「関与」はなくても責任は取れ、と私はいいたい!

広島で起こった参院選の買収問題に関して、与党幹事長の発言がかなり気になったので、思ったところを整理したい。

■「その支出には、関与していない」

2019年参院選広島選挙区の公職選挙法違反事件において、河井夫妻に対して1億5000万円が提供された問題に関して、記者からの質問を受けた幹事長は見出しの通り回答した。

この1億5000万円については、買収の原資となった疑惑が指摘されている。

だからこその否定なのだろうし、河井夫妻も買収に使ったお金は全額自分のふところから出したと証言している。

それでも、ほとんどの人が腑に落ちないと感じているにちがいない。

■ ここには2つの問題が潜んでいる

この発言から、少なくとも2つの問題を読み取ることができる。

ひとつには、1億5000万円が買収に用いられたのかどうか。
そこからさらに、党本部としてその意図を知ってたのかどうか。

そしてもうひとつは、組織としてのガバナンスの問題。

責任者の「関与がない」形で本当に1億5000万円もの(国民にとってみればとんでもない)大金を出金できるのだとしたら、ガバナンス上、問題ありと判断せざるを得ないのではないか。

ここでは後者の問題について、さらに深掘りしてみたい。

■「関与していない」発言の闇

幹事長の発言が事実だとするならば、自民党という組織では少なくとも、
1億5000万円という金額を責任者の「関与」なく出金してよいことになる。

どのような承認のルールがあり、どのように権限移譲がなされているのかはわからないが、誰も不正出金で処分された話を聞いていない以上は、それが正規のルールにもとづき行われたのだと考えざるを得ない。

ちなみに、党の公認候補に「通常」支払われる公認料は、今回の金額よりも桁がひとつ少ない。

ということは、
・そもそも1億5000万円は大金ではなく、公認料は微々たるお金でしかない
・正規の手続きではないが、ルールがなく承認者を公に処分できない
・「関与」は一般的な意味での関与ではない
これら3つのいずれかに該当する可能性があるのではないだろうか。

■ 1億5000万円は大金ではない

とすれば、そんな政党に政権を握ってほしくはない。

国家予算の規模からみればはした金であることはわかっているが、一般的な国民にとっては途方もない大金である。

国民の目線を失った政治家に政治を語る資格はないと個人的に思う。

とはいえ、そんな人たちが集まっているからオリンピックを強行するのかと思うと、妙に腑に落ちてしまうから厄介なものである。

■ 正規のルールが存在しない

組織としては一発アウトである。

一般の企業であれば、このような出金が行われてしまったこと自体が大きな問題であり、組織としてのガバナンスを全否定されるレベルである。

政権与党のガバナンスがそのレベルだとしたら、嘆く以外に方法はない。

念のため、ここまでガバナンスがなっていない場合、組織の責任者は本当に直接的な関与がなくても、詰め腹を切るのが一般的である。

権力の使い道なんて、最後に責任を取るくらいしかないのだから。

■「関与」の意味とは

「核ミサイルを発射するよう指示はしたが、自分でボタンは押してない」

戦争法廷で裁かれる元指導者がそんなセリフを吐き、「故に無罪である」と主張したところで、「だよね」と共感するバカは一人もいない。

しかし、もしかしたら私たちは長いこと、たとえ無意識であったとしても、そんなバカの役割を演じ続けているのかもしれない。

表向きの決裁手続きに名前がないだけで、「関与していない」というのなら言語道断を通り越して、もはや滑稽のレベルである。

だとすれば、怒りや哀しみを真剣に表す方法を考えるべきではないのか。

絶望が完全な無関心に至ってしまうと、それを利用して自由を侵害する輩が必ずといってよいほど現れる。それは何としても避けたいのだ。

だからもうちょっと、自分事として考えてみようと思う。

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