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2024年5月の映画鑑賞記録

5/2 マリウポリの20日間

今作は単独で扱ったので、そちらを。

5/5 悪は存在しない

濱口竜介監督のことは、前作『ドライブ•マイ•カー』で知った。それ以外の作品は観たことないけど、人物描写の細かさを大事にしている人であるのだなという印象は持っており、そして今作でその印象は間違いなかったなと改めて感じた、とても面白い映画だった!
 舞台は長野の山奥の小さな集落で、そこに現れた東京からのとある開発計画の話が持ち上がり、その集落と東京の対立が映画の基本的な建て付けで、そこに両者の立場や信念、慣習や成り行きなど入り混じり、大きなうねりになっていく、というような内容。  …とも言えるのだけど、そんなあらすじだけでは片付けられない、厄介な仕組みを持った映画で、なんだコレはと言うほかない。 まずタイトルがとてもとても意地悪。都会と田舎の対立構造が主軸のシナリオなので、都会→悪 田舎→善という見方で回収しそうになるけれど、話が進むほどに全然そんな映画では無いことに気づき、ああなるほど「悪は存在しない」かあ〜と思いきや、最後に『なんじゃいなそりゃ』としか言いようのないエンディングに辿り着く。解釈の仕方にあえてバッファを持たせていて、それぞれが考えを巡らす余地があるのもとても意地悪。
なんてオモロい映画なんだろう。
僕が観た劇場では、聴覚障害者用の字幕がついた上映で、セリフのひとつひとつしっかり理解しながら見られたのはよかったけど、ちょっと余計だなという気も同時にあり、字幕なしのバージョンをどこかでもう一度観たいなと思う。

5/11 胸騒ぎ

オランダだかデンマークだかのホラー。主人公夫婦と娘が、休暇中の旅先で出会ったある一家と意気投合し、家に招待されるが、コミュニケーションを重ねるうちに小さな違和感が重なり、不信感へ変わっていき、最終的に主人公一家がえらい目に遭う、という内容。
あらすじはとても面白そうだし、不穏な空気感の作り方、音楽演出、良いところもたくさんあるのだけど、途中から『やる気なくなっちゃったの??』と言いたくなるような、雑なエンディングに疑問を感じざるを得なかった。
主人公サイドの妻、お前が最初に一家に違和感もってたのに、後半でその設定がなかったことになっててわけがわからない。
前半の微妙なコミュニケーションの描写が細々と続くパートが良く、面白い点ではあったが、全体としてはよくない映画だと思う。人には絶対に勧めない。

5/19 ありふれた教室

舞台となっているドイツのある学校では、盗難事件が多発していて、学校側は抜き打ちの財布チェックを行ったりして父兄から問題視をされたりなにかとピリついていた。その中で主人公の女教師がとった行動が思わぬ形でドンドン悪い方に転がっていき、教師間や児童、父兄と軋轢が生まれてしまい…  、というような話。
 僕は数年前まで都内のとある学校で事務方として勤務していた経験があり、先生と話すことも多かったので、彼らの大変さはよく理解をしているつもりで、主人公というのは差し引いてもどうしても女教師サイドに立って観てしまった。
意図せずに話が大きくなり、あれよあれよと身動きとれなくなってしまうサマは、どこの現場でもある話で、それがこと学校となればそりゃ収拾もつかなくなるよねという。生徒はすごく軽はずみで簡単に嘘をつくし言うことなんか信用できない。教師は教師でやる事多すぎて、1人に構ってられる時間も限られている。学校ってのは大変な現場だなと本当に思う。
なかなかに救いのない映画ではあるけれど、会話劇としてずっと面白いし、ラストに少しだけ挟まれる描写に少しだけ救いのようなシーンもある。まもなく唐突に終わるけど、あのラストのためにこの映画があったのだなと思うと、しみじみとなった。

5/24 関心領域

アウシュビッツ強制収容所の塀を隔てて、すぐ隣に住んでいる家族の生活を追う、という内容。なんじゃそりゃと思いつつも、まさかの実話だという事を聞いて、俄然観たくなった本作。
スクリーンに映るのは豪華な屋敷、広い庭で悠々自適に生活する一家の普通の営みなんだけど、劇中、なんかしらの物音、人の叫び声、銃声がずっと聞こえているあまりにも異常な光景。 カメラワークが不気味で、終始変な位置からカメラが回されていて、まるで隠し撮りのような感じ。そこかしこに散りばめられた違和感と常にあって、ずっと「なんか気持ち悪い」がつきまとう。
塀の向こうで今まさに虐殺が行われているというのに、無関心で生活をしている一家のサマは、当然現在のウクライナやパレスチナと我々生活者であり生活の中で起こりうる色々な事柄のメタファーになっているのだと思う。
月初に観た『マリウポリの20日間』でも感じた事だけど、日本に住んでる身としては、虐殺や略奪も、いくら親身に考えたところで起こってることそれ自体は蚊帳の外の事にどうしてもなってしまう部分はある。その中で、いかにそういう事実への関心を途切れさせないか、が当事者性を維持するせめてもの策なのかなと思うけど、実際には難しいと思う。
ラストの嘔吐のシーンは、どうしたって『アクト•オブ•キリング』を思い出した。

5/25 ミッシング

ある日突然失踪した8歳の娘を探す夫婦を追ったフィクション。 主演は石原さとみだけど、わずかな希望にすがりながら、あらゆる人に振り回されてボロボロになっていく様を熱く演じていた。彼女の出演作品を観た記憶が『シン・ゴジラ』くらいしかないので、あそこまでしっかり演技ができる人だというのが意外な驚きだった。ネタバレ?にはなるけど、最後まで娘は見つからない。ひたすら夫婦が振り回される内容なので、本当につらく救いのない映画。 しかし、最後の方で、ひとつだけ小さな救いの描写が差し込まれ、「良かったな」という想いをもったが、このわずかな救いのためにこの映画観てたのかと思うと、やはり容赦のない映画だなと思わざるを得ない。
個人的に1番キツかったのは、買い物中のスーパーで、まわってる扇風機の音が娘の声に聞こえて思わず振り返る、というワンシーン。辛すぎるよ…。

映画で起こってるような事件は日本に住んでるとしばしば聞く話で、野次馬的に知っている事象ではあるので、フィクションとはいえああいう一家の実態を垣間見れたのはよかった。
とても面白かったけど、人には勧めにくい。

余談 ☀︎ 劇中で出てくる架空のバンド?の曲が、昔ちょっと聴いてた岩崎愛による詩作だった。だいぶ前にメンタル系の病気で活動を休止して事を聞いていたので、製作を続けてくれていてよかった。

5/28 碁盤斬り

古典落語を基に脚色を加えたという時代劇。久しぶりに草彅剛を観たけど、とてもいい顔をしていて安心した。
映画としては、娯楽作品としてとてもキレイにできていて安心して観られる良作だった。
重箱の隅みたいなことかもしれないけど、ひとつ気になった点。ある出来事がきっかけで、草彅剛演じる柳田格之進は、ひょんな事で泥棒の疑いがかけられ、そのために娘が吉原に売られてしまう。大晦日までにお金を持ってきてくれば娘は無傷で返す、という約束で娘を預けるが、格之進はそれとは別に敵討ちを果たすべく旅に出なければならない。なんやかんやで格之進は敵討ちを果たし、目的を達成するのだけど、その間に娘は吉原でただ放置されてる図になっていた事がとても気になった。敵討ちの旅の最中にも格之進に娘を救うための算段があったとはどうも思えず「おめーなに考えとんねん」という気持ちになった。
良かった点として印象に残っているのは、屋内でのシーンが終始薄暗い事。 観ている最中はなんでこんな暗いんだろうと思ったのだけど、要するに当時では現代みたいな照明は存在しないので、時代考証のひとつとして自然光を多く取り入れて、人工的な照明を抑えたという話らしい。映像としてはちょっと見にくくはあるんだけど、分かりやすい見やすさではなく、こういうリアリティに振り切れるのはとても良いなと感じました。 良い映画だったと思います

5/30 バティモン5 望まれざる者

舞台はフランス•パリ。とはいえ、パッとイメージするようなエッフェル塔や凱旋門が立ち並ぶ華やかなパリではなく、郊外のスラム街が舞台。老朽化したマンション街にアフリカ系と思しき移民たちが所狭しと生活をしているが、そのマンションを安全性を理由に撤去したい行政側の抗争を描いてる。
 目線はマンション住民(移民)の方に寄せて作られているので、力づくで抑えつける行政側は悪者のクソ野郎としか見えないように作られている。 たしかに暴力的だし「他にやり方あんだろ」と当然思うけど、目線を少しズラすと、行政側の立場も分からなくはなくて、とても難しい問題だなと色々と考えてしまった。
 見ていてよく分からなかった点。主人公の女性が市長に立候補するという展開があるんだけど、彼女があんな簡単に立候補ができたのは何故だったんだろうってのが気になった。移民問題は日本でも近年特に騒がれるようになったトピックだけど、正解はどこかにあるんだろうか。わからん。


…………  雑記 ………
5月に観た映画は、カロリー高めの重い映画ばかりでなかなかしんどかった。やはり『マリウポリの20日間』『悪は存在しない』『関心領域』が際立っていて、どの映画の中にも関心領域があるし、悪は存在しないがあって、そのゆく最後にマリウポリがある、というような、どれもこれも別の映画なのにずっと地続きで観ているような感覚があった。 
 僕は2015年、ポーランドのアウシュビッツ博物館に行ったことがある。ガス室も、銃殺用の壁も、かつて電気が流れていたという有刺鉄線もこの目で見てきた。 『関心領域』の劇中にも出てきたが、ユダヤ人の着ていた服、履いていた靴、眼鏡やスーツケース、義手、義足が堆く積まれ、刈り取られた頭髪まで展示がされていた。彼らの踏みにじられた尊厳を思うとなにも言えない。 アウシュビッツのゲートには「Arbeit macht frei」という看板が立っていて、これは「働けば自由になる」という意味の言葉で、収容所内で行われている事を考えれば、ふざけんなとしか言いようがない言葉だ。この看板を作ったのも当然収容者なんだけど、"B"の文字が反転しているのがポイントで、これは収容者によるせめてものナチスへの反発だったという話が残っている。
こんな形ではあるけれど、なんとか尊厳を守った収容者の事を思うと、こんな地獄のような環境の中にささやかな救いのようなものを僕はギリギリ感じ取った。

こうした事が2度と起こらないような世界にしていかないといけないなという思いになった、その前後からこんな事を考えるようになった。

国内でも9条問題なんかを筆頭に『戦争反対』『人類平等』などという標語が掲げられ、デモやキャンペーンが起こる事がしばしばある。 ずっと思っている事なのだけど、「戦争がなぜ起こるのか」を考えてみた場合、やはりそれは先進国と呼ばれる加害国が資源や土地、人材を奪うために弱い国を攻撃しているからに他ならない。そしてその資源で恩恵を受けているのがその国の国民や企業で、生活が支えられているという側面があるのだと思う。
だとしたら、もし本当に「戦争が終わって、人類が平等に」なったとしたら、今のように資源などは使えなくなり、物価はめちゃくちゃ上昇し、企業などの成長は急激に鈍化するだろう。現代のスピード感とは全然違う世界になるような気がする。現代の生活と比較すると端的に暮らしにくい世の中になるような気がする。
一般市民レベルでもきっとかなりの変化を強いられる事になるのでは、という気がするけど、デモなどでシュプレヒコールをあげているような人がどの程度の覚悟でその言葉を発しているのか、という疑問がずっとある。
「今の生活レベルは落としたくない」けど、「戦争は無くなってほしい」って、成立するのかな? そりゃそうなれば最高だけど、実現性は甚だ疑問だ。 全員が幸せになろうと思ったら、全員が今よりちょっとずつ貧しくなる事を覚悟すべきなのではないか。いつか識者の人に聞いてみたい。

今のところは「戦争反対」「戦争やめろ」ではなく「停戦」を求めるのはたしかに1番いい着地であるような気がする。 WAR IS OVER ではなく、STOP THE WAR。
終わらせる事できないかもしれないけど、とにかく一旦攻撃や虐殺を止めて、なにか別の解決方法を平和的に模索してくれませんか、というのが僕の立場です。

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