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「看護」とは 産業保健に携わる中で考えてみた

お疲れ様です。
私は現在中小企業を対象に産業保健活動を行っている保健師です。
保健師として働く前は病棟看護師として働いていました。
学生時代から「看護とは」を考える機会がたくさんあり、社会人になった今でもずっと考え続けています。今回は、今の時点(2023年3月22日)で私が思うことについて書いていこうと思います。

この内容は、看護学生で「看護ってなんだよ!」って思っている人や看護学校入試面接対策のため「看護」について知りたいと思い、検索してたどり着いた人向きの内容ではありません。軽い気持ちで読んでください。



ひたすら「看護とは」を考えさせられる学生時代

私が高校卒業し専門学校に入学してから最初の課題が「あなたの看護観」というテーマでレポートを書くというものでした。
なんだよ看護観って。専門学校に入学して、これから【看護】について学ぶと思っていたのに、入学早々看護についての考えを書かなければならないのかと、絶望した記憶があります。正直、社会人になって8年ほど看護職として働いてきましたが、今も「私の看護観」なんて語れません笑。
(なんで看護だけ看護観ってあるんですかね。医師観とか放射線技師観とかないのにね。っていうか、看護観ってなんなの。)

入学早々、こんな課題が出る看護教育界。この例からもお分かりの通り、とにかく、看護に携わり始めてから幾度となく「あなたにとって看護とは?」「看護とは何か」という質問と向き合わなければならない機会が出てきました。その度に「なんなんだろうなぁ」とモヤモヤして、ここまできてしまいました笑。

看護は様々な理論によって行われる

【看護】を考える上で外せないのは、様々な理論(※1)だと思います。
オレムやヘンダーソンなど様々な理論家について、学生時代に学んだ記憶がある看護職は多いのではないでしょうか?
「看護の理論?」と思われる方も多いかとは思いますが、実は対象に必要なケアを考えたり評価するためには、理論が用いられています。

看護理論は、看護における知識を体系化し、看護に関連した現象をより明確かつ具体的に説明するための枠組みである。
看護理論は、看護実践を支持するための知識体系を表現したものである。

https://www.oita-nhs.ac.jp/journal/PDF/12_2/12_2_4.pdf

特に、アセスメントと援助に関する理論については、病院や学校の方針によって、どの理論が使われるかが変わってきます。入職した病院によっては、学生時代と全然違った理論のもと、看護に携わることになる人も多いのではないでしょうか。
慣れてくれば無意識にでも、対象に必要なケアを考えられるようになってきますが、初めのうちは対象の状態を理解する視点、理解した上で何をしていくか考えるための引き出しがない状況です。そのため学生時代から、どんな視点で対象に必要なケアを考えるかの訓練がされます。


私が影響を受けている理論

私は専門学校1年生の頃はヘンダーソンの「14の基本的欲求」を元に看護について学びました。これは、ナイチンゲールの看護論を受け継ぎ発展させた内容で「人は14の基本的欲求を持っている」「その人らしく充足した生活ができるように援助の必要性と程度を判断し、その程度に応じて自立できる状況を整える看護ケアを目指す」というものです。内容としては、基本的欲求を満たせていないものを項目ごとに確認し、ニードを満たすためにケアをする、という内容です。どちらかというと問題解決型の理論です。

ヘンダーソンにとっての看護

看護師の独自の機能は、病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。その人が必要なだけの体力と意思力と知識とをもっていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。

ヴァージニア・ヘンダーソン著、湯槇ます他訳:看護の基本となるもの(再新装版)、2016

私が一番影響を受けた看護理論は3年生以降に学び使っていた、KOMIケア理論です。金井一薫先生という先生の理論で、こちらもナイチンゲールの考えをベースにしてはいますが、対象の持っている力を引き出すための理論です。

金井先生が考える看護

看護とは、体内に宿る自然治癒力=生命の回復のシステム=生命の自然性が、体内で発動しやすいように、その人を取り巻く生活の条件・状況を、生命力の消耗を最小にするように、また持てる力を最大に発揮できるように、最良の状態に整えることである。

https://nightingale-a.jp/komi-care-theory/

ヘンダーソンの「14の基本的欲求」で、対象のできないところ・不足しているところばかりを考えていたため、KOMIケア理論は私にとって、とても新鮮で新しい視点の理論で、前向きな考え方だと感じた記憶が残っています(10年以上前の話)

産業保健に携わるようになってから、これまで法令遵守のための支援ばかりを行ってきましたが、その中でも「この事業所にはこんな考えの担当者がいる」「この企業にはこんな制度がある」「この企業にはこういう理念がある」など。
【組織の安全衛生の状況をよくするために、組織が持っている力を、さらに引き出すために、何ができるのか】を考えられたのは、学生時代にKOMIケア理論を通してケアを考えてきた影響が出ているのではないかと思います。

産業看護を行う上での理論?

産業看護を行う上で活用できそうな、アセスメントと援助に関する看護理論ってないのかな〜って思ったりしたけれど。あんまりよくわかりませんでした笑。地域看護で学んだ地域診断的なものが一番、組織の理解と支援を考える上では活かせるのかななんて思ったりしました。
もしこういうの使ってるよ〜とか、こんなのも活かせそうだよ〜と言うものがあったら教えて欲しいです。もしないのであれば、どなたかぜひ産業看護理論を提唱して欲しいです笑。


産業保健の中で看護とは

これまで、産業保健に携わる中での看護職ってどんな役割なんだろうと考えることがありました。なぜなら産業医じゃないとできないことはありますが、看護職じゃないとできない業務ってないんですよね。逆になんでもできるのが看護職。ある意味それが強みですよね。
よく学会でも「看護の専門性」なんて言いますが、じゃあ「看護ってなんだよ」っていう疑問に私は戻ってきてしまうんです。

日本産業衛生学会産業看護部会では産業看護をこのように定義しています。

産業看護とは、事業者が労働者と協力して、産業保健の目的を自主的に達成できるように、事業者、労働者の双方に対して、看護の理念に基づいて、組織的に行う、個人・集団・組織への健康支援活動である。

http://www.sangyo-kango.org/section/definition.html

じゃあ、看護の理念ってなんだよっていうのがこちらです。

健康問題に対する対象者の反応を的確に診断し、その要因を明らかにして、問題解決への支援を行う。その支援に際しては、相手を全人的に捉え、その自助力に働きかけ、気持ちや生きがいを尊重することが求められる。

http://www.sangyo-kango.org/section/definition.html

いやー、高度です。言ってることが私にとっては難しい笑。なんとなく意味はわかります。でも【看護の理念】ではありますが、産業医にも通ずるだろうなぁなんて思ったりもしました(ゴニョゴニョ)(実際、書いて内容って産業医もやってますよね…?)


ただ作業をするのは専門職じゃない

産業保健の中で看護ってなんなのか私には、あんまりわかってません。多分これから色々さらに模索していくんだろうなと思います。
現在、産業看護職である私にとって、医療専門職とは。必要な業務(作業)を何も考えずに行うことは専門職ではないと感じています。

専門学校時代に先生に言われ自分の中に刻み込まれている言葉があります。

体温計で熱を測ることは、近所のお姉さんでもできる
おでこに手を当てて「辛いね」って言うのも、近所のお姉さんでもできる
測定した、その数値から何が考えられるかをアセスメントして行動するのが看護師

この言葉から、私にとって看護とは「しっかり観察すること(対象を知ること)」「アセスメントをした上で、対象にとってより良い状況にするために考えて行動すること」がベースだと最近は感じています。
だから、ただただ何も考えずに、業務や作業を行うのは看護とは言えない。
「自分がやっていることが組織にどう影響するのか」「組織に影響を与えるために何を考えて、どう行動すればいいか」これらを考えて行動できるのが専門職だと思います。

看護職の三つの関心

私には専門学校時代に出会った戦友がいます。彼女は臨床で長年経験を積み、現在看護学生の教育指導を行っています。彼女とはこれまで「看護」について色々なことを話してきました。
そんな彼女から先日聞いた【ナイチンゲールの三つの関心】は産業看護にもつながるものがあると感じました。

看護婦は自分の仕事に三重の関心をもたなければならない。
対象への知的な関心
実践的・技術的な関心
心のこもった人間的な関心

ヴァージニア・ヘンダーソン著、湯槇ます他訳:看護の基本となるもの(再新装版)、2016

ここから私は、産業看護的にはこんな風にも読めるかなと思いました。

産業看護職は自分の仕事に三重の関心をもたなければならない。
組織を含めた対象に対する関心を持つ
対象の理解や課題対応のための技術の資質を向上する(自己研鑽をする)
企業理念や従業員一人一人の価値観を尊重する

何が言いたいかと言うと、関心を持つことが看護には大事じゃないかなっていうことです笑(何も考えずに作業をするのが看護じゃないって言うのと繋がるよ!って言う話をしたかったの!)
正直、もっと知りたい!って言う関心がなくなってしまったら、もう看護職ではないかもしれないとまで、私は思っています。


自分は看護職だという自覚

今、産業保健に携わっている看護職が「自分は産業保健職」と自覚する場面は日常で多くあるかと思いますが「自分が看護職だ」と感じる場面はあるでしょうか?
保健指導をしているとき?健康教育をしている時?従業員の人に『保健師さん!(看護師さん!)』と呼ばれた時?感謝を伝えられた時?

正直私は日々の業務で「自分は看護職だ」と感じる機会は少ないです。
そんな中でも、看護職として企業に貢献したいと言う思いだけで、なんとかやってきました。

これまで、組織や事業が全然思うように動かなかったり、難しいケースをたくさん抱えたり、これも私(産業看護職)の仕事なの?って思うこととも多々向き合ってきました。
そんな時に、一度振り返って、色々考えてみるのって大事だな〜って思います笑。もしかすると学生時代に習った看護理論を用いて対象を把握してみたり、組織を捉えてみると新たな発見があるかもしれません。(なーんてね)

実際私は「この組織は法律で決められている、アレもできていない」「必要なアノ制度もない」など、マイナスなところばかり感じている時期がありました。でも学生時代に習ったKOMIケア理論の考え方に立ち返ったときに「じゃあ、この組織の強みってなんだろう」ということを考えられる、きっかけになったなと思っています。

看護学校で劣等生だった私が看護について考え続ける

私は、看護専門学校時代に実習で患者さんとうまくコミュニケーションが取れず単位を2回も落とした経験があります。3年間で2回もです、多分中々経験した人もいないのではないかと思います笑。
実際に実習中に先生から「看護師にはならない方が良い」と言われたし、私自身も看護師向いていないと感じていました。そんな私ではありますが、外来看護にも病棟看護にも携わり、現在は産業保健の現場で看護職として働いています。

学生時代から看護って何か分からず、今もちゃんとわかっていない。ヤバい系看護職ではありますが、今後も「看護とは何か」を考えていきます。
環境や立場が変わっても看護師・保健師として働く以上、私は看護を行う医療専門職。
これまで学んだこと・経験したことを踏まえながらも、自分の役割、専門性って何かを日々考えていこうと思います。

※1 ここでいう「看護理論」とは主に広範囲理論、中範囲理論のことを指しています