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夏休みの読書感想文 「哲学と宗教」

自分が気になる人が気にしてる本ってだいたい面白い。それに、本を通して、私の人生で出会った愛おしくて奇怪なキャスト陣の愛すべき奇行を分析しては、なんとなく彼らのことをわかった気になるのも面白い。コロナによる長い夏休みも終わりそうなので読書感想文書きます。

古代から現代までの哲学と宗教の歴史をたどる
出口治明氏「哲学と宗教」
抽象的な事柄の本が分厚いのは、やさしく丁寧に書いてくれているからだと思う。テキストを持って立ちすくむ受験生には最良の参考書であることは間違いない。けれど、私はこの本がたんに初心者への教養や知識の提供のために綴じられたとは思えない。なぜ今このタイミングで、私は「哲学と宗教」について考えさせられているのか。

「いにしえの時代から、哲学と宗教はどうして時に争いを生み、形を変えて、流行ったり廃れたりしながらも今に受け継がれてきたのか」について、
逆に言うと
「移りゆく時代の中でも、どうすれば私たちの大事にする生き方や考え方を大切に守り抜いていけるのか」
読みながら見えてきた軸はこれだ。「見えてきた」というより、作者の意図などお構いなく、純粋に今自分が「見たいこと」を映しとったにすぎないのだけれど。

というわけで、この本をもとに、誰もが知ってるあの宗教のヒットの秘訣をあれこれ考えてみた。

①親しみやすいエピソードを引き合いに出す
→キリスト教は、当時のローマ庶民にポピュラーだったミトラス教が、冬至を盛大に祝っていたことから、冬至の頃をクリスマスと制定し、キリスト教への改宗を促した

②信仰の内容が実践しやすい
→礼拝や断食などは、習慣であれば教徒にとって大きな負担ではないはず。具体的な行動で示されているとわかりやすい。

③商人→商人 農民→農民など、同業種や同じ境遇のグループに共感を与えやすい。
→商人だったムハンマドのイスラムの教えは、同じく商いをする人々に支持され、貿易を通してアラブの商人たちに広がったと言われている。「隠れて生きよ」と言ったエピクロスの勧めた隠遁生活は、俗世に疲れ果てたローマ庶民たちに支持を集めた

また、ブッダがインドで唱えた仏教は、チベットや中国、東南アジアの国々に渡り、密教、上座仏教、大乗仏教として姿を変え信仰されている。ぐにゃりと形を変えて、するっと入り込む、もしくは包み込むような柔軟さがあった。日本がそうであるように、仏教は在来の神も受け入れる。

聖書や経典の教えは、時を超え場所を越えると意味が変わり、信仰の内容も変わる。
誰かが得をするためには都合よく言い回しを変えなくてはならなかったり、新しい土地に布教するためにはそこに生きる人の暮らしの中にすんなり組み込まれるような工夫も必要だ。
そしてその土地のその時代の観念とうまく共存したものは、
私たちの生活に根を下ろして今でも受け継がれている。

誰かの唱えた思想にも同じことがあてはまる。
弟子によって受け継がれた思想を、またその弟子が書き起こして、その書物を元にまた別の誰かがさらなる思想を生む。
思想は、時代に即して、郷に従って、それぞれ序列を与えられたり、時には形を変えたりしながら生き存えてきたみたいだ。

隣人を愛したり、輪廻を信じてみても、やっぱり人は争うし、煩悩は尽きない。聖書や経典を前にした信仰と、人間が主体となって起こす行動は一致しない。だけどほんとは、いつの時代も、王様も奴隷も、猫も杓子も、結局は自分が幸せであるために、純粋に何かを信じていたかったんだろうなあ。

これから、もしかしてオンライン礼拝が当たり前になってくるんかな。バーチャル割礼とか出てくるんかな。思想はどう変わり、世界はそれをどう見つめるのかな。というわけで「哲学と宗教」はあまりに壮大なテーマのため、自由研究と名を変えて次項へ続きます。



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