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心身ともに忙しくしていた10月前半。

おはようございます。

だいぶ間があいてしまったので、今回は少し長くなると思います。何回か分けて書きたいと思っていた内容を、ぎゅっと詰め込みます。

10月に入り、先月よりも時間の流れを早く感じるようになりました。気が付いたら1週間がたっていて、あれ、あの授業もう先週の話か、早いな、みたいな感じです。スーパーでの買い物も人と話すのも、1つひとつが事件だった先月と比べて、こちらでの日々がちゃんと日常になってきているということなんだと思いますが、慣れでなんとなく流れていかないように、ちゃんと大事に日々を噛みしめる感覚は忘れないようにしないとな、と思っているところです。とはいえ、やはりふとした瞬間に目に入った景色に、きらきらと心が躍ったりはしていて。この土地で学んで、きちんと自分で身の回りを整えながら生活をしているということが、今はそれだけで充実だったりしています。
いちばん自分で驚いているのは、想像以上にちゃんと料理していることですね。日本では実家暮らしだったので、自分で料理することはほぼなくて、圧倒的に作ってもらいたい派だったんですが、今は全く料理が苦ではないです。むしろ、その間だけは音楽のことやドイツ語のことを忘れて、切ったり炒める作業に没頭できるので、その時間を自ら欲している気すらします。簡単で同じようなものしか作らないし、まあなんせ物価が高いので、生きるためには自炊せねばという面もありますが……あとはシャワー入る時間ですね。以前はお風呂なんてもう面倒で面倒で仕方なかったけど、こちらに来てからは、日に日に傷む髪の毛の質をなんとか何とかして保とうチャレンジを毎晩開催していて、そうしたらだんだんドライヤーとか楽しくなってきています。近くのLidlというスーパーでトリートメントを発見して以来(こちらではほとんどの場所でシャンプーしか売っていなくて、コンディショナーなんで誰も使わないようなのです。はっきりとはわかりませんが、、毎日髪を洗うだけでも驚かれるので、髪をサラサラに保とうという概念がないのかもしれません)、私の髪の毛は結構頑張っています。

さあ、10月はここまで色々ありました。当たり障りのない話からいくと、先週誕生日で、22歳になりました。今年は、日本の友人が日本時間0:00、スイスで日付を越える前からメッセージを送ってくれて、誕生日が30時間くらいあるという幸せな経験をしました。
なんせこちらに来て1ヶ月ちょいなので、レッスンと授業でいっぱいいっぱいだし、自分でパーティを開く余裕はまだないし、今年の誕生日は静かに過ぎていくだろうと思っていたんですが、想像以上にたくさんの友人からhappy birthdayをもらい、ルームメイトや友人からはお手紙とプレゼントももらい、とても嬉しかったです:)) 日本では毎年、母の作るアップルパイを誕生日ケーキに食べていて、その味が非常に懐かしいんですが… その話をしたところ、じゃあ今年はスイスで作ろう!と言ってくれた人もいて、当日はその代わりにリンゴケーキを作りました。非常にピースフルな1日になりました。私は本当に今まで、どこへ行ってもいい人たちに囲まれて、本当に恵まれているなあと思います。

その翌日からはスイスでの初仕事をゲットして、4日間ベルンを離れ、Trunという山の方の土地で、ユースオーケストラのエキストラをしてきました。全部で3公演、1日ずつ別の場所で公演をしたので、美しい景色はもちろん、チーズと、自分では高くてなかなか買えない肉料理と、移動の道すがらもひたすらにスイスの山景色を楽しめるという、スイス生活初心者の私には非常に心躍る4日間でした。

日の出前

ただ、泊まった部屋も1人部屋ではなかったので、慣れない言語と文化が飛び交う中、4日間どっぷり誰かと共同生活というのは、正直すこし疲れもありましたが(笑) こういう場をノーストレスで楽しめるくらいまで、英語もドイツ語も上達したいところですね。頑張ります。
そして嬉しかったことがひとつ。最後の公演を終えたあと、上品なおじさまに「トロンボーン吹いてた人ですよね?」と声をかけてもらいました。そうですと答えると「本当にいいサウンドでした。ナブッコのコラール(ご存じない方はSpotify へgo)、、本当に良かったです」と。楽器も持っていなかったし、完全ダル着私服状態のガキンチョの私に、丁寧に言葉を伝えてくれました。今回がスイス最初の本番だった私にとって、それはこちらで最初にもらった演奏後の感想になりました。すごく嬉しかったですね。こういう小さな嬉しい言葉を、ちゃんと心に留めておける音楽家でありたいなと思います。

世界情勢も落ち着かないですね。私は学生用の、WGと呼ばれるシェアハウスのようなところに、友人3人と住んでいるのですが、そのうちの1人が、イスラエル出身なんです。ここに来て1か月、色々と助けてもらって、一緒に授業も受けて、私にとって彼女はもうすでにすごく大切な友人なんですが、数週間前の土曜日の朝、起きたら、彼女が目を腫らしてニュースを見ていて、起こった出来事を知りました。
ここ数日、彼女の話を聞いたり、他の友人と話をして私が思ったことをここに書きます。これはこういうところで書くかどうか悩みましたが、ひとつは私の気持ちのため、もうひとつは、もしかしたら同じ気持ちの人もどこかにいるかもしれないと思って、言葉にしてみることにしました。

私は正直なところ、その国の歴史も背景も情勢も、何も詳しくはなくて、争いが多い地域、というような認識しかありませんでした。きっと今まで何度も、その地に関わるニュースも目にしてきたのだろうし、いつもどこかで戦いは起きているのも、知ってはいて。でも、知ろうとしていたとしても、やっぱり当然他人事の域を出ない出来事だったんですよね。それがいざ、身近な友人に起こった出来事となった瞬間、すごく近くにその事態がやってきたような気がしていて。それでもやっぱり、私はその土地の人間ではないから、決して自分ごとではなくて。なのに、しんどい気持ちには、無責任に簡単に食われてしまう距離感で。今までの私のこういう時のスタンスは「無関心でいてはいけない」「何もできないとしても、知ることはできる」というものだったけど、いざ今彼女の言葉をどう捉えるのが正解なのかとか、何も言えない自分はどうなんだとか、そういうことはどうしても考えてしまっていたんです。

ただ、その話をある友人にしたところ、その人はこう言っていました。「ニュースはいつでも、良くない話しか運ばない。つらい話は、自分の気持ちを暗くするでしょ?だから、僕はいつもニュースからは距離を取ってる。今の自分の楽しい時間を優先してる。知らなくていいこともある」と。
「知ることはできる」という私のスタンスは変わりません。だから、これに100%の同意はしかねるけど、私はその瞬間その言葉に結構助けられた気がしました。それから、彼女自身の言葉ですね。「他人事で構わない。ただ、みんな偽った言動をしないでほしいし、知ったふりをしないでほしい」と。

それ以降私は、最高のルームメイトである彼女の話はまっすぐに聞きたい、彼女の大切な人が無事であってほしい、彼女が傷つくことが起こらないでほしい、そう心から願っているし、最低限のニュースは見るけれど、それ以上の情報としんどさからは、今は距離を取るようにしています。

ときどき、自分と誰かの背負っている荷物が違うことに、ハッと気が付くことってあると思います。私はこちらに来てから、結構そういう気持ちになっています。スイスは兵役があるので、軍のユニフォームを着て学校に来ている同級生がいたり、いろんな人と知り合うだけ、戦争してる地域なんていくらでもあるんだと気づきます。日本のなかでもきっと同じようなことはあって、不可抗力で、自分の力ではどうしようもなく何かを背負って生きている人が周りにいることってあると思う。そしてそれを感じたとき、あまりに自分は身軽で気楽で幸せで、そのことに少し負い目を感じたりすることもある。でも、その必要はないんだと思います。自分の環境に感謝をして、今の自分にできる精一杯を生きればそれでいい。そして、幸せになるために、辛くならないために、自分のキャパ以上に背負いすぎた情報や人を手放すことに、罪悪感を覚える必要はないんだと思う。幸せでいい。もっと幸せになろうとしていい。当然ながら。

、、、とまあこんな感じ。長く重めになりました。ただ、こういう気持ちを経験できて、こういうことを考えていることも、ここにきて生活している財産だなと感じています。

そろそろレッスンについて書きたいと思いつつ、私の脳内はいつも擬音語と感覚で情報処理しているので、文章にするのが少々おっくうになってしまっています。ただ、本当に充実しています。Ianのアルバムを買い集めていたときの私が、いつも頭上から「キミはホントに幸せ者だな」と声をかけてきます。本当にそう思います。もっと頑張ります。








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