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ハンセン病療養者の短詩を読む ③死との接近 ―葬儀の列は短かかりけり―

ハンセン病の療養者は、常に死と隣り合わせであった。それは自らの病状でもあり、同じく療養所に住む患者の友らでもあった。そして絶望のあまり自死する者もいた。
 
君くびりゐしぶなの木もとの草むらはいちごの花のさきさかりけり 大石桂司
絶望のあまり首を吊った、そのぶなの木の根元に、苺の花が咲き盛っている。死者の事情に関わらず、命はまた生まれでる。この花は可愛らしい生命であるが、真実の冷徹さの証にも思える。
 
吾が歌集の刊行の日まで生きたしと所長に言ひぬ今朝の診察に 島田尺草
自分の歌集が刊行されるまで生きたいと言う。それまででいい、というほどの想いが歌集にはかかる。それしかない、という思いでもあっただろう。
 
外出の自由となりしわが島にみづからいのちを断つ人減りぬ 北田由貴子
外出が許されたとき、患者の自殺者が減ったというのである。減るほどに多くいたということでもあるだろう。ただ外に出られるというだけのことが救いであった。それは、外に出てよい立場であるという肯定的な自己認識にもつながっただろう。
 
棺桶の予備うづ高く積みてある倉庫の中へどやどやとる 谷脇徹
あまりにも死と接近しているがゆえに、死に慣れてしまった光景。棺桶の予備が積み重ねてある倉庫。そこへ、厳粛でもなく入っていく。
 
ようやくに痛み無くした荼毘だびけむ 中山秋夫
生命を失うまでハンセン病の痛みは続いた。これを語る側は生きていて、まだ痛みを体に持っている。その眺める目には、いつか自分も、という思いもあるように思う。
 
退園は煙突からと言いをりし友の棺を火屋ひやに見送る 佐藤忠治
いつか退園して自由な暮らしを取り戻せればいいが、その希望はかなわないことを知っていた。だから、退園は煙突からと冗談のように言ったのである。その話は現実となり、煙となって退園する。だがこの冗談のなんと無情なことか。その無情を強いていたのは社会であった。
 
春の雨そぼ降るみちに濡れながら葬儀の列は短かかりけり 綾井譲
春の雨の葬儀。その列が短かったという短歌で、単純に情景をそのまま描いたようにも見えるが、葬儀の列が短いというのは、社会的なつながりを断たれているためである。死んでも、わずかな人しか葬儀に参列しない。
 
癒ゆる日に履かむと云いし短靴も納められたり君の柩に 南真砂子
病気が治ったならその日に履こうと言っていた靴が、ひつぎに納められた。足が不自由な人にとって靴を履くことは願いであり夢であった。それを納めてひつぎは進む。
 
目を閉ぢて吾は法華経唱へをり友を焼く火の音を聞きつつ 橋本辰夫
僧侶がたまたまハンセン病患者の友であったということではないと思われる。健康な者がハンセン病患者と接触しないよう、葬儀はハンセン病患者が行い、読経も患者が行ったのだ。
 
春の雷ベッドに逝きし人の窪 渋沢晃
ベッドに、亡くなった人の体の窪みがまだ残っている。この句において、「春の雷」とその情景が「つきすぎか、そうでないか」といった俳句評の言葉は意味を持つまい。
 
掛大根かけだいこ日々細りゆく窓に病む 中村花芙蓉
掛大根とは、掛けるように干している大根である。干された大根は日ごとに細くなる。それは人の営みとして当然のことであるが、それを窓から見る自分は病気に苦しんでいる。日々病状が進んでいる。
 
歯ブラシが濡れてる今日も生きている 五津正人
歯ブラシが濡れている。朝の歯ブラシだと思う。歯ブラシが濡れているというだけのことに、また新たな一日に生命を保つ自分を発見する。
 
盆の夜や生命いのち粗末に踊りたし 石浦洋
命を粗末にするほどに踊りたい。盆踊りはどこか命の燃焼のイメージを伴うが、それだけの句ではない。命を大切に扱わねば生きていけない自分自身があるから、命を粗末にして踊りたいという願望は「叶わぬ願い」として強烈なのだ。
 
 
 
作品はすべて、『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』阿部正子・編、皓星社より引用した。


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