼ぶのかもしれないが、生憎自分はまだ死なない。死ぬ訳にはいかない。
そこで倒れているカナが殺される訳にはいかないからだ。
「殺せ!」ピエロが叫ぶ。「何やってる! 殺せ!」
あまりの興奮に普段のキャラクターが剥がれていた。彼女の悲鳴に近い要求に、狂人君子たる自分は笑いを上げたくなった。ここで笑いを上げたらさぞかしホラーに見えるだろう。
ライオンの返り血をいっぱいに浴びて、肩を爪で貫かれて踏み潰されている自分が、痛みに悶えることなく笑ったら。
だけど、まだ笑い時ではない。
ぐるおおおおおおおっ!!
ライオンが吼える。目をナイフで抉られたのだから当然だ。どんな痛みなのかは想像つかないが。運良くも、痛覚を喪う前に目を抉られた事はないからだ。
「操!」ピエロがまた叫ぶ。それで正気を取り戻したのか、曲弦師の糸が意図を持って蠢き始め、ライオンの動きがまた始まる。右肢の爪が自分の肩から引き抜かれ、振り上げられる。シーソーと同じ原理で反対の左肢の爪に、より力がかかって右肩に食い込む。砕ける音が鳴った。ナイフを掴んでいる右手に力が入らなくなってしまう。神経がやられたか。構うものか。掴め。掴めよ。自分の右手。しかし上手く動かせない。
振り上げられた右肢。その位置から察するに、恐らく自分の顔面に振り下ろされるだろう。そうなって仕舞えば一巻の終わり。流石に自分も顔面を抉られて無事に帰れるとは思っていない。
だから、手札はここが使い時だ。
「……は」
口を歪める。息を吸う。腹から声を出せ。しかし演技ではなく、なるべく自然に。
ここの狂ったと自覚しているかもしれない奴らにも、そうでない奴らにも、しっかりはっきり聴こえるように。
笑い声を。
「はは、はははははははっ!!」
ピタリと。ライオンの攻撃が――曲弦師の操作が止まる。それだけで十分。
自分が踏み込んでいるこの地は戦場だ。一瞬の隙が命取りになる。
とは言え残念ながら、もう顔面を刺すような力は残っていない。そもそも神経が千切られているのかまともに指すら動かせない。
だからやる事は一つ。
自分は、忌まわしき血を引く家系の、その末裔なのだから。
使える力は全て使う――カナとの日常を守る為なら。
「ぎ――あああああああああああああああっ!?!?」
曲弦師が割れんばかりの絶叫を放った。
それ程痛いのだろう。右肩を破壊され、左肩に爪を食い込ませられた傷というのは。正常な人間であれば耐えられる筈のない痛みだ。
痛みで夕飯のビーフシチューの溶解物を嘔吐する曲弦師は、まだ正常であるらしかった。正常であることに感謝だ――正常でなかったら自分は死んでいたのだから。
ライオンは、振り上げた右肢を振り下ろすことはせず、そのまま体ごと自分にのしかかってきた。少し骨の軋む音が聞こえた。息がしづらい。しかし退こうにも力を入れるべき両肩は負傷してどうにもならなかった。目から流れて来る血が、既に血塗れの自分を伝ってアスファルトに染みる。
ぐるる……。
ライオンは――ビスタは、喉を鳴らした。弱りきった声であるが、その声は確かに甘えている声だった。
……この期に及んで、もう自分はそれに応える事などできなかった。資格がない。ある訳がない。
ビスタはそのまま、自分の応えを待つ間もなく、呼吸に合わせた体の上下が緩くなり――遂に、動かなくなった。
ビスタは、死んだ。
いや、殺した。
自分が。この手で。良好な関係を構築できる期待値をほぼ零と断定した自分は、可能性諸共、ナイフで目を抉って殺したのだ。
だから、お前に応える資格はない。どの面下げて応えれば良いというのだ。
「こ、の……!」
ピエロが近づこうとした。殺す為だろう。ああ、そうだ。そうだよ。感傷に浸っている場合ではないぞ死城影汰。
しかしそんなことくらい想定済みだ。他の団員も同様に近づこうとすることさえも。
対処法は指を動かすよりも簡単だ。
「そいつみたいになりたくなきゃ、近づかないことだ」
細い息を吐きながら答える。
目線の先にいる曲弦師は、あまりの激痛に地面に突っ伏したまま肩を抱いていた。今は何もすることが出来まい。腕が千切れそうな痛みを比喩表現抜きに味わっているのだから。
それを見た団員は尻込みした。人間というのは不思議なもので、仲間が命を失うとそれでもって闘争心を燃やすが、仲間が命を失わずに再起不能な痛みに襲われているのを見ると戦闘意欲が減退する。『次は俺もこうなるのだ』と、嫌でも想像してしまうからだ。
もしこれに対処するならば、選択肢は2つ。仲間が痛がる事に何の感情も浮かべないサイコパスとなるか。
「お、前えええええええええええっっ!!!」
別の怒りで塗り潰してしまうか。
ピエロは後者を採ったらしく、自分への憎悪をエネルギーにそのまま駆けてくる。
「殺す! 殺してやる! お前のナイフで顔面を滅多刺しにしてぶち殺してやるっ!!」
復讐しないと気が済まないなら、その位はしてくるだろうとは思っていた。
勿論、宣言通り呪いを使って黙らせても良い。それで止まるかもしれないが、アドレナリンが噴出している脳にどれだけ効果があるか。人体には不思議が沢山なのだ。
さて、こんな絶体絶命のピンチをより早く事態を収拾する方法がある。自分はもう散々色んなことがあって疲れたから、後は外野に任せるとしよう。
ということで――切り札を切る。
「手を上げろっ!」
突如、怒号が場を支配する。
サーカス団の入り口から、ぞろぞろと警察官がやって来た。
そう、もう警察には既に連絡が行っている。常に突撃が出来るように――全て夢果がお膳立てしてくれていた事。
彼女には感謝してもしきれない。後でどんな要求をされるか怖いが、それ程変な要求はしてこないと信じている。
警察に拳銃を向けられ、立ち止まったピエロは尚にたりと笑う。
「撃つ覚悟があるのなら撃ってみてよ☆」
くるりとその場で回りながら笑みを浮かべた。ピエロ化粧は落としていたが、それでも圧のある可愛い笑みだった。
……。
そう。残りはこれだけだった。
この牙を抜く笑顔或いは視線。これを攻略しないことにはどうにもならない。
しかし、それも対策済みだ。
「目を見るな、って言ってたよなァ!」
ピエロの背後から期待通りに、既に忠告を与えていた鐡牢が特攻する。
ピエロは突然の事態に対応しきれず地面に伏せさせられる。そのまま乗り掛かられ、片手で顔をアスファルトに押さえつけられ、もう片手で腕を背中側に垂直に上げさせられた。
「っ!?」
あまりの手早さに驚愕し、ジタバタと抜け出そうとしていた。
「……勘弁してくれよ」
鐡牢は下で抵抗するピエロを見て、言った。
「壊したくねえんだよ、今」
ほら、早いとこ逮捕してくれ。
周囲の警察官に言うと、はっ、と我に返ったかのように手錠を手に近寄る。
「コイツの目は見るなよ!」鐡牢は続けて警告した。「目を見れば、さっきお前らが呆けてた様に何も出来なくなるからな!」
鐡牢の言葉に従って、警察官達はなるべく目線を合わせない様ピエロの手首を凝視し、そして手錠を掛けた。同時に目隠しもさせられる。
「午後10時49分、現行犯逮捕する」
警察のお決まりの文句が響く。
「ぅ、っ、ああああああああああっ!!」
ピエロの敗北が、絶叫にて伝えられた。
これで、漸く終わる。
「ご協力感謝します」
警察官の声が聞こえる。鐡牢に対しての感謝だった。残りの団員達も任意同行を求められている。その横で、カナが女性警官に抱えられていった。よかった。これで守りきれた。
警官が2人程駆け寄ってきた。刑部とその取り巻きだった。自分の姿を見るなり、刑部が何かを絶叫した。何を言っているのか分からなかった。
それだけ疲れた。本当に、疲れた。
暫く、また眠るとしよう――。
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