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徹底紹介!これだけあるマーラーの交響曲第10番全曲完成版と録音の数々

マーラーの死により未完成となった交響曲第10番。
しかし、作曲者の死によって作品が葬り去られたわけではなかった!
戦後、次々に現れた全五楽章完成版を徹底検証。

■未完作品のジレンマ

マーラーの交響曲第10は、かつてマーラーの作品研究の分野でホットな題材の一つであった。それは、マーラー最後の作品というだけでなく、作曲家の死により未完で終わっているためだ。最後の作品は、しばしば「白鳥の歌」と呼ばれて特別視されることも多い。作曲家――に限らず芸術家全般にいえることだが――の最後の作品というだけでも興味がわいてくるのに、未完成のまま残されているとあっては、俄然興味がわいて来る。

作曲家には二つのタイプがいる。最後の作品が完成した人と、そうでない人だ。作品が未完成となるのは作曲家の死による場合が殆どだ。その作曲家の熱狂的なファンであれば「完成していたらどんな作品になったんだろう?」と想像をたくましくしても不思議ではないだろう。まして、その作品があと一歩で完成するところまで出来上がっているとしたら――。

マーラーの交響曲第10は、正にそういう作品だ。全体的な構成は、草稿が四・五段の略式総譜(コンデンス・スコア)と、それに対応するメモの形で書き上げられていいて、作品全体の骨子はかなりはっきりしている。完成していれば全部で五楽章の交響曲となるはずだった。

オーケストラ作品の場合、作曲それ自体よりも、問題となるのは「仕上げ作業」にあたる総譜(フル・スコア)の管弦楽配置(オーケストレーション)だ。マーラーの第10番の場合、第一楽章は殆ど完成、第二楽章「スケルツォ」はアウトラインがほぼ完成、第三楽章「プルガトリオ(煉獄)」は最初の30小節が総譜の形でほぼ終了した状態。第四・五楽章は、曲は最後まで途切れなく続いており、前出の略式総譜に文字で取り敢えずの楽器名が指定されてはいるものの、それだけでは十分ではない。

もちろんオーケストレーションの際は、略式総譜にあるの音符に楽器を当てはめていくだけでなく、新たなメロディーや対旋律、伴奏や和声の付加、細かな装飾も行なわれる。特に打楽器は、オーケストレーション時にスケッチより大幅に付け加えられることが多い。

このように、マーラーの第10は「未完成」といっても、楽曲としての基本的なラインはほぼすべて生前のマーラーによって手がけられている。そこで、「どうしてもオーケストラの音で作品を聴いてみたい」と思ったら、自分で仕上げてみようと考える者が現れても不思議ではない。しかし、「マーラーのような偉大な作曲家の作品を他人が補完して何の意味があるのか」といった意見も一利ある。
実際――中にはミヒャエル・ギーレンのように途中で他人による補完の否定派から肯定派に鞍替えした指揮者もいるが――、マーラーの手によるオーケストレーションがほぼ完成している第一楽章しか演奏しない指揮者も少なくない。完成版の録音を残していない指揮者が必ずしも否定派とは限らないけれど・・・。

後世の研究家による補筆完成版(註*を受け入れられるかどうかは、「全曲を聴いてみたいけれど、マーラーによる完成形でなければ無意味だ」というジレンマを超えたところにある。結果的に賛否いずれの立場を取ることになるにしても、マーラーの世界を愛しているのなら、一度は完成版を聴いておいた方がいいだろう。そのためには、どのような完成版があり、それぞれどのような特徴があるのか、そしてどんな録音があるのか把握しなくてはならない。本稿が、そのお役に立てたなら幸いである。

(註*
後世の研究家もそれほど傲慢ではない。ここでは便宜上「補筆完成版」としたが、実際には「オーケストラで演奏するための実用版」として制作されるケースが殆どである。以下、そのことを考慮し、「補筆完成版」ではなく「全五楽章版」と表記する。

■交響曲第10補筆完成への道

 マーラーは、交響曲第10番を1910年に、作曲開始からほぼ2ヶ月で現在残っている形まで仕上げている。とてつもなく規模の大きい交響曲第8番《千人の交響曲》や、全体の楽章数は少ないが、第10とほぼ同規模の交響曲第9番が約2ヶ月で完成していることを考えると、完成していてもおかしくない期間だが、第7番が完成まで二夏を要していることを考えると、特に遅いともいえない。

ただ、妻・アルマとの関係の悪化が顕著となり、精神的な負担が大きくなってジークムント・フロイトの診察を受けるようになると、交響曲第8番初演の準備や、ニューヨークを中心とした米国への演奏旅行など、公私共に忙しくなったこともあって、第10の「仕上げ作業」はこのタイミングで一端切り上げられている。
マーラーは、交響曲第7番同様、二夏に分けて作品を仕上げるつもりだったが、その見積もりは叶わず、そのまま亡くなってしまう。既に死期を悟っていたマーラーは、もしこの曲が完成に至らなかったら、全ての草稿を廃棄するようアルマに言い遺してもおり、最悪のシナリオの一片が現実のものになってしまったわけだ。

■遺稿の出版と初めての補筆版

しかし1924年、マーラーの死から13年の沈黙を破り、アルマは友人で音楽学者のリヒャルト・シュペヒトの勧めで、ウィーンのパウル・ソルナイ(アルマの娘、アンナ・ユスティーネの夫)社から、遺稿をファクシミリで出版することを決意する。
またシュペヒトは、第10の草稿が「音楽の横の流れが大幅には途切れていないので『少し』手を加えればオーケストラで演奏可能な状態になる」ので「マーラーに傾倒していて彼の音楽語法に精通した人物に仕上げてもうらうように」とアルマに進言。
シュペヒトはシェーンベルクを候補としていたが、アルマはマーラーと同じ指揮者であり作曲家のエルンスト・クシェネクに、完成度の高い第一楽章と第三楽章の完成を依頼。
これが第10初めての補筆版となった。

■補筆完成の発展期

クシェネク版は1924年10月14日、フランツ・シャルク指揮ウィーン・フィルの演奏で世界初演。ほどなくしてツェムリンスキーがプラハで再演するが、若干手を加えて演奏した。1951年には、クシェネク版を音楽学者のオットー・ヨークルが校訂を務めた「ヨークル版」が、アメリカのA.M.P.社から出版された。

*チャールズ・アドラー指揮ウィーン交響楽団によるヨークル版の録音


*ジョージ・セル指揮クリーヴランド管によるクシェネク版の録音

草稿のファクシミリとクシェネク版が、出版という形でマーラーの遺稿を公にした結果、意外な反応が起こった。
1935年という早い時期には、フリードリヒ・ブロックが四手ピアノ版を制作しているが、マーラー学者を中心に、戦後、草稿全五楽章のオーケストレーションを仕上げたいとの機運が高まっていった。

1946年にはクリントン・カーペンター、1953年にはジョン・ホイーラー、1954年にはハンス・ヴォルシュレーガー、1959年にはデリク・クックが全五楽章版の制作に着手(完成時期などの詳細については個別の項参照のこと)。
ヴォルシュレーガーの完成版は、一応の完成は見られたか完成間近までいっていたようだが、全五楽章版作成に反対する「マーラー全集」の校訂者、エルヴィン・ラッツの申し出にコミットする形で、1974年に自ら撤回してしまった。

なにはともあれ、まだマーラーの作品が一部の作品を除いて広く聴かれていなかった時期に、これだけの人たちが完成版の制作に積極的に携わったのは驚くべきだ。カーペンターが着手した時期には、第一楽章「アダージョ」の録音さえなかったし、その録音がぽつぽつ出だした五〇年代でも、全五楽章を完成したとしても演奏される保証はなかった。

まして、「アダージョ」のマーラーによるオリジナル・スコアでさえまだ出版されておらず(最初の出版は1964年)、演奏に当たってはクシェネク版が取り上げられるのが常だった。

実際、「アダージョ」の初録音は、1953年末に出たシェルヘン指揮ウィーン国立歌劇場管盤[WESTMINSTER](録音は同年7月)の他、メジャー・レーベルによる初めての録音(1968年、クーベリック指揮バイエルン放送響[DG])まで、どれもクシェネク版で演奏されている。
後にCDで発売されたこの時期のライヴ録音も、全てクシェネク版で、クシェネク版が影を潜めるのは1970年に入ってからになる。

そのような時期に、「遺稿を完成させよう」と決意し実行した彼らの仕事は、「マーラーの遺稿に他人が手を加えるのは意味がない」という意見は正論だとしても、その事実だけでも評価すべきではないだろうか。

■次々に復刻されるクック版以前の稿と新たな稿

1950年代の「カンブリア爆発」は、後の世の糧にもなっている。その起爆剤はクック版だ。

アルマにより、クック版が正式に承認されたばかりでなく、新たな稿の制作の許可が得られたのだ。それによって、クック以前の稿が大手を振って公表できるようになったし、「五楽章版の制作は断固反対!」「やはり五楽章版はクック版が一番」といったマーラー愛好者の反発は免れ得ないものの、新たな稿も作りやすくなった。
実際、クック版以降も全五楽章版は次々と作られている。
また、演奏に当たって指揮者たちが音楽の解釈だけでなく、オーケストレーションに対しても独自のアプローチを見せることも多い。中でもザンデルリンクとバルシャイは顕著な例だが、録音や実演を聴く際に、「稿」(*註だけでなく、指揮者がオーケストレーションをどう扱っているかに注目するのも面白いだろう。

(*註
厳密には「版」と「稿」は使い分ける必要があるが、本項では全五楽章版の作成者の名前と共に「誰々版」いう時には「版」、全五楽章版そのものをいうときには「稿」と表記する。

■第10完成版の様々な稿と録音

それでは、録音のあるそれぞれの稿の特徴と、その録音について述べていく。
マーラーの交響曲第10番の研究は過去のものではなく、現在進行形、日々深化していっている。特に完成版の製作は、その性質上終わりがない。既に出版された版でも、次々と何らかの改訂が行なわれているし、今日、たった今完成版を作り上げた人や、これから完成版の製作に着手しようとしている人がいるかもしれない。
近年の例では、指揮者のカルロ・マリア・ジュリーニの弟子でイスラエルの指揮者、ヨエル・ガムゾウ(Yoel Gamzou)が、2004年より自らが製作していた完成版を、彼が芸術監督を務める国際マーラー管弦楽団(1906年に英国で設立された新興オーケストラ。メンバはヨーロッパを中心に、その周辺地域から集まった若手奏者によって構成される)を指揮し、2010年9月にベルリンで初演している。

*ヨエル・ガムゾウ指揮カッセル州立管弦楽団による「ガムゾウ版」の実演

しかし、今後どのような稿が現れようと、以下に述べる稿が基本となる。
それらを知っていれば、「ああ、この全五楽章版は、誰々版をベースに独自の工夫をしているんだな」と判る。それが判れば演奏の理解も早いだろう。

<クック版> (版の成立/1959年~)

*クック版第一稿初演
デリク・クック(1919年~76年)とマーラーの遺稿との出会いは、カーペンターやホイーラーとは大きく異なっている。
それは、全五楽章版を作ろうとクックが主体的に動いたのではないこと。
音楽学者にして音楽評論家のクックは(専門は十九世紀の音楽で、特にワーグナー、ブルックナー、マーラーに関心を寄せていた)、1947年から65年までBBCで音楽プロデューサー他の仕事に従事。1958年からはフリーランス契約で働く事になる。フリーになるに当たり、クックがラジオの仕事を求めて、同じくBBCに務めていた友人であり作曲家のロバート・シンプソンのところに行くと、「1960年にマーラー生誕百年を記念する番組を企画しているんだが」と告げられ、マーラーの交響曲を解説するガイドブック(研究的な専門書ではなく、一般向けの小冊子)の執筆と、第10の解説を任される。そこでクックは、オーケストラを使って全曲を実際に演奏させてみようと発案。マーラーの読み難い自筆草稿のファクシミリを、自ら書き写して清書(!)するところからクックの闘いは始まった。

クックの作業は、やはりBBCに勤務していた亡命ユダヤ人作曲家ベルトルト・ゴルトシュミットの助言を得ながら行なわれた。独自のルートで未公表のメモも幾つか入手していたようだが、第二楽章と第四楽章の欠落部はそのままに、1960年12月19日、BBC第三放送からクック自身の解説とピアノ、そしてオーケストラ(ゴルトシュミット指揮フィルハーモニア管)の演奏により、やや不完全な形とはいえ、マーラー未完の交響曲の全曲が初めて"音"になった。これが、クック版第一稿。

このようにクック版は、作品を「完成」させるというより、とにかくマーラーが遺したままの形でオーケストラで全曲通して演奏出来るようにする事に主眼が置かれている。その為、クック版は「完成版」ではなく「パフォーミング・エディションorヴァージョン(演奏版)」と呼ばれる。

*アルマとの確執と和解
クック版第一稿は、放送直後から話題を呼びんだ。しかし、アルマはこの仕事を認めず、著作権者の権利として今後一切の再演や再放送を禁じた。国際マーラー協会会長ジャック・ディーサーは、クック版を高く評価しており、2年間の冷却期間を置いて、自ら積極的にアルマの説得交渉に乗り出す。
クックの解説と実演のテープを、アルマに聴いてもらったのだ。

それまでアルマは、楽譜を見ることもテープを聴くことさえ拒否していた。テープを聴き終えると、彼女は終楽章をアンコールし、それが終わると「素晴らしい」と言って前言を撤回。クック宛の手紙で、今後この稿を自由に演奏してもよく、前記のように、他の全五楽章版の制作も許した。

アルマは翌年1964年12月、ニューヨークで没する。尚、クックはアルマの娘アンナには数回会ったことがあるが、アルマに会ったことは一度もない。

*クック版第二稿
アンナ・マーラーは、母が全五楽章版の存在を公に認められたことを知ると、1963年、マーラー学者のアンリ・ルイ・ドゥ・ラ・グランジュが保管していた未公表の草稿44ページをクックへ提供。その中には、第二・四楽章の欠落部も含まれていた。
もちろんクックは、この資料を自らの稿の更新に役立てた。また第一稿は、オーケストラで演奏して実際に音を出したことで欠点が浮き彫りになっていた。マーラーもそうしたように、実演の結果も第一稿の更新に大いに役立った。その結果、それは第一稿とは大幅に違う姿となり、クック版第二稿となった。
第二稿は早速1964年8月に、ゴルトシュミット指揮ロンドン響の演奏で初演。翌年には米国初演も行なわれ、クック版は好評をもって受け入れられた。

*二つのクック版第三稿(決定稿)
クックの全五楽章版制作に打ち込む姿には、鬼気迫るものがあったらしい。もともと音楽研究に対して常に厳格な姿勢を崩さなかったクックは、精神の平静を保つためにしばしばアルコールの手を借りねばならず、50歳代後半という早すぎる彼の晩年は、重度のアルコール依存症に苦しめられた。
クックは、1976年に57歳で他界する。第二稿は広く認められたが、それでもクックは満足していなかった。第二稿公表後も、全五楽章版の研究は続けられた。
心強いことに、1966年からは、マーラーに深く傾倒する二人の若い作曲家・音楽学者、コリン&デヴィッド・マシューズも全五楽章版のブラッシュアップに参加した。今回の稿の見直しもドラスティックなものだったので、1972年に完成・初演されたエディションは、クック版第三稿となった。クックが手がけた改訂はここまでなので、これを「最終稿」と呼ぶこともある。
クックが死んだ年、この稿はA.M.P./Faber社から出版された。タイトルには「交響曲第十番の構想による実用版」と書かれており、この仕事に対するクックのコンセプトがこれ以上ないほどの明確さで表されている。

しかし話はそれでは終わらない。第三稿が完成された後も、やはり様々な実演を踏まえて稿のブラッシュアップは続けられた。その成果は1976年の出版譜には反映されなかったが、1989年の出版譜には大いに反映され、これまで「無印」だった1976年の出版譜はクック版第三稿第一版となり、1989年の方はクック版第三稿第二版となった。

▼クック版各稿の代表的録音

掲載順はそれぞれの稿につき録音年順。[ ]内はレーベル、録音年(ライヴはLと明記)、発売年の順。

【クック版第1稿】
*ゴルトシュミット指揮フィルハーモニア管[TESTAMENT、60年、11年]

【クック版第2稿】
*ゴルトシュミット指揮ロンドン響[TESTAMENT、64年(L)、11年]

ゴールドシュミットによる上記二種の録音を収めたCD

*オーマンディ指揮フィラデルフィア管[CBS、65年、66年]


*マルティノン指揮シカゴ響[CSO、66年(L)、90年]

【クック版第3稿第1版】
*モリス指揮ニュー・フィルハーモニア管[PHILIPS、72年、74年]

*マルティノン指揮ハーグ・レジデンティ管[RESIDENTIE、75年(L)]


*ザンデルリング指揮ベルリン響[ETERNA、79年、81年]

レヴァイン指揮フィラデルフィア管[RCA、78年&80年、81年]
ラトル指揮ボーンマス響[EMI、80年、80年]
シャイー指揮ベルリン放送響[DECCA、86年、88年]
インバル指揮フランクフルト放送響[DENON、92年、92年]
ウィッグルスワース指揮BBCウェールズ・ナショナル管[BBC MUSID MAGAZINE、93年(L)、94年]
ギーレン指揮南西ドイツ放送響[HANSSLER、05年、06年]

【クック版第3稿第2版】
ラトル指揮ベルリン・フィル[EMI、99年(L)、00年]
ノセダ指揮BBCフィル[CHANDOS、07年、08年]
ハーディング指揮ウィーン・フィル[DG、07年、08年]

クック版の録音は五楽章版全録音の半数以上を占めるため、一つひとつ言及する余裕はないので、特徴的な録音についていくつか言及するに留めたい。

先ずはオーマンディ盤。記念すべきこの稿の初録音。米国初演後のセッション録音。一歩誤れば凡庸と受け取られかねない解釈ながら、一種のスタンダードとも言うべき安定感の高さを示しており、初録音盤としての大役を見事に果たしているといえる。
第1楽章「アダージョ」の初期の録音は、東ドイツのオーケストラによるものが多いが、全五楽章版ではザンデルリンク盤がその唯一の録音。モリス盤(72年録音)に続く再録音盤に当たる(レヴァイン盤はこれよりも前に録音が開始されたが、録音の完了はザンデルリンク盤より後)。第一~三楽章に比べ、マーラーによるスケッチが手薄な第四、五楽章に於いてザンデルリンクがオーケストレーションに大幅に手を加えた演奏。この変更は、クックと共にクック版制作に携わったゴルトシュミットによる承認も得られている。

クック版はオリジナルのテイストを限りなく活かして仕上げられているので、第四、五楽章はどうしても響きが薄くなってしまう。それをシューマンの交響曲でするように独自に演奏楽器を追加して出来る限り是正しつつ、極めて説得力ある表現で再現したのが本盤。クック版録音のベストに挙げるファンも少なくない。内的充実感が強くパッショネートな解釈はバーンスタインほど主観的でなく、スコアを見つめる目はシャイーやインバルほど客観的ではない。精巧に仕上げられた卓抜な演奏である。異盤との違いは、同版初期の録音らしくスネアやシロフォンが用いられているほか(ラトル盤[EMI]以降、ノセダ盤[CHANDOS]、ハーディング盤[DG]など、近年の録音では省略されるケースが多いが、この変更もゴルトシュミットが承認している)、特に大きく違うのは、第四楽章の各所でラチェットという体鳴楽器が使われている点。ラチェットとはゼンマイを巻く時の様な甲高い「ギギギギ」という音を出す楽器。

最後はシャイー盤。クック版が「10番をオーケストラで演奏できる最低限のレベルで仕上げたもの」だとすれば、この録音は「それをそん色なく忠実に再現した演奏」といえる。シャイー盤以降、クック版の録音は少なくなるが、逆にクック版以外の録音は多数行なわれており、全五楽章版のトレンドの移り変わりを実感する。

■カーペンター版(版の成立/1946年~66年)
 1946年、カーペンター(1921~2005)が25歳の時に着手。第10の全五楽章版の中では最も早く制作が開始された稿。1949年に一応の形は出来上がったが満足せず、正式な完成とされているのは1966年。クック版と聴き比べると、「オーケストレーションの違いでここまで楽曲のムードが替わってしまうのか」と驚かされる稿である。

*ファーバーマン&フィルハーモニア・フンガリカ[Golden String、94年、95年]

リットン&ダラス響[DELOS、01年、03年]
ジンマン&トーンハレ管[RCA、10年、10年]
ラン・シュイ&シンガポール響[AVIE、09年、10年]ブルーレイ・ディスク、DVD

ファーバーマン盤はカーペンター版の世界初録音盤。また、この録音はクック版以外の稿による全五楽章版初録音となる。限定盤だったようで、すぐに市場から姿を消した。リットン盤もそうだが、金管楽器や打楽器を始め、かなりオーケストラをゴージャスに鳴らしているので、これらの録音を聴いてマーラー・ファンの中には「カーペンター版はダメ」と言い切るものも少なからずいる。もちろん、金管楽器や打楽器の過剰さはカーペンター版の弱点かもしれない。ラン・シュイ盤のように、その弱点を意識的に抑えた演奏もあるくらいだ。そういえば、ファーバーマンによるマーラーの《悲劇的》は「最もハンマーの音が大きな録音」として昔から有名だ。カーペンター版の過剰な響きは稿の所為だけとは言い切れないかもしれない。もしファーバーマンがザンデルリンク版を演奏したとしたら、ザンデルリンクの演奏のような評価は得られないのではないだろうか。いずれにせよ、この稿の録音は、「カーペンター版のオーケストレーションが最もマーラーらしい」としながらも、巧みにその弱点を抑えようと努力したラン・シュイの映像盤がベスト・チョイス。

■ホイーラー版(版の成立/1953年~66年)
ジョゼフ・ヒュー・ホイーラー[JOSEPH(JOE) HUGH WHEELER]は1927年生れの英国人。クックが亡くなった翌年の77年に死去。殆どの第10全五楽章版は音楽学者によって手がけられているが、ホイーラーの本業は公務員という異色版。マーラーの熱狂的な傾倒者で、18歳の際に国際マーラー協会の会長ジャック・ディーサーと知り合い、その助言の下、1953年に作業に着手。初稿の完成は55年で、59年までに第三稿を作成。それにしてもこのジャック・ディーサーという人物。ショスタコーヴィチやシェーンベルクに依頼するなど、全五楽章版の制作に戦中から積極的によく動く人だと感心するが、このようなアマチュアの編曲者にまで助言を与えているとは、本当にマメな人だ。
 その後、63年に明らかとなった44ページの未発表草稿の公表を受け、改に改稿を行い、65年に完成。ニューヨークでの初演の実演を参考に再度改稿が加えられ、66年にホイーラー版第四稿として成立した。

【第四稿改訂版】
*オルソン指揮コロラド・マーラーフェスト管[Colorado MahlerFest、97年(L)、99年]
*オルソン指揮ポーランド放送響[NAXOS、00年、02年]

オルソンのコロラド・マーラーフェスト管盤は、1996年、ホイーラーの没後二〇周年を機に、指揮者のオルソン自身も全五楽章版を作成しているなレモ・マゼッティJr、オランダの研究者フランス・ボウマンの3人により施されたホイーラー版第四稿の改訂版を元に、97年に行なわれた演奏会のライヴ録音。音楽祭の事務局の自主制作盤で、入手困難でホイーラー版の実体はよく掴めていなかったが、同じ稿の録音がナクソスから出たことで解消された。

■マゼッティ版(版の成立/1980年頃~89年)
レモ・マゼッティJrは1957年生まれの米国の作曲家。第10の全五楽章版制作者の中では若手に属し、ヨエル・ガムゾウに次ぐ若さだ。全五楽章版といえば、物心付いた頃にはクック版が既に定着していた世代。彼が第十の全五楽章版に興味を持ったのは、70年代中頃にラジオでクック版第二稿の演奏を聴いてからだという。80年夏には自分で全五楽章版を作る準備をしており、82年にジャック・ディーサーと知り合い、全五楽章版の他、制作者本人が撤回したヴォルシュレーガー版を含む全七種類の譜面を見せてもらう約束を取り付ける。83年には、カーペンター版のシカゴとニューヨークでのそれぞれの初演に当たり、その最終稿について制作者と議論し、スコアの清書やパート譜やプログラムの作成を担当。その後カーペンターはマゼッティに「改訂作業に加わらないか?」と打診するも、「あの仕事をやったのは自分の稿を作る準備のためなので」と、申し出をあっさりと拒否している(というのが公式見解だが、カーペンターとマゼッティでは全五楽章版に対するコンセプトが正反対だからだろう)。

第一稿が完成したのは1989年で、同じ年に初演されている。第二稿は、前述のホイーラー版第四稿の改訂作業をする途中で自らの稿の改稿を思い立ち、1997年に改められたもの。

【マゼッティ版第一稿】
*スラトキン&セント・ルイス響[RCA、95年、96年]
 クック版以外の完成版による最初の録音。クック版以外にも第十の完成版があることを、一般のマーラー・ファンに広く知らしめた録音。全体的な特徴としては、第四楽章が特殊な打楽器は使っていないのに過剰な印象である他は、クック版より響きがいくらか厚いといった程度。細部も随所で異なるが、「クック版」を用いたザンデルリンク盤ほどではないのが面白い。このディスクにはボーナス盤として、スラトキンの解説、セント・ルイス響の演奏により、クック版との違いを実際の演奏を通して比較する「音による解説」も収録されており、ホイーラー版、カーペンター版についても触れられてもいる。

【マゼッティ版第二稿】
*ロペス=コボス&シンシナティ響[TELARC、00年、01年]


第一稿と比べ、オーケストレーションが心持ち控え目になっている。しかしマゼッティ版のオーケストレーションは、聴感上、第四楽章以外はクック版とそれ程大きく変らないし、ただ単に演奏を楽しんでいるだけでは認識し難いほどのマイナチェンジに留まっているため、第二稿というより、第一・五稿とでもいった方が適切か。いずれにせよ、マゼッティ版は良く出来ている稿だと思う。二種しか録音がないのがもったいない。

■サマーレ&マッツーカ版(版の成立/2001年)
*ジークハルト&アーネム・フィル[EXTON、07年、08年]

ニコラ・サマーレとジュゼッペ・マッツーカは、ブルックナーの交響曲第九番の補筆完成でも知られる。クック版同様、彼らが全五楽章版の制作に主体的に関わったのではなく、イタリアのペルージャ音楽祭から依頼されたもの。初演は2001年にイタリアのペルージャでジークハルトの指揮とウィーン交響楽団の演奏よって行なわれた。クック版との違いは、全体的に響きに厚みがあること。サウンド的にはマゼッティ版と大同小異で、所々で顕著に厚くなる程度。例えば第五楽章冒頭のテューバのソロによる上昇音階は、コントラバスをハープとバスクラリネットが補強する形となっている。録音はもちろん、実演で聴いていても気づかないような細かな修正も数多い。

■バルシャイ版(版の成立/2000年)
*バルシャイ指揮ユンゲ・ドイチェ・フィル[BRILLIANT、01年(L)、04年]
2001年9月12日にベルリンで行なわれた演奏会のライヴ録音

クック版をベースに(本来、クック版はこういう使われ方をするのが正しいのだろう)、バルシャイが独自の修正を加えた稿。実演では、ティンパニ、小太鼓、大太鼓、シロフォンはもちろん、チューブラー・ベルやカスタネット、ムチ、ウッドブロック、トライアングル、タンブリン、ルーテなど、大量に導入された打楽器が目を引く。第二楽章と第四楽章で特に顕著に加えられている。

この録音ではメシアンのような極彩色になることはないが、演奏によってはそうなる可能性はありそうだ。例えばスヴェトラーノフの《ローマの祭り》のように、同じスコアを使っていても、演奏によっては「この作品てこんな曲だっけ?」となることは少なくない。。本録音を聴けば、バルシャイがただ目だたせるだけのために、多彩な打楽器を導入したのではないことが判る。


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