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ぶらす!~彼女たちの奏でるビューティフルハーモニー~第2話

【練習番号B】始めての、共同作業。

――入学式の翌日。

今朝も昨日と同じでよく晴れ渡っている。

だけど春のこの時期、天候は不安定ですぐに崩れることも多いから、朝の天候だけで一日の天気を決め込むのは危険だ。実際、昨日は日が沈んでから少し天候が崩れた。

私、結構、晴れ女のつもりだったんだけどな。

小・中学生のときの遠足や体育祭などの学校行事のイベントで雨に降られた記憶はないし、高二のときの吹奏楽コンクールの本番では、日本に接近してきた双子台風が前日と翌日に直撃したが、コンクール当日は快晴とまでは言えなかったけれど、雨は降らなかった。でも、なぜか年に一・二回は、その慢心をあざ笑うかのように、にわか雨にやられる。普通、そんなところで帳尻合わせ、する?

まあ、昨日がその日だったのかもしれないけど、入学式の日ってのがひっかかる。

今日の予報では、一日中晴れで、気温は今日のほうが少し上みたいだ。

久しぶりに、外で思いっきり大きい音でトランペットを吹くたくなった。

ちょっと遠いけど、鉄橋の下の川辺で電車が通った時に吹けば、誰にも気づかれない。

私が外で楽器を吹く時は、いつも川向うにある空き地に行っている。空き地の周りには、防風林が植えられているので、あまり大きな音でなければ、割りと人知れず練習できるからだ。なんでも、その空き地は国有地とかで、建物を立てることが法律で禁止されていて、都市化の進むこの街でも、ずっと昔からそのままになっている。

家に防音室が出来るまで、お母さんは毎日そこで音出しをしていたそうだ。昔は、その周りも空き地だけだったので、大きな音も出せたそうだが、川沿いの土地が開放され、今では、リバーサイドのマンションが何棟も建ち並び、あまり大きな音は出せない。なので、大きな音を吹きたい時は、鉄橋の下に行くのだ。

でも、今日は、学校で朝からやることがハードになるので、やらないけど。

今朝の私は、本来起きる時間より一時間早く起きて、朝食を食べる。

もともと、私は早起きが得意だ。

小学生の時から、学校に行く前にトランペットの練習をするのが日課だったらだ。

中学になって、部活の朝練が始まっても、家でひとしきり吹いてからの登校だった。

お母さん曰く、起きたてで血圧が低く頭が冴えきってなく、その日の吹き始めという状態は、本番前の状態に似ているんだという。

確かに、コンクールでも、リハーサル室で少し音出しした後は、本番までの10分・20分、1音も出すことができない。木管楽器はリードが乾くのを心配するわ、金管楽器はクーラで楽器が冷えて音程が狂う(リハーサル室でチューニングしてるのに!)のや、吹きはじめで唇がちゃんと振動してくれるか心配するわで、本番直前には、音楽的なこと以外の心配事がやまもりで、独特の緊張感がある。

だから、朝起きてすぐの状態のまま、リラックスして吹けるように鍛錬することで、本番でも普段どおりの演奏が出来るようになるそうで。

今日の予定は、急遽決まったもので、昨日の夜の一本の電話から始まった。


――その前に・・・

昨日の放課後、私と吉美は、茉莉奈さんの命令で、西条茉莉奈さんに駅前の喫茶店に付き合わされ、中学時代の、私の「茉莉奈さんストーキング疑惑」について、根掘り葉掘り訊かれることとなった。

F女学院高校の最寄り駅の北F駅は、基本的には各駅停車の列車しか止まらないのだけれど、F女学院の生徒でごったがえす朝夕だけは、急行が停車する。今日は、入学式が終わってすぐに放校になったので、まだ各駅の列車しか止まらない時間帯だ。だから、喫茶店の客も半数以下で、ちょうど窓際の四人用ボックス席が空いていた。

入り口から奥側の二人がけ用ソファの窓側のソファに三人分の鞄をまとめて置き、その横に茉莉奈さんが座る。テーブルを挟んで、彼女の前に私、そして私の右横に吉美が座る。

「とりあえず、注文して」と茉莉奈さんが言ったので、各々メニューを見て、注文を決める。

吉美が「私、何でも良いんだよね? 茉莉奈さんの奢りで」と再確認する。

「ああ、何でもいいぞ。好きなの好きなだけお食べ」

茉莉奈さんにそう言われると、吉美は「サンキュ!」とか言って、メニューを最初のページから真剣に吟味し始めた。

そういえば、時計はもう13時を大きく回り、ランチ・タイムの終了時刻に近づいている。

この喫茶店は、ドリンクバーがない代わりに、ブレンド・コーヒーのみお替りが自由なので、最初は、コーヒー程度でいいか、とも思ったが、少しはお腹にたまるものを食べておいたほうが良さそうだ。

「吉美くん、もう注文は決まったかね?」

茉莉奈さんがそう訊くと、吉美は「オッケー、完璧」と答えた。

吉美「くん」? ――なぜ、「くん」づけ?

「完璧」? ――何が!?

私が色々考えあぐねていると、茉莉奈さんが店員さんを呼ぶブザーのボタンを押した。ニコニコ顔の営業スマイル全開でやってきた店員さんに、皆それぞれの注文を伝えた。

「で――」

茉莉奈さんがおもむろに切り出す。

「念の為、訊いておくけど、さっき飛び入り参加して来た、クラリネット吹きの騒がしいお嬢さんはどこ行った?」

「ああ、新入生代表の挨拶した、C組の石神井さんね」

「あいつ、C組なのか。優等生ばっか集まってるクラスじゃないか。お前、なんであいつのクラスまで知ってんだ?」

「沙織は、美人には目がないからねえ」

吉美が口を挟んだ。

「吉美!」

一応、軽く叱りつけておく。

テヘペロの吉美。

確かに、石神井さんは、美しさだけでなく、その雰囲気から立ち上るオーラみたいなものも、その辺の普通の美人と比べても別格だった。

「だって、入学式のとき、司会の教頭先生が『C組の石神井恵美』って紹介してたじゃない」

っていうか、「お前」って。まあ、いいけど。

「そうだっけ? まあ、いいや。それより、あいつ、いつの間にかいなくなってるな。ずっとついて来そうな勢いだったけど」

ああ、茉莉奈さんは「喫茶店行くぞ!」と言ったあと、さっさと教室を出て行っちゃったんで知らないのか。

「ついてくる気満々みたいだったけど、なんか、生徒会から呼び出しがあって、しぶしぶ呼びに来た役員の人について行ったわよ」

しぶしぶ、というよりも、結構不満たらたらだったけど。

「ふーん。出来る子は辛いね。初登校早々、生徒会に目を付けられるなんてな」

別に、「目を付けられた」なんて物騒なもんじゃないと思うけど。1年生は生徒会役員がいないから、なんらかの連絡事項でもあったんじゃないかしら?

「それはこっちにとっては都合がいい。あいつがいたら、いろいろかき回されそうだからな」

茉莉奈さんは、私にいろいろ訊いてきた。

けれど。

何を訊かれても、私が茉莉奈さんについて知っているのは、茉莉奈さんと同じクラスだった吉美の友達に、茉莉奈さんから直接訊き出してもらった情報で全てだから、他に何も出てくるわけはない。茉莉奈さんにとって、頼みの綱(?)の吉美も、もちろん、その友達から聞いて、私に伝えた情報以外、茉莉奈さんのことは知らない。もっも吉美は、そのこともほとんど覚えていなかったけど。吉美が天然系でよかった。

私からほとんど何も聞き出せないと分かると、茉莉奈さんの私への事情聴取から開放されて、路線変更。途中からただの女子会になった。普通の女子高生なら、恋の話とか友達のうわさ話とかに花が咲くのだけど、女子校で恋の話は当分なさそうだし、茉莉奈さんは他人のうわさ話とか好きじゃない。私もだけど。

といっても、私と茉莉奈さんとで話すことと言ったら、トランペットのことしかない。茉莉奈さんの使っている楽器のことは既に知っていたけど、それ以外の、茉莉奈さんが使っているマウスピース、音を変えるためのピストン・バルブに付けるオイルやミュート(弱音器)などの備品については、知る術がなかったので、茉莉奈さんの聞は興味深かった。

もちろん、口数の少ない茉莉奈さんから積極的に話してくれたのではなく、私があれこれ質問して訊き出したのだけれど。さっき茉莉奈さんにいろいろ訊かれたので、今度はお返しだ。私のことに興味持って訊いてくれたのなら、嬉しかったんだけどな。まあ、茉莉奈さんのトランペットに関する情報を大量に仕入れられたのは良かった。

ということで、茉莉奈さんは、頼りにしていた吉美情報が空振りだったので、結局、ただで吉美にスペシャル・パンケーキ・セットをたかられたことになった。会計の時、「私も少し出そうか?」と言ったのだけれど、「いいの。これは私の責任だから」とか何とかわけのわからないこと言って、援助の申し出を断った。茉莉奈さんは、聞いていた通り、頑固だ。

憧れの茉莉奈さんとの、初めての会話。

いろいろ話をしているうちに、つい話に夢中になり、時計を見ると18時近くになっていた。

帰宅があまり遅くなると、家の人が心配するから、「この辺で」ということで、女子会もとい、トランペット談義会はお開きになった。

で、喫茶店から出ると、小雨が降っていた。

話に夢中になっていたのと、すでに外はほの暗くなり始めていたので気づかなかった。

あっちゃ~。傘なんて持ってきてないよ。

きっと、茉莉奈さんも、吉美もだろう。

一応確認する。

「みんな、傘、持ってないよね?」

「ない」

「ありまっせーん」

それぞれ思い思いの返事をし、どうやら、雨に濡れずに家に帰るのは難しそうなことが確定した。

吉美の家は、ここからだと歩いて30分くらいかかる。

茉莉奈さんは、隣町だから、最寄りの駅まで電車で行くにしても、駅から家まで10分くらいだったはずだ。新しい制服を、雨に濡らしちゃうわけにはいかない。

スマホでYahhou!の降雨情報を見ると、1時間もしないで雨雲はどこかに行ってしまうらしい。でも、また喫茶店に逆戻りしたり、他の雨宿りできるお店を探して時間を潰すのも、家に帰るのが遅くなりすぎてしまうので、却下だ。

「じゃ、私の家、近くだから、二人分の傘持って来ようっか?」

そう提案すると、茉莉奈さんが

「それじゃ二度手間になるから、私は駅まで走ってく。駅に着いたら、お母さんに車で迎えに来てもらうよう電話するし」

「そう。吉美は、どうする?」

「沙織んちまで、いっしょに走ってって、傘借りる」

「そうするか」

茉莉奈さんも、「それがいいと思う」と頷く。

「じゃあ、茉莉奈さん、また明日ね」

ああ、茉莉奈さんの名前を直接本人に語りかける日が来ようとは、中学の私には思いもよらなかった。

私はそう言って、茉莉奈さんに向かって顔の横で右手の手のひらをひらひらさせて「バイバイ」する。

名残惜しいが、茉莉奈さんとは同じクラスだ。

もう、いつだって彼女と話をすることが出来るなんて、まるで夢のよう。

「うん、また明日」

茉莉奈さんも、私がしたように、手のひらを顔の横でひらひらさせて「バイバイ」する。

ああ、相変わらずかわいいなあ、ちくしょうめ!

私は茉莉奈さんの後ろ姿をしばらく見送ると、

「吉美、行くよ」

吉美にそう活を入れて、二人一緒に走り出す。

「ちょっと待ってよう。早いって! 急に走り出すと危ないよ。ほら、自動車、来てるよ!」

吉美は、「お母さんか」と思うような事を叫びながら、私の後から付いてくる。

吹奏楽部は文化部とはいえ、日頃のトレーニングに、走り込みも入ってくる。楽器を吹くのに体力は関係ないんだけど。中学時代は、楽器を演奏する際、常に同じ姿勢を楽に保てるよう、基礎体力を付ける意味でやっていたと思う。お陰で、学校に遅刻しそうなときにしか走らない帰宅部の吉美よりは、体力的にだいぶ上みたいだ。それに吉美は、時間は守る子なので、学校に遅刻しそうになること自体ない。

しばらく走ると、家に着いた。

幸い、スマホの天気サイトの予報より、雨は早めに小ぶりになって、制服は思ったより濡れなかった。

だから、雨に濡れたブレザーより、むしろずっと走り続けたことでブラウスが汗でしっとりして、肌に吸い付いているのが気になる。四月になって、三月より格段に気温が上がった。さすがにもうマフラーや手袋はしていないけれど、春のこの時期は、ブレザーとカーディガンを着てガチ走りするには気温が高すぎるのだ。雨が降っているからか、湿度も昼間より高くなったような気がした。

明日は天気が良かったら、カーディガンじゃなくて、ベストを着ていこう。私的には、赤のリボンタイはガーディガンに似合うと思っているので、リボンタイじゃなくて、ネクタイにした方が良いかな?

そんな風に、明日の制服コーデの事を薄っすらと考えながら振り向くと、吉美が「うわぁ、あっつい」と言いながら、左の手のひらをうちわのように顔の前でヒラヒラさせている。

吉美は、いつそうしたのか、既にネクタイを緩め、さらにブレザーも脱いで、二つ折りにして右腕で抱えて持っている。多分、走りながらだろうな。あまり走り慣れていないから、暑さがこたえたのだろう。

髪も、汗と雨でおでことほっぺたに張り付いている。なんか、ちょっとエロい。

私は、旧友に対する邪な想いを「いやいや、ないない」と振りほどくと、玄関の傘入れから傘を一本取り、吉美に渡す。

「返すのは、いつでも良いから」

吉美は、ヒラヒラを止め、左腕を差し出して傘を受け取る。

「かたじけない。ありがたくお借りします」

肩を上下させて、息をぜーぜーしながらそう言って、吉美は私から傘をうやうやしく受け取る。

吉美は、物の貸し借りには義理を通すので、借りパクされる心配はない。傘一本、借りパクされたところでどうってことないけど。ちなみに、吉美の両親は、双方とも警察官だ。吉美はお兄さんとの兄妹で、お兄さんも警察官になるために、日々勉強中だという。今年から、警察学校に入学したんじゃなかったかな。


吉美が帰ってしばらくすると、すぐにお母さんが帰宅した。吉美と、どこかですれ違ったかも知れない。

お母さんは、車で家から一時間くらいかかる都心で会社員をしている。土日祝日はお休み。

一方、お父さんは、コンテナ船の乗組員で、一度出向すると数ヶ月は家にいない。休日、お母さんは所属しているアマチュア・オーケストラの練習以外はだいたい家にいるけれど、平日の帰りは大体いつもこのくらいの時間になる。

「ただいま。沙織ー、いるー?」

私は帰宅すると、念の為、玄関の鍵を掛ける。だから、当然、私が家にいても、お母さんは玄関の鍵を開けるので、私がいるかどうか分からない。それに、私は防音室にいることも多いので、お母さんは、家に入ると必ず私がリビングにいるかどうか確認するために、私に声をかける。

「いるよー!」

私がそう答えるやいなや、バレッタを外してハーフアップにした仕事と車の運転用のまとめ髪をほどきながら、お母さんがリビングに入ってきた。

「今日はごめんね、入学式行けなくて」

お母さんは、今髪から外したバレッタと、家と車の鍵をいっしょに付けたキーホルダーをダイニング・テーブルに置きながら言った。

「ううん。平日だもん。年度始まりで、忙しいんでしょ?」

お母さん、そんなこと気にしてたのか。

しかし私は、さすがに、親に来て欲しいとだだをこねる齢ではないし。

もっとも、私がどうこうより、お母さん自身が、入学式に出たかったみたいだったけど。

「で、どうだった?」

謝罪のあとは、唐突な質問タイム。

どうもこうもないかな。入学式なんて、どの学校でも同じようなもんだろう。きっと、お母さんの時と、何一つかわらない。

そうお母さんに言うと、

「違うわよ。聴いたんでしょ? 吹奏楽部の演奏」

ああ、そっちか。紛らわしいな。

しかも倒置法。

「うん。聴いたよ。上手だったよ」

F女学院高校の吹奏楽部は、隆盛期だった一時期より、演奏のレベルが著しく落ちたって、私は聞いてた。近所の学校だから、楽器をやっていると、入学するしないに関わらず、噂話は自然と耳に入ってくる。

けれど、昨日の演奏は、全然そんなことなかったと思う。

まあ私はF女吹奏楽部の昔の演奏を聴いたことないから、以前はもっと上手かったのかもしれないけど。

お母さんも、OGなりに吹奏楽部のことは心配していたのかもしれない。

「そう、良かったわね。で、どうするの?」

今度は目的語省略。

それは、吹奏楽部に入部するのか、ということでしょうか、お母様。

そういうことであれば、もちろん、入りますとも、ええ。

[[rb:あ > ・]][[rb:の > ・]][[rb:子 > ・]]とも出会えたし。

「で、どこまで行けそうなの?」

お母さんの質問タイムは終わる気配がない。

<どこまで>というのは、吹奏楽コンクールでどこまで成績を残せるか、ということだろう。

高校を卒業してから、もう二十年以上経つのに、気にするところが現役生とかわらない。

お母さんが現役だったころは、「全国大会優勝」が目標だったはずだ。

目標は、高ければ高いほど良いとは限らない。

あまり高すぎる目標は現実味がなく、目標が無いに等しい。

でも、当時は、その目標も、割と現実味があったのだ。

F女の吹奏楽部のレベルが落ちたのは、長年、吹奏楽部の顧問を務めた先生が定年退職し、故郷のA県に戻られたからだ。別の顧問になってから、吹奏楽部の演奏レベルはみるみるうちに下がっていったという。

私立校はどうか知らないけれど、公立校である私達の学校には、外部の指導者をお願いできるような予算はない。それに、そんなこと、学校の課外活動の一環として行っている部活動の範疇を越えている。

まして、部活動の顧問になる学校の先生の負担を減らすため、「部活自由化」の波が高くなってきた昨今、そういうことはやりにくくなってきている。

今の顧問の先生は、その前の顧問が別の学校に異動になった替わりに、数年前に赴任されたばかりだが、その先生になってから、部の演奏レベルはだんだん向上していっているらしい。

「一年生で、どれくらいのレベルの経験者が入るかだけど、少なくともトランペットは問題ないと思う」

「そう。それじゃあ、また忙しくなりそうね」

ありゃ、もうそんなところまで判断しちゃうの?

でも、「トランペットは問題ない」というのは、「私が入るから」という意味じゃないよ。

私は、そこまで傲慢じゃない。

二、三年生だけでもかなり鳴っていたし、なにしろ、あ・の・子・が入るんだからね。

私と西条茉莉奈さん。一年生のトランペットに、経験者二人が入れば、最低限の人材確保がクリアできるという程度の意味。

とはいえ、お母さんはさすが元吹奏楽女子だなあ。

まだ、私の主観で一つ二つ伝えただけなのに。

勘がいいというか。

これは、「一を聞いて十を知る」ってやつかな。

「でも、全国大会は出場出来るかどうかわからないよ」

一応、そう付け加え、謙虚な姿勢もアピールしておく。

「あのね、沙織。お母さん、いつも言ってるでしょ?」

お母さんの眼光がちょっと鋭くなったような気がした。

「ん?」

何が?

というより、

どれが?

が正しい。

こと、楽器の演奏に関し、お母さんにいつも言われてることはたくさんある。

だから、「いつも言ってるでしょ」と言われても、いつも言われていることが多すぎて、特定するのが難しい。

「結果はね、後から付いてくるものなのよ。演奏は、自分の実力以上は出せないでしょう? だから、毎日の練習では、なにが大事なのか忘れないようにして、常に100パーセント全力を出す。そうしないと、実力を伸ばすことは出来ないわ。でも、そうやっていくら実力を伸ばしたとしても、コンクールという場で必ずしも良い結果になるとは限らない」

ああ、その話か。

「だから、こだわるのは結果ではなく、『質の自己ベスト』を追求すること」

お母さんの話を、私がそう続けた。

「ちゃんと覚えてるじゃない」

覚えてますとも。その言葉は、忘れようったって、ちょっとやそっとじゃ忘れられない。それだけ、耳タコになるほど何度も何度もお母さんから言われた言葉だった。

小さい頃は、よく意味がわからなかったけど、中一の時のコンクールの結果に絶望してから、その言葉の意味をよく考えるようになったから。

今でも、完全に理解してるとは言えないけど、簡単に言えば、毎日「もうこれ以上できない」という練習をしていれば、コンクールの結果がどうあれ、それを受け入れることが出来るだろう、という話だ。

お母さんとのちょっとしたコンクール談義の後、夕食を食べ、私はいつもどうり防音室に籠もる。

まだ正式な授業が行われていない今は、まだ春休みの延長みたいなものだから、宿題も授業の予習・復讐もしなくて良いので、リビングから防音室に直行だ。

防音室で音出ししていたら、ちょっとしてからお母さんが防音室に来た。

「沙織、電話が鳴ってるわよ」

防音室のドアを、閉まらないように身体で支えているお母さんの左手には、私のスマホが握られている。

私は、防音室で練習する時には、集中力が削がれないように、スマホはリビングに置いて、充電している。もっとも、学校へのスマホの持ち込みは許可されているけれど、昼休み以外、電源は切るように指導されているので、毎日充電する必要はないんだけど。

また、防音室にもwi-fiの電波は届くけれど、それは、電子楽譜のデータ転送や楽譜のダウンロードのためのものだ。もちろん、スマホを使おうと思えば使えるけど、防音室でスマホいじっちゃったら防音室来てる意味ないし。

「ありがとう」

そう言ってお母さんからスマホを受け取り、電話に出る。

「もしもし、沙織?」

電話声だったので、すぐには誰か分からなかったけど、電話の相手を確かめるまでもなく、電話の向こうから聴こえたのは、石神井さんの声だと分かった。石神井さんの声、今日教室でちょっと聞いただけだったけど。おしとやかで落ち着いたアルトで、ちょっと大人びた印象がある声だ。

「あ、石神井さん? どうしたの? 何かあった?」

まあ、友達なら、何もなくても電話をすることもあるだろう。でも、常に現実に向き合っているような石神井さんが、そういう世間話を電話で振ってくるとは思えない。

「ふう、やっと繋がったわ! よかった!」

聞くと、Lineも何通か送ったそうだが、なしのつぶてだったので、電話をしたそうだ。

後でLineを確認すると、何通かどころか、十通くらい来ていた。

そういえば、学校から出て喫茶店に直行し、茉莉奈さんと話している時からスマホはカバンに入れっぱなしだった。スマホで降雨情報を見る時も、切羽詰まっていたのでLineの通知数を見る余裕はなかった。

「『何かあった』どころじゃないわよ! 悪いんだけど、電話で言うには複雑な話だから、ビデオ通話出来ればそっちの方がいいんだけど」

なんだそれ、複雑な話って。

面倒事には巻き込まないでくださいよ。

喫茶店で石神井さんからLineが来たことが分かってれば、石神井さんに喫茶店に来てもらえたかもしれない。今そんな事思っても、後の祭りだけど。

「分かった。Zoomなら、パソコンにソフト入ってるから大丈夫だよ。使ったことないから、設定はしなきゃだけど」

中学の時“情報”の授業で習ったZoomとかいうビデオ通話アプリが、高校の入学祝いで両親に買ってもらったノート・パソコンにも入っていたはずだ。一対一の音声通話やビデオ通話だけでなく、グループ会議もできるらしいけど。学校のオンライン授業は、別の専用通話アプリを使うので、「へえ、最初からZoom入ってるんだ」程度にしか思っていなかったけど。こんなにも早く出番が来るとは。

「それでいいわ。どのくらいで話できそう? 10分くらいでいい?」

「多分」

Zoomの設定のやり方をネットで調べても、そのくらいあれば大丈夫だろう、とたかをくくった。

「とりあえず、あなたのスマホに私のID送るから、セキュリティー許可しておいてね。じゃあ、また後で」

10分か。ずいぶんと急かすね。

夕方からずっと話したいみたいだったから、早ければ早いほどいいんだろうけど。

「お母さーん!」

石神井さんとの電話を切って、以前、お母さんが在宅ワークで使っていたヘッドセットを借りた。お母さんには、「ニコ生配信でもするの?」と冷やかされたけど。「ニコ生」って。

自分の部屋からパソコンを持ってきて、電源を入れる。そういえば、このパソコン立ち上げるのって、セットアップして数日間使った以来だな。ネットを見たりする時、ほとんどは、スマホで用が足りていたからな。

30分ほどで、使用可能となる。電源を入れてから立ち上がるまでの速度が、前使っていたパソコンとは比べ物にならないくらい速い。

なんでも、記憶媒体がハード・ディスクからSSDというものに替わった恩恵だという。

ヘッドセットを付け、Zoomを立ち上げて画面通りにセッティングし、石神井さんのIDを検索。思ったよりも早く通話が出来るようになった。

設定をいじると、画面設定やらをいろいろカスタマイズできるようだけれど、とりあえずは標準設定のままでいいや。

通話を開始すると、すぐに石神井さんが出た。

「早かったわね。オーケー。悪かったわね、手間かけさせて」

「いいのよ、そんなこと。それで、『大変なこと』というのは?」

「もう、無茶苦茶な話よ」

石神井さんは眉間にしわを寄せて口がへの字に曲がっている。

彼女のその表情から、石神井さんが明らかに憤っているのがよくわかった。

彼女は、感情が結構表情に出るタイプらしい。

石神井さんに怒られたら、かなり怖そうだ。あまり彼女を怒らせないようにしよう。

「あのね、昼間、生徒会役員の二年生が呼び出しに来て、生徒会室で学校で新聞部の取材受けるっていったじゃない?」

確か、そんな話あったね。

「その時にね、私が吹奏楽部に入るって言ったら、インタビューが終わってから新聞部の記者の先輩が、『吹奏楽部、これから大変なことになりそうよ』と言ってね」。

吹奏楽部が?

それは他人事じゃないね。確かに。まだ部員じゃないけど。

「吹奏楽部は、毎年、新入生の勧誘の一貫で、校門入ってすぐのところで演奏しているの。別の勧誘活動と同時進行だから、フルメンバーじゃないけれど」

それは、お母さんから聞いたことがある。

基本的に、校内の公の場での、パフォーマンスを含めた勧誘活動は、生徒や先生方の通行の妨げになる可能性があるので、校則で禁止されている。

そりゃ、ソフトボール部がキャッチボールしたり、テニス部がリレーしたりするのは、危険だ。

でも、楽器の演奏は、座って演奏するのはもちろん、立って演奏しても、その場から動かないし、飛び道具があるわけじゃないので、危険なこともない。

それは、軽音部や合唱部も同じだけど、吹奏楽部だけは、「特例措置」として、公の場での、勧誘のための演奏が伝統的に認められている。

お母さんが入学した時には既にそうだったらしく、かなり昔からそうなっている。

吹奏楽部は、他の部活に比べて圧倒的に人数が必要だし、部の演奏レベルが上だった頃、やり手の部長さんが、生徒会から「特例措置」を取り付けてきたそうだ。

吹奏楽部が演奏すれば、入部するしないにかかわらず、見物人が集まってくる。そこでチラシを配ったりすれば、他の部活も効率よく新入生に声を掛けられるようになるので、運動部からは歓迎されているようだ。

もっとも、他の文化部、特に軽音部や合唱部、演劇部なんかからは「吹奏楽部がいいならうちだって」とクレームが毎年入るそうだけど。

コンクールでの上位入賞とか、対外的に目立つ成果を上げていないそれらの部活に「特例措置」を与える理由はない。この少子化が進んでいる日本で、対外的な成果を上げる部活が一つでもあれば、学校もアピールポイントになって、生徒集めがしやすくなる。全国大会で常連的に優勝している強豪校なんか、部員が二百人以上いるところもある。学校も部活も、人数が必要なのだ。そして、女子校だから野球部が甲子園に出ないこの学校は、吹奏楽部くらいしか頼みの綱がない。

それに、吹奏楽部は、昨日の入学式でもそうだったけれど、月曜日に毎朝ある朝礼での校歌斉唱の伴奏や整列前後の入退場行進、球技大会や体育祭での入場行進など数々の学校行事で演奏する事は多いし、市や商工会が主催するパレードや音楽祭などへの出演といった校外活動も、学校の名を売るには絶好の機会なので、なんやかんやで吹奏楽部は学校側にとっても必要とされている部活だ。

お父さんに聞いた話だと、運動部への参加が義務となっている防衛大学校では、入りたい部活動が文化部の場合、運動部と掛け持ちをちないといけないのだけれど、吹奏楽部は「運動部」として扱われていて、運動部との掛け持ちはしなくても良いそうだ。

吹奏楽部は学外活動もあるし、国内外のVIPが訪れた際や、校内のセレモニーなど、「学校の顔」として人前で演奏する機会が多く、みっともない演奏は聴かせられないから、厳しい練習に付いていけるように、特別な配慮が払われている。

実際、吹奏楽部は一般的に上下関係だけでなく、規律や礼儀も厳しく指導されるし、部活終わって毎日こんな疲れる文化部、他にないでしょうよ。もう、吹奏楽部は運動部でも良いんじゃないかなって思うことはよくあるけれど、本当に「運動部」にしちゃってる学校があるなんて面白い。

ということで、校内の公の場で新入生の勧誘活動が認められるのは、吹奏楽部の特権になっている。

吹奏楽部だって、ここ十数年は地区大会落ちが続いて、対外的な成果は上げていないのだけれど。「部員たくさん集めて、良い成果上げてね」という学校側の激励の意味もあるのかな。既得権益ってやつだ。昔の部員さん、ありがとう。

「うん、それは知ってる。最初の三日間だけみたいだけど」

石神井さんの眼が見開かれ、「よく知ってるわね」みたいな、軽く驚きの表情になった。やはり、感情が顔に出やすい。

「でね」

ここで石神井さんの顔がカメラに異様に近づいてきて、目しか映らないようになって、石神井さんの興奮の度合いが急上昇した。

「今年はそれがき・ん・しされたのよ!」

ウェブ・カメラのマイクに近づきすぎたせいで、割れまくった音声だったけど、言ってることは分かった。

今年は、「特例措置」で認められた吹奏楽部の公の場での勧誘活動が禁止された。

「うそ!? マジ!」。

思わずそう言ってしまったけれど、もちろん、石神井さんが嘘を言っているという意味ではない。

はっきりいって、吹奏楽部の校内の公の場での演奏が、新入生の勧誘にどの程度貢献しているのかは、分からない。もちろん、演奏だけでなく、その周りでは一年生に直接声を掛けて入部を促すこともしているのだろうけど、まあ、吹奏楽部に興味を持ってもらうことくらいはあるかもね。知識として吹奏楽部があることは知っていても、演奏を実際に目の前で見るのとそうでないのとでは、やはり印象は大きく違ってくるものだと思う。

「どう思う? 酷くない? こんな、生徒会の横暴を許していいと思う? 許すまじ、生徒会長!」

だから、早くカメラから離れて。音声割れてるって。

私は、耳から離していたヘッドセットのイヤホンを、再び耳に付けた。

石神井さんが興奮するのは分かるけど。

それに、「生徒会」って、在校生のことだからね。精確には「生徒会執行部」ね。

けど、生徒会の横暴って。

「それって、確定事項なの?」

石神井さんの興奮を収めるため、一応確認してみる。

やっと、石神井さんがカメラから離れて、

「ええ、そう。確定事項よ。私の取材をした新聞部の記者の先輩が、生徒会室で打ち合わせしている時、執行部役員全員一致でそう決まったって言ってたから」

やっと音声がまともになった。石神井さんの清らかな声が、ヘッドセットから聴こえてくる。

「うちの学校の生徒会はね、会長の権限がものすごく強いの。ほら、二年生の副会長が、三年になったらほぼ自動的に会長に繰り上がるでしょ? だから、庶務とか会計とか他の役員が懐柔されてワンマンになりやすいの。これも新聞部から聞いたんだけど、特に今の生徒会長は自己中のナルシストで、私と同じに受験、主席で入学して一年で生徒会に入ってからは、自分の言いなりになるよう、ずいぶん手なづけてきて、もう今では周りの役員、みんなほとんど言いなりだそうよ。腰巾着よ」

しかし、そんな生徒会執行部の内部情報を、ほいほい一般生徒にリークしちゃう新聞部員って大丈夫なのか。

執行部にしてもそうだ。生徒会執行部以外の、それも新聞部の部員なんかがいるところで、一つの部活の運命を左右する重要な案件の採択するなんて、緩すぎじゃ。

「それで、私にどうしろと?」

生徒会で民主的な手続きを経て正式に決まったことでしょ。それを覆そうとするなら、それこそただの横暴だ。クーデターでも起こそうってのか。

「民主的? そもそも、こういう提案すること自体が、独裁的よ! これはね、生徒会長の私に対するあ・て・つ・け・なのよ」

え、そうなの?

石神井さんの考えすぎでしょ。

てか、石神井さんと生徒会長って、面識あるの?

「実はね、昨日ロングホームルームが終わった後、すぐに生徒会長がうちのクラスに来てね」

石神井さんは、生徒会長から、直接、生徒会執行部に入るように言われたという。ゆくゆくは、生徒会長になるため、二年生では副会長に立候補できるよう、庶務とか会計とか、できれば書記に立候補して欲しいって。

うちの学校では、ゴールデン・ウィーク開けの中間考査が終わると、すぐに、一年生の生徒会執行部役員選挙が告示される。

とりあえず、一学期中は、大きな学校行事といえば二年生の修学旅行くらいしかないので、新しく生徒会に入った一年生が仕事を覚えるのに都合が良いというわけだ。投票は、二年生の修学旅行の前に行われる。二学期に入ると、体育祭や文化祭など、生徒会執行部にとって激務期間となるので、それまでに仕事に慣れる必要がある。

さっき石神井さんが言ったように、生徒会執行部の権限が強いのがうちの学校の特色で、そういった学校行事の運営委員会などは特に設けず、全て生徒会執行部のイニシアティブによって運営される。だら、事実上、学校行事の全ての運営委員長は、生徒会長が務めることになる。

「さすが、入試トップの新入生代表。もう生徒会長に目をかけられてるんだ」

で、どうするの?

昼間の話では、吹奏楽部に入るって言ってたけど。激務で有名なうちの学校の生徒会執行部との掛け持ちは無理なのでは?

「だから、断ったわよ。別に、入試成績トップが生徒会入する規約なんてないし」

石神井さんはあたかもそうすることが当然であるかのように、そんなあっさりとした口調で言った。

「断っちゃっていいの? 生徒会長になったら、好きなようになんでもやりたい放題じゃん」

あなた、生徒会長を何だと思ってるの? 世界征服を企む悪の組織の親玉じゃないのよ、なんて、爽やかなアルトでたしなめられる。

「私、小中と九年間学級委員長だったし、全学年、入った委員会では委員長やったわ。中学でも二年間生徒会長やってたけど、私が本当にやりたいのは、もうそういうことじゃないから」

それは、新入生代表の挨拶でも言ってたな。

「それで、石神井さんが生徒会執行部に入ることを断った腹いせに、石神井さんが入部しようとしてる部活の活動を妨害しようとしている、ということ?」

「そうよ。あの腹黒生徒会長のやりそうなことよ。私も、生徒会長と同じタイプだから、分かるの」

石神井さんは、腹黒、と。

そもそも、吹奏楽部が学校の公の場で、パフォーマンスによって新入生の勧誘活動をするのは、「特例措置」であって、既得権益ではあっても、権利なんかじゃない。いつかは、「特例措置」がなくなり、部活規則に則った、他の部活と横並びになる時が来るものだったんだろう。それが、今ってだけで。

「いい? 沙織さん。ルールはね、人が作るものなの。人が作るものである以上、間違ったルールも存在するわ。『悪法も法なり』といった偉い哲学者がいたけれど、誰もが自分の基準で正しいルールと間違ったルールを判断して、間違っていると思ったルールを無視しいたら、人間の社会活動そのものが崩壊してしまうから、それもある意味では正しいわ」

それは、中学の授業で習ったかな。社会だっけ、道徳だっけ。

「でもね、間違っているルールはね、変えていかなきゃいけないの。時代や、立場によって、正しさって変わってくるものだから。人間の社会はね、間違ったルールを正しくしていった結果、進歩してきたのよ」

だから、生徒会長は吹奏楽部の「特例措置」をなくそうって思ったんじゃない?

「間違ったルールを守らなければいけないと言っている人は、その間違ったルールがその人にとって都合がいいからよ。ポジション・トークね。大体、ルールを作る側がそんなこと言ってくる場合、ろくなことがないわ」

それが、今の生徒会長だと。

石神井さんの言いたいことは、概ね理解できた。

もっとも、吹奏楽部から「特例措置」をなくすな、という意見自体、吹奏楽部にとって都合の良い言い分で、それこそポジション・トークなんじゃ・・・。

要は、自分に都合のいいルールを巡っての、力の綱引き、というところか。

それで、私にどうしろと。

「明日、朝イチで生徒会長に直談判に行くから、あなたにもいっしょに来て欲しいの」

それだけ?

「ついては、その時、生徒会長をギャフンと言わせる切り札、ないかしら?」

ですよね。

そりゃ、生徒会長とのやり取りは石神井さんがやるとしても、ただ単に付いていくだけじゃないわけで。用心棒としても頼りないし、何の役にも立てそうにない。むしろ、石神井さんの方が用心棒向きじゃないかしら。生徒会長にとって私は、何の役目もない、ただの新入生の一人、NPCだもん。

「そう、いきなり言われてもなあ。石神井さんが考えて、何も対抗措置が思い浮かばなかったものを、その話を今聞いたばかりの私が、いきなり模範解答出せるわけないでしょ」

石神井さんの表情が、不敵な笑みを浮かべた。これはこれで、ちょっと怖いな。

「私はね、もうあなたに賭けるしか無いのよ。トランペットのもうひとりの子、あの子は静かすぎて何考えてるか分かんないし」

これが“溺れる者は藁をも掴む”ってやつか。

それにしても、石神井さんは私のことを壮大に買いかぶり過ぎてるな。

特例措置、部活規則、ポジション・トーク、生徒会長の横暴・・・。

今まで出てきたキーワードをあれこれ考えていたら、フと思い当たるところがあった。

「ねえ、石神井さん、生徒会の会則とか規約って、出てきたりする?」

石神井さんが、「ほら、考えればちゃんとアイデア出てくるじゃない」みたいな安堵した顔に変わった。

「そうねえ、学校の生徒用のポータル・ページからダウンロードできるかもしれないから、ちょっと待って」

しばらくパソコンを操作していた石神井さんが、生徒会規約が掲載されているページのURLを送ってきた。

結構長いな。

生徒会の権限は大きいから、規約も多岐にわたる。生徒会の一存で出来ること、出来ないことが詳細に記されている。生徒会の活動経験の中から、細かに改定されながら長年蓄積されてきた結果だ。

「私一人じゃ読み切れないから、石神井さんも探して。私、下の方から読むから、石神井さんは、上の方からね」

私が思いついた「切り札」が使えるかどうかは、この生徒会規約にかかっている。書いてなければ万事休す、書いてあれば、イケるかもしれない。直接的に書いてなくても、使えそうな文言の解釈を変えれば、現状を打破出来るかもしれない。そういうのは、石神井さんが得意そうだ。もし、生徒会長がその上を行っていたら、私達の作戦は、失敗。まあ、努力した結果、そうであれば、石神井さんは納得してくれないかもしれないけど、諦めはつく。

結果は後から付いてくるもの。コンクールと同じだ。全力で努力して落ちるなら、それはそれで仕方がない。

石神井さんに、必要なキーワードや規約内容のザックリしたところを伝える。

「なるほどね、ルールには、ルールで対抗するって訳ね。分かったわ」

さすが入試トップの優等生。飲み込みが早いな。

そして、二人して黙々と生徒会規約の読み込みが始まった。石神井さんと始めての共同作業。

石神井さんが見つけた文言を私に伝えてもらい、「それじゃない」「私の求めているのとは違うけど、それ使えそうね。第何条の何項?」とか言いながら、作業を進めていく。

作業の合間、パソコンの画面を見る。ビデオ通話は繋がったままなので、向こうのパソコン画面に映った規約を読む、カメラ目線ではない石神井さんの顔を、ウェブカメラが映し出している。

ウェブカメラの粗い画像からも、石神井さんの上品で清楚な顔立ちが確認できる。

綺麗だな。

誰が石神井さんの顔を見ても、そう思うに違いない。

同性の私から見てもそうなのだ。これが男子だったら、イチコロだろう。

もしかすると、石神井さんに告白する生徒が出てくるかもしれないな。

女子校だけど。

いけないいけない。

現実逃避はそのくらいにして、読まないと。

どれくらい時間が経ったろう。

二人して、全ての規約を読み切ったが、私が求めていた規約は記されていなかった。

空気が重くなる。

使えそうな規約を私が再確認していると、ポータル・ページのメニューを眺めていた石神井さんが声を上げる。

「あっ!」

どうした。

もう大概のことじゃ驚かないけどね、私は。

「この生徒会規約、他に補足が二つあったわ。次のページに載っているから、気づかなかったけど」

ページ閲覧数を水増しするブログか。同じページに載せてよ。

一つ目を石神井さん、二つ目を私が確認する。

<補足>なので、分量はそれほど多くない。

読み始めた途端、私の求めていた文言がついに現れた。

「石神井さん、あったわよ。私達の切り札」

これなら、確実に生徒会長の提案を退けることが出来るかもしれない。

石神井さんがみつけた規約は、私をそう思わせるに十分なものだった。

完璧な切り札。

私のこれからの人生で、これほど完璧な切り札は、そうそう出てこないだろう。

そういう切り札が必要な場面には、遭遇したくないものだけれど。

ともあれ、石神井さんから感謝の投げキッスをもらい、「じゃあ、明日」と言って、学校に集合する時間を確認して、ビデオ通話を終了する。

やれやれ。

これで、やっと練習する事ができるよ。

そう安堵したのもつかの間。

既に、午前一時になろうとしていた。

残念。今日の練習は諦めよう。

今日は、楽器の練習以外のことに全力を尽くした。それで十分だ。

お風呂に入り、歯を磨き、スキンケアをしてベッドに入った頃には、かなりい・い・時間になっていた。

明日、大変なのは石神井さんの方だ。

生徒会長とのやり取りを色々シミュレーションしてるんだろうな。ちゃんと寝られるのかな。

そんなことを思ったのも一瞬で。

ベッドに入ると、石神井さんの心配や、今日の出来事を反すうする暇もなく、私は速攻で寝落ちした。

つづく。

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