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連載:私を「クラシック沼」に落した穴(傑)作~その2

前回は、人が音楽好きになるプロセスを、脳機能の面から解説させていただいた。今回は、そのプロセスの中で、私が「クラシック沼」に落ちる切っ掛けとなった穴(傑)作を紹介していく。

音楽好きな人への気の利いた質問とは
私はよく「そんなに音楽が好きなんだったら、さぞ子供のころから音楽好きだったんでしょうね」と訊かれる。
前回の連載をお読みになられた方なら、子供の頃から音楽が好きであるかどうかよりも、14歳から数年間の経験が、その後音楽好きになる本当の「パワー期間」であることがお分かりだと思う。

もちろん、子供のころから音楽好きだったよ、という人はいるだろう。しかし、そういう人は、親が音楽好きで家にレコードがたくさんあったとか(芥川也寸志がそうだ)、お稽古事でピアノやヴァイオリンを練習させられていただとか、普段から家庭で音楽に触れる機会が潤沢にあった人だろう。

子供のころは、まだ社会的認知面が発達していないから親の影響が大きいので、そういう幼少期を過ごした人が、本当に自主的に音楽が好きだったか、それ以降も音楽を好きでいたかどうかは、正直微妙なところだ。

音楽好きに出会った時、その人の事を分かるための最も効果的な質問は、おそらく
「中2から成人するくらいまで、どんな音楽聴いてた?」
だと思う。

ということで、私の場合はというと・・・。

中2でオネゲル
その頃、私は、初めて意識的に「この作品が好き」と明確に言うことが出来るようになる作品に出合う。それが、オネゲルの吹奏楽曲≪バスティーユ広場への行進≫だ。

なぜ、いきなりこの作品かというと、中学入学時、たまたま入った部活が吹奏楽部で、音楽のことが全く分からなかったので勉強のために聴いていた、唯一の吹奏楽専門のラジオ番組「ブラスの響き」(NHK-FM)で掛かったのだ。
「吹奏楽部だったら、最初から少しは音楽に興味があったのだろう?」と思われるかもしれないが、決してそうではない。

当時、私の住む神奈川県では、必ず部活に所属しなければならなかったので、帰宅部というのは存在しなかった。しかし、特にやりたいこともなく、部活を決めなければいけないリミットになっても何も決まっていなかった時、放課後に教室で友達とグダグダ話し込んでいたら、吹奏楽部の部員がたまたま勧誘に来た。自分から部活を探しに行くモチベーションもなかったし、「他に入るあてもないのでここで決めなかったら後がない」と思って入部することにした、というだけだ。
だから、その時勧誘に来たのが野球部だったら野球部だったろうし、演劇部だったら演劇部に入っていただろう(演劇部、あったかなぁ?)。
とはいえ、そんな入部リミットぎりぎりに勧誘に来る部活なんて、鉄道研究部のように趣味性が高くて弱小クラブか、大人数が必要なクラブだろう。吹奏楽部は正に後者で、人数は一人でも多ければ多いほどいい。

1970年生まれの私の世代は、プレ団塊ジュニア世代の松末で(団塊ジュニア世代は1971年生まれ以降とされている)、一学年の人口はそれなりに多く、部員についていった吹奏楽部には、既に25、6名の一年生がいたと思う。

そういう訳で入部した吹奏楽部だったが、音楽が特に好きだったわけでも、楽譜が自由に読めるわけでもなかったので、それなりに苦労はあった。入りたてのころ、上級生と「臨時記号が出てきた時どうすればいいのか」「付点音符ってどう演奏するのか」みたいな会話をした記憶がある。

そこで、なるべく心がけたのは、「なるべく多くの音楽を聴く」事だった。とは言っても、YouTubeも音楽配信もない40年前に、中学生がコストをかけずに音楽を聴く手段は、ラジオだけだった。楽譜が読めなかったので、練習中の曲がたまたまラジオでかかった時はラッキーだった。ドヴォルザークの≪新世界より≫第4楽章をやった時、譜割りが全然わからなかった箇所がよく分かって助かった(今思うとなんでこんな単純な譜割りが分からなかったんだろう)。

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というように、中学入学当時は特に音楽が好きでも詳しかった訳でもなかった私は、必要に迫られて音楽を聴きまくった結果、「これが好き」と意識的に言える音楽に出会うことが出来た。

それが、オネゲルの≪バスティーユ広場への行進≫だ。

なぜこの曲か
とはいえ、数多聴いた中で、なぜ≪バスティーユ広場への行進≫が一番好きな曲になったのか、疑問が残る。

確かに、それまで聴いた行進曲とは異質である。
まるで《春の祭典》(もちろん、この頃はまだ聴いてはいない)のような原始主義やバーバリズムが全面に出て、行進曲だけでなく、それまで知っていた「クラシック音楽」とも大きく異るおんがくだった。

「音楽の好み」に関しては、横軸に音楽の複雑さ、縦軸に音楽の好みを取る、「逆U字曲線」という物を投げた際の放物線の様な、「上に凸」の二次関数様のグラフで表すことが出来る。

音楽が複雑になるにつれ、その音楽の好感度は上がっていくが、あるピークを越え、更に複雑になっていくと次第に好感度が下がっていく。

仮説として分かり易そうなのは、この作品の曲想が劇的でインパクトがあっり刺激的で、それまでに聴いていた音楽とは毛色の違うものだったという「驚き」故だろう。

この連載の第1回目で、「音楽は感情を司る扁桃体に働きかける」「扁桃体は常に海馬と連携している」と書いた。つまり、海馬の隣にある扁桃体は、好き嫌いや快不快の感情を海馬に伝えるため、心を大きく揺さぶるような出来事は、いつまでも記憶にとどめられる。

脳には、「興奮性」のつながりと、興奮を抑える「抑制性」のつながりとがある。十代では、まず脳の成長の要となる「興奮性」のつながりが急速に増えていく。

十代の脳は、大人の脳に比べて、報酬を強く感じやすい。報酬と興奮をコントロールする脳のシステムが過敏なので、興奮を求めてしまう。つまり、大人よりも、激しいドーパミンの放出が十代の脳を興奮させるのだ。

上に挙げた動画は、当時私が聴いた演奏とは違う演奏だが、聴いていただければ、少しでも雰囲気は掴んでいただけると思う。

そして、私がこの作品に拘るもう一つの要素として、「曲名が分からなかった」ということも、無関係ではないと思う。
だって、もう一度聴きたくても、探すことが出来ないのだから。
その一回性(ベンヤミンいうところの「アウラ=オーラ」)や、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの「プロスペクト理論」いうところの「喪失感」(人間は利得よりも損失の方が2倍強く感じる)も関係していると思う。
どちらにせよ、当時、この作品を「好きになった」私の置かれていた状況そのものが、この作品を好きになる「お膳立て」になっていたことは間違いないだろう。

また、この作品の作曲者名と曲名がなぜ分かったかについては、次回のストーリーの中で明らかになってくるので、一応宣伝・・・。

≪禿山の一夜≫原典版

オネゲルの次に出会ったのは、恐らく、ほんとうの意味で私の音楽人生を方向づけることに於いて決定的となった音楽で、ムソルグスキーの≪禿山の一夜≫原典版。

当時私が聴いたのと同じ音源がYouTubeにあったので挙げておく(他にも、4月4日の演奏が上がっているが、私が聴いたのとは違う。この演奏のCDは[TESTAMENT JSBT28450])。

≪禿山の一夜≫に出会ったのは、確か、前述の≪新世界より≫目当てで聴いたNHK-FMの「ベスト・オブ・クラシック」だったと思う。解説は多分、船山信子氏(女性の解説者だったことは確か)で、聞き手のアナウンサーに通常版との違いを問われ、「フォルテで始まってフォルテで終わる」と言っていたのが印象的だった。エアーチェックしたテープを、夏の合宿に持って行って毎日聴いていたので、中学二年生の6月か7月頃だったと思う。

今でさえ、取り上げられる演奏会や録音も増え、《禿山の一夜》原典版の知名度はそこそこ上がった感はあるが、当時は、全くといっていいほど知られていなかった。ここならあるだろうと思い、レコードを買いに行ったロシア音楽専門店の店主に訊いても知らなかったくらいだ。
また、通常、こういった曲なら、演奏終了後はすかさず大喝采が上がるのが常だが、上に挙げた録音を聴いても分かる通り、演奏が終わった後、一瞬の間があり、戸惑ったようにチラホラと拍手の数が増えていくのがわかる。

やはり、これも実際に曲を聴いていただければお分かりいただけると思うが、(なので、音楽についてはグダグダ語らない)、音楽の授業で鑑賞させられるクラシック音楽とのギャップには、ただただ驚くばかりで、同級生が聴いていた、今で言うJ・ポップや、ヘヴィメタなどよりも数段魅力的に思えたのだ。

未だに知られていないトランペット協奏曲

さて、実は、中学二年の時の吹奏楽部の夏合宿にエアー・チェックしたテープを持っていって聴いていた曲は、《禿山の一夜》以外にもあった。
それが、樋口康雄作曲のトランペット協奏曲だ。
確か、その時の番組は、トランペット演奏の特集だったと思う。当時、私は吹奏楽部でトランペットを吹いていたので、当然、その特集に興味を持ったのだ。


この演奏も、テンシュテットの《禿山の一夜》と同じ、1984年3月のライヴ録音で、4~7月頃に「ベスト・オブ・クラシック」でオン・エアされたと思う。
トランペット独奏は、現在、世界で五指、少なくとも十指には確実に入るアメリカの名トランペッター、アレン・ヴィズッティ。スタートレックやバック・トゥ・ザ・フューチャー、ロッキーⅡなど、150本以上の映画音楽にも出演しているので、ヴィズッティのことは知らなくても、彼の音を聴いたことのある人は数多い。

実は、後に発売されたこのライヴ録音が収録されているアルバムには入っていないのだが、「ベスト・オブ・クラシック」で同日にオン・エアされた作品に、大島ミチル編曲の《アランフェス協奏曲》トランペット版(演奏者不明、ガンシュ辺り?)もあって、本当はそっちの方がヘビー・ローテーションだったのだが、どうやら、著作権の関係か、ディスク化はされていないようなので、樋口の協奏曲を挙げた。

私がこの曲を聴いた当時、マイルス・デイヴィスもメイナード・ファーガソン(「アメリカ横断ウルトラクイズも放送中)も存命、ウィントン・マルサリスがデビュー直後、ジャズ/クラシック限らずアカデミー賞を総なめしたばかりの頃だ。

だから、当時は、今ほどジャンルを横断した「クロスオーバー」的な商業音楽ジャンルは映画音楽くらいしか存在せず、ジャズはジャズ、クラシックはクラシックと、それぞれのジャンルに、そのジャンルを牽引するカリスマ・プレーヤーがいたので、ある程度棲み分けが出来ていた頃だった。クラシックなら、モーリス・アンドレの絶頂期だった。

ちなみに、樋口康雄には、このトランペット協奏曲に先立ち、日野皓正のために作曲したコルネット協奏曲(1983)もあり、トランペット協奏曲と同時期に放送されたこともある。その後、ニューヨークでの初演のライヴ録音も放送されたと記憶しているが、これらの音源はいくら探しても出てこない。音楽自体の記憶も曖昧で、You Tubeで改めて聞き直すまで、トランペット協奏曲だと思いこんでいたフレーズもいくつかあった。最近、トランペットのレッスンを受ける機会が何度かあり、講師に樋口康雄のトランペットとコルネットの協奏曲について訊いてみたのだが、誰も知らなかった。

トランペット協奏曲を聴いていただければ分かるように、CMソングやTVのBGMを多く手掛ける樋口康雄ならではの、ジョリヴェやトマジといった現代系の協奏曲よりもキャッチーで聴きやすい音楽だから、コンサートで取り上げたら結構話題になると思うのだが、どうだろう?
少なくとも私自身は、どちらの協奏曲もきちんとした音源でもう一度聴いてみたいと思っている。





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